1997年03月13日
題目:1997年03月10日の旅日記


 都合により、四国の某県の山奥で夕方まで仕事したあと、三重県の四日市へと行かねばならなくな
った、まったくせわしない。

 明日は朝が早いので何とか今日中に四日市に到着せねばならないが、すでに電車では到達不可能と
言う事で、飛行機で名古屋空港まで飛ぶしかなくなった。

 自慢じゃないが、私は生まれて今日までで飛行機に乗ったのは、ツアー旅行で沖縄と台湾へ行った
時の往復で計4回しかなく、ひとりで乗るのは初めてである。

 とりあえず空港のカウンターで搭乗券を買い、『搭乗待合室』と案内表示がある2階のフロアで椅
子に座って待つ事にした。

 まだ見慣れていない搭乗券を検分して見ると、『出発15分前までに搭乗待合室にお入り下さい』と
の記載があったが、いま座っている所が待合室だからここにいればいいわけで、たぶん、出発の10分
前ぐらいになったら金属探知機と搭乗改札を通って飛行機に乗るのだろう。

 金属探知機・・・。そう言えばバッグの中には簡単な工具類が入れてあり、ハイジャックに使う凶
器にちょうど手頃な物がいくつもある。

 空港のアナウンスによると、現在、ハイジャック防止を強化しているとやらで、このままバッグを
機内に持ち込もうとすればもめるのは火を見るよりも明らかだ。私は航空会社の搭乗券販売カウンタ
ーへ戻り、バッグを預けた。

 待合室に戻った私は、搭乗案内のアナウンスがあるまで小説を読んで時間を潰す事にした。

 出発30分前になって、『御搭乗の方は、搭乗待合室にお入り下さい』とのアナウンスがあったが、
それ以降は何の音沙汰もなく、私はだんだん不安になって来た。

 15分前になってもアナウンスが無いので、待ち切れなくなった私は搭乗改札へ行って見る事にした。

 ところが、搭乗改札があると思われていた入口の中にはなんと金属探知機のゲートだけがあり、係
りの女性に「航空券を見せて、ゲートをくぐって下さい」と穏やかに申し渡された。

 実は、ゲートの奥にもうひとつ部屋があり、そこが "本当の" 搭乗待合室で、私が待合室だと思っ
ていた所は、単なる出発ロビーだったのである。(^^;

 うろたえ心を隠しつつ、"搭乗待合室" の椅子に座ると、ほどなく搭乗アナウンスが聞こえて来た。
あぶねぇ〜〜〜。(^^;

 改札を通り、飛行機への搭乗通路へ出たところ、通路はやたらと下り方向に傾斜していたが、私は
気にせず機に乗り込んだ。

 乗った飛行機はマクダネル・ダグラスMD−81。ボーイング747や767にしか乗った事がな
い私は、機内の狭さに驚いた。

 見ると座席は4列しかなく、機内の印象は、路線バスの座席をリクライニング・シートに替えただ
けの旧式な観光バスと言うところだった。

 座って見ると、膝が前席の背もたれにつっかえてしまうほどの狭さであり、前席の客が背もたれを
倒さない事を祈るしかなく、とてもリラックス出来る乗り心地ではなかった。

 MD−81は、中、短距離用旅客機だから、乗り心地より乗客を詰め込む事を優先した設計になっ
ているのだろうが、こんなに狭くては身体の大きい外国人はさぞ難儀する事だろう。

 私が乗った便は、さほど混んでいなかったため窓際の席に座る事が出来たので窓から空港の風景を
見てみると、何と大雨が降っていた。

 雨ごときで飛行機が落ちるとは思わなかったし、せいぜい乗り心地が悪くなる程度であろうが、問
題は明日も雨だと仕事が途方もなくうざったくなることである。

 ともあれ、大雨の中、機はターミナルを離れ滑走路に進み出た。例によってスチュワーデスによる
救命胴衣と非常用酸素マスクの説明が始まった。

 さすがにスチュワーデスの質は、飛行機の小ささや乗り心地の悪さには関係ないようで、彼女たち
の容姿と振る舞いは洗練された美を感じさせてくれた。

 滑走路の離陸位置に着いた機はブレーキをかけたままエンジンを全開。パワーが全開となったとこ
ろでブレーキを解除。機は一気に加速し、いくらも滑走しない内にあっさり飛び上がった。さすがは
身軽な中型機。

 窓から外を見ていると、離陸してから10秒程度しか経っていないのに、地上の風景は遥か下になっ
ていた。道路が光の川のように見える。

 地道を突っ走るトラックのようにがたごと揺れながら瞬く間に雲に突入し、視界は真っ白となった。
なにやら雨粒みたいなものが川のように流れて行くのが見える。

 しばらくすると雲を抜け、機内アナウンスにあった高度6000メートル(アメリカ風に言うと高度2
万フィート)、速度800キロで水平飛行に入り、揺れは治まったが、眼下は一面、雲で覆われている
らしく真っ黒で、楽しみにしていた夜景はまったく見る事が出来なかった。

 四国から名古屋までのフライト時間は短く、空に浮いているのはせいぜい30分程度で、ひと眠りす
る間もなく名古屋空港へと着陸した。

 ひょっとしたら名古屋は雨が止んでいるのではと期待したが、窓の外は四国と大差ない大雨だった。

 滑走路から誘導路に入った機は、広大な旅客ターミナルを左に見ながらゆっくりと進んでいたが、
やがてターミナルの施設を通り過ぎ、何もない場所で止まってしまった。

 私はてっきりターミナルが空くまでの順番待ちをするのかと思っていたら、

「こいつはひょっとしてバスかぁ?」

 後ろの座席にいたサラリーマンがそうボヤくのが聞こえた。なるほど、ほどなくバスが機に横付け
するのが見え、航空会社の社員が降りて来ると、屋根の付いていないタラップとバスの間に傘をさし
かけた。

 狭い機内に押し込まれて運ばれた上に、ターミナルではなく露天に駐機した挙げ句、バスによる送
迎とは、なかなか素敵な待遇である。

 機から出て見るとタラップは低かった。バスに乗り込んでから飛行機をあらためて眺めて見ると、
実にこじんまりした印象を受けた。ジャンプすればコクピットの窓に手が届きそうである。

 バスが走り始め、駐機しているボーイング737や767の横を通ったが、MD−81を見た後で
は、それらはずいぶんと巨大に見えた。

 バスがターミナルに着き、荷物受取場で自分のバッグが出て来るのを待っていると、始めの方に流
れて来た他人の荷物が雨で濡れているのが見えた。おいおい・・・。

 バッグを受け取り、到着ロビーへと出た。さて、ここから四日市までどうやって行こう、なにせ名
古屋空港は初めてだ。

 到着ロビーから外へ出ると、空港から最寄りの鉄道駅までの交通手段をいくつか表示したパネルが
掲げられていたが、分かるのはJR名古屋駅ぐらいなもので、後はさっぱりだった。

 目的地はJR四日市駅だったので、ともかくJRの駅に行くべきなのだが、ここでタクシーなんぞ
に乗ったりしたら部長に怒鳴られるのは明白なので、ひと目で乗り方が分かるJR名古屋駅行きの特
急バスに乗った。

 バスは観光用によく使われるハイ・デッキ・タイプで、MD−81より座席のスペースは広く取ら
れており、実にゆったり出来た。

 かつての社員旅行で会社が新幹線代をケチり、6時間近くバスで移動するハメになった時はバスの
居住性にうんざりしたものだが、今日はそのバスがグリーン車のように思えた。

 30分程度でJR名古屋駅に到着。JR関西本線に乗り換えて約40分で四日市に到着した。

 時間は22時。やれやれ、これで今日の旅も終わりだ。後はコンビニで弁当でも買ってビジネス・ホ
テルへ入るだけである。

 ところが、駅から出て見ると、街が実に暗い。ひと気もほとんどなく、開いている店も見当たらな
かった。

 なんと寂しい所だろう、少し歩いて見たがコンビニも見当たらず、とりあえず、先にホテルへチェ
ック・インする事にした。

 ほとんど閉まっている商店街を歩いてホテルに着いて見ると、改装工事中とやらで玄関はパネルで
塞がれており、横の勝手口に『ホテル仮入口』との貼紙がしてあった。

 そこから入り、幅1.5メートルほどの細い廊下を進んで行くと、奥に階段があった。

 フロントは2階にあるのかと思い、階段を上がって見ると。そこはいきなり客室階になっており、
通路と客室が4つあるだけだった。

 あわてて1階に戻り、フロントへと通じるであろうドアを探したが、階段のすぐ下にある大きなド
アには『開閉禁止』と貼紙がしてあり、その次のドアは電気の消えている食堂、その次のドアは食堂
の厨房、あとの二つのドアには鍵がかかっていた。

 『どないせえっちゅーんやっ!』、私は途方に暮れそうになったが、連絡用の電話があるのを見つ
け、連絡先の番号へかけた。

 電話に出た人物に到着を告げると、「そちらへ行きますわ」との返答があり、ほどなく、『開閉禁
止』のドアが開いておっちゃんが入って来た。

 宿泊代を前払いすると、部屋の鍵を渡され、「あとはお任せします。外出する時は、鍵を持って出
て下さい」との事。

 つまりフロントはフリー・パス。なんちゅーアバウトな・・・。ともあれ、最後にオチがついたと
ころで忙しい1日はようやく終わりを告げた。