■■■AYAの舞台評■■■



宝塚月組公演

観劇日:1998年9月20日(日)11時
    1998年9月21日(月)13時

劇場 :宝塚大劇場



    ミュージカル・プレイ『黒い瞳』
   −プーシキン作 「大尉の娘」より−

          脚本:柴田侑宏
       演出・振付:謝 珠栄

解説=歌劇1998/8月号より。

ロシア文学の巨匠プーシキン原作「大尉の娘」をモチーフに、
ロシア帝国の圧政下に喘ぐコサック民族の反乱の中、
民族と身分を越えた純粋な男女の愛とその結実を劇的に描いた作品。

演出・振付に宝塚歌劇団出身で近年幅広い活躍をしている
謝 珠栄氏を迎えて、
緻密な構成にダイナミックな演出を目指す。


    レビュー・ファンタシーク

『ル・ボレロ・ルージュ』

        作・演出:三木章雄

解説=歌劇1998/8月号より。

人の心を揺さぶり、「血」をたぎらせるリズム。
ボレロに代表される様々な民族の様々な生命が創り出す
エスニックなリズムのアラベスク。
スピードと激しさで一気に燃え上がるラテン・ショー。



今回の劇評も、里帰りして東京復帰の金子亜矢さんからです。
これはまだ私は観て無い。でも、とても観たいと思ってます。
何故か。
演出が謝珠栄さんだから。これは楽しみでしょう。
歌劇団のチャレンジ精神はこのところ素敵です。
でも雪組の層がむちゃくちゃ薄いのは何とかすべきでしょう。

謝さんの最近の仕事である
「ヴィクター/ヴィクトリア」=青山劇場で観劇のとき、
偶然ロビーで謝さんを発見したので、
プログラムにサインを頂いちゃいましたよ私は。
「エニシングゴーズ、よかったです」とか言って。

ってことで、亜矢さんの劇評をどうぞ。


「亜矢の観劇評」

『黒い瞳』

 全く原作を読んでいかなかったので、柴田先生というだけで、
「さぞかし、人間関係の濃いドラマで、
 語感の素晴らしい台詞があるだろうな」
と思っていたが、初日近くに観たせいか、消化不良で終ってしまった。
60点、という感じである。

 どうしてそんなにすっきりしなかったのか、というと、
この芝居では「原題の主役(=マーシャ)、
       宝塚の舞台の主役(=ニコライ)、
       芝居を実際に動かす主役(=プガチョフ)」
が別々である、ということに気づいた。
この根本から、話が散漫に感じる要素があるのではないだろうか。
ここで、恐れ多くも、大改革案を書いてしまうと、
私ならまずプガチョフを主役に持ってくる。

宝塚の主役がコサックでは駄目だ、
と言われるかもしれないが、以前花組バウホールで
『ドニエプルの赤いけし』
という作品もコサックが主役だったのだから構わないと思う。
そして、プガチョフは、マーシャがコサックの娘ということを知っているが、すべてを自分のところで留めて、決して言わない。
そして「大尉の娘」としてふさわしいニコライとの結婚を支持しつつも、
マーシャへの思いが募り、一方マーシャもプガチョフが自分の秘密を握っていることに気づき、プガチョフに近寄り言動と違う内面に触れる。
それを見て、ニコライは友情と恋の間でゆれる…、
とすれば三角関係になって話は面白くなるのに…、
と思ってしまった。

つまりは、実際の主役であるプガチョフを主役におけば、
話はすっきりするのではないか、ということである。
(この設定では、ニコライが狂言回しを兼ねてもらうことになるが)
これでは、原作から大脱線しているのだろうが、
柴田先生も少し原作に手を加えられているようだから、
思い切って変えていただけると、面白くなると思った。
そして、配役もプガチョフを真琴、ニコライを紫吹にすれば、
ファンとしても面白いと思うのだが…。
以下も含めて妄言多謝。

 さて、こんな大改革案は所詮、「机上の空論」だから、
全体をもう少し見てみよう。

 まず、宝塚の題である。
『黒い瞳』としたのは、マーシャの瞳を惹き付けられるものとして印象的にあらわしたかったからなのか、それともずっと流れていた名曲「黒き瞳」を使うためなのか判断できない。
前者を取るなら、もう少し「君の瞳が〜」という台詞が必要だと思った。
意外と歌詞の一部では説得力がない。
また、2つの相乗効果を狙うのなら、
最後、もう少し長く「黒き瞳」の曲にのって踊って欲しいし、
中間で歌詞をつけて歌っても欲しかった。

 次に、やはり月組の
「一目惚れ」設定は大劇場3作つづけてなので、
ファンなら飽きてしまう。
そして、「君を愛している」という台詞を正面切って聞いたのは、
なんだか随分久しぶりの感じがしたので、20ウン年のファンである私は、「ああ、宝塚だあ」とつぼにはまっていたが、隣の団体さんから「くすっ」という声が聞えた。
柴田先生の作品には、愛の素敵な名台詞があるのに…。
「黒い瞳」という題を際立たせる台詞が欠けていたように感じた。

 最後に衣装。
エカテリーナの朝の散歩でマーシャとあうところのドレスは
あれでは少々、違和感を感じた。
ワッカのドレスや、髪の毛も次のシーンがあるにしても
白い鬘なんかつけなくてもいいのではないだろうか。
そういったものなくして、
「女帝」らしかったらそのほうがずっと納得がいくのだが。
また、マーシャの最後の衣装も
他の全員に合わせて白の方が絶対いいと思った。

 しかし、ダンスはとくに二階席からみるとスピーディで、
形も良く分かりさすが謝先生だと思った。

 出演者のほうへ。
ニコライの真琴。
ここのところ、こういう「お坊ちゃま」系の役が続いているので
(私がファンならちょっと暴れたい)、
色を変えるのも大変だろう。
ニコライの誠実さは良く伝わった。

 マーシャの風花。
こちらも『エル・ドラード』のレーニャと似たような役だが、
もう「お手のもの」という感じだった。
なにか、もっと大人っぽい役とか、悪女とか観たかった。
もう少し、恋に悩むとかなんとか、
脚本の人物像に色を加えて頂きたかった。

 紫吹のプガチョフは「当り役」になるかもしれない。
私が観たとき、プガチョフが最後に連行される所では、
隣の団体さんから拍手があった。
二番手として最高に「おいしい役」かもしれない。
もう少し、歌の歌詞がわかるようになれば、完璧かなと思った。

 初風のシヴァーブリンはもっと悪たれてもいいのでは。
それには、やはりシヴァーブリンがマーシャを脅迫するシーンが必要だと思った。
手紙で「脅されています」ではピンとこない。

 目立ったのは狂言回しの三人(嘉月・霧矢・大和)である。
出ずっぱりで、やることが多くて大変そうであるが、
話の筋道をすっきりさせてくれ、熱演であった。
嘉月の台詞がはっきりしているのがいい。

あと、エカテリーナの千紘。
始めは、最初のシーンで立っているだけで終りか、と思ったら、
マーシャとのシーンもあって存在感がモノをいう役である。
しかし、威厳のつけ方や、プガチョフとのにらみ合いは迫力満点であった。
残念なのは「女であることを思い出した」といって、マーシャに同情するところで、もう少し柔らかさが出たら完璧だったと思う。

 以上、ストーリーのことから辛口になってしまったが、
一言で言えば「起伏のない芝居」という印象が一番残っている。


『ル・ボレロ・ルージュ』

 こちらも60点である。
実は観ている途中、昨年末のドラマシティ公演『Alas』を観ているような気がした。
バラエティー・ショー、という感じがした。

 始めに話題であるアルベルト城間氏作曲の「情熱の翼」から書くと、
いい曲であるので、1回しか使わないのはもったいなく思った。
宝塚の先生には悪いが、第二主題歌にしてもいいのではないか、
と思うぐらい、ショーの仲では違和感が無く、のりやすい曲であった。
真琴の声域にも合っていたし、フィナーレ前のこの曲を使った三人の場面(「ボレロ」)が一番良かった。
この「ボレロ」の場面で歌詞をつけて歌うなら、その前の前の「ジプシー・イン・ブラック」の場面では、この曲にのっての男役の総踊りにすれば余計印象深くなるかもしれない。

 全体的には、各場面タイトルの「ボレロ」や「ラテン」に縛られてか、変化がないのが残念だ。
それと、これは芝居のときから隣の女性が言ってられたのだが、マイクの音量が観た日はいずれも大きすぎた。
よって、歌が一本調子にきこえてしまう感じもあり、その女性曰く
「実際の声との差がありすぎて」という感じもしてしまう。
雪組のときにはこんなことはなかったので、
千秋楽までにはどうにかしていただきたい。

 各場面ずつ。
プロローグはいかにも「ラテン」という感じで滑り出しはいい。
しかし、次の「レッド・ランタン」の所では
「ミッション・インポッシブル」やら上海やら、
何かぐちゃぐちゃしたイメージで終ってしまった。

 そして、風花のラストダンス、というシーンなので期待した
「ブルー・ローズ」。
いきなり、N,Yなのはともかくとして、ビリー・ホリディのイメージならブルースだろうから、踊る一曲目もブルースにして欲しかった。
ちょっと、ガーシュインの曲ではしどけないムードがない。

やはり、風花は陽性の人なので、ラストダンスも
『グラン・ベル・フォーリー』のジャズのシーンのような、明るい、なにも考えさせないようなシーンで終って欲しかった。
最後のダンスショーは是非、あのはじけるような『カンカン』や上記のシーンの再演をお願いしたい。

 中詰だが、急に物語仕立てになって、その人物が変身するものだから、プログラムを読んでいないとわかりずらい。
紫吹の「ボラーレ」はもう少しノリノリの編曲
(CMで流れているような)でもよかったのでは。
次の「ブルー・モスク」は、それぞれのカップルがもう少し濃密な感じがあればな、と思った。
星野の歌が「ブルー・ローズ」に引き続きききものであった。
この場面はやっていくにつれ、神秘的と言うより官能的になるといいと思った。
そして、先に書いた「ジプシー・イン・ブラック」であるが、真琴と紫吹の踊り合いは気持ちが良かった。

「ボレロ」はもう書いたので飛ばして、
フィナーレでは、
真琴は一人で大階段上では「情熱の翼」を歌うべきだろう。
あの曲でパレードも悪くはないが、印象付けるため…。

全体的に、真琴、風花、紫吹の三人はよく踊っていて、気持ちよさそうに見えた。
もっと別の、月組のショーも観たくなった。

目についたのは、樹里である。
前作のアニタの時、歌は上手いと思ったが、プロローグのラヴェルのボレロを歌うところは熱唱で、思わず
「誰?」と見てしまった。

パレードの第一声も千紘と美しいハーモニーで、
「ダンスの人」というイメージを払拭してしまった。

 まとめて終るなら、
「今一つすっきりしない」ショーであった。
もう少し、構成の変化をつけて、静かに燃えてほしい。



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