##俺が勧めるSF##

*第二弾は4月12日現在、神田の大型書店『書泉ブックマート』『書泉グランデ』『三省堂』を中心に新刊本屋の本棚に探せば置いてありそうなもので、やっぱりもう少しで買えなくなりそうなものを選んで見ました。よって、東京近郊以外の人が見ても「やっぱ売ってねー」ってものもあります。しかし94年から96年付近で重版されているものを選んでいますので逆に地方の本屋や小さい本屋にずっと眠ってる可能性もあります。
 ってことで内容よりも希少価値を優先してるモノもあります。が、俺個人が気に入っていないモノはそもそも薦める気がないのでそのつもりで。(読んでないけど希少!ってのもあるけどそれも無論割愛)
 最近やっていないが注文すれば買えるものもあるはずなので、書評を呼んで食指が動いたら近所の本屋に注文するといい。ま、ハヤカワ、創元とも倉庫は小さ目なので(苦笑)ダメもとってやつですな。

*(早)はハヤカワSF文庫、(創)は創元SF文庫。

##SF文庫おまけ解説##
 ハヤカワSFは、文庫になる前は今も販売中の「ハヤカワミステリシリーズ」と同じ新書サイズで「ハヤカワSFシリーズ」があった。銀色の背表紙に赤字でSFとかかれていたことから「銀背」と呼ばれ、サンリオ文庫なみに貴重・高価で古本屋で扱われている。これに対して1970年ハヤカワSF文庫創刊。初期は白い背表紙だったがSFは次第に水色の背表紙がメインになってゆく。今売っているハヤカワSF文庫は「青背」である。で、消費税導入後、あるいはISBN対応後の重版分には背表紙に作家名の最初の一文字と番号が書いた濃い水色の四角が描いてある。これを俺は「青ラベル」と読んでいる。正確にはわからないが90年代に出版・再版されたものであれば確実に青ラベルになっている。従って青ラベルは比較的古本屋でも入手できる、あるいは再版・重版の可能性も高いわけだ。それ以前の青背は黒い四角が描いてあり「黒ラベル」と読んでいる。いまだに黒ラベルの本は二度と本屋の棚に並ぶ可能性はないと思った方が良い。
 一方、創元SF文庫は昔は『創元推理文庫』として出版されており、薄緑色の背表紙が多かったが色はまちまちで、背表紙に赤字でSFと書かれているものがSFの扱いであった。ちなみに船のマークは冒険ファンタジィ、ホラーもの、古典などの扱いで、なかにはSF色の濃いものもある。で、やはり92年頃、SFは『創元SF文庫』として分離され、薄紫の背表紙で一新され、ご無沙汰だった名作も一気に復刊されたのである。従って創元も古本屋では薄紫の背表紙ではなく薄緑や白い背表紙のモノも見て「SF」の文字を探さねばならない。創元SFとして薄紫の背表紙になっていないものはやはり入手が困難である。
(すごく残念だが、『バービーはなぜ殺される』は白い背表紙のままなのだ)




##第2弾『今、そこにあるSF!』##


『ハイ・ライズ』J・G・バラード(早)
「まだ売っているぞ!死んでも買っておけ!読んでおけ!」真っ先にそう叫ばずにはいられない作品がこれだ。俺は難なく入手したが、90年頃希少本フェアとかで見かけて以来ご無沙汰だったが、キチンと青ラベルになっていました。だがどこにでも置いてる本ではありません。買っておきましょう。そして読みましょう。バラードについてはここで語るにはあまりにも深すぎる作家なので作家別紹介をあとで別にやります。はっきりいってSFじゃありません。ってゆうか、一般常識的なSF要素はありません。(断言!)しかし、人間の内側に潜む無限の宇宙、それを感じさせる作品です。「我々が正気だとか正常だとかいってる状態は千の狂気の1側面にすぎない」わけですよ。バラードは人間の内宇宙を探る!とかいって「ニューウェーブ」と呼ばれるSF分野を最先端で牽引してきた人物で、ロボットだとか宇宙人だとか科学だとかはほとんど登場しません。
ハイライズは舞台となる高層マンションも別に成層圏まで届く大建造物だとかじゃなく、ただの高い、でかいマンションです。すんでる人も医者や建築家やふつーの主婦とかです。狂人も一人も済んでいません。天変地異も起こりません。だが、スポーツ施設からショッピングモールまで含有しする完全に都市機能を持ったマンションは、高層になるほど高収入・社会的に地位の高い人が済み、広大な駐車場もマンション近辺はそういった人たちが所有している。下層はその逆である。そう、マンションはいつのまにか一つの独自の世界を構築してしまっていたのだ。いわゆる、我々が、「普通」と思っているのとちょっと異質な、完全な一つの「世界」になっていたのだ。高層階は「高層界」となり低層階は「低層界」となって次第に対立構造を見せはじめる。そう、ただのマンションはいつしか銃夢のザレムと屑鉄町のような一つの異質な「世界」を構築してゆくのである。単なる住民の配置の物理的な対立構造がやがて住人そのものの対立を引き起こしてゆく。人々はただ、日常を送っている。だが構造の対立はだんだん我々の「正常」を歪めてゆく。
「窓からゴミをポイすてするのは?」
「いいじゃないか、どうせ汚れるのは上の連中の車だ」
「エレベータは高い金を払ってる我々に優先して使われるべきじゃないのか?」
「そうだ。下の連中は階段を使って欲しいね」
小さな歪みは日常として積み重ねることでエスカレートしてゆく。ついにはプールに子供の死骸が浮かんでも、誰も気に留めなくなってゆく・・・これがSFか?という話はしても無意味だ。だが、これが面白いと思ったらバラードの作品はすべてオススメしよう。「ニューウエーブ」が「SFらしいSF」と境界線文学との垣根を取り払ってSFを駄目にしたという人もいる。だが、どうだい、人間はいまだに地球人のままじゃないか。だったらバラードの進もうとした方向はけして間違ってはいなかったのだ、と俺は思うのだ。


『この人を見よ』マイケル・ムアコック(早)
エルコーゼ・サーガやエルリック・サーガなどヒロイック・ファンタジーで有名なムアコックだが、唯一読めるヒロイックファンタジーでないSF、それがこの「この人を見よ」だ。これもどっちかってゆうと本格SFから外れている。だが、「このSFを見よ」といっていい内容だと思う。
例によってキリストねたである。俺は青春時代、本当の神を求めていた。生まれる時代を間違ったらオウムに入っていたかもしれない。それぐらい「真実」を求めていた。ムアコックが書いたのはSF版「沈黙」である。(うう、さすがにこれはウソか?)キリストの正体を求める「キリスト狂」の男、グローガウアーはインチキ科学者の作ったタイムマシンを信じて西暦二十九年付近の過去へ旅立つ。皮肉にもインチキ科学者のマシンはインチキではなく、彼を望みどおりの時代に運んで壊れた。彼は熱砂の中をキリストを求めてさまよう。突如現れた、この時代にない考えを持った、さまよえる狂人・・・ついに役人に捕らえられた彼は、死の間際、そこに本物のキリストの姿を見るのだった!絶対キリスト教の国で出版したらサルマン・ラシュディ状態だよな。
キリスト教徒の人は読まないでください。


『バベル−17』サミュエル・R・ディレーニィ(早)
ゼラズニィと一緒に60年から70年代SFを牽引していった人。ホモで黒人で失語症で髭もじゃでロッカーで、人生いやんになってマグロ漁船に乗ってた人。ある意味、ハーラン・エリスンより最悪なSF作家だが、妻子を持ちになってSF書いてからはそのあまりに巧みな文章構成でつづられた高級ペルシャ絨毯のような作品の出来栄えのため、前述のようなプロフィールを持ち出す人はいなくなった。長編より中短編のほうが素晴らしく、サンリオの『時は準宝石の螺旋のように』や早川ノヴェルズ(ハードカヴァ)の『プリズマティカ』が読めないのは日本人にとって大いなる損失である。新潮や角川が海外名作文学の単行本としてだしてくれないかと思うほどである。さて、近年彼の初長編『アインシュタイン交点』がようやく訳され、すげー楽しみにして読んだが、日本語になった時点で冷凍刺身のように味が落ちていた。残念。彼の集大成であるといわれるもう一つの長編『ノヴァ』も手に入るがどうもイマイチ。洋画の駄洒落を戸田奈津子が訳してもイマイチ笑えないのと同じ感覚がディレーニィの長編にはある。この「バベル17」は単純なエンターテイメントとして楽しめるのでなかなかオススメ。オチもなかなかギャフンが効いていてグッドです。
SF研の読書会がなければただのスペオペだと思って読まなかっただろうなー。
謎の暗号、コードネーム「バベル17」の謎を解くため、美人の宇宙詩人にして言語学のプロフェッショナル、リドラが調査隊として奇々怪々なメンバーを募って宇宙船に乗り込む・・・という話。
一応王道だよな、ここまでは(笑)


『恋人たち』フィリップ・ホセ・ファーマー(早)
俺は昔、性に対して「こうあるべき」という比較的強固な貞操観念があった。今はそれが間違っていることに気づいたが青春はもう二度と帰ってこない(笑)。
ファーマーは『リバーワールド』のような破天荒な長編シリーズもあるが、なんといっても俺同様、厳格なキリスト教の貞操観念を振りほどいてみごとなSEXネタのSF作家として返り咲いた男だ。ま、SEX−SFってゆうと聞こえは悪いが、大人の為の小説にはかならず一回くらいは濡れ場があるし、濡れ場ばっかりなのはフランス書院文庫くらいなので、回数はやってても内容はそんなんでもないのが実状だ。比較的貞操観念がしっかりした人でも安心して読んでください。
でも、SFが子供の読み物でない証拠に結構「性」とか「ジェンダー」というモノをSFのネタにしてる作品は少なくない。ヴァーリーは科学の進歩が性に関する道徳を希薄にするという方向で書き続け、エリスンは食欲と性欲は平等だといわんばかりに下品に文章を叩き付け、ル・グインを筆頭とする女性SF作家は「受け身」な女性の立場をウーマンリブの100倍の推力で覆そうと筆をふるっている。SFマガジンも「セックスSF特集」の時は販売部数が倍になるという話だ。
なんだかそう思うとファーマーの「恋人たち」なんて、うぶな高校生が「正しい男女交際」なんてもんがまやかしだって気づいていく過程をSFにしたようなもんで、仰々しく「大胆に性を扱ったSF」なんていうこともないと思う。(くそう、本当に読んで欲しいソレ系SFはこれじゃなく『太陽神降臨』なのに!)大胆に性を扱ったSFが読みたけりゃ、ナポレオン文庫『欲望課長シリーズ』でも読め!といいたい。性というより「愛」のなんたるかについて当時俺は考えさせられた面で名作だと思う。最近はマルチとかゆーロボ子(しかもゲームのキャラ)に魂引っこ抜かれる輩が続出だそうだが、この作品のヒロインはロボ子どころか「蟲娘」大槻ケンヂのロック並みだ!(笑)
だがね、主人公は言うんですよ、「それでもお前を愛している」ってね。


『夜の翼』ロバート・シルヴァーバーグ(早)
禁欲破りSFって言うと実はファーマーよりシルヴァーバーグが思い浮かぶのは、読んでる作品数が多いからかも知れない。彼は小説工場と呼ばれるくらい「一定質のSFを大量に書く男」で訳本も多いからだ。ただ、「一定の質」の前置き通り、インパクトに残る作品は少ない。『禁じられた惑星』とこの「夜の翼」がオススメなぐらいかな。ただ、人間の生死を扱ってる作品が多いことも俺が好んで読んだ原因でもある。シルヴァーバーグは病気して、事故っったあげく家が焼けてしまったかわいそうな人で、世界SF大会で募金されたちゃったような人である。そのどん底の不幸から立ち直った彼は「ニュー・シルヴァーバーグ」と呼ばれ、それまでと一味違った名作の香り漂う作品を書くようになった。この「夜の翼」もその代表である。エヴァの庵野監督も「破壊と再生」という言葉が大好きらしいが、この作品は破壊と再生の物語の金字塔ではなかろうか。破滅型の小説を読んでいる割にふわふわのハッピーエンドを期待してしまう俺はそういった理由でこの本を良く覚えているのかもしれない。最近受賞作フェアで出たので買っておくべし。


『ストーカー』A&B・ストルガツキー(早)
実は俺、読んだけど買っていない事に気が付いて焦ってます(笑)「惑星ソラリス」のタルコフスキー監督が映画化したことでも有名。しかし、不条理な映画は文章にしても不条理。その逆も然り。2001年だって人によっちゃ「難解」って言うんですからね。ストーカーの映画はその100倍難しいことになっちゃうね。「小説ストーカー」は映画の原作で、映画の6倍面白いです。でも小説読んでから映画を見ると映画はゲラゲラ映画に早変わりします。ストーカーはそういう作品です。ちまたでストーカーって言葉がここまで流行るとは思わなかった。使われだしたとき、仲間内では「ゾーンに進入して、リボン付きナットを投げる奴がそんなに増えているとは・・・」とか言って笑っていたんですがねー。間違って買う人いないのかな??俺にとってはちゃめちゃ系SFの金字塔。『プリズナー』の不条理ともレムの作品の「未知」とも違った、ロシア人SF作家兄弟の「猥雑な聖地」を描いたこいつははSFの醍醐味の一つなんだろうと思う。
俺にとちゃ、ヴァンス・アーンダールのSFマガジン3ページ分のショート・ショート「広くてすてきな宇宙じゃないか」と扱いは一緒。要するに大好きなんだよ。ペヨトル工房のハードカヴァを除くとストルガツキー読めない作家になりつつある。ぜひ『収容所惑星』というソ連さ炸裂!な作品を復刊して欲しいですな。この5年の間に東欧SF専門訳者の深見弾氏も兄貴のアルカジィも死んでしまって、まさにシベリアの冬。


『冷たい方程式』トム・ゴドゥインほか(早)
あ、アンソロジーってまだ紹介してなかったな。俺の蔵書で一番の自慢なのに。長編よりも中・短編のほうが小粒でぴりりとしたものが多いと思うんですよ。特に海外SFは。作家にも長編の得意な人とそうで無い人いますしね。加えて個人の短編集より複数の作家の珠玉の品が一同に並んでるアンソロジーは絶品ですな。SFオンラインの添野さんもSFマガジン98年1月号で「もし無人島に一冊持っていくのなら」で短編押してます。まったく同感。ヒューゴー賞とった作品が複数同時とか、エリスン、ディレーニィ、ゼラズニィ、ディッシュが一冊に入ってるというウォルハイム&カーの大当たり『ホークスビル収容所』なんて超最高なんスけどね。絶版です。さて、あまりに有名な「冷たい方程式」はそれだけでも読む価値があります。作者のトム・ゴドウィンはそれだけの作家みたいですけどね。他の収録作品はベスター、アジモフ、シェイクリィ、アンダースンと結構粒揃いです。作品は入賞作品ではないですがそれなりに楽しめる内容です。是非あるうちに買ってください。
また別途紹介しますが、創元の『究極のSF』『SFベストオブベスト』(上下)は表紙もかっこよくなったし、あわせて購入をオススメします。


『降伏の儀式』(上下)ニーヴン&パーネル(創)
ことぶきゆうきのなぞのキーワード、「パオ」に相当するのがこの作品。白い背表紙のまま絶滅か?と思いきや、『神の目の小さな塵』同様、知らぬ間に紫背表紙に変わっていた。だが、あまりにも見かけないので即買いチームに編入。ニーヴンは『リングワールド』を筆頭とした<ノウンスペースシリーズ>で有名なハードSF作家で、ハードって難しくてメカメカしたSFという俺の先入観を覆した楽しい宇宙人SFを書く人です。大抵のハードSFはハードな科学考証された惑星でハードに考証された生物が活躍するもんだ、というのに気がついたのである。それまではクラークの『楽園の泉』みたいにただ軌道エレベータ作るような話がSFと思っていたのだ。一方のパーネルは癖のある人物をうまく描写するのが得意のようでしかも軍隊マニア。『宇宙の傭兵たち』なんかが有名。そんな二人はほとんど藤子不二雄状態で傑作書いてます。特にパーネルは単独の方の作品はぱっとしたのが無いですな。
まっとうなオススメ所は前述の『神の目の…』なんだろうけど、いびつな僕のオススメは何があろうとこの「降伏の儀式」。ジャングル黒ベエ、というマンガに「パオパオ」っていう小象みたいな生き物がいたのを覚えていますか?最近はやりのインディペンデンスデイとすっごく似たシチュエーションで、あるいはウルトラセブンの最終回で、宇宙人の攻撃に徹底的にやられた地球人類に降伏勧告してくる敵の姿がそのパオパオそっくりだったら?アメリカ人や毒蝮三太夫でなくても「死ぬまで戦うぜ!」って思いますよね?そーゆー話です。しかも、一筋縄でいかないのがこのコンビ。そこらへんはニーヴンがやって、抵抗するレジスタンスはパーネル担当。しかも今回、抵抗組織の中核は「SF作家グループ」(笑)SF作家の知識の粋を集めて作られた最終報復兵器「大天使ミカエル」発進GO!もうそこらへんだけでイッちゃいそうです。しかも一番偉そうな作家がハインラインにそっくりなのも反則です。SFファンのためのSFですな。『天使墜落』も似たようなもんか。
とにかく、男なら『宇宙の戦士』とあわせて死ぬ前に読め!


<ワイルドカード>シリーズ ジョージ・R・R・マーティンほか(創)
『大いなる序章』『宇宙生命襲来』『審判の日』
と三部出ていてそれぞれが上下巻。実はばらばらならけっこう売っているが全部そろえるとなるとかなり大変なので選んだ。ってゆうか、基本的にシリーズモノには手を出さない主義の俺が確実にはまった、アメリカSF作家の連作長編シリーズだ。基本的にはマーヴェルコミックスの小説版みたいなノリだ。無論本国ではもっと出ているが、メインの訳者である黒丸尚氏(あのニューロマンサーの)が急逝されてから翻訳版は滞っているようだ。
物語の大筋はというと、
宇宙人が持ってきた細菌爆弾が地球上で誤って爆発。その細菌「ワイルドカード」に感染した地球人の致死率は90%以上。生き残ったモノは2タイプのミュータント、姿形は人間のまま超能力を秘めた「エース」と醜悪な外見を持つ「ジョーカー」へと変貌した!
これが前提で各々の作家が好きなミュータントを創造し、「グレートマジンガーVSデビルマン」みたいな話を延々続けていくという夢のようなお話です。あるものはモダンホラー、あるものはサイバーパンク、あるものはサイコサスペンス、と現代アメリカSFの展覧会になっているところが楽しい。しかも爆弾が炸裂したのは1946年。つまり、第二次世界大戦以降のアメリカの歴史改変小説にもなっているのだ!んげーおもろいぞー。勉強になるぞー。
ちなみに私のお気に入りは
第1話のジェットボーイと戦闘用アンドロイド・モジュラーマン、Fights for 私利私欲!です。
一気に集めて一気読みだぁ!


以下続く(予定)....(98.4.18)