バチが当たる
締め太鼓を打つときには撥(バチ)を持ちます。(アタリマエ!)
我々の使う撥というのは西洋音楽の小太鼓の撥(スティック)みたいに先の方が細くなってないんですね。ただの棒、見たいにすとんとまっすぐな円柱形をしていて打つ側の先っぽの方だけ角が削ってあるんです。
シンプルといえばそうなんですけど、結構クセ者でして、これが撥のコントロールを難しくしてる一面もあると思うのです。
まっすぐな円柱形、ということは重心の位置は撥のほぼ真ん中にあるわけです。西洋音楽のスティックはというとテーパーがついてる分、重心は手元に近いところに来るんですね。
撥が太鼓の打面に当たると反動でその重心を中心に反対方向に回転しようというモーメントが起こります。
このとき、スティックのように手元に重心があればそれを持つ指先の所を中心に回転するようになり、指先や手首でのコントロールがしやすいのですが、締め太鼓の撥ではこうはいきません。そんなに長くもない撥を真ん中の所で持つわけにもいきませんしね。
そこでどういうコントロールが必要かというと、まず、腕全体を一本の撥に見立てるんです。そうすると全体の重心位置はずいぶん手前にあることになります。撥を持った腕全体の重心位置はおそらく肘の辺りに来るでしょう。
実際には腕全体を撥というよりも弾力性のあるゴムの棒のようなイメージの方が近いかもしれません。うまくイメージできて、肩から撥先までリラックスした状態で太鼓を打つとその瞬間、撥そのものがビーンと振動するのを感じることができますよ。私、よく「バチが鳴る」って言い方をするんですが、芸大に行ってるお弟子が「ときどき感じることもある」くらいしか解って貰えないんです。
エネルギーは肩から波のように肘を通り、手首から指先、そして撥先に抜けていきます。通り道が細くなるに連れてエネルギーは速度に変換してゆきますので、撥先に届くころにはたいそうな速度になっています。
この撥先の動きは三角関数を使って時間軸に対する振り子の運動式を応用して表すことができます。右の表はY軸が撥先の位置(ストロークと解釈してもいいでしょう)、X軸は時間です。Y軸の0点が太鼓の打面だと思っていただくと、何となくそんな感じに見えるでしょう?
この時太鼓の受けるエネルギーは大ざっぱに「(腕の重さ+撥の重さ)÷2×撥先が打面に当たる速度の二乗」になります。「÷2」というのは、腕の重心を中心に回転するのと同じような運動になるためです。
スネア・ドラムのスティックは重心の辺りを持ってしまうので、エネルギーを伝えるための質量はうんと少なくなってしまいます。極端な話、ほとんど撥の質量の2分の1になってしまいます。
私はこの東西の撥の違いは日本人の潔癖症から来ているのではないかと密かににらんでおります。何故かというと丸い打面があったらその真ん中を打ちたくなるのが潔癖な日本人の感性なのではないかと思うからです。
円形の打面の中心を打ちますと、打面を伝わる波が干渉しあって倍音を打ち消しあったり増幅しあったりで音の要素が物凄く複雑な事になってしまいます。それを楽音として、ある倍音のみ強調しようとすると非常に緻密なチューニングと多くのエネルギーを必要とします。
洋楽のドラム類はけっして真ん中を叩かないのは、少ないエネルギーで楽音を得ようとしたからではないでしょうか。また、音質重視の洋楽に対し音量重視なのが日本の太鼓なのではないかと思うのです。日本の音楽ではアンサンブルの中でそれほど微妙なバランスをとることもなかったかもしれません。もっとも、それゆえにおおらかな音楽になっているとも思えるんですけど。
02.07.13