ゆうきのスタンドなエッセイ

##オレなら空から攻めるね・・・


これで何度目だ?ガオガイガーの最終回を見るのは・・・

涙で視界がにじみ、眠気で意識が朦朧とするなか、俺は考えを巡らせてみた。本日4回目。本放送で見ているから通算では5回目か。放映が終了した今、俺は最後の勇者シリーズ『ガオガイガー』を全話通して見ているのだった。
「ガオガイガーはエヴァの影響でリアルな描写を持った勇者シリーズとなった」みたいなことをよく聞くがそれはエヴァがよくできたアニメでガオガイガーがそれの2匹目のどじょうを狙って大成功したって意味に聞こえるけど、本当はもっとちがうんじゃないのか?と俺は思う。ガオガイガーはエヴァなんかとは全然違うもっと「正統派なロボットモノ」なのだ、と俺は声を大にして言いたい。
エヴァはロボットものではない!これをまず言っておきたい。数々の関連図書を呼んでもらえればわかる事だが、もともとSF集団であるガイナックスの「特撮モノ」への執拗なオマージュ、それがエヴァンゲリオンなのであり、彼らがそれを特撮ではなくアニメでやったことが単に真新しいものに映ったにすぎない。作品全体が維新的ではあったが、ロボットモノとしてはなんら持ち味を出していなかったことをみんな思い出せないだけなのだと思う。ガンダム以降、人型ロボットは人間が乗って武器を持って闘うスタイルが定着した。確かにエヴァはポジトロンライフルを打ったけど、あれは標準装備でも必殺武器でもなかったのだ。現代の科学ではスペシウム光線を簡単に人造人間から発射させる仕組みを考えられなかっただけのことだ。
正義とか勇気とか愛だとか、王者だとか勇者だとか怒りだとか、そんなもので昔のロボットアニメの主題歌は埋め尽くされている。そして作品世界もその主題歌に負けることなくそういったテーマで埋め尽くされていたのだ。それを破ったのが富野監督率いるサンライズロボットものである。なにより初めに勧善懲悪というテーマを打ち破ったリアルなシナリオ。雑誌(コミック「ボンボン」を含む)を読まないとわからない複雑な裏設定。登場人物たちはぶつぶつと独り言をいって作品世界の説明を行い、勝手に納得する。当時そういう形式が真新しいものであり、またオタクが受け入れたのも事実だ。だがそれも何年も繰り返すうちに新しいものから慣習になりさがってしまったのだ。僕らの世代は知っているはずだ。正義のロボットは世界に1体しかなく、彼は悪い奴等から僕らの世界を救うためだけに闘っているのだ。けして戦争の道具ではなかった。
ガオガイガーがマシン・クラッツを使った時点でもはや俺の敗北は決定していたのかもしれない。第16話で80cm列車砲グスタフが登場した時点でザレムは落ちていたのかもしれないし、原種がピラミッドと合体した時点で大鉄人17はネッシーロボにグラビトンを発射すべきだったのかもしれない。腹にライオンが付いている時点でダルタニアスの内容がザンボット3に酷似していたことを思い出せる者はもはやこの世にいないだろうと想像し、それに比べてライオンが5体合体するアニメは「GIVE UP せい!」と敵に降伏勧告をせまる主題歌を持っていたんだなどと感心してしまうわけである。なんかややこしくなったが、ガオガイガーが俺的にすばらしい破壊的魅力満載の作品だというわけだ。主人公は変身サイボーグだしー。タカラもわざとやってるとしか思えませんな。また、獅子王凱が赤いたてがみを持っているといことでメガロマンを思い出した俺だが、作品中でその動きをさせているとはまったく驚いた。さらに、シリーズ後半、出現した崩壊するGGGの姿に俺はウルトラマン・レオの円盤生物篇を思い出し、ぼろぼろにやられたガオガイガーの前に登場したキングジェイダーの姿にグレートマジンガーの姿を確実に見たのだ。やつら(制作サイド)は明らかに狙ってやっているのだ。 最終決戦で出てくる出てくる、過去に見た演出が。ウルトラセブン、ガッチャマンファイター、ガンダムのア・バオア・クー戦、わざとやっているのかいないのか。俺はたぶん俺と同じ世代の人間が作り手にまわっている以上、やはり作為的に色々な過去の作品のメタファーを自分の作品にぶち込むということを我慢できないのではないか?と思うのである。
「どーせこんなんわかるやつはいねー」と思って埋め込むこと自体楽しいが、それがわかってもらえた場合というのはなおうれしいものである。誰も気付くことがなくとも自分は分かっている、というのもなお楽しいものだ。荒木飛呂彦や萩原一至がキャラクタや技の名前にロックシンガーやそのアルバムの名を持ってくる事にこのような喜びがかくされているのか、あるいは単に「作業」として行っているのかはわからない。ただ、銃夢で「ラジオ・ケイオス」を持ち出した木城ゆきとの心情は明らかにこの「メタファー埋め込み」の心情であると俺は確信する。
Zガンダムでハンブラビが電撃攻撃を行う。見ていた者のなかには「モビルスーツのコックピットに絶縁材を使わないのはなぜだ?」などと文句をたれたものもいるようだが、マジンガーZを見て育った作り手は「ロボットに電撃を加えてパイロットがしびれる」というのは「常識」なのだ。科学的に考えればおかしいが、これはロボットアニメなのだから当然だ、という意図でやられている効果なのだ。ロケットパンチやライダーキックを伝統芸能のように思っているだろう。そう、そのとおりだ。だが、それが回ったり刃がついただけで僕らはどきどきしたことを覚えているだろうか?ガオガイガーのメイン武器、ブロークン・マグナムがロケットパンチであることに気が付くのに少し時間がかかってしまった自分が俺は許せなかった。そういうわけで最後の勇者シリーズと銘打たれたガオガイガー、これを俺は正確にマジンガーZの後継者として認定したいのだ。マジンガーZとガオガイガーを平等に比較できる世代という意味で我々の世代は今日非常に恵まれているのかもしれない。
マジンガーZの力では明らかに勝てない敵が出現したとき、おちゃらけキャラだったはずの兜甲児は涙を流して闘うのが怖いと告白した。だが、彼はマジンガーに乗って出撃した。俺はあの時の感動を今も忘れない。お前らは忘れているんだ、昔見ていたロボットアニメを。すっかりサンライズ漬けになってただけなんだ。だから比較するもんをエヴァにもっていっちまってる、それだけんなんだよ。ね、おたくの諸君!
でも、ここまで言っといてなんだけど、後半の原種篇では明らかに「トップをねらえ!」の演出が見て取れる。ガオガイガーを見て感動出来るのはトップをねらえ!が感動できる作品だったことの裏付けに他ならない。NHKのアニメプロデューサーがトップを見て感動し、ガイナックスに仕事を依頼したという話は有名だ。で、彼らは自己満足のできる作品を国営放送で流すことには成功したが、人を感動させるアニメを公の電波で流す事には成功しなかった。ガオガイガーのスタッフはけして新しいことをやっているわけではない。だが、感動ある作品を公の電波に流す、ということには成功したのだ。
というわけで、またガオガイガーのビデオを見る。続けてみると、勇者の諸君はゲームセンターあらしのスーパーノヴァと同じくらい「死ぬはずの行為を行って生きている」ことに気が付くんだけど、毎回毎回がそんなつっ込みを忘れさせるほど熱いノリなんだよなー。ボルフォッグはダンディだし、キングジェイダーは巨大なくせに口が動くし、マモルくんはいつもけなげで、思わずお涙頂戴しちゃうし・・・おっと、なんだかとりとめがなくなってきたのでこのへんで終わる。俺はエヴァが嫌いなんじゃないよ、なんでもエヴァを引き合いに出す発想の貧困な人が嫌いなだけだよ。
さぁ、みんなも我らの最強勇者ロボ軍団を応援しよう!
(って、今更遅いか・・・)