下半身勇者王u-kiより、最新情報を公開しよう!
今回紹介されるのはLEAFのWin95用ゲーム「WHITE ALBUM」だ。
3つのリーフ・ヴィジュアル・ノベルシリーズ(LVN)で人気急上昇中のLEAFブランド。LVN第3弾「To Heart」では恋愛シミュレーションの要素をとりいれ、今やWin美少女ゲーム界で不動の地位を築こうという勢いのこのメーカー、ついに生産ラインの増設が計画され、この「WHITE ALBUM」はその新しいラインの第1弾というわけである。
不安と期待が入り交じる中、発売日は延びに延びて、「冬景色」のゲームは気温25度を超える日もあるGW、5月1日に発売された。一応、全キャラの攻略が終わったので、(未発生イベントはあるが、)ゲーム全体及び各キャラごとの感想でも書いてみたいと思う。
果たして、その結果は如何に?
このコメントを見てやりたくなったら、Let's
Begin!!
とにかく始めてみよう!そして俺と熱く語ろう!
(ネタばれ、ゴメンだ)
1.森川由綺〜ゆるやかな彫刻〜
このゲームに一貫しているテーマに「変容」とそれに伴う「喪失」があるように思う。
これは思春期の俺自身のテーマであり、20世紀後半という激動の時代を生き抜く我々全員に共通するテーマでもある。時間に伴う変化を抵抗無く受け入れることができる人々に今の時代はやさしく、そうでない人々には辛酸をなめさせるように出来ているのだ。
由綺のシナリオは確かに「喪失」を感じさせる部分もあるが、結局はそれよりも力強く「獲得」してゆく話であることに壮快感、あるいは一種の美しさみたいなものを感じることができた。だから、「WHITE ALBUM」を一回解いた時の第一印象は「美しい、物語だ」ということだった。出来の良い短編小説やある種の風景画が見せるこぎれいな美しさだ。人に寄っては平凡で物足りない、そういわせてしまいそうな美しさだ。
由綺のシナリオ、彼女は確実に獲得に向かって、緩やかな変態を続ける。芋虫が蝶になるための、見た目には大きな変化だが本質的には同一のものというダイナミズムを成し遂げようとする。主人公はその緩やかな変化に対峙する決意をして終わる。それは由綺と主人公の新たな「変容」に伴う「喪失」への挑戦で終わるわけだ。果たして何人のプレーヤーがストーリー上の喪失感を味わえるだろうか?俺はけっこうぞくぞくするくらいまではいったけどね。
またしても私的な話になるが、芸能界は汚い世界だ。由綺のような娘が皆無だとはいわないが、実際由綺のように敵が「多忙」だけってのは最高に幸せなんじゃないかと思う。世の中は時として信じられないような悪意や虚偽に満ち満ちている。田舎で俺が対峙していたようなものなど比べモノにならない世界の存在を俺は25くらいでようやく知ったのだ。そして、そんな地獄とも掃き溜めともつかない世界で唯一の宝物を求めて皆、うごめいているということも。ときどきでてくる「こちら側」はけして「楽園」ではない。力あるものの「帝国」なのだ。このゲームは芸能界のシミュレーションでもないし、そこを克明に描くことも主眼にはなっていない。それはそれでいいと思うが、生々しい世界の話を聞かされた身としてはもう少し芸能界の描写に「リアルさ」を期待してしまっていたのだった。
LEAFのゲームとしてはこういうリアルな醜さは不要だと思う。がむしゃらや賢明さは美しくはないが、悲劇には美しさがある。悲劇のうまいLEAFの悲劇でない物語をたたえてやろうではないか。
2.緒方理奈〜補完される空白〜
さて、由綺以外の登場人物はすべて「由綺から主人公を奪う」形になる。その獲得は、それ以外の多くの「喪失」を伴い、それが「切なさ炸裂!」的雰囲気をかもしだしているのだが、唯一理奈だけは例外のように思える。高橋龍也、水無月トオルが理奈シナリオを押すのも潜在的な悲劇からの逃避の様に見えなくもない。何しろ今回のゲームは「他人の仕事」なのだから。
理奈は最初webページ上のキャラ紹介でもっと嫌なヤツ、というか人間として欠陥の多い人物と想像していた。(実際、TVではさわやかそうなイメージの人物ほどその欠陥は大きい場合がある。知っている例では「織田祐二」か)性格の悪いライバル役ほどお約束で作りやすいキャラはないからだ。だが、理奈は違った。既に完成された存在だった。多少ブラコンではあるが、それが前面に出てくるのは導入部の方だけであり、「兄がプロデューサー」という設定を除けは「完成されたアイドル」である。由綺がこれから獲得しようとしているものを持っており、失っていこうとしているものを回復するという、まさに対極の存在なのである。理奈が攻略の対象でなければ、由綺は同じ位置に向かうべきライバルなのだが、攻略対象になったことでシーソーの両極になるわけである。これが逆に「兄がプロデューサー」の普通の少女だと、扱いはかなり難しくなったと思う。
繰り返していうが、理奈は完成された存在である。それはアイドル・芸能人として完成されているということである。完成された人間なんていない。だが、理奈はそれでも完成された方の人間といえよう。俺はよく、人生をテトリス・ゲームにたとえる。時間がたつとブロックがつみあがってゆく。ただ、ブロックはへたくそに積み上げても天井についてアップアップはしない。過去という深みへ沈んでいってくれるからだ。ブロックが埋まらなかった部分、それが人生の空白だ。へましない人はいないからだれしもが空白を持っている。ただ、たいていはうまくその後のブロックを積み上げて過去へ押し下げていくだけだ。理奈は一見、きれいに積み上げられていてもその下に普通の人が持っている部分が欠けていることを自覚している。そして、修復不可能になるまえに、ブロックを積み上げることを止めるのである。
だが、それはきれいに積み上げることをやめたのであって、誰も人生ゲームをやめることはできない。彼女はこれから主人公の投げてくるブロックを醜く積み上げてゆくことを選んだのである。ゲームが終わった時点の理奈が居る場所が彼女の人生の最高点だということに果たして何人気が付いているのかと俺は思う。
後味を悪くしていないといえば誉め言葉だが、人生の暗部から目を背けていると思うと一番チープな話ではないかとも思える。
歌は確かに理奈チャンのほうがうまいので、由綺が大賞とるエンドはないでしょ(^^;;
それにしても理奈ちゃん、自分の歌の通りのシナリオの気がする。
3.観月マナ〜成長という儀式〜
たぶん、今回のゲームの柱であるら〜・YOU先生の一番のお気に入りなのでは?(^^;
どうも最近ロリータ入ってるって噂だしねー。しかし、イベント期間が長すぎる。これでは半分自動運転だよ。このシナリオだけゲームから逸脱してVNになってる感じがしないでもないな。
マナの性格設定はやはり理奈と同様、予想とまったく違ったものであった。俺はてっきり彼女は「仮面」をつけていて、いつかそれを取ってくれるのだろうと期待しながらプレイしたのだが、それが仮面でないことに気がついたときの衝撃は大きかった。いままでやってきたいわゆる「年下キャラ」とは一線を画した「子供」の性格描写だったと思う。そうだ、いままで俺が他のゲームで見せつけられたのが典型的な「子供の仮面」だったのだ。ナチュラルな幼児性とはこのマナの性格に現れているのだ。
マナの喪失しているものは、子供が失いがちなものであり、その喪失はけして埋まることはない。悲しいことに親が子供に与えなかったものはけして子供の手で埋めることはできないのである。できるのはその「喪失」に耐えうる存在に成長する事である。今回マナは見事にそれをやってのける様子を見せて終わる。
いつもゲームが終わった後、というのを少しは考えてみる。それを考えさせるゲームは少ないのだけれど。「WHITE ALBUM」で一番明るい「その後」を期待させるのはやはり彼女だろう。
彼女のエンドを見たときは由綺の「ゆるやかな変容」に耐えて行く試練への重みではなく、すでに蝶になって飛び立っていくところを見送るようなさわやかさがある。さびしさと云うかもしれないが。そこには由綺のときとは違った「希望」ある未来を見送る感覚が残るのだった。
しかし、風邪ひきイベントの最後の方で「それ」と思わせる演出はあったけど、ちと深読みしすぎて***の**だと思っていたら実は**の**だったなんていやー、マジで騙されたよ。ここの人間関係だけはうまいなー、と思った。それなら友人の「のぶよ&いづみ」ももう少しまともな使い方はできなかったんだろうかねー。
4.澤倉美咲〜苦悩する天使〜
「君は天使だね」「は?」
俺は昔占い師の爺ィにいきなりそういわれたことがある。恋愛でにっちもさっちもいかなくなったとき、たまたま新宿の占い師にひっかかってだらしなくも俺は現在の俺の悩みを暴露してしまったのだ。そのときいわれたセリフだ。占い師曰く、占い師の半分は精神分析によるカウンセリングが仕事なのだ、といっていた。その爺さんは自分の仕事の「タネあかし」をしてくれたのだった。
で、天使の話に戻る。いわゆる、人間関係で「いいひと」であらんがために、自分の欲望を前面にだせなくなる状態、というような説明だったと思う。一応個人的に心理学や哲学を勉強していたので半端に納得させられてしまった気もする。ようするに、相手に良く思われたいと強く思うあまり「自然な状態」でいられなくなるタイプらしいのだ。俺は。
無論今は「欲望魔人」と呼ばれるほど自分に正直なのでたぶん、そんなことはない。
美咲さんをのシナリオを進めるうちに、過去のいや〜な味が口の中いっぱいに広がってゆくのを感じた。へたくそな性格の場合は、自分を防衛するために平気で人を傷付けたりできるのだが、達人になってくると、うまく自分だけ傷つけることができるようになるのだ。美咲さんはその「達人タイプ」に見えた。そして、それに徐々に気が付いてゆく主人公。徐々に自己防衛に入ってゆき、その過程で自己を犠牲にしてまで保ってきた関係を崩してゆき、他人を傷付けてゆく。そして相手の傷を感じてさらに自己を傷つけてゆく。
果てしない「喪失」。人は愚かで、どこまでも際限なく傷付き、堕ちてゆける。
このゲームには悪人なんて存在しない。だが、善人だって存在はしない。世の中は大勢の悪人になりきれない、善人になりきれない人々の群れで構成されている。だからせめて自分くらいは自分にやさしくしてやろうではないか。そう思って半生を生きてきた。
目の前で繰り広げられる、かつての自分の道化芝居に俺は耐えられなくなって、涙を流したんだと思う。
ゲームを作成したスタッフが安易な思いで、感傷を誘う手法で、わざとらしいぐらいに不器用な人間模様を描いているのだと、脳の表面はわかっていても、感情の移入をさけることができなかった。
やはり、LEAFゲーは俺にとって特別な存在だと思わせたシナリオだった。
俺はやっぱり一人が気楽でいいとは思うけど、それでも寂しいと思うこともある。
所詮、人間なのだ。
個人的にwebのキャラ紹介で一番見た目は気に入っていた美咲さん。サブキャラに徹してくれているときは控えめで寛容で、斜め下を向いてるしぐさなんて最高なんだけどね。怖くてもう一度プレイする気になれない。「思い出のアルバム」を眺めるだけにしよう
5.河島はるか〜スーパーヒーローになれなかった少女〜
くぅっ、個人的にはもうちっとキャラデを少年っぽくするか、回想で髪の伸びたはるかを出すかして欲しかった。見た目がマイナスポイントになってるのだけは俺も生き物なのでいたしかたない。
誰かがいっていた「電波系清川さん」というのは比較的正しい。電波と瑠璃子さん(ブラコン)入ってるからな。大槻ケンヂのいうところの「のほほん」キャラであろう。LEAFでは定番の設定か。だが、今回は違う。天然ではない。彼女はなるべくしてそのキャラクタの仮面をかぶったのだ。緻密で外れること無い仮面を。
世の中の隠された真実の一つに「悩みのなさそうな奴ほど深刻な悩みを抱えている」というのがある。時として事実と真実は異なるものだが、ま、それはここで語ってもしかたがない。
はるかは会話が一番楽しいキャラだった。こーゆーぼけをかましてくれる存在が俺は好きだ。彰と二人並べて、あげくに恋人の由綺も天然ボケが入っている。本当にこのメンツでだらだらと学園生活が送れたら幸せなんだろうな、と思う。不幸をうまく描くLEAFゲーは「平凡」のなかの幸福という描写もいつもながら感心させられる。(その平凡な幸福感のみを煮詰めたのが「To Heart」といえよう)
だが、子供がいつまでも子供のままでいられないように、時間は変容を生み、変容は新たな獲得と喪失を生み出しながら歯車のように回転し、人生を推し進めてゆく。そういうものだ。だから一瞬一瞬を味わいながら生きていかねばならないのだ。歯車がそのインボリュート曲線のつねに一点でもう一方の歯車と接しているように、時の一瞬・世界の一点を感じることにすべてをささげるべきなのだ、と俺は思う。
はるかは自分の人生にあった大きな「喪失」を仮面をかぶることで補完し、その喪失の拡大をうまくくいとめてきた。だが、主人公と関係を進めることによって、そのもろい補完機構が破壊されてゆく。主人公もそれを悟ってはるかの喪失を埋めるため、別の大きなものを失う決意をするのである。
彼女はいう「わたしも、スーパーヒーローになれたかな?」(いろんな意味でここはヒロインでなくて正しい)
人はときに未来にではなく過去に可能性を見るときがある。それは完全に不可能なときに「もし…だったら」という形で振り返られる。とても醜い行為だと俺は思う。だが、過去の栄光や可能性にすがりつかないと生きていけない瞬間もある。未来に漠然とした期待や希望を持って生きることも、実は同様に醜いことなんだと思う。確実に目指す方向へ向かって変化しているものだけが美しい存在であって、ある一点に止まろうとすることは過去を見ても未来を見ても美しくないのだ。一瞬の今を見据えて絶えず変化を続けることが正しいのだと俺は信じる。
はるかは兄の死以後、髪を切り、その直後に止まり続けた少女の形骸だ。
なんのきっかけがあるじゃなし。時間が彼女を変え、主人公がそれを手伝っただけなのだ。だからこのシナリオは美しい。止まることを止め、進みだした人間の物語だからだ。
マナの「成長」とはちょっとちがう。成長は儀式だが、変容は意志の力でなされるものだから。
6.篠塚弥生〜結晶する愛情〜
その老サイボーグは言った。
「『機関拳』の極意とは、回る機械に同調しきる事…機械は死を恐れぬ!」
「人間とて分子機械にすぎぬ。不完全な機械…それが人間じゃ」
「機械に情愛はいらぬ…」
(『銃夢』木城ゆきと著 第4巻より)
ある男が俺に言った。
「つまりですね、u-kiさん、あなたは『りかちゃん電話』を相手に泣いたり笑ったり、あまつさえ射精したりしてるわけですよ」
そうだ。確かに。サイバーで、パンクで、ディック的でバロウズで、下品さではバラードな世界に俺は生きている。自らの意志によって。
社会とか、会社とか、人間が複数でうごめきあってる場合、人は限りなく歯車に近づく。機械なんてもんじゃない。部品だ。そして部品は考えない。考える部品があったとすればそれは欠陥品だ。ゆえに人間は不完全な機械部品なのだ、と俺は思う。
考える事、思い煩うこと、それが人間の証だ。
感情を表面に出すことが人間の証ではない。ファイブスターのアマテラスの様に、喜怒哀楽は「条件反射」で出すことも可能。この種の反応の鈍い人もいる。弥生さんはその典型だ。見ようによっては彼女は激情の人にも見える。
俺も昔は感情をうまく外に出せなかった。人間同士のコミュニケーションインターフェース不良、というやつだ。出すのが苦手な奴は受けるのも苦手だ。だから俺は昔、態度で示すことができなかった。言葉だけを頼りにした。そう。言葉ほどインチキなものはないというのに。
初めてweb上の紹介を読んだとき、「たとえるなら機械」のコメントは比喩だと思っていた。だが実はその言葉通りの設定で弥生さんは登場し、行動した。
サブキャラの時の彼女はそれこそ不可解きわまりない存在だったが、それは人間が理解不能のものを排除するという自然な行為からでた印象であって、実際弥生さんエンドを見たとき、人間の悲しいまでの機械的な反応を−理解不能のものを拒絶してしまうことも−理解したのだ。お笑いだ。機械にあこがれいた人間が自分の機械的な部分を機械(プログラム)に悟らされたのだから。ここは自分で「紅孔雀」という作品を書いてわかっていたつもりなのに。
そして、とどめのセリフ、「彼女が自分を愛さない。ように自分も彼女を愛さない」愛情を欲していてうまくいかないものの、悲しい言い訳である。「好きだと言えないくせして、子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる」という岡村靖幸の詩のような、そんな稚拙な愛の表現。エロゲーでそんなもの見せてもらうことになろうとは思っていなかった。
そして自問。「誰もオレを愛してくれなかったように、俺も誰も愛さない」そんなセリフをいったい何度つぶやいてきたのだろう。そう、失恋のたびに。
このゲームの弥生さんと主人公は違う。由綺という求心力にもてあそばれた、もっと複雑で、大人の愚痴なのだ。
「機械に情愛はいらぬ…」
これは機械が情愛を持たない、不要だという言葉だが、俺には「機械に対して情愛を持つな」という風にも聞こえる。果たしてそうだろうか?俺がパソコンなんていう機械に対してこんなに熱くなっているのは「愛」以外のなにものでもないのではないか?
7.魅力的なサブキャラたち
七瀬 彰
俺はAKIRAだ、君の仲間だ。(ただし美咲さん攻略時以外)
結構ミステリーに関してはいい趣味してるよな。俺は小学生で乱歩、中学生で横溝、卒業しちゃったけどな。EQとか買う金がないっていってんのかな?俺もSFマガジン、学生の時は図書館で読んでたもんな。日本人作家の特集のときとかやっぱ買いたくないよな。そーだ、ミステリやめてSF読みなさい、SF。そうすれば美咲さんの「漢字一文字」のシナリオとかにもっと助言できるぞ。
全然関係ないが、「ゼラズニィとか好きなんだけど」とかゆー女がいたら絶対に手をだすぞ、俺は!!
8.最後の最後に…
オープニングの「WHITE ALBUM」もいい歌ですが、やはりエンディングの「POWDER SNOW」が俺的には超絶感涙モノDeath。特に後半紹介の3人のエンド後では涙なしには聞けません。ああぁ、さすが元音楽集団LEAFですな。思わず学生時代に書いた自分の作品読みたくなってきちゃったよ。
といいつつ、MDに落とした「POWDER SNOW」を聴きながら眠る....