タキノ庵世界紀行
<2001年9月 怒濤の南米ツアー>


尺八の田辺冽山さん主催の「水の音 原風景」の南米ツアーに行って来ました。着いた初日から毎日演奏があったり、移動も厳しかったのですが初めて外地で誕生日を迎えたり、米国のテロ事件でブエノスアイレスに三日も足止めを食ったりして、ついでにお肉もたらふく食べたりして、私的にはもっとも思い出深い(2001年9月現在)旅となりました。


01.09.03(月)(日本時間)

 5時に成田集合だったのですが4時ごろ着いてしまいました。メンバーは「ウォーター・ネットワーク」の柴崎勉氏、尺八の田辺冽山氏、箏の木田敦子さん、日本舞踊の志賀山勢州師他3名、世田谷区立文化センターの鈴木律子さん、コーディネータとして日本ラテンアメリカ交流協会の山本美智子さん。


01.09.04(火)(南米時間)

 フォス・ド・イグアスに無事に到着。

 成田を出発してから約27時間かかりました。飛行機に乗ってる時間だけでも24時間くらいなんだからさすがに遠いところまで来てしまったなぁ、という感じです。日本とは地球のほぼ正反対の場所なので、今まで私が行った中では一番遠いところということになりますか。これで五大陸全てに足を踏み入れたことになります。

 事前のアナウンスでは涼しいのでは、と思っていたのですが以外と暑くて湿度も高いようです。

 12時前にホテル・カリマ(Hotel Carima)にチェックイン。今日は「水のフォーラム」のパーティー会場で演奏がありますので16時半にホテルを出発することになりました。

●世界水フォーラムにて

 「世界水フォーラム」の会場は立派なホテルでした。できればこっちに泊まりたかった。

 局長の小田さん、局員の小島さんともうひとり。

 気圧は問題なく湿度も高かったので小鼓には調度よかったですが、私、調子紙を部屋に置いてきてしまいました。仕方がないのでカバンの底の方に残っていた切れ端で2枚分を貼り、後はティッシュペーパーを分けてもらって調子をつけました。凄く貼りづらかったです。

 練習中にとんでもないものを忘れたことに気づきました。新曲用の鈴を、しかもこれは東京に忘れてしまったのでした。仕方がないので小鼓の音でトレモロを打ってごまかすことにし、こちらで楽器屋さんを見つけたら買うことにしましょう。

 到着したてでボケボケで、しかもろくにリハーサルができなかったにもかかわらず演奏はワリとうまくいきました。緊張してたのが良かったんでしょうね。

 後は小田さん達に中華料理をご馳走になりましたが、眠くて辛かったです。

 ホテルに帰って明日の支度をしていると鈴木さんから電話があり、出発が1時間早くなった、とのこと。これには私、抗議しました。それならばさっきの中華も適当にご辞退して早めにホテルに戻りますのに。


●イグアスの滝

01.09.05(水)

 6時40分起床。7時に食事をして8時にロビーへ集合。8時半にイグアスの滝に向かいました。ここでデモ用の写真を撮ることになっているのですが、実際のところほとんど観光でした。コシノジュンコさんデザインの衣装に着替えての撮影はただただ恥ずかしかったです。田辺さんと二人でゲイバーのショータイムみたいになってしまって。ただ、世界三大幕府に数えられるだけのことはあって、イグアスの滝の眺めは素晴らしいものでした。ビショビショになりながら滝つぼの近くまで行きますとそこにはツバメがたくさん飛んでいて、見ているとどうも滝の裏側に巣を作っているようです。流れ落ちる滝の水の中に飛び込んでいくようにも見えます。随分前の映画ですが「ミッション」という映画で確か十字架に貼り付けられた人が落ちるシーンだったと思いますが、それはここで撮影されたものだそうです。

●イグアスの滝の前でショータイム
恥ずかしそうでしょ?

 昼食はホテル近くのレストランでチュラスコ(お肉の食べ放題ってヤツですね)をいただきました。食後はホテルに一旦帰り3時にチェックアウトして本日の会場に出かけます。

 本日の会場は学校の中でした。どうもこの辺りではコンサートホールがなく、学校の講堂がそういう用途に使われるようです。

 講演後パラグァイに移動。そのまま会場の近くで食事をしてから、という話もあったのですが結局パラグアイのシウダエステで食事をしようということで先に移動することになったのです。「友情の橋」という橋を一つ渡るだけなのですがパラグァイに入ると街の雰囲気も少し変わります。

 しかしなんと! 時間が遅くてお目当ての韓国料理屋さんはクローズしてました。仕方がないのでホテル「カジノ」に。ホテルの隣にカジノがあってちょっとイカガワシイ感じがしてそこはかとなく南米に来たような気になります。遅い時間に着いたのですがお腹が空いたので皆でホテル2階のレストランで軽く食事をしました。こちらでレストランを経営してらっしゃるハビエル・中山さんがとても良く我々の面倒を見てくださって、ありがたかったです。

 実は私、海外に出るとその国の「J」で始まる名前を名乗ることにしています。こないだまではフランス名で「ジャン(Jean)・タキノ」でしたが、今回は何にしようかと考えていたのです。中山さんにその話をしますと、「ホセ(Jose)」が良いとおっしゃいます。その気になっていると横から勢州さんが「ハビエルもJで始まるわよ」と教えてくださいました。「ハビエル」の綴りは「Javiel」なのだそうで、「J」で始まるのです。「ホセ」は以前スペインに行ったときに名乗ったこともあるので南米は「ハビエル」を名乗ることになりました。中山さんから貰ったことにして「二代目ハビエル・タキノ」と名乗ることにいたしました。中山さん、ちょっとイヤそうな顔してましたっけ...


01.09.06(木)

 時差のせいか、朝とても早く目が覚めてしまいました。窓からホテルの庭を見ていると、何か飛んでいます。花から花へ移動しては蜜を吸っているようなのですが、虫にしては大きいな...そう、ハチドリが蜜を吸っていたんです。テレビとかではよく見ていた光景なんですけど、こんな自然な光景の中で実際に見ることができるとは思いませんでした。

●市長のお母様と山本さん

 今日はゆっくりです。お昼にはシウダエステの市長のお母様がみえて簡単なレセプション。このお母様という方が市長も頭が上がらないという大変な肝っ玉母さんだそうで、お目にかかって一同「なるほど」思った次第です。浅香光代さんのパラグアイ版という感じです。ちなみにウェイトはこちらの方が上。

●マカの方々と


 昼食後には地元のマカという人々(マカ族というんでしょうか)が踊りを見せてくださいました。なんだかちょっと恥ずかしそうに踊っていたのが初々しくて良かったです。ここで踊るときに使っていたシェイカーというんでしょうか、ジャラジャラと乾いた音のする楽器をお願いして譲ってもらいました。新曲の、忘れてしまった鈴の代わりに使おうと思ったのです。聞くと鹿のツメとのことですが、訳の違いかな?私には熊かなんかのツメに見えます。(だって鹿はこんなとんがったツメじゃなくてヒヅメでしょう?)このシェイカー、振ると臭いんですよ、とっても。

 3時に会場のシウダエステ・センブラドル校コンサートホールへ。やはりここも学校の講堂が会場になのです。我々は科学室をお借りして楽屋にしました。ここでは試験管を支持する機具をお借りして(ナイショで)ドライヤーを固定しましたので楽なこと!

 ツメは大正解でした。マイクを通すと水が流れるような音がして金属製の鈴を使うよりもいい感じ、ということで今後正式に採用することになりました。このツメが後にブエノスアイレスの日本庭園での公演の時に思わぬプレゼントを頂戴するきっかけとなるのです。

 終演後はハビエルさんに連れられて昨日行けなかった韓国料理屋さんへ。このお店は炭火で焼いてくれる本格的なお店です。


01.09.07(金)

 本日は私の誕生日。44歳になりました。

 ホテルを朝9時に出発して一旦ブラジルへ戻り、そのままアルゼンチンへ入国してアルゼンチン側の飛行場から一路、ブエノスアイレス入りします。アルゼンチン国内線の飛行機には3時間も乗ったでしょうか、アルゼンチン、なかなか広いです。ブエノスアイレス空港へ降り立ったらその寒いこと! まあ春先くらいとは聞いていたのですが、昨日までがワリと暑かったものですから油断してました。

 アルゼンチン「沖縄県人会」のホールにてコンサートです。この会館、2階に日本料理店がありまして私、一人で開演前に沖縄名物「ソーキソバ」をご馳走になってしまいました。本場でもこれほどおいしい「ソーキソバ」にはお目にかかれないほどの美味であったことをお知らせしておきます。


01.09.08(土)

●天日干し中の大皮

 朝8時にチェックアウトして船で対岸のウルグアイ・モンテビデオへ移動します。

 今日はウルグアイ日本外交樹立80周年記念のレセプションです。会場は「サラ・アウディトウリョ・デル・ソドゥレ」。どういう意味なのかさっぱり判らないのですが、コンベンションセンターのようです。

 ここでは日差しがとても強いので大鼓の皮は天日干しにしてみました。1時間ほど野外の日の当たるところに置いてみたら結構カリカリになりました。楽屋で仕上げにドライヤーをかけて一丁上りでした。

●第2部のタンゴショー

 第2部はタンゴショーでした。ここモンテビデオでもアルゼンチンタンゴは盛んでして、中でも志あるダンサーは対岸のブエノスアイレスまでタンゴのレッスンを受けに行くんだそうです。モンテビデオ独特のスタイルもあるんだそうですけど、ちょっと見ただけでは何がどうなっているのか良く判りません。

 終演後は大使のご招待でモンテビデオ唯一の中華料理屋さんへ。

 宿泊は「ホリディ・イン・モンテビデオ」


01.09.09(日)

 朝、事件が起こりました。舞踊メンバーのお一人が朝食のレストランでパスポートの入ったポーチを紛失した、というのです。ホテル側はこのようなことがこのホテルで起こったことがないと言います。私、個人的には昨夜の中華料理屋さんにお忘れになったんじゃないかと思いまして、お店にお電話することを進言したのですが。ご本人、「そのようなことは絶対にない」とのことなのでそれ以上は何も申せませんでした。結局、彼女は一人モンテビデオに残り、警察やら大使館やらへ行ってパスポートの再発行を待つことになりました。

●日本庭園にて

 我々は飛行機でブエノスアイレスに戻ります。本日はブエノスアイレス空港にほど近いところにある「日本庭園」での演奏です。野外の演奏なのでして、まあ、日差しの強いこと。サングラス着用ですっかり怪シイオジサンになってサウンドチェックを終了しました。今日は「濤声」がなし、ということになったので楽器の準備は楽です。池の中に渡してある橋の上で演奏するのですが、非常にたくさんのお客様が開演前から池のまわりにゴッタ返していました。

 演奏は非常に盛り上がり、プログラムを終了しても拍手が鳴り止みません。池の向こう岸で山本さんが「もう1曲! 」とかゼスチャーでやってるんですが、アンコールの用意はしてないし、じゃあ「春の海」でもやるかな、と思っていたら、今日の演目にはなかった新曲をやれというのです。私、譜面も何もみんな楽屋にあるもんですからぐずっていたら、木田さんがやおらお客様に「ジャスト、モメント! 」ときたもんだ。「準備をするからちょっと待ってね」なんて事をいってるみたいだし、「新曲、やるの?」って聞くと「私譜面持ってますゥ! 」。田辺さんも持ってるみたいな顔してるから仕方がない。そばに待機していてくれた鈴木さんに「一緒に走ってください」とお願いして楽屋まで走りました。100mくらいあるんだな。二人でジタバタ走りました。私、紋付きだもんですから走りづらいし。譜面と譜面台をとって戻る途中で田辺さんが悠々と歩いてくるもんだから「終わっちゃった?」って聞いたんですよ。そしたら「やるよ」って。走れよ! あ、走ると息が切れちゃうのか。

 終演後、田辺さんも木田さんも楽屋に帰ってしまったのに私、ちょっとお客様の一人に話かけられてゆっくりしてたら別のお客様は写真をとって欲しいとか、CDにサインをせよとかなかなか楽屋に帰れませんでした。その中にあるお客様が私に「メキシコの先住民族が儀式で使う楽器なのだが、その音は水を表現するものである。というわけでこれをおまえにやるからぜひ使って欲しい」と新曲で使っている「ツメ束」の親玉みたいな楽器を私にプレゼントしてくださいました。これ、ツメではなく何かのみを乾燥させて作ったみたいなんですが、大きくて振るのはたいへんだろうなと思ったら、どうも足に付けて足踏みで鳴らすようです。もちろんありがたく頂戴いたしました。私、なんだか感動してしまいました。


01.09.10(月)

●足に付けているところ
私、からだがカタいもんで...

●ワークショップにて小鼓分解
どうでェ!

 当地の日本人学校「日亜学院」にてワークショップ。子供たちに実際の楽器に触ってもらいました。ここでもかけ声をかけるとみんなクスクス笑うんですよ。まいるけど、ちょっと嬉しいかな。

 新曲をやるときには、昨日いただいたメキシコ産のシェイカーを足に付けてみました。演奏しながら足踏みをすると「ガシャ!」ってなるので面白かったんですけど、床がドンドン鳴っちゃって、あとで叱られました。

 モンテビデオに残されていた舞踊の一人も夕方、無事に合流して、終了後昨日の日本庭園のレストラン「園」でレセプション。その後はお世話になった沖縄県人会の皆さんにお礼の意味を込めてポートサイドのレストランで打ち上げをいたしました。そこでデザートをオーダーしたら火のついたロウソクをのせたケーキが私の目の前に。山本さんが私の誕生日を知っていてオーダーしてくださったのでした。


01.09.11(火)

 今日はオフ日。出かけようとしたら「テレビで大変なことになっている」とのこと。驚きました。最初は小さい単発機でも突っ込んだのかと思いましたがそれにしては火災の規模が大きいなと思っていました。街に出てフロリダ通りを歩いているとテレビのあるお店の前には人だかりができています。どうも突っ込んだのは旅客機らしいと思っていたらニューヨークのトレーディングセンターのビルへ2機目の旅客機が突っ込むシーンが映され、「これは物凄いことになった」と思いました。

 鈴木さんの友人がニューヨークにいるとのこと。とても心配している様子です。

 心配していても何もできることがないし気も紛れないとのことなので、夜にはアルゼンチンタンゴのショーを見に行くことになりました。これは非常に良かったです。私、お姉さんのハイヒールが目の前をかすめていくようなカブリツキで見てたんですが、ペアのステップの素早さ、精密さ、ストイックな表情、どれをとっても今まで見たことのない高度なエンターテイメントでした。その踊りの素晴らしさもさることながら、演奏のレベルの高いこと! 伝統芸能ですね、これは。マエストロと呼ばれたお爺ちゃんのバンドネオンの音の艶っぽさといったらありません。やはり名器というものが存在するのでしょうね。「源右エ門作」なんて銘が入ってたりして。ちなみにフォルクローレの方は演奏のレベルが高すぎてちょいと野趣にかけていましたが。


01.09.12(水)

●新しいホテルの部屋から

 昨日のテロの影響で米国の飛行場は全面閉鎖になってしまい、帰れないことになりました。昨日、メールを打ったニューヨークに住む友人のところからはまだ返事が来ません。

 「ホテル・アメリカズ・タワー」は今日までしかとっていないのでとりあえずホテルは移動します。オベリスク近くの「グランド・ホテル・アルゼンチナ」が新しい宿。「アメリカズ・タワー」と比べると少々格落ちで、なんだか都落ちしたような気分です。

 鈴木さんのお友達のこともあり、気を取り直して今晩は部屋で「タキノ庵」を開業、ソバパーティーを開くことにしました。今回のツアーでは全く茹でる余裕なんかなかったのですが、ここへ来てやっと日の目を見ることになりました。近所のスーパーでワインやチーズなんぞも買い込みました(ソバとの取り合わせなんて誰も考えてない!)


01.09.13(木)

 ニューヨークの友人からやっとメールの返事が来ました。本人はミッドタウンに住んでいてオフィスも近所なのですが、テレビを見て初めて事件のことを知ったそうです。電話などの通信状況は悪いようでした。

 今日もまだ帰れません。今更ジタバタしても仕方がないので一日ノンビリします。テレビでは一日中アメリカのテロ事件を報道してます。

 お昼頃に旅行代理店の原田さんがみえて、柴ちゃんの分のみチケットが取れたとのこと。

 山本さんも見えて街のレストランへ。今日もお肉です。「アサード」という肉料理がこちらでは有名でして、牛のいろんな部分を料理してボン! と出してくれます。名前が良く判らないんですけど、この中の牛の血を腸詰めにしたのが私、とても気に入りました。韓国料理にも似たようなのがありますよね。お塩をちょっとふっていただくとおいしいです。

 柴ちゃんを見送って。また昼寝です。


01.09.14(金)

 朝一番に鈴木さんから「バッドニュースとグッドニュース」。まず、「今日も帰れない」。しかし明日のフランクフルト経由便に席が取れたとのこと。とりあえず帰れます。

 お昼は街へ出てまたお肉を食べました。


01.09.15(土)

 今日は朝から雨交じりのお天気でとても寒いです。お昼頃山本さんご夫妻がみえて昼食へ。これがブエノスアイレス最後の食事かと思うとやはりお肉を注文してしまいました。

 昼食後、ホテルをチェックアウトしてブエノスアイレス国際空港へ行き、サンパウロ、フランクフルト経由で成田へ戻りました。

 結果的には地球を一周したこの旅は、私にとって忘れえぬものとなることでしょう。お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。また、この度のテロで犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

01.09.26

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