■■■AYAの舞台評■■■



エリザベート〜宝塚宙組公演

観劇日:宝塚→1999年12月5日15時
       (ペルソナカード貸切り)

       12月6日 11時・15時
       (読売旅行貸切り)

    東京→1999年2月22日18時・3月1日18時


    脚本・歌詞:ミヒャイル・クインツ
       音楽:シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナル・プロダクション:ウィーン劇場協会

        潤色・演出:小池修一郎

        トート/姿月あさと
     エリザベート/花總まり
  フランツ・ヨーゼフ/和央ようか
   ルイジ・ルキーニ/湖月わたる
       ルドルフ/樹里咲穂
           (大劇公演時:朝海ひかる)
 ルドルフ(少年時代)/初嶺まよ
     マックス公爵/星原美沙緒
       ゾフィー/出雲綾
       エルマー/夢輝のあ


[あらすじ]

舞台は19世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国。
その皇妃エリザベートを殺害したルイジ・ルキーニの尋問から幕は開く。

ルキーニは死(=トート)と恋仲だったエリザベート自身が死を望んでいたと主張する。
そして、それを証明するために霊廟の人々を呼び起こす。

時代は1853年。
少女のエリザベートは遊んでいて大怪我をし意識不明の重体になる。
冥界に迷いこんだエリザベートにトートは魅せられ、生命を返してやる。
そして、その愛を得ようとする決意をする。

ウィーン宮廷では、若き皇帝フランツ・ヨーゼフが
母親の皇太后ゾフィーのもと国を治めていた。
フランツは、自由奔放なエリザベートを見初める。

幸せにみえた結婚。
しかしすぐにそれは、前皇后ゾフィーの干渉や、
動乱の時代の中で崩れる。
彼女は夫フランツと共に生きていくのではなく、
自分の美貌を武器に生き抜こうとする。
その時々の隙にトートはエリザベートを誘惑する。

フランツはエリザベートに「ゾフィーか自分か」の選択を迫られ、
その傷心に女を買う。
そのことに、またエリザベートも傷つき、
彼女の旅の人生が始まる。
その中で息子ルドルフは孤独となり、
トートの誘惑にのめり込みむ。
そして、ついに、トートは人生に絶望したルドルフの命を奪う。

放浪の旅を続けるエリザベートをフランツが訪ねる。
しかし、もはや二人の心は相容れることはなかった。

1898年、ジュネーブ。
トートからナイフを渡されたルキーニはエリザベートに襲いかかる。
トートの存在に気付いたエリザベートは、そのナイフを受け入れた。
そして二人は天空へと昇っていくのだった。




さて、現場復帰!(何の現場や・・・)の亜矢さんからの感想文だ。
私も書かんとね。


[亜矢の観劇評]

 宙組『エリザベート』感想

 観劇日 宝塚→12月5日15時(ペルソナカード貸切り)
        12月6日11時・15時(読売旅行貸切り)

     東京→2月22日18時・3月1日18時

ムラと東京合わせて書きました。主に3月1日の感想。
ムラと東京と合わせて5回、
過去のどの組よりも何度も観てしまった。

自分としては雪組で曲の良さにぼーっとなり、
星組でそのドラマ性に気付き、
今回は「こういう演目だったのか」という思いを持った。
しかし、星組ほどドラマ性が感じられず、
雪組ほど圧倒的な歌唱力も感じなかったので90点というところである。
だから、初めに感じたのは
「雪組と星組の中道だな」ということであった。

さて、内容についてはもう言うことがない演目なので
いきなり出演者の方に移りたいと思う。

トートの姿月。
もう少し期待していたのだが、
一路とも麻路とも違うトートを作ろうという
「努力」はひしひしと感じた。
その結果は一言で言えば「怒れるトート」であろうか。
若さゆえに、裏切られたら怒り、相手を憎む。
この「怒り」の部分が麻路には無かった要素かもしれない。

一路のトートは「声と気品で圧倒」していて、
麻路のは「存在感の大きさ」が持ち味だったと思っている。

ただ、姿月に欠けていたのは「帝王としての気品」である。
これは、衣装の色のように表情が色々あるのはいいのだが、
時々汚い表情があって惜しまれる。
なにか、黒天使のボスのようにしか感じなかった。

歌は、特に「最後のダンス」の努力はかいたい。
ただ、声がいつも張っているので、
ひそやかに歌うところはもうひとつであった。
これが出来たら、
「一路の上を行く」歌えるトップになれるのかもしれない。

エリザベートの花總。
出てくるだけで周りの人気を圧する美しさと押し出しの良さで、
当分彼女の右に出るエリザベート役者はいない気さえした。
歌も「私だけに」を始め、前回よりボリュームがあって、
言うことはナシという感じであった。

フランツの和央。
彼女のこれまでのなかでベストではなかろうか。
高嶺のときから思っているのだが、この役をやるとどの人も一皮剥けたようにレベルアップするのは不思議だ。
歌は低音も良く出ていて、
よく言われるように往年の峰さを理のような歌声にも魅力を感じた。
ルックスも問題なしの「陛下」であった。
路線としては高嶺に似ていると思った。
宝塚で観たときより、東京の方がプログラムにあったように、
よりフランツの「男らしさ」は表現されていた。

ルキーニの湖月。
こちらは路線としては完全に紫吹の方である。
宝塚で観た時は少し下品過ぎる、と思ったのだが、
東京ではそれが改善されていて安心した。
ただ、一応アナーキストで思想家なのだから、
もう少し冷静で理性的なところがあってもいいかと思う。

宝塚のルドルフの朝海。
神経質そうなところは今までの誰よりも強かったが、歌が弱かった。
雪組で研鑚されたい。

一方東京のルドルフの樹里。
プログラムによると、「気品」に留意してやっていたようだが、
それはなんとかクリアしていたと思う。
それより歌をもうひとつ頑張って欲しかった。
2人ともフィナーレの「闇が広がる」のダンスは絶妙だった。
「ダンスの人」と呼ばれるだけのことはある、と思っていた。

エルマーの夢輝。
もう少し存在感と力強さが欲しかった。
まだまだこれからの人だと思う。

最後に今回の宙組はコーラスが今までで一番良かったことを挙げておきたい。
「似合う〜似合わない」の掛け合いなどハッキリきこえて良かった。
発足したばかりにかかわらず、宙組のアンサンブルが整っていることを感じた。

5回となると、色んな席で観たのだがどの席で観てもだれることがなく、
この演目の素晴らしさを再確認した。
それだけでも幸せな気分である、として感想を終える。


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