2004年 太喜之丞的 10 … 8大ニュース

明けましておめでとうございます

 こうして振り返ってみますと、昨年(2004年)は日本や海外で大きな災害があったりしてたいへんな年でした。ところが私的にはあまり大きな事件はなかったんですね…

 というわけでこのたびは「8大ニュース」です。

2005年 正月 望月太喜之丞


1月 広島稽古場移転

 これはもう去年の10大ニュースにも入れちゃったんですけど、広島の稽古場を移転いたしました。

 新しい稽古場は広島市の中心、紙屋町にあります。元は長唄の故吉住小志知師のお稽古場でした。私はご縁があって師が亡くなられた後しばらくの間そこをおあずかりしていたこともあり、あしかけ6年ぶりくらいかけて帰ってきたことになります。

 引っ越したばかりで最初は殺風景だった稽古場に、小志知師のお弟子さんだった方々が保管なさっていた机やタンスなどが運び込まれると、師が生前のお稽古場の面影を少しばかり取り戻してなかなか感慨深いものがありました。


3月 今年も弟子が芸大に二名合格

 Essayの「サクラサク」でも書きましたが今年は別科に2名合格したばかりか、博士課程にも1名合格しました。「合格率100%」は変らずです。調子にのって予備校でも開こうかと思ったりしてます。

 そのうち弟子を叱るのに「オイ、ドクター! ソンナトコマチガエルンジャネェ! バカヤロー!」なんてできるかもしれないと思うんですけど… どうでしょうね、逆に叱られたりして…


4月 昨年嫁に行った弟子に女児誕生

 昨年の「10台ニュース」でお伝えした、嫁に行った弟子に女の子が誕生しました。

 自分の孫でもないのに予定日が近づくにつれてソワソワしてしまい、生まれたという知らせを聞いた時には大喜びという醜態をさらしてしまいました。

 ウチの浴衣会の時に始めてダッコをすることができたのですが、不覚にも涙をみせてしまいそうになりました。私、危うくオジーチャン・モードに入りかけていたのですよ。


5月 生まれて初めて運転中の車が立ち往生 レッカー移動さる

▲後ろの席から撮影

 私、自動車の運転歴は30年近くになるんですけど、高速道路の真ん中で立ち往生というのは初めての経験だったもんで…

 ちなみにJAFのお世話になったのも初めてでした。長いこと会費を払い続けてきただけのことは… ありました。


7月 太喜之丞、俳優デビュー

 演劇ユニット「まるおはな」の夏公演「縁ハ異ナモノ味ナモノ」に俳優として出演。今年最大の出来事はこれです。

 4月にお話があり、5分考えてOKしました。ま、ほとんど即答です。考えたのはスケジュールのやりくりだけ。っていうか、以前からやりたかったんですよ、芝居のお仕事。

 こういうチャンスをくださった「まるおはな」の主宰、山崎ふらさんに、またふらさんを紹介してくださいった藤野さん、演技もセリフもドシロウトの私にやさしくご指導くださった演出の安井ひろみさん、そしてワガママな私の面倒をよくぞ見てくださった共演の皆さんに感謝しています。


9月 東音 田島佳子先生御逝去

 9月8日、東音会の田島佳子先生が亡くなられました。

 私がこの世界に入って学生時代から、公私共にたいへんお世話になりました。慎んでご冥福をお祈りします。


10月 藤枝の大祭に参加

 私、「シマダ」や「フジエダ」というこれらの有名な名前は聞いてはいたものの、実際に参加したことはありませんでした。長唄業界に暮らすものとして一度は参加してみたかったんですけど、この度初めて藤枝のお祭りに参加させていただきました。とても楽しかったです。

 三日間、彼らに引かれる山車の上からこの街で暮らす人たちの心意気に触れることができたことが、私にとってよい思い出になりました。

 あと、関西の笛方である藤舎伝正(とうしゃでんしょう)さんとご一緒できたのも大きな収穫でしたね。ぜひ近いうちにまたお目にかかりたいものです。


12月 日本音楽集団作曲コンクールにて 難易度の高さに泣く

 日本音楽集団の主宰する「作曲コンクール」が12月に開催されました。私も何曲か演奏を受け持っていたんですけど、一曲、一人ではできないくらいものすごく難しいのに役があたってしまいました。

 一か月くらい前に譜面をもらってズーッと浚ってたんですが「右手で二拍三連を打ちながら左手は四拍五連」みたいなこの世のものとは思えないリズムを何小節もやったあげくに「テンポ60で三十二分音符を片手で16拍(つまり2秒間に16回打てということ)」みたいなことが書いてあるんですね。

 どうにもできないもんで、初回の練習の直前になって恥を忍んで事務所に泣きついたんですね。そうしたらなんともう、すでにこのパートを二人で分けるという前提でエキストラのメンバーを頼んでありました。

 私、すっかり拍子抜けしてしまいましたが、もともとこの役についていた方が降りてしまわれるまえに「一人ではムリ」と判断されていたようです。

 私、審査の前に一応、パートを代表して譜面のチェックをして、演奏不能な曲は申告したんですけど、この曲はどうもその後で「船便」で到着したらしいんですね。集団の「作品募集要項」では「締め切り日の消印有効」となっていたので、受け付けたんだそうです。

 チェックも私じゃなくて他の打楽器奏者がしたそうなんですけど、本人、自分は当日の演奏会に出演しないもんだから、気軽に「問題ナシ」と申告してくれちゃったようです。

 私、本人にアトできつーいオシオキをしたのはいうまでもありません。


番外 -- 2004年はとうとう海外に出ず

 こんなのはニュースでも何でもないんですけど、あらためてそう思ってみるとちょっと寂しいです。来年はどこかに行けるといいんですけどね。

05.01.01

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