2003年9月21〜30日
日本音楽集団・エクアドルツアー
地球のォ上ェに朝が来るゥ その裏ァ側は夜ゥだァろう…
というわけで、今回は日本の裏側、南米大陸はエクアドルに行って参りました。
このたびの公演は日本音楽集団の大ファンであられる前駐日エクアドル大使アビラさんの、たっての肝いりで敢行されたものであります。
今回、実は私にとって2度目のエクアドルです。前回は12年前にバレエ団の公演ででした。おそらく一生の内にもう二度と来ることはないだろうと思っていたものです。ですから、再び彼の地を踏むことができたことは非常に嬉しかったです。
日本音楽集団にとっては初の南米公演です。しかもエクアドル人作曲家のディエゴ・ルズリアガさん、つまり私たちにとって外国人の曲をメインに据えてという今までになかったスタイルでのツアーでして、非常に新鮮な気持ちで旅にのぞみました。
9月20日(土) |
東京 昨日は日本音楽集団の定期演奏会でした。みんなも出演してたので疲れてると思うんですけど、朝の10時30分から練習でした。よく働くよなあ。 今回の旅に参加するのは指揮と打楽器で代表の田村さん、笛で西川浩平さん、その奥様でピアニストの西川英子さん、尺八と笛を兼任する砂川君、三味線の山崎さん、筝の山田さん、笙の真鍋さん、そして打楽器の私に加えてIMSの古河さんというちょっと変則メンバーです。 演目の中でラテンのメドレーは先方から送られてきた資料を元に英子さんがアレンジしてくれました。聴いたことがない曲というのは演奏しづらいものですね。 練習後はエクアドルへ持って行く楽器を梱包です。今回のツアーは予算がとても厳しいので、エクセス・バゲージはお筝のジュラルミンケースのみ。あとはメンバーの手荷物として持ち込みます。荷物の重量は1個あたり32kgまでなので、ヘルスメーターを持ち出して計量しながら詰めていきます。帰りはどうやって計るんだろ? 特に量の多い打楽器は奏者共々(私のこと)文字通り、皆さんのオニモツです。打楽器関係だけでケースが4個必要だったんですから。 ルズリアガの「ダブル・デュオ」では大太鼓が2つも出てくるのですが、これは平太鼓で代用することにしました。日本国内だとたいがいどこへでも運べるし、万が一でも現地で調達することができるんですけど、エクアドルでは望むべくもありません。 そういえば以前、私はオーストラリアで大太鼓のソロを演奏するというお仕事をしたことがあります。日本から大太鼓は送るのかどうかを問い合わせたら「大丈夫、立派なのがある」というので安心して行ったら、ヤグラに乗っていたのは直径が50cmくらいの小さな太鼓だったことがありましたっけ。アレには往生しました 荷物には鍵はかけないことになりました。現在、米国の空港で荷物を抜き打ちでチェックをする時に鍵がかかっていた場合、それを壊してでも荷物を開けるらしい、という情報があったからでした。これは「9.11」以来、米国では航空荷物のチェックがたいへん厳しく、日本でセキュリティーチェックを受けていても関係がない、とのことでした。
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9月21日(日) |
東京>ヒューストン>グァイヤキル 東京は台風が近づいているせいか、朝から雨模様でした。「飛行機は飛べるかしら」なんて考えながら床屋さんへ。帰ってからの日本でのスケジュールを含めて、向こう3週間は床屋に行けないことがわかっているので、ぎりぎりのこの日に行きました。ついでに近所のディスカウントショップにスーツケースのベルトを買うことにしました。これもスーツケースに鍵がかけられないのでそのための大事な対策です。 12:00、家を出発。いつもは私、JRを利用するんですけど、今回はこれだと微妙に間に合わないので、京成上野駅からスカイライナーに乗ります。13:37「第2ターミナル」着。コンチネンタル航空のカウンターへ。 カウンターでは西川浩平さんが買ってきたベルトで、鍵のかけられない荷物達が不用意に開かないように縛り上げます。 「女王様とおよび!」 15:40、コンチネンタル航空6便は無事に出発。ヒューストンに向かいます。今回利用したコンチネンタル航空は直行便こそないものの、エクアドルまで同じ会社でアクセスできます。楽器という荷物のことを考えると大事な選択要素なんですね。2001年のチェコ・フランスツアーの時は全日空のカウンターからエール・フランスのカウンターまで(1.5km!)荷物を全部自分たちで運ばなくてはならないという大失敗をやらかしています。 13:00(あ、ここからは現地時間です)ヒューストン着。荷物をいったん受け取って米国に一旦入国します。すぐにエクアドル行きにチェックインして空港内で3時間以上待ちました。 コンチネンタル818便は飛行機が小さいので荷物を全部載せてもらえるかどうか心配でした。無事に乗せられたことを確認した時は当のお筝奏者でなくとも皆ほっと胸をなで下ろしたものです。 なんでもエクアドルからの出稼ぎの人が多く利用する便らしいので、場合によっては手荷物で貨物室が一杯になってしまうことがあるのだそうです。この場合手荷物優先で荷物を搭載するため詰めなくなったエクセスの荷物は別の便で送られてくることになります。今回は万が一のことを考えて手荷物として運べる「短二十絃」という小さいタイプのお筝も持って行きましたが、普通の二十絃筝で演奏できるに越したことはありません。 この便はヒューストン→キト→グァイヤキル→ヒューストンと三角のコースを回ります。私たちの最初の目的地グァイヤキルに着く前にエクアドルの首都であるキトに着陸するのです。キトではあまりに多くの乗客が降りるので、自分たちも降りなくちゃいけないんじゃないかと心配したのですが、客室乗務員に聞くと「そのまま乗っていろ」といいます。やがて私たちを乗せたまま客室の掃除が始まり、キトからの乗客を乗せてグァイヤキルに向けて飛び立ちました。この間1時間。 24:00近くにグァイヤキルに到着。空港ではこちらに在住のバイオリニスト、前田さんとその相棒、スキンヘッドのテュッキが出迎えてくれました。荷物をすべて受け取り、Hotel ORO VERDEへ向かいました。 長い一日でした。3:00過ぎに就寝。
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9月23日(火) |
グァイヤキル 7:00起床。またもゴージャスな朝食。 砂川君は無事に到着していましたが、一旦はキトで降りてしまって空港の外まで出てしまったとのこと。なかなか迎えが来ないので自分でタクシーに乗ろうかと考えていたそうです。ふと不安になって人に尋ねたらそこがグァイヤキルではなくキトだということを知り、出口から飛行機まで走って戻った、とのことです。こうなるともう国際空港のセキュリティも何もあったもんじゃありません。アメリカだったら射殺されてるゾ。 キトは高度が2,500mもあり空気が薄いところへもってきて、飛行機まで全力疾走したら思いっきり高山病みたいになったそうで。ふくらはぎの血管までバクバクしたそうです。砂川君、こういうオヤクソクは絶対に外しません。 さて我々は9:00にホテルを出発しました。本日はワークショップが予定されていたのですがキャンセル、記者会見があります。セッティングを済ませて11:00から会見の予定が、40分遅れてスタートしました。しかも取材に来たのは新聞社だけでテレビ局はとうとう来ません。 前田さん曰く「エクアドルはそういう国」なんだそうです。このことを私たちは翌日、別な形で思い知ることになります。 前田さんはテレビ局の取材が来なかった穴埋めとして、演奏会の宣伝のために電話で翌日のテレビショーへの出演を決めてくださったようでした。尺八、笛、打楽器、それに三味線でというメンバーで伺うことになりました。 昼食はホール近くのファストフード屋さんで肉と焼き飯のプレート。 夕方までリハーサルをして、17:00、2台のタクシーに分乗してホテルへ。と、私が乗らなかった方のタクシーがいきなり止まりました。運転手が車を止めて歩いてゆく姿が目に写りました。どうも何か違反をしてポリスに捕まってしまったようです。 こちらは同じように走ったのにもかかわらずスルーしてしまったので、あちらのタクシーは運が悪かったようです。こちらはスムースに帰れてラッキー!などと思ったのもつかの間、どうもこちらの車も運転の様子が変です。走り出すとものすごい爆音が… 見ていると、さっきからギアチェンジを一回もしません。そのうち、助手席に座った、砂川君がこっちをふりむいて 「この車、ガソリンが入ってないですよ」 計器盤をのぞき込むと燃料計はエンプティのところでしっかり止まっています。 「ガス欠で止まっちゃったら皆で押さなくちゃ行けないかなぁ」 我々の願いが通じたのか、タクシーはローギアのままホテルまでをなんとか走りきりました。運ちゃん、あの後どうしたんだろう?私たちの払ったタクシー代でガソリン入れたんだろうか? ホテルでメールチェック後、夕食。ビール、白ワイン、エビとマッシュルームのアヒーヨ(スペイン料理でニンニクオイル炒めです)。 この夜、長い長い夢を見ました。こちらに来てから時差の関係で基本的に夜はなかなか眠れないので、薬を服用するのですが、それでもすぐに目が覚めてしまいます。ウトウトしたかと思うと夢を見るのですが、気がつくと1時間ほどしか寝ていなかった、なんていうような状態なのです。
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9月24日(水) |
グァイヤキル 昨夜は長い夢を見ました。古河さんが坂道をキャスター付きのスタンドケースにまたがって滑り降りてくる光景が忘れられません。実はこの夢、最終日に彼の身に起こる出来事を暗示しておりました。 というわけで、あまり眠れない状態のまま7時前に起床。とりあえずゴージャスな朝食へ。 8:45、ロビー集合。新聞に昨日の記事が載っているというので見せてもらいました。記事というか、広告のような形で掲載されていたのですが、日本音楽集団のロゴが縦書きで「団集楽音本日」になっていたんですね。これには大笑いしました。横書きの「日本音楽集団」を右から拾ってしまったんでしょう。 9:00に前田さんとテュッキ(今朝は青いバンダナ)が迎えに来てテレビ局へ。局は私たちが着いたグァイヤキル空港のすぐ前でした。 テレビ局に入って慌ただしく着替えるとすぐにスタジオへ。スタジオの中は雑然としていて、リハーサル中なのかと思いました。朝っぱらから水着のお姉さん達が駆けずり回っています。 締太鼓は部屋で締めてきたのでそれをセットして小鼓を組んでいると、いきなり司会者がカメラに向かって前田さんを紹介しています。 ずいぶん大ざっぱなリハーサルだなぁ、なんて思っているといきなり私たちの楽器を説明し始めて「では、演奏を聴かせていただきましょう!」って、ちょっと待ってよぉ! 組掛の小鼓をワキにおいて鏡獅子の狂いの部分を打ち出しから演奏。最中にテュッキの携帯が鳴ったりしても誰も動じません。リハーサルなのでまあいいか、と呂の段でいつもシメるところで強引にアゲてしまいました。こういうことを咄嗟にやってもついてきてくれるところが集団のメンバーのいいところです。 で、次は尺八の演奏が始まったのでまた小鼓を組んでいると、演奏が終わるやいなや上のスピーカーから 「グラシャス! ●※△(意味不明)… フィニート!」 そう、今のは生放送の本番だったのでした。 あれでOKなのかいっ!? 収録、ではなく放送を終えてホテルに帰ってきたのは10時。出発してからキッチリ一時間でした。何という国だろう。 12:00少し前、昼食。食事をしていると、レストランに大勢の美女達が大挙して入ってきました。15〜6人もいたでしょうか。見ると皆「グァイヤキルの女王」とプリントされたタスキをかけています。なんでもちょうどこの街でミス・コンの予選をしているのだとか。私、一度でいいからあのお姉さん達の山の中に投げ込まれてみたいものです。 食後は表に出ても暑いので、出発の時間まで部屋でウダウダしました。 15:00にロビー集合。いつまでも迎えが来ないのでおかしいなと思っていたら、フロントに電話があり、自分たちで来い、とのこと。結局予定より40分遅れて楽屋入り。リハーサルはラン・スルーのみとなりました。 ここでのテュッキのバンダナは黒に変わっていました。着てるものも黒ずくめ。ステージ・スタッフの黒ずくめは万国共通です。 いよいよエクアドル公演、初日です。 思いのほか多くのお客様が見えて、まずはひと安心。今朝の生放送の効果があったのかもしれません。演奏終了後はスタンディング・オベイションで、大好評でした。エクアドル人作曲家ディエゴ・ルズリアガさんの曲をコンサートのメインに据えたことは、我々にとっては大きな不安でしたが、大成功だったようです。 明日はマンタに移動なので終演後は汗だくでパッキングです。私、お筝のケースを持ち上げようとしたら腰がピシッといいました。もう若くもないんだから少しいたわらねば。 ホテルに帰って打ち上げ。前田さんもテュッキもいます。白ワイン、エビとイカとマッシュルームをそれぞれオリーブオイルで炒めてもらっていただきました。もう眠くてグラグラです。
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9月25日(木) |
グァイヤキル>マンタ 6:30に起床。8:00にチェックアウト。8:30にはマンタへ受けて出発です。大騒ぎで楽器や荷物をバスに積みます。腰が痛いです。
バスに揺られて一回の休憩を入れて3時間半。12:00にはマンタに到着しました。 マンタのホテルもHotel ORO VERDEです。ここのHotel ORO VERDEはリゾートホテルでして、すべての部屋がシービュー。プールはあるしフィットネスもあります。 ホテルではマンタに在住の井上さんが出迎えてくださいました。マンタの演奏会はこの井上さんがロータリークラブの活動の一環としてセッティングしてくださったのでした。ホテルにチェックインしてからすぐに井上さんのご招待でロータリークラブのメンバーの皆さんとご一緒に近くの桟橋にあるダイナース・クラブでランチをいただきました。 ここのクラブでいただいたシーフードは最高においしかったです。マグロのソテーにパエリヤがメイン。「マンタ・スタイル」とおっしゃって、セビッチェにビールをかけている人がおられて、マネをしてみるとセビッチェ本来の酸っぱさが押さえられてマイルドになり、これもなかなかイケます。 井上さんは1960年頃こちらに留学なさっておられたそうで、当時はこの国には電話はどこに行ってもあるし、自動車もたくさん走っていて、日本に比べてなんと豊かな国なのだろうと思われたそうです。 昼食後は街を一巡り観光して井上さんの経営するボタン工場へ。現在はプラスティックに押されてしまっていますが、象牙ヤシの実で作るボタンは一時期、エクアドルの一大輸出品だったそうです。日本でも昔のちょっとしたスーツなどのボタンはこれを使っているそうです。今ではボタン以外にもお土産などの工芸品の材料として利用したりしています。 この象牙ヤシの実で作られたボタンを触ってみると、すべすべしてプラスティックとはあきらかに違います。自然材料なので地球にも優しそうです。 Bototaguaのwebsite > http://www.bototagua.com/ 一同ホテルに戻り、すぐにリハーサル。腰が痛かったので少し休みたかったのですが、受け入れられませんでした。 リハーサル後、本番までの時間を利用して山崎さん、砂川君と3人で浜にでてみました。 夕方のビーチは一日の終わりではなく夜の始まりです。レストランやカフェがぼちぼち開店し始めていたので、一軒に入ってコーヒーを注文(ホントはビールが飲みたかったのですけれど、勤務中なので)しました。 「トレス、コヒ、ポルファボール」 店のお兄ちゃんには「エ!? オマエらコーヒーなんか飲むの?」見たいな顔をされてしまいましたが、わかってくれたみたいです。 待つことしばし。コーヒーカップにお湯だけ注いだだけのものが出てきました。私たち、怪訝な顔をしてましたら、インスタント・コーヒーの瓶を持って来ました。自分で作れと? お湯はぬるいし… エクアドルはコーヒー豆の輸出国として有名なんですけど、お店でコーヒーを頼むとたいがいこれなんですね。一杯80¢なり。 開演は20:30です。お客様は超満員で最後はスタンディングオベィションでした。 終演後は紋付のまま大慌てで楽器をパッキングしてレセプションへ。井上さんが出資している水産会社で捕れたボタンエビを刺し身にしていただいたのを食しました。今回の旅はシーフードが大当たりです。 当地のロータリークラブでは年に何人かの学生を交換留学生として日本に送り出しておられるそうです。日本で一年間暮らしたという女の子とお話をしたのですが、一年でこれほど、と思うほど日本語が上手でした。 盛り上がった余韻を残して25:30就寝。
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9月26日(金) |
マンタ>キト 6:30に起床するつもりが6:00前に目が覚めてしまいました。ベランダにて夜明けの海岸の景色を楽しみました。こんなにゴキゲンなところで一泊しかできないなんて、ちょっとがっかりです。 6:45朝食へ。ここの朝食もなかなかゴージャスです。 エクアドルの料理は全般に味付けが濃いようで「わかりやすい」おいしさがあります。 8:30ホテルをチェックアウトして空港へ。本日は空路キトへ移動です。
空港には井上さんも見送りに来てくださり、チケットのことやら荷物のことやら、世話を焼いてくださいました。我々はお筝の搬送がうまくいくかどうか不安だったので、顔の利く井上さんのお力添えはありがたかったです。 空港で、我々は昔懐かしいボーイング727を見ました。12年前に来た時もこれが飛んでいて、やはり懐かしいなと思ったものですが、まだ飛んでるんですね。空軍が経営するタメ航空のボーイング727。これに乗ってキトまでは35分ほどで着きます。 この街は高地で標高が2,500mほどあります。空気の薄さには以前に来た時も苦しんだ記憶があります。高い高いと思い込んでいるせいか着いた途端に息苦しくなってきたような気がします。ちょっと荷物なんか持ち上げようものなら途端にハァハァいい出す始末。 前田さん曰く、この街に着いた日は走ってはいけない、酒を飲んではいけない、恋人と一緒に寝てはいけない、とのことです。 11:00過ぎにホテル Akros Hotelに到着。 12:45、アビラ元駐日エクアドル大使のお嬢さんご夫妻のご招待でランチへ。ホテル近くのスペイン料理屋へ行きました。前田さんが山羊の煮込み料理を強く推薦するのでこれをオーダー。甘いマトンカレーといったところでしょうか。デザートまで含め、テンコ盛りにいただきました。ああ、また太ってしまう! 食事中、突然雨が降り出したかと思ったら、雹(ひょう)でした。それが程なくして土砂降りの大雨に変わりました。ここは標高2,500メートルの山の中。文字通り、山の天気は変わりやすいのだそうです。 ランチは15:00くらいまで続きました。ここで西川氏と砂川君は宣伝のためにラジオ局へ。私たちは部屋に帰って記者会見の準備です。今回の旅は日本音楽集団の旅としては異例なほどプレス関係の取材が多かったです。 16:00、紋付に着替えてロビーへ。ロビーには Teatro Bolivar のベルナルドさんがおられるだけで、ラジオ組はまだ帰ってきませんし、記者達もいません。待つことしばし、何も起こりません。記者会見の部屋のナンバーを聞くと、偶然にも私の部屋の隣なので、始まりそうだったら呼んでもらうことにして、私は部屋に帰ることにしました。そんなにヒマではないのです。 この記者会見、結局記者が一人も来ずにキャンセルされてしまいました。実はどこかでサッカーの試合をやっているので、そちらの取材に皆、出払ってしまったのだそうです。この国のサッカー熱は日本のプロ野球以上です。ちなみにこの国で人気のあるスポーツのベスト・スリーはサッカー、バスケットボールそしてバレーボールだとか。 さて、部屋に帰った私は何をしていたかというと、実は小鼓のチューニングをしていたのでした。 小鼓の音は主に湿度と気圧に左右されます。温度も大きく関係あるように思われがちですが、そうでもないんです。この街では湿度はそこそこ(ちょっと乾燥してるかな、くらい)ですが、気圧はめっぽう低いので小鼓の調子が完全に狂ってしまいます。東京で高地対策を施したセットを作って持って来はしたものの、実際の音を出すまでは安心できません。 高地対策というのは、海抜ほぼ0mの東京で裏側の真ん中に10枚くらいの調子紙を貼ってバランスがとれるような皮の組み合わせを作って来たことです。 実際に組んでみると果たせるかな、それでも皮が重く感じられます。表側に張ってある6mmほどのウラ張りもはがして、裏側に紙を一枚というチューニングでようやくバランスがとれました。試しにグァイヤキルやマンタで使っていたセットを組んでみましたが、こちらはもう重くておもくて、どうにも使い物になりませんでした。 チューニングを終わって、記者会見場になっているはずの隣の部屋を覗いてみると、テアトロ・ボリバーのベルナルドさんが後片づけをしています。前田さんもやってきて3人でしばし話し、明日の演奏会の成功を約束して、別れました。 夕方は山田さん、真鍋さん、砂川君、古河さんと近くのショッピング・モールへ前田さんに連れて行ってもらいました。 歩いていると、途中で小さな男の子が近づいてきて「お金をちょうだい」と手を出します。前田さんは彼とずいぶん長いことやり取りをして小銭を与えました。この話はまた後で。 前田さん、ここのスシ・バーに明日の演奏会のチラシやらポスターを置かせてもらっています。このことといい、記者会見のアレンジといい、前田さんの精力的な動き方にはまったく頭が下がります。本当は我々がしなくちゃいけないんじゃないかな、と思ったもののこの街では無理ですが。 帰りにワインを買って来たので、部屋で軽く一人宴会。後でひどいことになるからあまり飲むなと脅かされているので、グラス2杯で眠ることにします。 このホテルのビジネスセンターでは自分のコンピュータをネットに繋ぐことはできませんでした。そこで、部屋からダイアルアップを試しています。あまり回線の速度は速くないものの何とかメールチェックは成功。ただ、なぜか成功したのはこの一回きりで後はどうしても繋ぐことはできませんでした。
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9月27日(土) |
キト 7:00、朝食へ。ロビーのレストランでビュッフェかと思いきや、なぜか別の部屋へ案内されまして、そこではコンチネンタルスタイルのチープな朝食が待っていました。部屋は暗いし、あまりにも寂しい食事だったので自腹でビュッフェに変更することに決め、チェンジしてもらいました。英語がなかなか通じないのでこういう時はたいへんです。 旅先で食事のことは結構重要なことなので、メンバーの全員がこの食事ができるように後でお願いして、この差額は日本音楽集団が払うことになりました。 11:00ごろ、散歩に出ました。ぶらぶらと歩いて昨日のショッピングモールへ。土曜日なので街は静かです。お土産を少し買い足してお昼過ぎにホテルへ戻りました。戻る途中で飲んだヤシの実のジュース(60¢)の美味だったこと! 13:00、ホテルを主発して今日の会場へ。会場は Auditorio de la Corporstion Financiera National。日本大使館もあるビルの中です。 本日は千秋楽ですので、世話になったテュッキに手ぬぐいをプレゼントしました。彼はとてもおしゃれなんですね。毎日スキンヘッドに巻いているバンダナ、というか布の色が違います。その日に着る服に合わせてコーディネートしてるんだそうです。 古河氏、ここで荷物を運ぶのを頑張りすぎたせいかお腹の調子が悪いとのこと。 「だいぶ、クダってます」 私、思わず「坂道をキャスター付きのスタンドケースにまたがってものすごい勢いで滑り降りてくる古河さん」の夢を思い出してしまいました。まさか先日の夢がこういう形で当たろうとは… 会場に着いてすぐにセッティングを始めましたが、やはり高度のせいか締太鼓を2管締めるのはだいぶんホネでした。いつもなら20分くらいで済んでしまうセッティングも30分以上かかってしまいました。 セッティング後、慌ただしく近所のケンタッキー・フライドチキンで昼食を済ませて、リハーサルです。マンタと同じプログラムなのでラン・スルーで済ませることにしていたのですが、「ダブル・デュオ」の時に砂川君が不調を訴えて、中断してしまいました。そうとう息が苦しいようです。 真鍋さんは楽屋で練習に余念がありません。笙なんかいかにも苦しそうなのに… きっと酸素不足でハイになっているに違いありません。 17:00、リハーサル終了。お腹は空いていないのですが何か食べておかないとと思い、街に出ました。 近所にお土産物屋街があると聞いて寄ってみたら、そこは前回も来たことのある市場のような場所でした。セーターとか小物とか、安いことは安いのですけれど、以前よりも手作りのものが少なくなっていたように感じました。土曜日なのでお休みの店が多かったです。 さらに街を歩いてみましたが、治安のいいといわれる新市街とはいえ、夕暮れとともに怪しい雰囲気が漂ってきますね。私、結構好きなんですけど。結局、サンドイッチとジュースを買って19:00に楽屋に戻りました。 20:15、15分押しでコンサートはスタートしました。本日のコンサートは4年前に火事で焼けてしまった Teatro Bolivar という劇場の復興を支援するためのチャリティー・コンサートでもあります。日本音楽集団からも些少ですが、300$ほど寄付をさせていただきました。 本日もスタンディング・オベイションで終わりました。こちらのお客様は優しすぎて、私たち演奏家はすっかり甘やかされてしまいます。 この日の打ち上げはベルナルドさんのご招待でちょいとコジャレたお店へ。東京で青山辺りにありそうなお店で、宴会です。 砂川君、やおら尺八をとり出して「鹿の遠音」かなんか吹き出した(リハーサルでダウンしたのはどこのどいつだ!)ので、ベルナルドさんに曲の説明をしていたら、いつの間に上がったのか、二階のバルコニーのようなところから西川さんが能管を吹き始めました。 「あれはオスの鹿がメス鹿を呼んでいたんだけど、そうしたら二階からもっと強いオスが出てきちゃったんで謝っているんだ」
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9月28日(日) |
キト 「地球の上に朝が来る。その裏側は夜だろう」 と、誰かが歌う夢を見て目が覚めました。頭が痛いです。時計を見ると7:30。今回の旅はよく夢を見ました。 本日はいよいよ帰国する日です。出発の便が深夜(エクアドル入りする時に利用した便)なので、それまではオフなので観光です。ちなみに古河さんは部屋で寝込んでいます。 9:20出発。まずは旧市街の Teatro Bolivar へ。事務所にベルナルドさんを訪ねます。 近くでバスを降りて歩いたのですが、やはり息が切れます。前回来た時にはこの旧市街内のホテルに3日ほど宿泊して、毎日ここを歩き回ってましたけど、何だかあまり見覚えがありません。12年という歳月はかくも記憶をおぼろげにしてしまうものでありますね。
劇場の裏にある楽屋口を開けてくれたのは、ここに48年勤めてきたという老人でした。元は俳優さんだったそうで、火事の時は彼が最初に「いま燃えている」とベルナルドさんに電話してきたのだそうです。 半分燃えてしまった劇場を見学。ここは12年前にバレエ団の公演で出演したことがある、私にとってはとても懐かしい場所です。客席からロビーに出たところや、舞台裏に面したアパートのような楽屋など、見覚えがあります。 4年前の火事はこのロビーに出店していた「ピザハット」から出火、あっという間に火は燃え広がってしまいました。焼けた座席や楽器のパーツなどが展示してあり、なんとも痛ましかったです。 この劇場、ベルナルドさんのお祖父様がをつくられたそうで、お孫さんの彼は現在、ここを再建しようと非営利団体を設立して、頑張っておられます。私も何か協力できれば、と思うのです。一度劇場のウェブサイトへいらっしゃってみてください。 Teatro Bolivar の website > http://www.teatrobolivar.org/ 劇場を後にして、今度は警察官のガイド付き(?)で旧市街の観光をいたしました。制服の警察官がガードをしながらガイドもする(シャレてるわけじゃないんです)というのはこの街の観光課が考え出したアイデアだそうで、治安が悪いというイメージを何とか払拭したいのだそうです。かえってモノモノしいんじゃないかなという気もしたんですが、彼は非情に楽しいガイドでしたし、それに警察官と一緒という安心感はなかなかのものです。ガイドは英語で行われ、スペイン語になじみのない私たちでもだいぶん解りやすく、現在はフランス語も勉強中とのこと。 キトの旧市街は世界遺産に指定されており、歴史的な建築物や教会を街をあげて保存しています。 最後はミュージアムへ。見学中に表は雨が降り出し、寒くなってきました。最後はミュージアム内にあるレストランに案内され、約一時間半もの間、この街を案内してくれた警察官氏(ズーッとしゃべりっぱなし!)とはここでお別れです。彼の最後の決めゼリフ 「もし皆さんが、今度は一人でこの街に来ることがあっても、この街には私という友達がいるということを忘れないでください… さようなら!」 拍手っ! …というわけでこのレストランでは盛大なランチをいただきました。私は鳥肉の料理をチョイス。レストランのマダム、モニカさんはとても美人で気さくな方で、我々はすっかり食事を楽しむことができました。 ここで今度は長いこと私たちに付きあってくれた前田さんも飛行機の時間が来てお別れです。 「チャオ!」 去って行く前田さんを見送りながら、女性陣は 「かっこい〜!」 と、すっかり目がハート印になっていました。確かにカッコよすぎます。 ここで前田さんのお話をちょっと… 25日の朝、そう私たちがグァイヤキルからマンタへ移動する時のことです。 ホテルの前で楽器をバスに乗せていたら靴磨きの子供たちが寄ってきました。私はちょっと危ないかな、と思ってみていましたら、前田さんは彼らに何か話し始めたんですね。で、子供たちに小銭を渡したんです。 子供たちは何もいわずにどこかへ走り去ってしまったので、何だかちょっといやなものをみたようでガッカリしちゃったんですね。そうしたらしばらくしてその子供たち、手に何やら紙袋を持って戻ってきたんです。紙袋を前田さんに渡すとお釣りの小銭を彼らに渡しました。 「グラシャス、シニョール!」 嬉しそうに去って行く子供たち。そう、前田さんは彼らに仕事をさせて、その報酬としてお金を渡したのでした。 もうひとつあります。ちらっと書きましたが、それは26日にキトに着いて、一緒にショッピングモールまで歩いた時のことでした。5歳くらいの男の子がやってきてお金をくれと手を差し出したのです。前田さんは彼としばらく話したあげくお金を渡します。その時のやり取りはおよそ下のようなものであったといいます。 「オマエはなぜ金がほしいんだ?何か欲しいものがあるのか?それとも親に渡すのか」 子供は何か食べたいものがあるようなことをいったそうです。 「ホントにそれが食べたいのか?親に渡すんじゃなくて本当にそれを買って食べるんだったら金をやる」 「絶対だな?」 と、何度も念を押して金を渡したそうです。 「ほどこす」ということの意味を考えさせられるこの二つの話しから、私はこの国で暮らす前田さんの生き方のようなものをほんの少し垣間見たような気がしました。 お昼をすっかりご馳走になった私たちは、ベルナルド氏とも別れ、バスで「赤道公園」へ。ここも前回来たところでありますね。私、ホントにこのような場所に再び立つことがあろうとは思いませんでした。感無量です。 17:30にホテルへ帰り、買い置きのワインを飲みながら急いでパッキング。なかなかはかどりません。 19:00にロビーに集合してレストランで夕食をかねて最後の乾杯をいたしました。 20:00にチェックアウト。ほどなくして「日の丸のバンダナ」をしたテュッキがやって来ました。ついにトドメを刺しに来たな! 彼は空港までついてきて面倒を見てくれました。このツアーでは本当に世話になりました。空港で別れ際が辛かったです。山田さんなんか泣き出してるし。
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9月29日(月) |
ヒューストン 朝の6:30ごろヒューストンに到着。ここで東京行きの便が出るまで3時間近く待たねばなりません。 在日エクアドル大使館に勤務なさっている桜井さんが教えてくださったという、空港の地下を走る電車に乗ってマリオットホテルへ。早朝から開いているレストランで、朝食。今回の旅はとうとうこの最後の朝食までゴージャスでした。 時間になり、またまた厳しいセキュリティを通ってゲートまで行きます。西川さん夫妻はここから別行動。アトランタにいらっしゃるのでここでお別れです。また東京でお目にかかりしましょう。
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9月30日(火) |
東京 無事に帰国いたしました。って私、この次の日(10月1日)から、やはり日本音楽集団の仕事でツアーに出たんですね。私の旅はこの後、福井、新潟、北九州そして広島と10月の半ば過ぎまで続いたのでした。
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プログラムA(グァイヤキル)
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プログラムB(マンタ、キト)
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ディエゴ・ルズリアガさんの「ダブル・デュオ」は来年1月の定期演奏会でまた同じメンバーで演奏することになりました。よろしかったらぜひ聴きにいらしてください。お待ちしてます。 太喜之丞
03.10.30