花を掬う?


 長唄の「賎機帯」には「花掬ヒ(ハナスクイ)」というクダリがあります。

2006年2月


 さらわれた子供を探す母親(子供が小さいから、若いんでしょうね)が隅田川の渡し舟の船長(センチョウではありません。フナオサって読んでください。船頭さんのことだと思ってください)に「川面に浮いている桜の花びらを掬ってみせたら、探してる子供の居所を教えてやる…」みたいなこと言われて掬おうとする、という歌詞があるんです。

 私、「なんで花なんか掬わせるかなー。そんなの見て面白い?」なんて思ってましけど、あれ、船長がなんだかスケベなんじゃないでしょうかね?

 ほら、掬おうとするとどうしても川岸のぬかったところまで行かなくちゃでしょ? ということは着物の裾が汚れちまうから、たくしあげなくちゃいけません。ひょっとして船長、太股チラリを期待してる? という私の推理(妄想ではない!)でありました。

 その後が「花掬ヒの合方」といって、まあその花を掬う様子を描写したものじゃないでしょうか。舞踊ですとアミを持って、そんな感じのフリを踊ってたりします。

 太鼓は同じようなモチーフが2回付き直して、都合3回。お母さん、3回トライして結局うまくいかず最後はちょっとヒステリー気味、というのが私の解釈です。

ブログに書き込んでくださったASUKAさんによると…

能の『桜川』(行方不明の子の名が桜子で、場所が桜川・・・)には花掬いがあり、「袂をひたし 裳裾をしおらかして(濡らして)・・・」という所があり・・・!。 太喜之丞様の言われる通り、濡れちゃうんですよねぇ・・。 『桜川』にあったかどうかチョット不確かなのですが、裾を結んで首に掛け・・・というような描写も聞いたことがあるので、期待通り(笑)エロチックな舞台が展開したのでは・・?!。

で、最後はヒステリー気味っていう解釈も…

『桜川』に、花を掬っていたのに、突然、掬いアミを投げ捨てる場面があるようです・・・!

 私、「桜川」を読んでみたわけではないのですが「賎機帯」の原典なので内容はほぼ同じ、歌詞もだいぶん同じなのではないかと思われます。

 ただし「桜川」では母親が探す子供は生きてるのだそうです。私はむかし「賎機帯」と同じ題材で「角田川(たぶん隅田川のことでしょうね)」というのを視たことがありまして、詳細は忘れましたけど、最後は船長がお母さんを子供の墓へ案内してたような記憶があります。


 私の解釈、というよりも曲が解りやすくできてるんでしょうね。ただ、私たちの業界ではそこまで理解して演じて、またはお稽古している方が、どれほどおいでになるのかは判然といたしません。これが古典芸能の現実というものかも、です。

 口伝というもので「どこはどういう風にやる」みたいなことはあるんですけどね。どうしてそうやるのか、ということまではなかなか知ることはできません。

 演出の真意を理解して演じた方が深みが増すような気がするので、いろいろ考えるんですけど、どうもエッチな方へ解釈が行きがちで、よく叱られます。歌舞伎も今でいうとアバンギャルドな小劇場の演劇とかショウのような存在だったわけですから、今の感覚では猥雑な表現も多々あるのかもしれませんね。「吉原雀」の歌詞なんか読んでますと、そうとうアブナイですもの。

 概して江戸時代の人達の気質はたいそうおおらか(男色なんてあたりまえ!)だったように感じています。明治維新以後にキリスト教的な考え方がハバをきかせるようになってしまって、すっかりそうした気質が影をひそめてしまったのかもしれませんね。

06.02.22

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