宮城先生の合図


2006年3月、お筝の会で「八千代獅子編曲」という曲をやらせていただくことになりました。


この曲には辛い思い出が…

 初めてやったのはいつだったでしょうね。もう25年以上も前でしょうか。なんにせよ私が学生だったころです。

 その一年前、宮城先生の同様の編曲ものに「編曲松竹梅」というのがありまして、こちらは初めてやった時のことを今でもよく覚えています。

 学校の生田流の先輩から、芸祭でやるから出てくれっていわれて譜面を渡されたものの、お筝の譜面なんか読めるわけもないし、初めての練習の時には手も足も出ませんでした。もう小鼓を組んでその前に座って譜面をにらみながらウンウンうなってるだけで終わってしまいました。いやー、辛かったですねー… 「ハリノムシロ」というのはこういうものかと、つくづく思った次第であります。

 生田流のオネエサマにお願いして、教官室にあった「編曲松竹梅」のレコードからカセットテープにダビングをしてもらいまして、それを繰り返し聴いてですね、専用の譜面をこさえてなんとか練習に参加することができました。

 そのレコードのジャケットをみるとこのシリーズ(編曲松竹梅と八千代獅子編曲)の最初の録音時の小鼓は先代の望月太喜右衛門師でありました。私の元師匠のそのまた師匠なんですね。当時、私はその大先生(私、オオセンセイと呼ばせていただいてました)のカバン持ちもしておりましたので、その録音の時のお話を伺うことができました。

「録音に頼まれてスタジオに行ったらね、演奏の時にボクの前に宮城先生が来てね、ハイって手で合図をするんだよ。で、やめる時も手でハイって…」
「それだけなんですか?」
「ウン、それだけだったよ」

 私たちは国鉄(現JR)の中央線で四谷あたりを新宿に向かっておりました。どこへ何をしに行くところだったかは忘れましたけど、暖かい日だったのはよく覚えています。


かねがね難しいなとは思っていました

 なんていうか、この「八千代獅子編曲」は小鼓を打つ場所が不自然な感じがするんですね。ですから当時は宮城先生の心の赴くままに小鼓が入ってたのかな、程度に思ってました。

 冒頭から前唄の前のところに入るのとか、段切に「ポポポポ…」ってやるのはとても自然な感じがするんです。特に冒頭の、笛と小鼓が曲の開始を宣言するかのような導入部なんて、あまりによくできているので他の曲でも使い回されてしまうくらいです。ちなみに冒頭の「ポポポポ…」で曲の世界に入り、段切の「ポポポポ…」で現実に帰ってくるという風にお互いに関係を持てるように解釈をしています。

違和感を感じていたのは本文に当たる中身なんです

 「八千代獅子」という曲は原曲も前弾きから前唄があってそのあと初段、二段、三段と、長唄などでも「八千代獅子の合方」として知られる主題を3回繰り返し、そして後唄に移って終わります。この初段と二段の間と二段と三段の間の2箇所には短くて緩急にとんだ間奏があります。

 この「八千代獅子編曲」の譜面を見ると初段は段の途中三分の一ぐらいのところで、間奏のある二段、三段は間奏から打ち始めて段の途中四分の一くらいのところで小鼓はなんだか中断してしまうかのように終わっています。録音もその通りなんですが、これは逆で、おそらく録音したものから譜面におこされたからでしょう。ということはこの小鼓の演奏サイズは宮城先生の何らかのご意思のもとに決められているのでしょうか。

 囃子方としては緩急が激しくて演奏しづらい間奏は避けて、テンポが安定していて主題となる初段、二段、三段に小鼓を打つのが自然な感じがするのです。まあ全部に打つとウルサイので、初段と三段だけ打って二段はお笛だけにしておくとかってのが実際です。事実、堅田喜之助という方が昔につけた八千代獅子の囃子の手はその様になっています。

さらに譜面を見てみましょう

 初段では譜面上の10小節で小鼓は演奏を止めます。そこまでは弦楽器管楽器ともにそれぞれに主題を展開していたものが、小鼓が止まった瞬間に第一筝を残して全パートが伴奏にまわります。第一筝のみが主題の展開を続けていくのです。その後10小節演奏した後に今度は胡弓と尺八が突然演奏を止めます。この2パートは6小節後に戻ってきますが、それは主題を展開するためではなく初段の終了を誘うかのよう見えます。速度を落としながら少なくなっていく弦楽器の音を補強しているようです。

 二段はその前の間奏にあたる部分から小鼓を打ち始めています。この間奏が4小節で胡弓と尺八は沈黙しています。二段に入って胡弓と尺八は演奏に参加してきますが、5小節で小鼓は止まります。小鼓が止まった後、それまで混沌としていた主題は整理されているように見えますが、初段の様に第一筝以外が極端に伴奏にまわってしまったような感じではありません。胡弓と尺八は小鼓が演奏を止めた後17小節間演奏をして、やはり6小節休んだ後二段の終了を補強するように再登場します。

 三段もその前の間奏にあたる部分から小鼓を打ち始めています。間奏の途中に胡弓と尺八は突然演奏に参加して、三段に入った途端に休んでしまいます。三段に入ってから5小節ほどで小鼓が演奏を止めるのは二段と同じですが、胡弓と尺八は小鼓が演奏を止めると同時にスタートしていきます。今度は段の終わりまで休むことはありません。

結果はおぼろげながら…

 こうやって分析してみると初段、二段は「まず小鼓が止まる」→「胡弓と尺八が止まる」→「胡弓と尺八が戻ってきてその段が終わる」という形を繰り返しています。三段は間奏が同じ音形が2度繰り返されていて、その2度目に胡弓と尺八は参加してしまいますがすぐに「休み」→「小鼓が演奏を止める」→「胡弓と尺八が演奏に復帰」して「そのまま段の終了まで盛り上げていく」ということなんですね。

 これまで私は小鼓の入り方がどうしても中途半端な気がしておりましていろいろやってみたものです。しかし、このように分析してみたのは初めてのことでした。なにかとても合理的で緻密な編曲意図のようなものを感じるのですが、いかがでしょうか。

 宮城先生が「ハイ」と手で合図を送ってくださっているお姿が見えるようです。

http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/235.html?c=0

06.03.08

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