ワインの秘訣

基礎知識

  フランスワインといっても色々あります。その中でも有名なのはボルドーとブルゴーニュとなるでしょう。フランスワインは一般的に作られた地区が限定さ れればされるほど、葡萄やその畑の個性があらわれ高級とされます。例えばボ ルドーなら、ボルドー地域−オーメドック地区−ポイヤック村−シャトー○○、 ブルゴーニュならブルゴーニュ地域−コート・ド・ニュイ地区−ジュブレー・ シャンベルタン村−○○畑という感じです。更にフランスワインには格付けがありワインの善し悪しの参考となります。ボルドーは1855年のメドックのシャトーの格付けが有名で一級はシャトーラフィット・ロートシルト他全部で五つあります。 一方、ブルゴーニュにはシャトーの格付けはなくそのかわり畑に対して格付けが行われています。ブルゴーニュワインを難しくしているのはその所有形態に あり、特級畑シャンベルタンでも複数の所有者があり、それぞれがそれぞれのラベルでワインを生産しています。余りかたいことは考えずに色々飲んでみることです。色々飲んでみて、これはうまかった、あれはちょっとと感じてくればしめたものです

ボルドー近年の収穫出来具合
1994
暖かい初春のため、芽のではは早い。4月の中旬にはしものため少し影響が出る。すばらしい春と夏の気候に望みは高くなる。これは9月7日からの雨により打ちひしがれる。収穫は9月の19日。

1993
春にはしもの被害もなく、乾燥した夏となる。早い開花も順調で、すべてが約束されていると思われた。9月9日に始まった雨はすばらしい収穫を台無しにしたが、寒すぎたため腐敗からは幸運にも免れる。

1992
これまでで、かなり雨の多い8月となる。9月になる事態は多少好転する。 収穫は9月の終わり頃となり、その頃に再び雨に見舞われる。寒さのため腐敗からは免れる。

1991 
9月20/21日の夜の深刻な霜によりひどい被害を受ける。5月と6月の開花時期まで引きずる。好天の7月と暑い8月が続く。1961年の再来かと思われた。9月の終わりの雨はそれらの熱望を終わらせた。

1990 
暖かい春で開花は早く順調。暑く乾燥した夏が長く続く。早く、例外的に良い収穫となる。1990年のヴィンテージは1989年よりも良いと評価されている。
ボルドー (Bordeaux)
メドックとグラーブ
メドックで固有のアペラシオンを名乗れる村はサン・テステフ、ポイヤック、サン・ジュリアン、リストラック、ムーリ、マルゴーの六つです。グラーブは別のアペラシオンとなります。

サン・テステフ
ポイヤック 
サン・ジュリアン (Saint-Julien)
サン・ジュリアンには格付け1級のワインはありません。しかし、1855年の格付けでは5つの2級、2つの3級、4つの4級シャトーがあります。しかし、市場では2級の内の3銘柄、シャトー・レオビル=ラスカーズ、シャトー・デュクリュ・ボーカイユ、シャトー・グリュウオー・ラローズはスーパーセカンドと呼ばれ、1級に匹敵するワインを作っています。

マルゴー



サン・テミリオン とポムロール
サン・テミリオンは1954年に最初の格付けが行われています。ポムロールにはシャトーの格付けは存在していません。

ブルゴーニュ (Burgundy)
コート・ド・ニュイのワイン畑と栽培家
コート・ド・ボーヌのワイン畑と栽培家
シャブリ、マコン、ボジョレー

Wineの呼び方

ここをご覧の皆さんは、wineを飲んだことのある方が殆どだと思います。でもワインの事を何と呼んでいるでしょう。「葡萄酒」と呼んでいる人は少ないかもしれませんね。この「葡萄酒」、世界各国それぞれの国で呼ばれ方が違います。英語ではwine(ワイン) 、フランス語だと Vin(ヴァン) 、イタリア語では Vino(ヴィーノ)、ドイツ語では wein(ヴァイン)と呼ばれています。更にスペインでは イタリアと同じく Vino(ヴィーノ) 、ポルトガルでは Vihno(ヴィーニョ)と言います。
しかし、これらの呼び方の語源は全部ラテン語の "Vinum"(ヴィヌム)から派生したものです。ラテン語で葡萄の木の事を"vitis"(ヴィティス) といいますが、それから造ったお酒というのが "Vinum" です。

ワインは百薬の長
ワインの効能を知って上手にワインとつきあいましょう!


お酒と健康の関係は?
適量のお酒は、健康によい効果があって、お酒をアルコールに換算して10〜30グラム摂取すると、死亡率を平均50%下げることが日本医師会からのデータでも実証されています。
毎日お酒を2杯位(20グラム前後)飲む人は、お酒をやめた人、 また、お酒を全く飲まない人と比べても、死亡率が低いのが分かります。意外な感じがしますが、適度に毎日お酒を飲んでいる人の方が死亡率が少ないと言うことが実証されています。

ストレス発散!
わたしたちの社会生活の中で多いストレス、精神面でストレスを解放する効果があることは、皆さんも身をもって経験されていると思います。

玉コレステロールを増やす
アルコールは、血栓症と関係のある血小板の凝集を抑制させる働き、そして善玉コレテロールを増やし動脈硬化症を予防してくれるという働きがあります。

動脈硬化と悪玉コレステロールの関係は?
動脈硬化や血栓症という成人病は、体がサビついて起こる病気です。人間は酸素を呼吸して生きているために体内で酸化が起こるのは避けられません。体内に入った酸素は化学変化を起こして活性酸素(フリーラジカル)になります。これがLDLコレステロール(悪玉コレステロール)を酸化させる要因となり動脈硬化になる素となります。つまり、LDLコレステロール自体が悪さをするのではなく、活性酸素と結びついて酸化されたときに血管内にたまって動脈硬化が引き起こされるのです。この活性酸素というのは悪いやつで、いろんな分子に結びついて変質させてしまいます。たとえば、遺伝子DNAを変質させてガンの第一段階を作り上げてしまうほど悪い力をもっています。

体のサビつきが成人病の要因だった!
くぎを水に漬けておくと、酸化してボロボロになるように、人間の体内の組織も酸化によってボロボロになってしまいます。

フレンチ・パラドックス
ワインを大量に飲むフランスでは、「フレンチ・パラドックス」(フランスの逆説)が知られています。これは、‘フランス人は喫煙率が高く、バターや肉など動物性脂肪の摂取量が高い。なのに、心臓病などの心疾患による死亡率が低い。’という説です。

アメリカで赤ワインの売り切れが続出した理由は?
「フレンチ・パラドックス」がアメリカの人気ニュース番組で取り上げ放映 されると、まず翌日には赤ワインを買いに人が酒屋に殺到し、赤ワインが売 り切れるという事が起き、赤ワインと健康について一気に関心が高まり注目 を集めました。アメリカの赤ワイン年間消費数量は40数%増える結果とな りました。

どうして赤ワインが良いのですか?
赤ワインのなかに含まれるポリフェノールが体のさび付きをを防いでくれます。

ポリフェノールとは何ですか?
花びら、果実、茎など、光合成を行う植物に存在します。役割としては、色素成分として 様々な色彩の花を作る成分として、また、昆虫等の外敵によって分泌された有害成分を無毒化 させる働きを持つ抗酸化物質です。そしてこのポリフェノールは、赤ワインの中では、渋みであるタンニン、赤色色素であるアントシアニン、味覚成分であるカテキン、フラボノイドなどの分子なのです。

ポリフェノールは、体内でどんな効果をもたらしてくれるのですか?
動脈硬化を防ぐには
@LDL(悪玉コレステロール)の量を減らす。
ALDLが酸化するのを防ぐ。
BHDL(善玉コレステロール)の量を増やす。
この3点ですが、LDLが酸化することを、ポリフェノールが防いでくれるのです。

私たちの周りのものでポリフェノール含有量が多い食品は何がありますか?
身近な食品でポリフェノール含量を比較してみました。
圧倒的に赤ワインのポリフェノール含量が多いのがわかります。

[バック] [ホーム]

Wineの起源

  さて、そのwineの起源についてお話しましょう。
人類最古の文明は既にワインを造っていたと考えられています。他のお酒と同様、例えば葡萄が自然に潰れて発酵するというような事ですね。人工的に造った証拠としては、紀元前4世紀ごろの遺跡からシュメール人によるワイン壺の封印ロールシールが発見されていますし、ダマスカス南からは搾汁器(石臼)が発掘されています。この後も、至る所でワインの存在を示す証拠が残されています。有名なハムラビ法典にはワインの取引に関する決まりが書かれていて、さらに飲みすぎてはいけませんという記述まであります。(気をつけましょう!)
また、聖書には実に521回もワインが登場しており、宗教儀式にも欠かせない物であった事を思わせます。特に重要なのは、新約聖書の場合"マタイによる福音書第26章" "ヨハネによる福音書第15章" の最後の晩餐のくだりです。ワインがキリストの契約の血であり、キリストが葡萄の木であり11人の弟子たちがその枝であると述べています。キリストが最後の晩餐でその教えの神髄を説く最高の場面でワインが登場するという事はいかにワインが重要な物であるかをうかがわせます。

ローマ帝国の時代
こうしてエジプト、フェニキア、ギリシャで広まったワインはその歴史にとって重要なローマ時代に大きな転換期を迎えます。
古代ローマ人はローマ帝国の勢力拡大と共に各地へワインを広めていきます。特にローマ皇帝ジュリアス・シーザは紀元前58年から51年にかけてガリア(今のフランス)征服の際に葡萄栽培を全ガリアに広めました。この時のローマ帝国の支配はライン河、ドナウ河流域に及び現在のドイツのワイン生産地域の多くにもローマ帝国からワインが広められました。
ところで、現在のフランスに初めてワインが伝わったのはローマ帝国のガリア征服以前の紀元前600年頃フェニキア人が今のマルセイユを植民地にしたときです。しかし、それ以上は広がらずシーザーがガリアを征服した頃、ガリア人達は大麦ビールとはちみつ水を愛飲していました。
ガリア人はローマ人によって伝えられたワインに魅了され、優れた葡萄栽培者となりガリア地方で造られるワインはローマで大評判となりました。このため後のドミティアヌス帝はローマの葡萄栽培を保護する為、ガリアの葡萄の木の半分を抜かせる命令を出したほどです。その後プロプス帝がガリアの葡萄栽培権をガリア人に与えるなどの施策により再びガリアでのワイン造りが活気を取り戻しています。AD270年の事です。

フランク王国
その後、西ローマ帝国が滅亡しガリア地方は今のドイツのフランケン地方に住んでいたフランク族が移動してきてフランク王国が建設されます。
AD768年にはワイン中興の祖と言われるシャルルマーニュ大帝がフランク国王となり、今のドイツからスペインにわたる広大な領地を誇りワイン造りも大いに発展しました。
一方でキリスト教で聖餐用に用いられるワインは特にベネディクト派やシトー派の布教活動と共に各地に広がっていきます。その中でもブルゴーニュ地方はシトー派の修道院によって多くの葡萄畑が開墾されブルゴーニュ公国の繁栄とともにその名声も高まっていきます。

ボルドーがイギリス領に
1137年には、また一つ重大な出来事が起こりました。アキテーヌ公領のエリオノール妃がフランス王ルイ7世から離婚され、アンジュ伯でノルマンディ侯であったアンリ・プランタジェネと再婚します。この時アキテーヌ地方を持参金としますが、アンリ・プランタジェネがその2年後イギリス国王になったため、今のボルドー地方を含むフランスの南西部が英国領になってしまったのです。この状態は100年戦争の終結(1453年)まで続きますが、その間ボルドーのワインは「クラレット」という呼び名でイギリス人に楽しまれていました。

フランス革命
1789年には有名なフランス革命が起こります。この結果、王侯貴族の料理人やサービス係は町に出ることを余儀なくされ、 の結果、良質のワインも庶民の口に入るようになりました。この時にそれまで王侯貴族のワインのサービスを行っていた人達が町に出て、当時誕生しつつあったレストランで働くようになりソムリエが誕生したと言われています。
一方、各地の葡萄畑はそれまで小作人であった農民に分配されました。このため葡萄畑が小さく分割されることになったのですが、この後、資本力のある家がそれらの葡萄畑を再び買上げ大きな単位にまとめたのがボルドー地方であり、小作人に分配され更にその子孫に受け継がれ、場合によっては更に小さな単位に分割されたのがブルゴーニュ地方です。
現在のボルドーのシャトーが大規模な葡萄畑を持ち安定した品質のワインを出荷するのに対し、ブルゴーニュはドメーヌという農家単位でそれぞれのワインを製造・出荷し同じ村でも味わいの違うワインが製造されたりするため、畑の単位で格付けがなされているという違いは主にこのフランス革命以降の経緯によるものです。

メドックの格付け
そして1855年フランス万国博覧会が開催されました。この時に現在までも続いているメドック格付けが誕生しました。ブルゴーニュと並ぶ上質ワインの生産地ボルドーの中から優れた58シャトー(現在は61)がボルドー仲買人組合によってリストアップされボルドー商工会議所が万博事務局に送り公けになったものです。 この格付けはメドックの場合5つに分類され1級から5級のシャトーが等級付けされています。甘口ワインのソーテルヌは特1級、1級、2級に分類されました。この時、メドック1級に格付けされたワインは
・シャトー ラフィット・ロートシルト
・シャトー ラトゥール
・シャトー マルゴー
の3つのメドック地区のシャトーとグラーブ地区から
・シャトー オー・ブリオン
の4つが選ばれました。毎年、有名な画家によるラベルが使われる有名な
・シャトー ムートン・ロートシルト
は、この時2級に格付けされており、後に1973年に唯一の例外として格付けの変更(1級への昇格)が成されています。

フィロキセラの被害
そして、万博の9年後(8年後という説もある)1864年に大変な事件が起きます。
「葡萄について」の節で詳しく説明しますが、この時期ヨーロッパで栽培されていた葡萄はヴィティス・ヴィニフェラという中央アジアに原産する種類のものでした。これはワイン用に適した品種なのですが、当時の葡萄栽培者は研究熱心で、新大陸(アメリカ大陸)に自生する新たな品種の葡萄を研究用に輸入したのです。現在、他の国から動植物を輸入する際に検疫という作業が必ず行われますが、当時はそうゆう知識もあまりなく新大陸の新葡萄品種と一緒にそれについていた葡萄の害虫フィロキセラを一緒に輸入してしまいます。
ヨーロッパにはこの害虫は全く居なかったため、葡萄の木には免疫がなく、あっという間に全フランス、ヨーロッパに広がってしまいます。このフィロキセラという害虫は日本語では「ぶどう根アブラムシ」といい、その名の如くワイン用の葡萄の木の根についてやがて葡萄の木を枯らしてしまいます。このため、ヨーロッパのワインは壊滅的な打撃を受けます。
アメリカ原産の葡萄は折角輸入してみたものの結局ワインには向かない葡萄だったため、当時は害虫のフィロキセラを輸入しただけという結果に終ってしまいます。

フィロキセラ、世界に広がる
一方、アメリカではカリフォルニアワインの父と讃えられるアゴストン・ハラジーがヨーロッパ品種の葡萄をカリフォルニアで栽培しワイン生産を広めていました。そして皮肉なことにアメリカ原産のフィロキセラは同じアメリカ大陸ではなくヨーロッパを経由してカリフォルニアにやって来ます。そして、ここでも壊滅的な打撃を被ります。またフランスでフィロキセラで壊滅状態にな ったボルドーの造り手達が隣国スペインのリオハ地方に移り住み、かの地で優秀なワインを生み出すなどの影響もありました。
さて、このフィロキセラ、結局はこの害虫に対し抵抗力のあるアメリカ原産葡萄の一部(ヴィティス・リパリアなど)にヨーロッパのワイン向き葡萄品種(ヴィティス・ヴィニフェラ)の枝を接ぎ木する事により解決します。以後、現在に至るまで世界中のワイン用葡萄はこの方法で栽培されています。
(注.チリとオーストラリアには自根栽培の葡萄が成育しています。また砂地の畑では線虫の移動するだけの間隔が粒と粒の間にないという理由から南仏の海岸地域などでも自根で栽培可能なところがあります)

ワイン法の成立
また、このフィロキセラの被害に前後して、フィロキセラと共に葡萄の三大疫病と言われるうどんこ病、ベトカビ病が発生しワイン生産は壊滅的な状態となり、まがいもののワインや品質の悪いワインが横行しワイン全体の信頼が失墜してしまいます。このためフランス政府は1906年に生産地名の不当表示取り締まりの法律を制定しますが、これが現在まで続く1935年制定の原産地呼称統制法の元となっています。
同様の法律はその後ドイツ(1892年)、イタリア(1924年)、スペイン(1970)、ポルトガル(1951)などでも制定され、さらにそれらを統合する形でECワイン法(施行1971)が制定され、各国のワイン法もこれにならう方向にあります。
[バック] [ホーム]