大鼓のサック[怒濤の進化論編]


サック サックは長唄系の囃子方はほぼ必ず装着しますが、本行(ほんぎょう:我々歌舞伎のプレイヤーからみてお能のことです)の大鼓演奏者なんかそんなものなしでもすっごい音をさせてます(着けてらっしゃる方もいらっしゃいますが)。

 聞くところによると、大昔はそんなものなしで演奏していたらしい、といいます。別の話ですが、大鼓の皮を焙じる(ほうじる:皮を乾燥させるために炭火や電熱器であぶること)というのも割と近年に始まったことのようです。

 私はその頃をよく知らないので、もしご存知の方がいらしたらお教えください。ここでは私のごくごく限られた知識と勝手な推測でお話を進めます。

 この、「焙じる」という作業とサックにはどうも関係があるような気がしてなりません。

 そもそもなんで「焙じる」ようになったのでしょうか。この先は私の推理です。

  1. 本行では、大鼓の手順は小鼓よりも一拍先に「セーノ!」って感じで出ることが多いので、そのために大きな音をさせたい。
  2. 梅雨時にあまりにも皮が湿ってしまった為、あるプレイヤーが急いで乾かすために炭火にかけて使ってみたら調子が良かった。
  3. それがだんだんエスカレートしていって、気がついたらもう、焙じずにはいられない身体になっていた。

そして、これがサックを使い始めるキッカケとなります。

  1. 焙じると皮がかたくなるので指が痛い。
  2. 指を保護するために革の手袋をしてみた。

 当時、革手袋なんて普通に売ってたと思います?もちろんそんなもの使っている人なんて...いました。当時の武士達です。当時の武士達がたしなんでいたと思われる武芸の中に弓道ってのがあるでしょ?たしか革製の手袋状の防具で指を保護するんです。あれ、以外と硬くっていいかもしれません。あれを作る技術で大鼓演奏用のサックなんか簡単に作れたことでしょう。

 当時、本行の演者達ってのは武士階級にいましたから、これは以外とすんなりと受け入れられたかもしれません。


 江戸時代も中ごろになると、歌舞伎という芸能が町人文化の最先端として台頭してきます。「出雲の阿国」によって歌舞伎の原形が開かれてからしばらくの間、三味線が歌舞伎に取り入れられるようになるまでは伴奏は囃子方だけであったようです。三味線って以外と日本に入って来たの、遅いんですよ。ギターやピアノの方が早いくらいです。

 この、歌舞伎囃子の人たちってのは武家の次男坊、みたいな人が多かったらしいんですね。親が死んでも家督が継げるわけでもないし、とにかくもう平和すぎて武士なんて役に立たないもんだから、暇は持てあましてたことでしょう。せいぜい遊びに血道を上げていたんじゃないでしょうね。

 河原乞食なんて言葉があるように原初歌舞伎の興業は文字通り河原で行われておりました。ここは当時の渋谷・公演通りみたいなところだったんでしょう。流行の最先端を行く場所だったと思ってください。ここの舞台は掘っ立て小屋で、音響効果のよい能舞台と違ってどんなに強く演奏しても音は散っていってしまいます。

 囃子方達は音量を維持するために調べ(皮を締めている麻ヒモのことです)のテンションを上げて、対処したことでしょう。

 小鼓なんかは皮が薄いもんだから音量のことはすぐにあきらめちゃったんでしょうね。かわりに人数を増やすことで音圧を上げていこうとしたみたいです。現在、能で小鼓方が複数並ぶ演目は「翁」のみですが、歌舞伎では三人から四人、日本舞踊の会でも二人以上並ぶのはごく一般的です。

 締太鼓のプレーヤーは撥を重たいものに替えて、裏バリ(打つ方の皮の裏側に鹿皮を切り抜いて貼る円形の重り、チューニング用のミュートのようなものです)も大きくしたことでしょう、高テンション化に対処していったものと思われます。締太鼓の音のピッチは歌舞伎系と能楽では随分違います。


大鼓の奏者は撥の替わりにサックを重く硬くしていったのではないでしょうか

 現在、我々の使っているものと能楽の大鼓方のそれとでは設計思想というものがだいぶん違います。能楽のそれは、我々歌舞伎・長唄系よりも軽く、柔らかく、あくまで手とか指の一部として作られているように見えます。

 対して、我々歌舞伎・長唄系のものは硬さと重さを備えていて、まるで太鼓の撥のような設計思想です。

 当然、奏法も音質もだいぶ違っています。我々はサックの重さで振り子のように指を使う奏法が多いのに対して、能の大鼓奏者は指全体を使って小鼓を打つときと同じような神経で楽器を鳴らしています。なんというか、皮を押している時間が長いようなのです。音質は本来「チョーン」なんですが、歌舞伎・長唄系の音がどちらかというと「カーン」に近い音質です。でも言葉で表すときには「チョン」って言うんですよ。

 奏法の違いは劇場の音響効果の違いもさることながら、歌舞伎に三味線が導入されて、三味線音楽が主流になっていったこととも関係がありそうです。演奏のスピードが速くなっていったんですね。これは本行の奏法ではやっていけなくなったというよりも、自然に、対応した奏法になっていったんでしょうね。こうして近世から近代にかけて、「チリカラ拍子」というものが発明されると、一気に歌舞伎系囃子はリズミックな演奏を要求されるようになったものと思われます。クラッシックに対するラテンみたいな状態です。

 大鼓というのは、若くて攻撃的な性格って感じがします。切り込み隊長みたいなパワフルな楽器です。その演奏者一人ひとりが使っているサックを見ると、みな、形も重さも硬さも違います。彼らの繊細な神経が個性となって表われているように思えてなりません。

00.05.18

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