海外での演奏


 私、たいがい年に一度は海外で演奏する機会があります。私は30歳になるまで日本を離れたことがなく、せっかく作ったパスポートがバージンのまま失効してしまうのではないかと皆が話しあっていた(賭けていた人もいたらしいです)ころ、ようやく海外に行くチャンスに恵まれました。このお話しはまた、別な機会にお話ししましょう。

 以来、年に3カ国4カ国は当たり前!という状態ででかけていまして、おそらく日本中の囃子方の中では私がもっとも海外渡航の経験を持っているのではないかと思います。タブーは一度破れると、その後は反動が物凄いものなのです。

 当たり前かもしれませんが日本と海外ではまず、気候が大きく違うことが多いです。当然、楽器のチューニングにも大きく影響を与えます。

 やはり一番苦労するのは神経質な小鼓でしょうね。小鼓は日本でも季節やエアコンの効き具合、ひどいときにはサァーッと風が吹くだけで調子が変わってしまったりします。海外で大鼓や締太鼓はあまり苦労した記憶がありません。まあ表皮が振動すればそこそこ音が出るのでアキラメがつけやすいせいかもしれませんが...

 あちこちで私が経験したお話しをいたしましょう。


<パリパリなフランス>

1989年7月、日本音楽集団フランス公演

 これは私が初めて海外へ出たツアーです。集団が京響(京都交響楽団)とご一緒して三木稔先生の「急の曲」をやるという、大掛かりなツアーで私は小鼓のパートでした。

 この時期のフランスは非常に乾燥しているという情報を得て、普段使用している小鼓に皮を3組(その頃私が持っていた中で使用可能なセットの全てです)、そして当時発売されてからまだ三年目くらいの合成皮革の小鼓セットを一組持ってゆきました。

 案の定、現地はパリパリ(フランスだけにっていうシャレではありません、念のため)に乾いており、私の持っていったセットは全部使用不能(まあ、当時はあまりいい皮を持っていた訳でもないので)になってしまいました。

 とにかく湿気を与えようとして濡れた手拭いを掛けといても、演奏を始めると打ってるハタから皮が張っていってしまうんです。手拭いを掛けて滅らした皮は「ハリ返し」といって、乾くときに余計に張っちゃうんです。その濡らした手拭いだって10分もすればパリパリ(だから、シャレじゃないですから)になっちゃうんですから手の施しようがないです。大鼓なんか、皮を日なたに置いとけば焙じなくともカリカリに上がってしまいましたしね。

 結局、合成皮革の小鼓を使用して演奏を終えましたが、同じツアーで同行していたお能のグループの小鼓の方は何事もないかのように演奏なさっていたのを覚えています。私の技術が及ばなかった、ということですね。恥ずかしいことです。


<酸欠の中南米>

1991年1月、日本民族舞踊団「メキシコ・エクアドル公演」

 このツアーはバレエ団の公演でした。私は打楽器の首席奏者として、大太鼓を担当して参加しました。歌舞伎の大太鼓と違って、大太鼓を自分の正面に上向きにセットして、太い撥を使って演奏します。

 実はこのツアー、エクアドルの1ヶ所をのぞいて公演地はどこも高度がとても高いところばかりでした。とにかく、海抜2500mとか2700mとか言ってるんですから。富士山の何合目くらいなんだろっていうくらい、高いのです。ということはもうおわかりですね。そう、空気が薄いんです。エクアドルの首都、キトでの公演の時なんか舞台の袖に地元の医大から学生達がやって来て、激しい動きをするダンサー達のために酸素ボンベをかかえて待機してるくらいなんですよ。

 私、調子に乗って「オイラはドラマー」モードで大太鼓をひっぱたいてると、だんだん譜面の上に星がとび始めてくるんですね。そのうち訳がわかんなくなっちゃって、譜面の行は読み飛ばしちゃうわ、気持ちは良くなってきちゃうわでたいへんでした。

 他の打楽器はそうでもなかったんですけど、小鼓はもう鳴らなくなっちゃって非常に辛いものがありました。

 小鼓パートの人は洋楽系の打楽器奏者で、まだご自分の楽器をお持ちでなかったので私の合成皮革の小鼓をお貸ししておいたのですが、これがウンともスンともいわないのです。この原因が気圧の低さでした。

 気圧が低いと表皮のエネルギーが裏皮にうまく伝わらないらしいのです。裏皮の振動が音の重要なファクターを握っている小鼓ではこれは致命的です。どうも小鼓の皮の振動する部分の質量と胴の中の空気の質量のバランスに関係したことのように思います。日本でも長野あたりに行くと気圧のせいで、やっぱり調子が狂うんですよ。あそこは標高1000mくらいでしょうか。

 結局、裏バリを工夫してかろうじて「ポッ」というようになり公演をすませました。このことがあって私は高地対策を施したセットを必ず海外公演には持ってゆくことにしています。


<天国と地獄>

1993年3月国際交流基金アフリカツアー
1994年10月国際交流基金アフリカツアー

 二年続けてアフリカへ行くというまれな経験でした。一回目の時は事情がよくわからないもので、いろんなものを持っていったものです。

 今回の旅からは必ず鼓カバンに「モンカフェ」というコーヒーのパックを入れるようになりました。現地で鼓カバンを開いてそのパックを見ると、気圧の低いところではパンパンに膨らんでくれて、簡易気圧計になります。これは軽くてかさばらないし、鼓カバンの楽器のすき間に詰め込んで楽器の保護をするエアーキャップの役割もしてくれるし、もちろんお湯を沸かして飲んだりもします。

 国によって多様なコンディションになりそうなため、家にある皮で使えそうなものはほとんど持ってゆくことにしました。また、現地でどのようにチューニングが変わっても良いように、裏バリセットもスーツケースに同梱して現地入りしました。

 タンザニアとガーナでは気圧も高かったので、東京で使っていたセットがそのまま使えました。

 タンザニアの首都、ダル・エス・サラームは港町で湿度も高いのでその暑さは東京に近いものがあります。会場はこの街でで一番!というロシアン・ホールでの演奏会でした。

 このホールは帝政ロシア時代のロシアがタンザニアへの出先機関として建築された建物で築100年近い代物でして、なんとエアコンはなし。天井に大きな扇風機がグールグールと回ってはいるのですが当地は電気事情が悪いらしく、扇風機を回すために裏庭のディーゼル発電機を盛大に回さなくてはならないそうです。発電機も相当な年代物ですから排気音もすさまじいものがありますので、相談の末、演奏中は発電機を止めることにしたんです。

 そしたらもう、会場の暑いこと暑いこと。一曲終わるたびに発電機を回して扇風機のスイッチを入れて暑い空気を引っかき回し、また演奏を始めるときに発電機を止めるという、ドロ縄的な対処方法で演奏会を終えました。

 ケニアとジンバブエでは高地対策をしたほうの皮を使用しましたが、南アフリカではさらに裏バリを全部はがして演奏をしていました。

 湿度は基本的には乾燥していましたが、さほどひどくなかったように思います。これは訪問した季節のせいもあるかもしれません。

 一回目のツアーでは合成皮革のセットも持っていきましたが、二回目にはやめました。乾燥よりも気圧の方が問題なることが多いと思ったからです。


<つらい時差ボケ>

1999年2月、日本音楽集団アメリカツアー

 大陸では内陸部になるとすぐに海抜が1000mを越えてしまうので高地対策はもちろんのこと乾燥も心配でした。

 このツアーで演奏した演目のうち何曲かは曲中に小鼓が所々出てくるというものでした。特にエヴェリン・グリニーと共演した「レクィエム99」という曲は全般約10分間は石を打つという曲でその間小鼓はテーブルに置いておかねばなりません。締め緒を締めるという方法も考えましたが、皮を傷めそうな気がしてやめました。

 今回は濡れた手拭いを皮に向けてではなく、小鼓の横を巻くように掛けてコシキの部分を滅らしておき、打つ直前に調子紙に唾をつけるときに皮の面をメらす、という方法を思いつきました。現代音楽なので音質を優先させて、見た目は勘弁していただくことにしました。コシキは要するに紙粘土のような材料でできているので、これを湿らせればメった状態が長持ちするだろうと考えたのです。

 これは成功しました。現在もこの方法を採用しています。このツアーでもっとも演奏のコンディションに影響したのは時差ボケでありました。


<楽屋の手前で遭難しそうになった>

2000年2月、ニシカワアンサンブル・カナダツアー

 前年のアメリカツアーと同じ時期に、今度はなんとも寒いカナダへ行くことになりました。

 カナダ、モントリオールは盛大に雪でした。しかもさらさらのパウダースノー!それも、ホテルからホールまで歩いていく途中で遭難しそうな位、雪深いのです。私、生まれも育ちも東京で、スキーとかもやったことがありませんでしたのし、まずこんな雪の中で生活するのは初めてのことでした。

 東京では雪の日はだいたいメらないということになっています。こちらはさぞかし乾燥するんじゃないかと濡れた手拭いを用意していったら、以外や以外、それほどハらないのです。

 理由は定かではないのですが、どうも屋外から建物の中に入ったら30秒以内に防寒着を脱がないと汗びっしょりになってしまうという、現地の暖房に対する考え方と屋内でも基本的に靴を履いているという欧米の習慣が一枚かんでいるようです。

 外から入って来た人たちの靴には盛大に雪が付いているので、玄関を入ったところなんかはビショビショになってしまうのですが、それが暖房でどんどん蒸発していくのですね。それに加えて建物の気密がしっかりしているのでその湿気があまり逃げていかないんじゃないかという気がします。

 そういうわけで、多少乾燥はしていましたがそれほど大騒ぎもせずにすみました。


<意外に快適>

2000年5月、ドイツ・フランクフルト「ドイツにおける日本年」オープニングコンサート

 私にはヨーロッパは基本的に乾燥しているという既成概念がありました。今回のドイツへの旅はそれを見直すことになりました。

現地の新聞より

 出発前日、たまさかF1の「ヨーロッパ・グランプリ」をやってまして、これがドイツの「ホッケンハイム・サーキット」でやってたんですけど、レースの間中結構な雨なんですね。「これはもしかして」と思い、持っていく皮のセットの中で一番メったセットをリストから外しました。

 F1を観たから思い出すんですけど、こういうときはレーサーがマシンのタイヤを選ぶような気持ちを想像します。雨天用とか晴れ用とかいってるじゃないですか。予選用とかあったりして...

 フランクフルトに着くと雨でした。翌日会場で調子を見ると案の定、結構メッているんですね。高地対策もそんなに必要じゃなかったし、なんのことはない東京とほぼ同じセッティングで演奏ができました。

 会場がマールブルグにある、何とかっていうお城の中のホールなので基本的に石造りの場所なんです。そりゃもう、「ポワワワーン!」なんてリバーブが効いちゃってお風呂屋さんで音出してるみたいな状態なんでした。気持ちいいのなんのって!調子に乗ってリハーサルしてたら、お箏にマイクを付けて音量を増幅されてしまいました。こっちはナマですからねぇ。かないませんよねぇ。


 というわけで、いかがでしょうか。海外で演奏するときには結構苦労してるもんなんですよ。

 湿度と気圧の管理、これは日本国内でも気を使う、言うなれば基本ですね。ただ、旅先ですから、調子が悪いからってちょっと家に皮を取りに帰るわけにもいかないですから、持てるだけのものを持って行かないと私のような小心者は不安で不安で....

01.04.05

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