望月太喜之丞 Website/ タキノ庵 <暮らしのツケ帳>    03.06.09


マイ・プロフィール


2003年4月撮影

『私、邦楽打楽器演奏家の望月太喜之丞と申します。生年月日は1957年9月7日生まれの乙女座で、スリーサイズは…ヒ・ミ・ツ!』

 なーんて、こういう文章をよくお見かけになるでしょう?ま、プロフィールっていうんでしょうね。こういうのは舞台人としてはだいたいいつも準備してるものでありましょう。俳優さんとかモデルさんにとっては、この「プロフィール」が仕事をゲットするための大事な命綱なのかもしれません。

 ただ囃子方は自分で自分を売り込むという習慣があまりないせいか、私なんか請求されてから慌てて準備することが多いです。

 先日、私も録音の仕事をした時にクライアントから珍しく、プロフィールと写真を送るように言われまして、またしても「しまった!」と思ったんですね。また写真を撮っておくのを忘れてたんです。プロフィールの写真を請求されるたびに「今度こそちゃんとした写真を撮らなくちゃ」って思うんですけど、面倒くさいのと忙しさにかまけて、結局そのままにしてしまうんですよ。

 そこで、知らん顔してだいぶん前に撮ったプロフィール写真を先方にお送りすることになります。私もこないだまで図々しく「コレハ何年前ノオ写真デスカア?」みたいなのを使ってました。すぐ下の写真がそれです。

 本来、写真なんか撮られる事自体がニガテなんですね。何だか照れちゃってね。今でもそうです。上の写真だって四十男の哀愁と中年男のギラギラした感じが同居してて、眉毛の濃さと相まっていやらしいですね。スケベそうです。スケベですけど。ちょっと仁侠道の世界に入ってるように見えますが、自信があるわけでも謙虚なわけでもない、今の私です。

 この写真を撮影した時に写真屋のオヤジから「ダンナ、前回みえたのは何年前でしたっけ?」なんてイヤミを言われてしまいました。私、ムッとして「五、六年くらいじゃないですか」とお答えしておきましたら、わざわざ奥から伝票を出してきて「ヘーセーになってスグですね」とのことです。十五年近く前だったのか…

「ダンナ、ゲーノージンはプロフィールの写真なんか毎年撮らなきゃ」
「この年になると顔なんかあんまり変わらねーんですよ」
「病気なんかすると人相なんかイッペンに変わっちまいますゼ」
「…」

オヤジに言わせると、私はモンツキを着て写真を撮るのだから、葬式にも使えるような写真を毎年撮るべきなんだそうです。

「アイドルなんか毎週撮るって言いますゼ」
そんな、定点カメラじゃないんだから…

 面倒とは言いながら、私もこれまであちこちにプロフィールの写真を提出してきました。今回はその変遷を笑っていただきましょう。もうすでにだいぶん失せてしまってますので、残っていたこれらはある意味貴重な写真です。顔は男の履歴書とやら…今回は画像が私の顔ばっかりで、ちょっとコワイですよ。


もっとも古いプロフィール写真

1980年2月ごろ撮影

 これは私がプロフィール用に使った中で、現存する最古の写真です。当時、私は22歳。まだ芸大の学生でした。何のために撮ったのかは忘れてしまいましたが「明日までに」と言われて、慌てて友達に撮ってもらったものです。バックは無地の場所がなくて仕方なくカーテン前での撮影です。

 インスタントカメラでフラッシュだけだとあんまりな写真になってしまうそうなので、部屋中の照明器具を全部つけてみたんですね。やけに眠そーな顔してるのはこの照明がまぶしかったからでしょう。実際に先方に送ったのは、眠そうな顔をしてない別の一枚でした。当たり前ですけど若いでしょ?

 プロになりたてで、これから彼はだんだんと忙しくなっていきます。まださほど挫折も知らず、ほとんど夢だけで生きていました。不安と希望が同居した若者の顔がここにあります。


「ヘーセーになってスグ」の写真

1990年(?)撮影

 これは先に書いた、「ヘーセーになってスグ」の写真でして、上の写真を撮影してから約10年経っています。私は32〜3歳ですね。今と比べるとあきらかに体重は少なく、髪の毛は多いですね。それまでも何枚かは写真を撮ったことは撮ったのですが、今は残っておりません。この写真は日本音楽集団の演奏会のプログラム用に撮影したように記憶しています。

 彼は幾度かの挫折を知り、小さな幸せも知りました。この仕事について10年間の間になんとか食えるようになったのは、非常にラッキーでした。つらかった二十代と打って変わって、めくるめく三十代が始まったことを彼はまだ知りません。大きな挫折を味わった直後に入団した日本音楽集団で、ようやく現代音楽の打楽器奏者として、音楽家としての自覚が芽生えてきたこの頃、まだ自分の演奏家としての人生は始まったばかりだと彼の眼は訴えているようです。

 この写真はずいぶん長いこと使っちゃいました。この写真を送った後で先方にお目にかかると、驚かれてしまうことが多くなってきたので新しい写真を撮ることにしたのです。


プロフィール用というわけではないんですけど…

その一

1989年8月撮影

 この写真は15年ほど前に参加してた「七福神」というバンドのライブでのスナップです。汗だくで楽しそうでしょ?ジャズのライブとか、紋付を着なくてもいいようなイベントに出演する時のプロフィール用に送ったりしたことがありました。

 当時はバブル絶頂期。「俺たちひょうきん族」に出たり、「カブキロックス」と一緒に「イカすバンド天国(略してイカ天)」なんて番組に出たり、イベント関係のお仕事がとても多い時期でした。

その二

1992年六本木「アルフィー」にて撮影

 こちらは10年ほど前でしょうか。ジャズバンドのライブでパーカッションを演奏してるところです。確か共演してたのは韓国のサキソフォン奏者のカン・テーファンさんだったと思います。

 ジャズなのに掛け声入りで小鼓なんか打っちゃったりして、すっかりナゾのパーカッショニストしてました。これもけっこう楽しそうな顔してます。このころやっと音楽を演奏する楽しさに目覚めてきたんです。

 私がワリと好きな演奏形態に「フリージャズ」というのがあります。これはほとんどすべて即興で、独りの時は気の赴くまま、複数の奏者でやる時は共演者の演奏にインスパイアされて音を出す、というものです(もし定義が違ったらごめんなさい)。私、常々日本の音楽は言語的だと思っているので、この国際井戸端会議のような演奏形態はとても面白く感じます。


 いかがでした?怖かったですか?そんなことなかったでしょ?

 こうしてみると自分の顔もずいぶん変わってきているのだなと思いました。はたして未来の私はどのような顔で皆さんにお目にかかれますでしょうか。どうぞお楽しみになさっていてください。

03.06.10