マイクは渡さない

 日本舞踊の会や歌舞伎などでは、劇場の構造上、上手にいるお三味線と下手の黒御簾の距離から、音のタイムラグが起こります。現在ではこれを解消するために、お三味線のタテ(トップの方です)の所にマイクを置いて、黒御簾の側にモニターを置くことが常識になっているんです。モニターのなかった時代の、大昔の囃子方達はどうしていたんだろう、って思うくらい、今では我々の演奏上欠かせないアイテムです。

 そういえば、私が囃子方を始めたころは、まだモニターを置くっていうことがあまり一般的ではなかったんです。当時、見習いの私なんか当然のように聴こえてくる音に合わせようとするもんですから、リズムがずれちゃいまして、よく叱られたものでした。その時に先輩方から言われたのは「タテ三味線のバチを見ろ」ということでした。それはもうクドイくらいに言われたものです。でもそうすると譜面なんか見てられないもんですから、囃子の手順を覚えてないとやっぱり落っこちちゃうんです。

 ほどなくして、今から二十年ほどもまえでしょうか、どなたが思いついたのかワイヤレスマイクを上手のタテ三味線のところに置いておいて、黒御簾の中にはFMラジオを置いてタテ三味線の音をリアルタイムで聴く、ということを始めたんですね。

 この方式が主流となり、少し前までは必ず御簾のところに巨大なラジカセがブラ下ったりしてたもんです。みんな個人的に超小型ラジオを買ってきて、囃子方全員で黒御簾の中でイヤフォンをしてスタジオミュージシャン状態で演奏してた、なんて時期もあったのですよ。

 このワイヤレス方式、ライトの熱の影響でマイクの発信側の周波数が動いちゃうんですよね。だから調整に苦労したもんです。あと、エフエム波を使ってるもんですから、使ってる周波数が放送局のそれとすごく近かったりしちゃうこともあるんです。何かの本番中に調整しようとしてダイヤルを動かしたら、物凄い大音量でヘビメタが流れちゃった、なんて笑えない話もありました。

 何年か前に電波法が改正になって使用が禁止されてからは、このワイヤレスマイクも販売されなくなり、自然と私たちもあまり使わなくなってきました。それとともに最近では劇場の方もモニターを用意してくれるのが普通なことにもなってきたんですね。

 ただ、このモニター、マイクの置き位置によってバランスが悪くて聞き取りづらいことも多いんです。

 ワイヤレスを使っていたころは、タテ三味線の三味線の胴の前にマイクを置いて、タテ三味線の音が常にモニターできるようにしたものですが、客席向けのモニターの回線をそのままこちらに回されちゃうと、マイクは唄方の方を向いてることが多いもんで、唄ばっかり聞こえちゃって肝心の三味線の音が聞こえません。ひどいときにはそのマイクも客席の上の吊りマイクで拾った音をモニターに回されちゃうこともありまして、これではお三味線とマイクの間に距離がありすぎて、タイムラグを解消する役にはたたないのです。ま、ないよりマシではありますが…

 大昔の先輩囃子方の技術は凄いものがあったと思うのですが、逆に今みたいに神経質じゃなく、もっとおおらかに音楽を囃していたんじゃないかと思うのです。

芸団協広報誌「芸団協Journal」2002年7月号掲載

03.03.18

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