貸し債券取り引き市場の実務
光源氏の
ぼくはジャガーだ!
by タヌキ・ユーキ
「くっそーッ!ウナギめ!ウナギめッ!わたしは忘れんぞーッ!必ず帰ってきておまえを討つッ!」
凛々しい顔立ちの若武者は光の渦に飲み込まれていった。
本八幡にある『カフェ・ド・ジャガー』は何時もながらの退屈で活気のない雰囲気であった。店内に飾ってある『ジャガー』の写真が物悲しさをいっそうかもしだしている。
特撮ものの主人公をやっていた人が引退して喫茶店を開き、店内に自分の演じていたヒーローの写真を飾っておくというのはよくあることである。ここの店長もかつては『ジャガー』というヒーローをやっていた。自分で勝手に作ったヒーローだが、千葉テレビに週一回5分間のコーナーを設けて歌っていたし、人気絶頂時にはメジャー局の子供向け番組『バホバホチャンネル』にレギュラー出演していた。
彼はもともと金持ちボンボンオタッキーだったのだが、この喫茶店はちょうど人気絶頂の頃、勢いで作ったものだった。しかしこの店が客で賑わったのはほんの一時ですぐに今と変わらぬ寂れた店になったのである。
「ああ、いつもながら暇なことだな」
店長である兵藤幸一はカウンターで大きく伸びをした。
キイイイイイィィィィィ…
「ン、何の音だ?」
キョロキョロしているとカウンターの正面の空間に光の渦が現れ始めた。
「おおっ?何事だ?!」
カウンターに飛び乗り、光の渦に顔を寄せる。
渦はしだいに大きくなる。
渦の中から何やら黒い塊が姿を現す。それはやがて鎧武者の姿となってドサリと床に落ちた。
「な、なんじゃあこりゃあ、おい?」
その日を境に店長の退屈な日々は終りを告げるのである。
うう〜ん、と唸りながら若者は目覚めた。鎧は脱がされており、かわりに青い縦縞の白いパジャマを身にまとっている。若者の顔は濡れタオルで綺麗に拭われていたものの、その頭髪は枯れ草や土埃で汚れ、髷もほどけてぼうぼうと荒れ放題だった。すらりと通った鼻筋と、キリッとした濃い眉、切れ長の目をもったその若者は自分の周囲を見回し混乱した。自分は一体どうなったものか。ここは何処なのか。何時なのか。そして…自分は一体何者なのか。
上体を起こした彼を見て店長は近付いていった。
「よう、気がついたな」
若者はけげんそうな顔付きでこちらを凝視している。
「心配しなくてもいいぞ。おれはおまえの味方だ」
若者は目でうなずいた。そして自分を指して「おまえ」兵藤を指して「おれ」。
−なんだこいつ、カッコもいかれてるが、おつむもきてるのか?
兵藤はかぶりを振って、
「違う。おれは兵藤幸一。おまえの名前は?」
若者は腕組みして考えだした。
――おまえは…おれだ。おれは…おれ。うん。そうだお れはまた違う『時』へ飛ばされてしまったのか。
彼は超感覚で考え超感覚で話す。この時代を読み取る。
「おれのナメエ。…おれの名…ゲンジ…ゲンジロウ」
「源次郎…よかった。なんとか話しは通じるみたいだな」
兵藤はニコリと笑った。源次郎もつられて笑った。
「…なんとか…」
それから兵藤は源次郎の世話をかいがいしくやいた。彼が持ってきた、不可思議で、冒険と非日常を与えてくれそうなにおいを感じていたからかもしれない。
源次郎は初め、言葉をあまり理解していないようだったが見る見る言葉や知識を吸収していった。
そしてポツリポツリとだが自分のことを話すようになった。
良くは覚えていないが、彼は時を越えてやってきたのだという。それが事実とするのなら彼は戦国時代からやってきたタイムトラヴェラーということになる。
その時代の相当な力を持つ武将の小姓から才能を発揮してその人物の片腕に出世したのだという。
彼は宿敵と戦っており、その敵の罠に落ちて時を飛び越えてしまったらしいのだ。
それはある日のことだった。
「昼は店屋物でも食べるか。源次郎、おまえ鰻好きか?」
「ウ、…ウ・ナ・ギ…?」
源次郎は頭を抱え込んだ。
「オオオオッ!そうだ!ウナギだ!僕の敵はウナギだ!」
「ウナギだあ?…まったく源次郎、おまえの敵ってのはいったい何者なんだ?あのニュルニュルした鰻の親玉だっていうのか」
「わからない。…でも…ウナギなんです。とてつもなく強くて、暗くて、巨大な奴なのです」
確かなことは何一つ覚えていない。しかしその事を考えただけで、自分の中に怒りと闘志の炎がごうごうと燃えたぎってくるのを感じるのだ。
その時、『ミュージックベストヒット』という番組にピカル*ゲンジという若輩7人のアイドル・グループが出現した。歌唱力も知能もゼロのくせにルックスと斬新奇抜なモンキーダンスで人気絶頂だという。困った世の中になったものである。
司会のクメ・ピロチと玉柳哲子が声を張り上げる。
「ピカル*ゲンヂのみなさ ーん!」
その声にピクリと源次郎は反応した。
「どした、源次郎?」
「店長……ぼくの本当の名前…光る・源氏…光るの君…ミナモト…・」
それきり源次郎は額に手をやり、うーんと唸ってしまった。
「なにィ!光るの君?…オメーそれじゃあ、『源氏物語』の光源氏はオメーだってーのかい、ウッソだろぉ」
光源氏は実在する。
本名は定かではない。『光の君』というのは、彼の輝かんばかりの美しさを称えて謎の高麗人が愛でてつけたのだという。
物語中で彼は天皇の第二皇子として誕生し、第一皇子を守るための右大臣側の工作によって源氏姓を賜り、臣籍に下る。貴種流離譚にありがちな出だしだが当時こういったことは頻繁に行われていたのである。モデルとして考えられる人物が何人かいる。醍醐天皇の第十七子である源 高明、桓武天皇の孫である在原行平、業平、小野 篁などである。このうち前二者のどちらかである可能性が高い。ちなみに源 高明は筑紫へ、在原行平は須磨へ配流されている。
(藤本 泉 著:『源氏物語99の謎』より)
しかし光源氏はそのいずれでもないのだ。
何故なら彼は今、現代にいるのだから…。
源次郎は結局何も思い出せなかった。
「いいじゃんねえか、お前のこの時代での名前は源次郎でよ」
「ええ…そうですね…でもそれはこの前にいたところで付けてもらった名前なんです」
彼はもっと時代にあった名前がほしいというニュアンスを込めた。
「よし…もっと粋な名前をおれがつけてやる。…うん、『源氏』っていうのがいいな。姓じゃなくて名前だ。…よし、お前の名前は『光・源氏』だ!」
兵藤は少年マンデー連最中の『BABA!』という漫画の主人公の名前から取ったというのにたいした口のききようであった。
「光・源氏…か…」
新しい名を源氏は噛み締めていた。
源氏は知識を得るために勉学に励んだ。特に歴史と古文である。そこには自分を知る、過去を思いださせる何かの手掛かりがあるかも知れなかったからである。
しかし、現代の感覚に馴染んでしまった彼にとって、かつて実際に自分がいたという過去の世界を文献だけから思い出そうというのは困難なことになっていた。
彼の人生のすべてはほぼ忠実に源氏物語の中に描かれているが、物語の大半は彼がその時代に戻り、これから経験することなのであった。
居間の壁に石で出来た奇妙な仮面があった。その額には真っ赤な石がはめ込んである。源氏はしばしばその仮面に注意を引かれることがあった。いや、その石に。
なにげなく触れてみる。
「その仮面はメキシコの遺跡から発掘されたものだよ」
「すみません、かってにさわったりして」
「いやいやかまわんよ。大して価値のあるものじゃない。父が古美術の趣味があってね、赤い石は宝石ではないんだがね…名前がある」
「?なんと」
「ジャガーの目だ」
兵藤はやや力を込めていった。
「その仮面の裏を見てごらん。千年ほど昔に…きみがいたころかな…アステカ文明というのがあってね、そこの文字が刻まれている。その文明には『ケツアルクァトル』という英雄の戦いの伝説があってね。これはその悪役の祭仮面らしいんだ」
「へぇ…それで『ジャガー』っていう名前をとったんですか?」
「それもあるが、昔やってた『豹の眼』という番組が好きでね、そこからとったんだ」
そんなものをしっているとはここの店長もそうとうの特撮オタクである。ケイブ社の『全怪獣怪人大百科』のリバイバルをよろこんでいる一人だろう。
「仮面に興味があるかね?」
「いえ、ぜんぜん」
源氏は仮面を元に戻した。
−ジャガー…ジャ…ガ…どこかで…。
その時、赤石がかすかな光を帯びていたことに二人は気づかない。
いつの間にか『カフェ・ド・ジャガー』は人のにぎわう活気ある店に変わっていた。源氏が店に立つようになったおかげである。
平安時代の美男子はきょうびの女どもにも共通の魅力をもっているらしい。彼はこの町でも評判の色男となり、女の子が集まりだし、やがてその女の子目当てに男の客も増えていった。
源氏もしだいにおのが宿命を忘れていった。
「ねえねえ、お兄さん。『ジャガー』って知ってる?」
近くの高校にかよう常連の女子校生グループの一人が源氏に聞いた。
「ああ、そこの写真。…つまり店長のことでしょ」
「ちっがうわよぉ」
クスクス。
「今、巷で噂の本物のヒーローのことよ」
「なんだって?」
話を聞けば、なんでも『ジャガー』と名乗る快人が痴漢を撃退したり、コソ泥をつかまえたりと深夜パトロールを行い実にささやかな正義を行っていると言うのだ。 新聞の『読者パラダイス』のコーナーは「ありがとうジャガー」、「ジャガーさんぜひうちの婿に」、「私はジャガーにぞっこん」などと言った記事で埋まっていた。千葉テレビニュースでも『どこの誰かは知らないけれど誰もが皆知っている謎のヒーロー、ジャガー特集』というのをやる始末である。
「店長、まさかこれ、店長がやってるんじゃ無いでしょうね」
「バカモン!おれはこいつに頭にきてるんだぞ、『ジャガー』はおれの専売特許だ!」
クッキーッ!と兵藤はエプロンを噛んだ。
『次のニュースです。東西証券部長が客の株を私的に利用、18億円近い損失を出し、客の一人が自殺していたことが昨日明らかになりました。調べによると…』
「やれやれ…財テク、円高もここまでくると恐ろしいねえ。次にジャガーが現れるのは兜町かもよ」
画面には『記者会見の席で陳謝する右柳専務』が映しだされている。
−?!、右柳…ウナギとも読めるな…
源氏の『敵』に対する鋭い嗅覚が働いていた。
源氏は夢を見た。
美しい娘がいた。
彼女は自分は夕顔の花のような女だといっていた。荒れ放題の軒の下、一面に咲き乱れる夕顔。濃い夕露のあの日、二人で着物の裾がぐっしょりになるまで物語したのだった。そしてその夜…
黒い霧。邪悪の嵐。
おおお、おおおお…
そして彼女は徐々に冷たくなってゆく。
死ぬな!死なないでおくれ、愛しい人よ。君はまだ名前だって聞かせてくれないじゃないか!
「死ぬな!夕顔の!」
ガバリ、と源氏は飛び起きた。汗でグッショリだった。
カチカチという時計の音がやけに良く響いた。
その夜の東西証券本社ビルの明りは先のスキャンダルにかすかに震えているようだった。
「…いいな、明日中に処理してくれたまえ。たのむぞ」
電話を切ると右柳専務はフウ、と溜め息を着きソファに身を沈めた。だがやがて、ビクッビクッと痙攣したように震え始める。それはクックッという笑いを押さえているためだった。
「ハーッハッハー、人間どもの悲しみというのはなんとも心地良いものだな!」
声色が濁ったものに変わっている。
「次は債券先物取引によってNTTに一兆円の大損害を出させてやる。『タテホ・ショック』の数倍、いや数百倍のショックをあたえ何千万という人間を不幸と絶望のどん底にたたき落としてくれよう…今度の貸し債券市場は地獄になるぞ…フフフフ…」
『タテホショック』とは、昭和六十二年九月にタテホ化学工業が債券先物取引によって二百八十億円もの損失を出したことが判明したために債券、株、両市場が急落。外国為替、海外債券市場にまで大きなショックをあたえたことである。今や日本の債券市場がいかに内外の金融証券市場と深く絡み合っているかを示す実例である。
うひょ〜ほほほ…。その時響き渡る不気味な笑い声。
「むっ、なんだ?盛りのついた猫の鳴き声か」
右柳の声は元に戻っている。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。悪を倒せと俺を呼ぶ」
窓ガラスに映る姿!
「正義の仮面、ジャガー参上ォ!」
ガキューン!と窓ガラスを破って侵入してくる豹仮面の戦士。その仮面は兵藤家の居間に飾ってあったものとまったく同じ物だった。
「バ、バカな!ここは7階だぞ」
「ジョニー小倉だって7階から落ちて平気だったのだ。ましてやジャガーにとってこれは不可能ではない!」
いっておくがジョニーは無事ではなかった。4階に引っ掛かり奇跡的に助かったのだ。まあ、どうでもいいが。
「貴様の邪悪な企み、とくと聞かせてもらったぞ!悪魔の使徒め、この正義のジャガーが成敗してくれる!」
「このチンボコ野郎!だまってりゃいい気になってべえらべえらと、ずに乗るんじゃねえ!」
右柳の声は変わり、髪も怪しげにわさわさと波打っている。そして彼の瞳は…今や金色に光る楕円になっていた。
「何ものかは知らんが気に食わぬ…死ねッ!」
その時、右柳の体から黒い霧が出たとジャガーは感じた。凄まじい衝撃がジャガーを襲い、壁に叩きつけ、めり込ませた。
ジャガーの口からゴボゴボと血が溢れ出す。
「とどめを喰らわせてやろう」
ジャガーの心臓めがけ手刀が繰り出される!
バン!と扉が開き矢のような勢いの切っ先が右柳の腕を切り落とした!
「ぐおおおおおおおっ!ぎっざまーッ!」
源氏であった。
彼はジャガーを担ぐと刀で右柳を牽制しつつ、退室しようとした。
「待でッ!」
黒い霧が扉を閉めた。源氏が体当たりしてもビクともしない。
「殺じでやるッ!」
右柳の切り落とされた右腕からはどす黒い血がアメーバの仮足のようにぶるぶると蠢いていた。
右柳は人間ではないのか?!
源氏は青眼に構え、なにやら念仏を唱え始める。すると黒い霧は源氏の周りに近付けなくなった。
「おおっ、貴様には私の力が通用しないようだな!」
源氏は刀身に『氣』を集中させ、『力』の刃を作った。そして右柳に向け一振りした。
『力』は『黒い力』をかき分け、敵の眉間を傷付けた。 源氏は瞬時に反転し、刀で扉を破砕した。そしてジャガーを担いでダッシュした。
やがてジャガーはううん、と呻いた。
「大丈夫ですか、店長」
「…ん…ああ、歩けるよ、源氏」
ジャガーは自分の足で立ち、源氏の肩をにつかまりながら歩いた。
面を外すとそこには兵藤の顔があった。
「おれはいったい…どうしちまったんだ…」
「その仮面の力に操られ、敵の所へ導かれてきたのです」
「敵?…敵ってのは?」
「ウナギです」
「源氏…おまえのいうウナギってのは一体…」
「悪の力そのものです」
ウ・ナ・ギ。
それは太古の昔より人類の宿敵であった。
古事記には『宇薙』、日本書紀には『難魏羅』と記されており、リグ・ヴェーダでは『ヴーナリラ』という黒い龍として記されている。また、ヘブライ語には悪の天使という意味の『ウ・ナーギ』という言葉がある。
ウ・ナ・ギとはいったい何ものなのか。
それは悪の宇宙意思。エネルギーのみの生命体。遥かなる宇宙の果てよりやってきた生あるものの負の精神を糧として生きてきた一族。
インカ、アステカに降りてきた血を好む神々。
平安京エイリアンもそうだったという。
(東京大学コンピュータクラブ編:『平安京エイリアン高得点法』より)
彼等は生命の肉体を乗っ取り、操り、変化させる。
彼等は人の形ではなく手も足もない蛇のような形を好んだ。蛇神や龍神、邪神の伝説の主人公のすべてが彼等の化身であった。
彼等は暗く、冷たい海を好んだ。そしてクラーケン、シーサーペント、海坊主などの伝説を残した。
悪魔。
血の歴史の影にはいつも彼等の力があった。そして現代もなお…
「僕は千年前、奴等の中でも特に強力な奴と遭遇しました。そして…目の前で愛しい女性を殺され、また僕自身も死にそうになりました。…その時僕はある正義の力を授かったのです。奴等とはまるで正反対の…。そしてそいつと見えるたび、卑劣かつ狡猾な奴の罠 ―強力な奴は時間に狭間を作るのです―それにはまり、数百年ごとに時代をさすらってきました。きっと千年たった今も奴は生きているはずです。右柳は奴等の一族です。しかし僕が追っている奴ではないかのしれません…」
「なるほどな…ところで、おれはこの仮面に操られてここへやってきた。おまえはこの仮面を知っているな」
「ええ、それは千年前、僕の…」
そういいかけたとき、前に女性が立ち塞がった。
「そいつには私の一部が入り込んで操っている。傀儡だ」
背後には右柳が!
右柳に刃を向けた時、OLにはがいじめにされてしまった。
「ただの人間を…切れるか、キ・レ・ル・カ、兄ちゃん」
右柳の不定形な右腕がウジュルウジュルと蠢き、槍のように鋭く伸びた!
ドズゥッ!!!
槍は源氏をかばって間に入った兵藤を貫いていた。
ドクドクと溢れ出る血の色は、突き出た突起物よりも鮮烈な赤だった。
「うっ…うわあああああああっ!店長ォーッ!」
「チッ、とんだところで邪魔がはいったぜ」
右柳は触手を引っ込めた。
「…ゲ…ゲンジよ…」
くずおれゆく兵藤の体を源氏は体で受け止めた。
「店長ォ、」
泣き出しそうな顔で源氏は兵藤の手を握った。
「こ…この仮面はよお…お…おめえにやるぜ…たった今から、おまえが『ジャガー』…だ、」
震える手で源氏に仮面を手渡す。
兵藤幸一は絶命した。
「人間は弱いのー、うまい。うまいのー。死んだ人間の魂ってのはよー」
怒りにブルブルとうち震える源氏。
「どーしてだ。どーしておまえの憎しみは、悲しみは、私の物にならんのだ?」
「…今教えてやるぞ!その答えをな!」
源氏は兵藤の血が塗りたくられた石仮面を顔にはめ込んだ。額にはめ込まれた赤石が輝いた!
ファッゴオオオオオオオッ!
はがいじめにしていたOLが弾き飛ばされる。
赤い光が源氏の全身を覆い、変身させる。
真っ白な肉の鎧。豹の頭。白い顎の房毛は彼の豹頭をライオン丸の様に見せた。
「おおお…まさか、そんな…貴様は…おお、まさか!」
完全に変身を終了したそれの体からはわずかに湯気が立ち上ぼっている。
「きっ、キッサマ何者?!」
ギイイィィンと瞳が輝く。
「…ぼくは…
…ぼくは…
ぼくはジャガーだーッ!」
そいつに触れることは『死』を意味する。
武装現象ッ!(アームド・フェノメノン)
そう、その姿は古代アステカ伝説の戦闘神の物だった。
邪悪で強靭な生命体、ウ・ナ・ギ。
だが彼等にも宿敵とするものが存在した。
まるで正反対の性質――善の心を持った正義の生命体。
それとの長く果てしないバトルの結果、ウ・ナ・ギ達はこの様な銀河系の果てにまで逃れてきたのだ。
歴史上の大流血の原因のほとんどがウナギの仕業であり、そして本来ならばさらに起きていたであろう多くの惨劇を阻止してきた一族。彼等はこう呼ばれた。
蛇狩尊。そう、邪狩命と。
「おおぉ…まだジャガーの一族が生き残っていたとは…意外ッ!」
「ぼくは貴様らを根絶すべく時空を越えてやってきたのだ。一つだけ聞く。貴様はかつて『ウイツィロポチトリ』を名のっていたものか?」
「残念ながら違うな…あの御方は今、すばらしい計画を進めておられる。千年前、ジャガー達に封じ込められたウナギ達が復活するのだ。わしは人間だったがあの御方に忠誠を誓った。だから…キサマヲコロスッ!」
クイクイと触手を動かすと床に倒れていたOLがムクリと起き上がった。気が付いてみれば、廊下には怪しい目の輝きをした人間でいっぱいだった。
「おまえの相手はそいつらがしてくれる。生身の人間相手にどうでるね、『ケツアルクァトル』?」
「今は『ジャガー』だ。…まったく他人を操るしか能のない下衆なウナギだぜ」
そう吐き捨てると、ジャガーは刀身を垂直に立て、何やらぶつぶつと念仏を唱え始めた。
一斉に襲いかかる右柳の傀儡達。
「おおおおっ!梵波唖ーッ!」
カッ!とジャガーの全身から眩い聖光が迸り、全員雷に打たれたようにしなしなと倒れた。
「ぢっぐっじょーッ!」
右柳はバリバリと黒い巨大な鰻へと変化していった!
「フン、やっと正体をさらけ出したな!」
倒れ伏した人々の口からもにゅーっと黒い鰻状の物体が伸びだしジャガーに飛びかかる!
「ぐだばりやがれっ!」
ジャガーは再び刃に意識を集中した。
「…阿ーッ、阿ーッ、南無惨打ァーッ!
くらえ、足利尊氏直伝!究極須丹道奥義!」
死 羅 苦 !
降り下ろした刀身より光の拳が無数に飛びだし、ウナギどもを滅多打ちにするッ!
ウッギィィヤァァァーッッ!
ウナギは木っ端みじんに砕け散った。
日本には古武術と呼ばれる日本独自の格闘奥義が各地に存在している。骨法、波紋法などが有名であるが、流球武術の空手道のように世に広く受け入れられスポーツ化したものもある。
しかし、あまりに危険な殺人技のため時の将軍によって禁じ手とされていたものもあった。
須丹道がそうである。
須丹道とは?
創始者はかの有名な陰陽道師、安部晴明であったとされる。その極意は氣巧や他の武術と同じ用に心氣を丹田(へその下)に収めることにある。これにより、チャクラを解放させ、心氣を刀身より凝縮、放出させる事ができるのだという。そしてその心氣を陰陽道の式呪術の応用により自己の意思で自在に操ることができるようになって始めて『須丹道使い』とよばれるのだという。
歴史上もっとも優れていたという『須丹道使い』は足利尊氏で、彼の人生は戦いに継ぐ毎日であったが、負け知らずの高氏(尊氏は天皇より賜った)とよばれ、ついに室町幕府を開くにいたったのはこの奥義を極めたからと言われる。信仰心の強い彼は天龍寺、安国寺を建立。菩提樹の下で「あー、あー、なむさんだ〜」という真言を発見した。
また彼は和歌や絵を好み、歌集『等持院殿旅人百首』などがある。
彼の弟子で足利義満に仕えた蜷川進衛門が当時最大の宗教盗賊団『死ね死ね団』の賊、百人を相手に太刀回り一休宗純を守ったのは有名なエピソードである。
ちなみに、お洒落と言う意味の「洒落」が「洒落臭い」=「生意気」の意味に使われるようになったのは、この必殺技『死羅苦を身につけようとは百年早い』のシラクが誤ってシャラクに置き換えられたものである。
文献
*山路愛山著:『足利尊氏』(岩波書店)
*民明書房刊:『君にもできる!スタンド修業法』
*フレーベル児童図書:『とんちんかんちん一休さん』 より。
一つの戦いは終わった。
「あなたも僕の子孫だったのですね。店長…」
源氏は兵藤の亡骸を抱え、上る朝日を背にした。
『更級日記』には源氏物語は『五十よ帖』と記されている。だが実際には『雲隠』の巻という題名だけの巻があって五十三帖しかなく、現代では『若菜』を上下に分けて五十四帖としている。
光源氏は『夕顔』の巻で『もののけ』によって愛する夕顔を死に追いやられ、次巻『若紫』で瘧にかかった姿で登場するまでに約一年半の空白がある。
その空白を埋めるものこそ『雲隠』、すなわちウナギとの果しないバトルを綴った巻なのだ。しかし現在どこにもその巻は存在しない。なぜなら…彼は今、現代にいるのだから。
彼の数奇な運命は『雲隠』の巻にのみ記されているのだ。
1990/5/27
(『萩とゆうき Vol.12』 初出)