■■■演出助手始末記■■■




    10/22(木)[HP]
    10/23(金)[GP]
    10/24(土)[初日]
    10/25(日)[千秋楽]


10/22/1998
[HP]

新国立劇場 中劇場にて。

「HP」ってのがあった。
ハーペーって呼ぶ。
演劇では使わない用語だ。

アッシェンバッハ(主役)がラスト近く、
ヴェニスのイチゴ売りから買った
イチゴを食べるシーンがある。
「腐ってるやんけこれ」
みたいに、イチゴを両手で握りつぶしてダラダラってなる。
そこのイチゴは、この舞台で唯一の消え物
(=舞台でいうところの、無くなってしまう小道具
 =一般に食べてしまうものをいうが、
 「破り捨てる手紙」なんてのも消え物になる)だ。
で、そのシーンを本物のイチゴを使って初めてやりました。
それまでは、レプリカのイチゴだったから、
アッシェンが握りつぶして(=真似)ボトボトっと落とすと、
カラカラカラって転がってくれて、
初めて稽古場で演ったときは、
深刻なシーンなのに私は口元が緩んでしまった。

しかし、この本物イチゴをつぶすと果汁がすごいわけで
「お衣裳大丈夫か」ってことになった。
お衣裳さんに相談に行くと

「本番はいいけど、今は駄目。
 だって洗って果汁は落ちないもの」

ってことで、そのシーンは衣裳なし。
ってことになったんだけど、アッシェンが
「感じをつかみたいから衣裳を着てやりたい」ということで、
じゃあ、出来るだけイチゴは身体から離してつぶそう
ってことで、衣裳さんには内緒ねってことで、
やってしまった。

こんなことは、全てが無事に終わったから言えることよね。
今はどう考えても笑い話しな上記なことが、
必死で、真剣で、そんな初日の二日前でした。






10/23/1998
[GP]

新国立劇場 中劇場にて。

この日は、不安で不安で仕方がなかった。
明日は初日だというのに、
これほど、その実感のないことはなかった。
不安っつーか「ホンマに明日は本番なんかい!?」みたいな。

盆が回り、且つ柱が(60Cm×30Cm)4本と、
舞台の前後を遮断する壁パネルが、
吊物で下りたり上がったりする。
それに本番で出演者がぶつかりはしないか、
つぶされはしないか。

この、稼働しまくる舞台の、
実寸をとっての稽古がほとんど出来なかった。
だから、キャストもスタッフもそれに慣れていない。
明日の幕が上がることが、
これほど実感のない夜は過ごしたことが無い。
そんな初日前だったなと、
千秋楽後の今は遠い昔のように感じる。






10/24/1998
[初日]

新国立劇場 中劇場公演 18:30〜

初日の幕が上がって、無事下りました。
奇蹟のようだ。

本番は5分押し
(予定の開演より5分遅れるってことです)でありました。
その5分押しの間も、演出家は出演者の楽屋を訪ねて
(私がダメ出しノートを持ってついて回って)いる状態であった。

私は、その開幕ベルの後も、出道具を探して走っていたので、
私が客席後方の演出家に合流出来たのは、
2場になってからです。そんなギリギリな
(ギリギリにもたどりついていないかもしれない)
状態であった。
(明日にむけて、この本番中もダメを取る為に、
 演出家&助手は舞台を観るのです)

この少ない稽古時間で、あそこまでやったキャスト。

振付を完成させ、振付でないところの、
ダンサーの出、引っ込みの合図まで、
舞台袖で出してくれていた
(演技のところの振りまでしてくれた)振付家姉弟。

150点以上もの衣装を、
通常の半分以下の準備時間でプランし、
現場をのりきったKさんOさん、関係者のみなさん。

新国立の現場に入ってから、
より混乱し不正確をきわめたスケジュールの中、
40人のキャストのメーク、ヘアをやりきった
Wさんをはじめ、アーティスト達。

仕込みの時間が予定より1日少なくなったにもかかわらず、
素晴しい照明をつくりあげたYさんと関係者。

舞台稽古というよりは
「立ち稽古、今日で何回目?」っていう状態の
最後の舞台稽古ですら、
皆を笑わせる余裕を持ったマエストロさん。

舞台監督いれてスタッフ3人という
「それは何の冗談だ」という状況で、
現場を切り回した舞台監督とスタッフのみなさん。

それらの大本の演出家。

その状況の中、今日の初日です。
「舞台ってのは、幕は上がって、下りるもんなんだ」
なんていうあたりまえのことが、奇蹟みたいに見えて、
やり遂げたキャスト、スタッフ全てを尊敬した。

明日も奇蹟がおきますように。
奇蹟をおこせるキャストとスタッフであることを信じている。








10/25/1998
[千秋楽]

新国立劇場 中劇場公演 14:00〜

奇蹟ってのは二度起きることもあるんだ、と思った終演後。
なんだかもう泣けて仕方のなかった(気持ち)本番中。
昨日の初日よりもまして、緊迫感を持って臨んだ幕開き。

演出家に、千秋楽後
「演出助手始末記っての書いてるんだって? 昨日読んだ」
ってことで、バレた。
はずかしいもんがある。

「関係者は読んでいない」
を前提のこの連載なもので。
関係者っていうか・・思いっきり演出家にバレた。
コレは、悪さを見つかったようなものだねぇ。
悪さってわけでもないが。
うはははは!

打ち上げは、私は二次会から本格参加。
ゴンドリアー役の方のお店で騒いだ。
(休みの日なのに開けてくれた)
振付家(姉)は、
いったん家に帰ってからの参加であった。
理由は「ねこにごはんあげないと」というものだ。
いいねえ。

そういえば、振付家(弟)は
「カーテンコールしか間に合わなかった」
とゼエゼエしながらやってきて
「これから本番」と、また行ってしまった。
仕事の出来る人は忙しいということだ。

ちびっこではないダンサーも二次会参加である。
タジオを演ったT君はダンサーの最年長22歳。
しかし、見えない。

3:00AMくらいに、おひらきって感じになったのを
「始発もうすぐだしー」ってことで、
店にまた戻ってきてしまって結局朝だった。

ダンサーのUさんが
「すっごい短かったけど、すっごい長かった」と言っていた。
そして「楽しかった」と。

私も同じです。
ひとつの作品をつくろうという思いは、こんなにも強い。
それが達成されたときは、それまでが困難であるほど、
喜びは強いという、とてもあたりまえのことを、
その言葉通りに成された、この日々でした。
「ヴェニスに死す」を一緒につくりあげた人達と、
この先どこで、いつ会っても
「あのときは楽しかったな」と、
あの日々を慈しみながら言い合える。

「舞台は麻薬のようなもの」とは本当だなと。
「二度とやるか」と思っても、手が出るんだなあ、これが。
あ、ヤクなんてやったことないよ。モノの例えだから。

どういう事情だろうと、出来上がったものが全ての舞台。
それが成功した。
それが全てだ。
よかった。

ここに戻れないかもしれない、という時があった。
それからの一作目が、この作品であったことに感謝を。
私は、まだ、ここで「演劇という病」にかかっていられます。

写真、送ってよ、ちびっこダンサー達。

これにて「演出助手始末記」は終わりです。
出会った全ての人に感謝を。
読んでいてくれた、あなたにも感謝を。
いつかどこかの劇場で、
隣同士だったりすることもあるかもしれませんね。






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