悦楽の時                       ことぶきゆうき 少年の頃、私は常に流行の先端だった。 他人は自分も流行を追っている一人にすぎないと思っていただろうが、決してそうでは なかった。私が好きでやっていることが流行るのだった。スーパーカーもピンクレディー も、ラジコンもTVゲームもそうだった。 また夢見がちな少年だった私は白昼から夢を見、SF小説まがいの空想に耽ることが多 かった。 そうして本屋に通うようになった。そこには私の空想に似た内容の小説なり漫画なりが 置いてあり、自分の空想の具現化を悦ぶとともにそれはおおいに自己内世界の肥料となっ た。アニメーションや特撮ヒーロー物のTVがグンと増え始めたのもそのころだった。 少年の頃はそれでも良かった。だが、思春期に入るとそのことが疎ましく感じるように なってきた。 その頃、私はちょっとした懐古趣味にはしっていた。 自分の欲しい古い資料などがタイムリーに見つかるのはよかった。しかし、そのうちに 私のささやかな楽しみはブームになり、私だけの楽しみは、私のみが有する高貴な雰囲気 は、愚かしい群衆の土足によって踏みにじられてしまうのだった。 私は『私だけ』を保持できなくなったことを悲しみ、自分の嫌う下衆どもと同一化する ことを恐れた。 そして、いつしか、心の底から悦ぶことをしらない、うわべだけのものしか求めようと しない連中と同じような状態に陥ってしまったのだ。それが自分でわかっているだけに激 しい自己嫌悪をおこしてしまったのだ。 そうして私はちょっと、精神がまいってしまった。 やがて、その心の病気が治った時、ちょっと以前とは事情が違っていることに気がつい た。私は、あの無意識のうちににじみでる、するどい『感』のような能力を失っていたの だ。失意もあったが、とりあえず安心できた。 だが失ったとはいえ、まったく消失せてしまったのではなかったのだ。物事に対する私 自身の感じ方が変わった。素直でなくなった、といえばかわいいものである。残念ながら 思春期の若者らしい心からそうなったのではないことは明らかだった。 その心にできたブラックボックスは良いものを良いと感じさせず、悪いもの、嫌なもの から無理に良いものを捜しださせようとするのだ。 かくて、私は流行からとり残された。まるっきりのけものというのも嫌だったが、あの 恐ろしい群衆との同一化から逃れられたことで安心した。 それも永くは続かなかった。美しいものを美しいと感じることができないことに、好き なことを好きといえないことに葛藤を覚え、自分の趣味──意思にそぐわぬ世間の風潮に いらだちを感じるようになった。 世の中は実に平和だった。しかしそれゆえ私は毎日が不安でしょうがなかった。いまに この平和が壊れるのではないか、と。 そして、また私の精神はまいってしまった。 私は他人を──人間を憎んだ。憎んで憎んで憎みぬいた。そして、かつて自分が純粋な 一個の塊であったことを思い、うらやんだ。 だが、もうそれもなくなった。今の私にあるのはただ、安らぎのみだ。 私は理解した。自分の能力──私の意思が、心の奥に潜む感情が、他人を、大衆を、世 界を先導していたことを。 私は白い、鉄格子のある部屋のなかで一人考える。あの愚か者どもが恐怖と絶望にから れる時には、私は至上の悦びにひたっていることだろうことを。 心のうわべでいくら世界の終わりを思っても、もはや世界に平和は訪れない。もう、私 の心の底にはどうしようもないくらいの快感が詰まっているのだから。 私は自分が再び、純粋な一つの魂の塊になりつつあることを感じつつ、眠りについた。 世界よ、さらば。 そして……こんにちは。

1988/11/30 "Delight Time"

 (『ぷちジェネシスvol.4』 初出)