小さな宇宙のひとかけら                       ことぶきゆうき 僕は今日も一日中働きづめだ。 いったい僕のすることがなんの役に立っているのかはさっぱりわからなかったけど、世 の中に働かない人はいないとか、社会のためだとか教えこまれて不本意ながらもまわりに 流されるようにして毎日あくせく働いていた。これが本当に社会のためになるのかと思い ながら。 僕は仕事であちこちかなり遠くまで出かけることが多いのだけれど、そのときよくすれ 違う白い軍の兵隊にあこがれていた。 残念ながら赤という色に統一されている僕らの社会では職業に選択の自由はなかった。 生れたその瞬間から職業が決定されてしまうのだ。 まったく、だれが決めたのかは知らないが僕は絶対に許せなかった。けれどみんなは、 まるで神様が決めたこととでも思っているのか、その定に服従しちまってまるで疑おうと もしないんだ。 もし僕がこの体制に対するグチをこぼそうものなら、それこそ同僚の連中は僕を天に向 かって唾を吐いている者として、反逆者、異常者と見なすことだろう。別にそう思われよ うと僕に実害はないのだけれど。 それぐらいまわりのやつらは現在によく適応していた。やつらは考えることを忘れちま ってるんだ。僕のようなやつは今となってはほとんど存在しないんじゃないかな。かくい う僕も不満の心は持っているものの、それをなんらかの形にできないでいる。そう、僕も 所詮は一人ではなにもできない無力な社会の一員にすぎないのだ。 今日は格別に忙しくて、僕はまさに東奔西走した。 なんでもどこかで大きな災害があって多くの同僚たちが死んだらしい。そのため僕は普 段よりせわしく動きまわらねばならなかったのだ。 僕はそんな仲間の悲報を聞くたびに自分の寿命、命について考えてしまう。 僕がこの世に生れてきたのはまったくの不本意だ。こればかりは本当に神様の仕業と思 うしかない。そしてまったく不本意な仕事につかされ、死ぬまで働きづめで、いつ死ぬか も知らされず、あるとき突然死神が現れて僕を現在から連れ去ってゆくのだ。 ああ、呪わしきは神。僕の一生は神にもて遊ばれている。僕が神に造られた神の所有物 であろうと、僕の自由を神が奪う権利はないはずだ。それなのに僕は自由のない所に存在 させられている。まったく許せない。 いったん生れちまうと死ぬのが怖くなる。これが曲者なのだ。僕は生きてゆくことには とりあえず、気にいらないことばかりでも困らないと思っているから、死について考える ことのほうが多い。 自分はいつ死ぬのか。自分が死ぬと誰が困るのか。誰が悲しんでくれるのか。本当に僕 は小心者だと思うが、人がいつ、いかなる理由で死ぬのかはわかったもんじゃない。ひょ っとすると神様だってこんな大勢の人々の命を一つ一つ管理することはできなくて、僕ら がいつ死ぬかは気まぐれな死神まかせなのかもしれない。 僕は未知の病気や敵の侵略、内乱、事故、天災、すべてを恐れた。自分がなにも悪いこ とをしてもいないのにそういった、まったく自分でどうすることもできない原因で死ぬと いうことは耐えがたいことだったのだ。 そうして僕は軍隊にあこがれた。 軍人だって病気はするし、事故にあって死ぬこともある。でも侵入してきた敵に対して だけは戦って自分の命を守ることができるのだ。自分に比べて軍人っていうのはこの点に おいてすごぶる優秀な存在だった。 もちろん敵と戦って死ぬこともあるだろう。いや、死ぬ人のほうが多いのかもしれない。 だれからか聞いたことがある。兵隊は戦って死ぬために生れてきたと。 だけど、全力で戦うということは自分の運命を自分で決定しているということにならな いだろうか。戦いに神が干渉しているとしても、その個々の戦いは彼らに与えられた運命 のわかれ道なんだ。戦うすべを持たない僕らには死への一本道しかないのに比べて、兵士 にだけは選択の余地が与えられているのだ。 彼らが死んだとしても、その死によって僕 らが救われる。そう思うと、彼らの死は生きている時の僕よりも、よっぽど社会の役に立 っている。だから僕は戦って死ぬということは他のいかなる死にも勝って価値のある死だ と思っている。 でも僕には今の人生が終わって次の人生が始まるまで戦うことはないのだ。もし生れ変 わっても兵隊に生れなかったらチャンスはまたこの次ということになってしまう。もし転 生なんてものが存在するならの話だけれど。それがないのなら、僕はたった一回きりの人 生をくだらない死に様で世をさらねばならない。 死ぬとしたらやっぱり老衰が一番かな、でも体の機能が衰えぬいて苦しんで死ぬのは嫌 だなぁ、やっぱり事故でいさぎよく即死、なぁんてのがいいかな。などと、時々くだらな いことを考えたりするけれど、いまの僕には死にかたの選択すら許されていないのだ。 しかし僕は一番良いことを思いついた。 みーんな一度に死んでしまうこと。つまりこの世の終りが来ることだ。これこそ真に平 等な死だ。 この世の終りは必ず来るだろう。それは誰もが無意識のうちに感じていることだが口に したらバカ者あつかいされることも知っている。だからだれもそのことについて論じたり はしない。たいていのやつが自分はそのときを迎える前に命を終えると思っているんだ。 僕はそのときに死ねるやつは幸せなやつなんだと思う。 僕は死ぬのが怖いくせに、なんというか、怖いものみたさでこの世が終る姿だけは見て おきたいと思った。もし自分が死んだすぐあとにその時が来たのなら、僕は世界一損なや つだ、と思う。なぜなら、僕はその時が来ても自分一人は冷静でいられるような自信がち ょっぴりあるからなんだ。まわりの連中がおののき、嘆き、さわぎたてる様を一人見下し ていられるんじゃないかって思うんだ。 ああ、でも僕はそのときまで生きてはいないだろう。世界はこんなに平和なのだから。 この広大な宇宙はいつ滅びてしまうんだろう。ぼくが死ぬのと同時に滅びてくれるなら、 それは幼い日の母の添い寝よりも安心した気持ちで世を去れるんじゃないかって気がする (もっともプラントで生れた僕の記憶は作られたものなんだろうけど、母の優しさは疑似 体験の中でも最もいい思い出として残っているんだ)。 それはある日突然に起こった。 宇宙のある所で大爆発が起こったのだ。その爆発は宇宙全体の秩序をめちゃくちゃにし てしまうだけの規模を持っていた。 僕の同僚の半分以上がその災厄の犠牲になった。僕らの社会はついに維持できないとこ ろまできてしまったらしい。僕は幸いにもこの災厄の直接の犠牲にはならなかったが、や がてこの世界が冷たい死の世界に変わる確かな感覚があった。 ついにこの世の終る時がやってきたのだった。 その世界、小宇宙たる人間は、交通事故による出血多量によって死にかかっていた。輸 血しても出血量に追いつきそうになかった。こうなっては白血球の軍隊も血小板の決死の 努力もなんの役にも立たなかった。それでも赤血球は酸素を運ばねばならなかった。 僕は苦しかったが叫び声だけはあげまいとした。自分は今、宇宙の最後に立会っている のだ。 どうせ死ぬなら世界もろとも…・そう考えたことを激しく後悔した。こんな日は永久に 来ないほうがよかったのだ。 ──やっぱり死ぬのは嫌だ!くっそー神め!神めっ!本当にいるならこの世を救ってみろ! しかし神は沈黙したままだった。 そうして30兆の体細胞の死期は近づいていった。 その人間は死の瞬間こう思っていた。 ──オレはまだ死にたくない、やりたいこともいっぱいある。くっそー神め!いるのなら なんとかいってくれ、オレを助けてくれ…・ そうして50億の人間のうちの一人が死んでいった。 ある日突然に死んでいった。 ある日突然に太陽が死んだなら、太陽系の惑星たちも50億の人類とあまたの命を道連れ に滅ぶのだろう。皆、神を呪いながら。 やがて銀河系が崩壊し、宇宙全体が崩壊する日も来るだろう。それは『神』が死ぬ時な のかもしれない。 そして『神』もいつ死ぬのかわからぬと、さらに上なるものへの呪いの言葉を吐きつつ 今日を生きているのなら、きっとその呪いの小さな小さなひとかけらが僕にちがいないの だ。

1989/3/7 "A Piece of The Cosmos"

 (『ぷちジェネシスvol.5』 初出)