望月太喜之丞 Website/Essays/ タキノ庵 <暮らしのツケ帳>


サクラサク


 もう春ですねぇ… 今年もはや、受験のシーズンは終わろうとしています。

 日本では毎年、年が明けるとすぐにこのシーズンを迎えることになります。皆さんのまわりにも受験を迎えられた方は多いんじゃないでしょうか? いかがでしょう、桜は咲きましたでしょうか?

 今回は受験のお話です。

2004年3月 太喜之丞


すごいでしょ?

 私の元から今年受験した弟子は1人が博士課程で後の2人が別科で都合3人、おかげさまで全員合格いたしました。

 私が初めて受験生の面倒をみたのは7年前でした。それからこれまでに、7人の受験生を送り出しました。中には本科を卒業した後大学院やその上を目指した人もいて、それを勘定にするとのべ10人の受験を見てきました。平均すると、毎年一人以上は誰かの受験を見ていることになりますね。

 私の所から受験した生徒の合格率はなんと100%なんですよ。といっても、先に書いたように受けたのはたったの7人だし、もちろん彼らが一生懸命がんばった結果なんですけどね、師匠としては鼻が高いです。私なんかもう、お稽古場の広告にどっかの予備校みたいに「芸大受験コース」でも作って「芸大合格率100%!」なんて出そうかと思ったりなんかして…

試験が間際になってくると、稽古もいよいよ追い込みに入ります

 私の家では毎年のようにこの季節、戦争のようになります。稽古場では「落ちる」「滑る」などの言葉は禁句となります。冬眠から覚めた師匠はどう猛で怒りやすいので、一般のお弟子さん達は注意が必要です。 …冗談です。

 試験直前の稽古は当然、普段にも増して熱の入ったものになりますし、時期が時期だけにみんな風邪はひくわ、花粉症になるわで、稽古場は壮絶な状態を呈します。

 通常、稽古の時は向かい合いますが、この段階になると受験生は後ろ向きに座らせて、私は彼女のお尻…いや、後ろ姿を眺めながら少し意地悪く三味線を弾くようになります。向かい合っていると三味線を弾く手が見えてしまうので、演奏が楽なのです。

 テンポをありえないほど速くしたり遅くしたりして追従性を試す「ハンドリング・テスト」や、時にはワザと間違えて(本当に間違えている時もありますが、そういうことにしています)その後、本人がどう処理するか様子をみる「緊急脱出訓練」など、受験生の限界に挑戦するような稽古をするようになります。こうして世界のレベルに少しでも追いつこうと「プロジェクトX」の世界に入ってゆくのです。ああ「地上の星」が聴こえる…

 今年は受験生が二人とも揃いもそろって試験の日にちを間違えていて大騒ぎになりました。間際に他のお弟子が気がついてくれたからいいようなものの、一時は大惨事になるところでした。

 その気がついてくれたお弟子にしたってその昔、自分が受験の時には副科の三味線の課題曲の選び方を勘違いしていて、大騒ぎでしたものでした。

試験がひとつ終わるたびに受験生達は、やれどこを間違えたの楽器が鳴らなかったのと報告をしてきます

 別科の試験などは一日で終わってしまうから「よしよし、あとは神様にお祈りしようね」でよいのですけれど、本科ともなると試験は3次くらいまであり、期間も一週間近くにもなります。ですから彼らの報告を聞いて慰めたり励ましたりするのも私の重要な仕事です。時には激怒したりして… とにかく済んでしまったことはそこで終わりにして、先に進めないことには仕方ないんですから。

 親御さんも応援する以外、ほとんどご自分は何もできないような気持ちでいらっしゃるわけですから、たいへんだと思うのですよ。合格した時に親御さんからお電話をいただくと、やっと肩の重荷が降りたような気がします。もちろんこれがゴールではなくて、出発点にたどり着いたのだということをお話するのは忘れません。

さて、その試験はどのようなものかといいますと

 ざっとご紹介しましょう

付属高校邦楽科
 芸大付属高校邦楽科の学科試験は英語、数学、国語、そして楽典があります。楽典の洋楽と共通の部分と邦楽専門の部分が50点ずつの配点で出題されます。
 邦楽系の楽典は過去の問題集をキッチリやっておけば決して難しくはありませんが、洋楽系の問題は非常に難しいです。ヘタすると大学受験の楽典より難しいかもしれません。これは邦楽系の受験生は少数なので、採るための、洋楽系の受験生は倍率が高いので、落とすための問題を作成しているからでしょう。

大学本科
 大学の本科を受験する場合、まずセンター試験の国語と英語を受けなくてはなりません。とりたてていい成績をとる必要もない(いい成績がとれるくらいなら、別の道を歩むという選択肢の方が魅力的かもしれませんよ)のですが、土俵際で実技の点数が他の受験生と拮抗している時には影響します。
 それはそれとして、国語と英語は頑張りたいものです。邦楽を学ぶのに国語は非常に重要ですし、伝統芸能者たるものこれからの世の中、英語くらいある程度しゃべれないと恥ずかしいでしょう。 …私はゼンゼン喋れませんけど。

大学別科
 そして本科の受験生には楽典の試験もあります。楽典は音楽の基礎とはいえ西洋音楽のものですから、その試験は邦楽科の受験生にとって一番ワケのわからない課目といえます。邦楽科内で評価するようなので、そんなに高得点をとる必要もないのですが、最低限の基本的なお勉強は必要でしょう。
 付属高校の問題よりも簡単だとは思うのですけれど、芸大の楽典の試験はよその音大と比較してひねった問題が多いらしいので、専門の先生について勉強した方がいいです。

大学院
 別科は学科試験はありません。あるのは実技と簡単な面接だけです。アタマはないが腕一本で… という方にはこちらのコースがお薦め、というわけではなくて、もうすでに見習いとしてでも仕事をしている人や、他で4年制大学を卒業してしまわれた人はこのコースを選ぶのもなかなかシブイ選択肢でしょう。

大学院博士課程
 大学院の学科試験は古文と「東洋を含む日本音楽史」の2科目があり、そして大学院を志望する動機について小論文を提出します。大学院ともなると、勉強しにいくというよりも研究をするというステージになるんですね。長唄囃子の演奏を研究するというわけです。芸大の本科を出ていなくてはいけない、ということはありません。他の4年制大学で学士号を取得されている方はダイレクトに大学院を目指すのもアリなんです。
 博士課程は修士課程(大学院)の後期という位置づけです。ですから入学試験というよりも進級試験ということでしょうかね。学科は古文と英語の試験があります。また、自分が博士課程で予定している研究テーマについて、小論文(400字詰めを8枚以内)を試験会場で書かされます。これも選考の重要な材料になることはいうまでもありません。

※試験の内容は毎年変わりますので、詳細は東京芸大にお問い合わせください。

実技では三味線も弾きます

 音楽大学ですから当然、実技試験もあります。邦楽囃子4種目(笛、小鼓、大鼓、締太鼓)のうち専攻する楽器を一種目は必ずと、コースによって多少違いますが主に三味線の実技の審査などがあります。

 三味線の実技試験は本年からは付属高校や本科だけではなく別科の試験でも必須になりました。これは専攻の囃子だけでもいっぱいいっぱいの受験生にとって、けっこう辛い課目でもあります。長唄や三味線の受験生は囃子をやらなくてもいいのに、これは不公平というものですが、囃子方にとっての三味線は音大では副科のピアノみたいなものですから、きちんと修めておくにこしたことはありません。

付属高校邦楽科
 芸大付属高校邦楽科の実技試験は大学の本科と同じようなものですが、これらに加えてピアノの試験があります。このピアノと楽典の難しさが芸大付属高校への邦楽系受験生の敷居を高くしています。専攻実技の課題曲は「五郎」「越後獅子」「小鍛冶」など、難易度は非常に低いので、どうもチグハグな印象を受けます。
 また、試験官が演奏したものを聴いてそれを自分で演奏するという、「聴音」という試験があります。これは専攻楽器と、また、ピアノでも行われます。また三味線は調弦ができるかどうかの審査があります。

大学本科
 本科の実技試験は専攻の囃子の楽器どれか一種目を選択し、課題曲が3曲と自由曲が1曲を、試験をする範囲は当日の控室で発表されますので、少なくともこの4曲は全曲暗譜しなくては試験を受けることができません。専攻する楽器と自由曲の曲名は願書に記入するところがあります。
 課題曲の難易度はこれまでのところ初級の終わりくらいから、中級といったところでしょうか。「鶴亀」「老松」「四季山姥」「供奴」「花見踊」などが多く。きちんとお稽古を受けていれば、たいがいメニューに乗るようなポピュラーな曲ばかりです。
 三味線についての審査は本科の場合課題曲の中からどれかを弾く、というものです。曲は自分で選べるものの、課題曲の中からですから曲の難易度はやはりだいたい1年やそこらの経験では難しい中級くらいでしょうか。大昔は「松の緑」の前弾きが引ければよい、というものでしたから、近年の傾向としては難しくなっているんですね。

大学別科
 別科は課題曲が2曲だけで、過去に自由曲も提出したこともありましたが、審査そのものはありませんでした。曲の難易度は本科と同じくらいでしょうか。  三味線は先に書きましたように、今年から実技も試験科目に加わりました。演奏曲は自由で難易度の設定も自分で選べます。これはきちんとレッスンを受けているかどうかを見るのが目的のようです。

大学院
 修士課程に進むための実技試験は芸大出身者の場合は専攻の楽器で1曲、芸大以外の大学出身の受験生(過去に1名しかいないそうですが)はそれに加えてもう一種類、専攻とは異なる楽器、小鼓を専攻したとしらそれ以外の楽器(何でもいいらしいです)でもう1曲、演奏します。課題曲は「船弁慶」クラスの曲で、これは難易度、ちょいと高いです。
 大学院では三味線の試験はありません。「当然、弾けるでしょ?」ということでしょうか。

大学院博士課程
 修士課程を終えてさらに博士課程に進む場合には、実技試験は自分で10曲の審査用の曲を申請してその中から数曲を演奏します。この10曲は難易度が高い曲の方が良いとされるようです。時間は40分以内ですが、出題曲、範囲ともに当日発表ですのでこの10曲は全て完璧に暗譜していなくてはなりません。
 博士課程の試験でも大学院と同じく三味線の試験はありません。

※試験の内容は毎年変わりますので、詳細は東京芸大にお問い合わせください。

 当日発表される内容は専攻する楽器によって、範囲だけでなく出題される曲も変わったりします。私、課題曲を見ればどの曲のどの辺が出るかだいたい予想することができるんですが、過去に一回それがことごとく裏切られたことがあるので油断はいたしません。

 専門の打楽器については大鼓、小鼓、太鼓のうち一種類だけ選択すればいいんですから、ある意味、楽といえば楽なものです。本来なら全種目を審査すべきではないかと私は思うのですが、それでは受験する人などいなくなってしまうかもしれません。

 太鼓で受験する場合にはあまり問題にならないかもしれませんが、囃子の実技試験は学部の助手が唄と三味線を担当し、囃子は受験生一人で演奏します。これは大学本科も別科も付属高校も同じです。つまり、小鼓で受験する学生は大鼓なしにチリカラ大小を演奏しなくてはいけません。もちろん大鼓の受験者も相方の小鼓はなしです。これはちょっとハードルですね。まあ、締太鼓は締太鼓で難しい部分もありますから、これでドッコイということにしておきましょう。

いったいどんな人が…

 そう、いったいどんな人が芸大の邦楽囃子科を受験するのでしょうか。高校を出てそのまままっすぐ受験する人もいますが、そうじゃない人もワリと多いんですよ。例えばウチの受験生達にはこんな経歴を持った人がいます。

Aさん(♀)の場合
 彼女は国立の外語大を出て実家に帰る途中、ふと立ち寄った広島で運命の人(私のことです)に出会いました。小鼓を初めて触った日から半年で別科を受験し、みごとに合格。その後、紆余曲折を経ながらも頑張って大学院も修了(もう大学をひとつ出てたので、本科を卒業しなくてもよいのです)。あげくの果てには、ドクターコースにまで進みました。もう行くとこまで行っちゃったって感じです。

Bさん(♀)の場合
 某私立音大で洋楽の打楽器科を出てからネットで私のことを知り、私の奨めもあって私の元に入門。稽古もだいぶん進み、洋楽の打楽器のキャリアもあることから、私の奨めもあって日本音楽集団に入団。その後、もっと古典を勉強したいという希望を聞いた私の奨めもあって芸大を受験。

C君(♂)の場合
 広島の某私立音大でチューバを吹いていましたが、和太鼓(!)のクラブ活動にいそしみすぎて留年。チューバではオケに入団するのも難しい(席がなかなか空かないんです)ので、普通に就職を考えていました。秋に音大のワークショップにやって来た私に出会い、初めて大太鼓以外の邦楽打楽器に触りました。何かひらめくところがあって弟子入りして上京し、一年後、芸大を受験しました。

D君(♂)の場合
 高校を出て演劇の道を志し、劇団の俳優養成所へ。そこを修了後、映画のエキストラやテレビの仕出しをしたり、アルバイトをしながら様々な稽古事をするうちに、気がついたら芸大を受験していました。あ、これ、私のことです。

 芸大の入試を受けることを決心した時点で、稽古は「入試モード」に切り替わります。いや、そんなにいろんなことが替わるわけじゃないんですけど、その、主に私の気持ちの問題ですね。 レッスンのメニューは…

 まず、ご本人の実力を考えて、試験日までの大ざっぱなタイムテーブルを組みます。そして稽古のメニューを考えます。

 始めてからまだまもない方でしたら、とりあえず急いで「鶴亀」までいきますね。実際はそんなことはないのですが、初心者にとってそこまで行けば、あとはどんなに大曲でも「長い鶴亀」に過ぎないからです。
 また「長唄」という音楽そのものを理解してもらわなくてはなりませんので、私の仕事場にも極力同道してもらい、現場の音を耳にしてもらいます。録音したものからではわからない息遣いや、音楽の全体像をとらえてもらうことができ、理屈ではなく深い理解をしてもらうことができると思うのです。

 稽古の内容は「両稽古」に、そして稽古日にはいられるだけ稽古場にいてもらうようにします。
「両稽古」で小鼓と締太鼓を習うのは、受験の時に専攻するのはおそらくこのどちらかだからです。専攻楽器は願書を出すまでにどちらで受けるか決めればよいので、それまでは両方とも稽古しておくべきです。
 また、稽古場にいることで他の生徒さん達が来た時にお付き合いさせてもらって大鼓も勉強してもらい、なおかつ空いた時間には各楽器のセッティングの仕方まで覚えてもらうためです。

 実際に大鼓を専攻する受験生はほとんどいません。つまり正規の学生がいないので、早い目にやっておくと入学した後の勉強会ですぐに難しい曲にでも大鼓で参加することができます。
 芸大に入っても専攻の楽器だけやっていればいいというわけではなく、絶対に他の種目もやらされることになりますし、だいいち芸大を出た後で困ります。ご趣味で入学なさる方以外は、少しでも早く始めておいた方がトクです。

 また、三味線をまだ習っていない方でしたら早いうちに先生を紹介しておきます。芸大は研精会の譜面を採用していますから、先生も「研譜」で教えてくださる先生がよろしいでしょう。

 本科や付属高校を受ける人には楽典の先生もご紹介しなくてはいけませんね。音楽の経験のある方はまず過去の問題集を自分で見てから、判断しましょう。
 また芸大付属高校の受験生は必ずピアノを習わなくてはなりませんので、その先生が教えてくださるかもしれません。もちろん共通一次や学科試験をパスするための勉強もしなくてはいけませんので、大忙しになりますよ。

なぜ君は目指すのか…

 いかがですか? あなたも芸大の邦楽囃子へチャレンジしてみませんか? 特別に才能は必要ないし、年齢制限もありません。特に必要なのあたりまえなんですけど必要なのは熱意と努力がほとんど、そして「音楽が好き」という才能くらいでしょう。

 そもそも芸大の邦楽科を受験するというのは、どういうことを意味するのでしょう。

 もちろんプロを目指すため、という人が一番多いことでしょうね。中には趣味でいらっしゃる方もいらっしゃるでしょうし、花嫁修業の一貫として、という方もいらっしゃるんですね。

 私、芸大を受験したい、というご希望を聞いた時には必ず「芸大に入ってどうするの?」と本人に尋ねることにしてます。その答えを聞いて、それとまあだいたい、その人の実力や才能みたいなものはわかりますからそういったものを考慮して、どうするべきかをアドバイスするようにしてます。s

 その時にもちろん「無理です」というお答えも用意してあるんですけど、どういうわけだかまだそれを告げた人はいません。

04.03.15 UP


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