■■■AYAの舞台評■■■



宝塚宙組公演

観劇日:3月31日(火)15:00
    4月 2日(木)15:00

劇場 :宝塚大劇場

    ミュージカル『エクスカリバー』−美しき騎士たち−

         作・演出:小池修一郎

解説=歌劇1998/2月号より。

アーサー王が亡くなって数世紀経った中世イングランドを舞台に、
伝説のアーサー王の聖剣「エクスカリバーが再び現われ、
新たなる真の王が誕生するまでを描く。
宙組のスタートにふさわしい明るく希望に満ちた、
夢一杯のロマンティック・アドベンチャー。


    ロマンチック・レビュー『シトラスの風』

作・演出:岡田敬二

解説=歌劇1998/2月号より。
”シトラス”が意味するものは、若々しさ、清々しさ。
宙組の出発に相応しく、「誕生」「飛翔」「若葉」などの内容を取り入れた、
宝塚の香りと色彩感あふれるレビュー。


今回の劇評は、投稿です。
このように「Tokyo劇場」が
皆様に参加いただいているというのは、うれしいことです。

では、金子さんからの劇評をどうぞ。


『エクスカリバー』 宙組大劇場 3月31日・4月2日とも3時公演。
 大分甘いことは承知で、100点満点の90点である。
4月2日は子供が多く居たが、
たまにはこういう子供向きの作品も「草の根ファン開拓」のためには必要だと思う。
(ちなみに私の初めて観劇した作品は『長靴をはいた猫』)

しかし、筋は某スポーツ新聞に「ディズニーを彷彿」とあったが、
かなり似ている。
それは、キャラクター設定でそう感じるのだが、これは各人の所にまわす。
これで、マイナス5点、筋でマイナス5点である。
もう少し、テンポよく、大人の鑑賞に耐えうるものに出来なかったのか。
フェンシングの場面など多すぎである。
また、歌もあまり印象に残らず、平板である。

次に、各人について見ていこう。
ズンコのジェイムズ。この人には、こういう役は妥当である。
いや、これぐらいで何とかなのである。
後半は、本当に皆を引っ張って行くのだから、もっと責任感のある顔をしていい。
表情の少なさ、滑舌の悪さ
(2Fでみると、何を言っているのか分からないらしい)、
ダンスのこなし方、歌の解釈力の薄さ、これらを全て合わせると、
求められるのは「深い解釈力」だ。
初めに出てきて、1曲歌うだけで「何だかスゴイ」と感じさせるスターなのだから、
「スゴイ」スターになるには、中身の充実を望むだけである。
あと半年でどのようなトートになるのか、期待している。

フサのロザライン。
何も言うことがない。
彼女にとっては、簡単な役であろう。
しかし、ホサチは出来ない。
それが、フサのことを「宝塚の花」とオジ様たち
(ウチの超初心者の父も含めて)が言う所以である。
しかし、ロザラインのキャラクターは『美女と野獣』のベルそっくりである。

タカコのクリストファー。
小池先生、何を考えられたのか完璧にこの役をガストンにしてしまた。
やたら、自惚れ屋で、唯一のソロは「変身!」という自信満々の変な曲。
「黒い騎士」なら、ズンコに対して、やたら敵対してそれで十分だ。
タカコもどうとっていいのか、分からなさそうで、
少し見ているこっちからも戸惑っているように思えた。

ワタルのアンドリュー。
次のルッキーニを目指しての狂言回しの役であろうが、あまり目立たない。
脇役で挙げるとすると、ユラさんの魔女。
あまりにユラ流なので、少し1人SMの女王化して浮いている感もある。
これも設定の間違いであろう。彼女が悪いのではない。

さて、全体であるが、「夢のような話」を「綺麗な人達」がやる、
ということで「タカラヅカらしさ」の要素は十分であるる。
先に書いたが、たまにはこういう作品もいい。
しかし、万人受けするか、というとそれは無理で、
やはり『美女と野獣』のように高度にするには、色々工夫が必要であろう。
私なら、クリストファーの設定を変えることから始めるか。

最後に、トップ披露公演として観ると、
これは先の『エル・ドラード』に続き、
「トップはカッコイイのだ」ということをひたすらみせる設定になっている。
トップ披露は、一昔のこの方法でいいと思う。
しかし、この方法が使えるトップは「これからの」トップスターのみであろうか?
これが、今回私の一番考えるところである。
つまり、難役(真矢)、自分のトップ披露にならない役(久世)、
しどころのない役(高嶺)でお披露目した場合である。
彼女ら、「できている」トップスターには
「この人がトップです。いいでしょう。」
といったお披露目はさせないで、
「これからの」トップスターには、
「トップです!カッコいいでしょう!」
となるべくアラを見せないようにする。
これは、劇団の方針であろうか。
もしそうなら、私は反対したい。
どんな「できている」トップスターにも、
お披露目ぐらいは「格好いい」
もう少し言えば、「この世にいそうもない素敵な男性」の役をさせてもいいと思う。
「できている」トップなら、どんな役でもこなせる筈だし、
また、役の作り方も「これからの」トップと異なった方向で、
我々観客に見せてくれるだろう。
勿論、真矢の『エデンの東』を否定するつもりはない。
ただ、「気持ちよいお披露目」が
我々ファンの望むところではないかと考えるのである。



『シトラスの風』 観劇日は同上
 点数から言うと95点である。
ロマンティック・レビューも少し息切れしているかな、
と思われる昨今であったが、リメイクの場面を多く入れて、
「ゴージャスなショーが戻ってきた」と感じられる作品である。

冒頭から、スターがそろうと、宙組の姿のよさと、若さが感じられて華やぐ。
続く、「花占い」の場面では、初演ほどこまっしゃくれていないが、
フサの可愛さで十分楽しめる。

中詰めの「そよ風と私」は、
衣装の配色の悪さに戸惑うが、踊りまくっていて熱気がある。
しかし、この辺りからズンコのダンスの下手さが目立つ。
如何にも「振りをこなしている」という感じで、精進を望む。
そして、もう1つは、ズンコの息の整え方。
踊った後歌う、ということに慣れていないが、
ブレスが出来なくなって、無理やり声を出している感じだ。
このことは、次の「ノスタルジア」の場面でもいえる。

その「ノスタルジア」の場面であるが、
このショーの中では、白眉である。
いわば、『椿姫』のパクリだが、フサを囲んで、
白のズンコ、黒のタカコで取り合う。
3人で踊るところなどは、
「ゴールデン・トリオ」といわざるをえない絵柄である。
最後に、ズンコが『椿姫』の有名な曲をサビだけ少し歌うが、
ここで一路との歌唱力の差が歴然とする。
音を上げつつ、息をつながらせて、
いうなれば「つーっつ」とした声のつなげ方は出来ない。
一度ブレスしてしまう。
これだけで、歌はイチロトートに負けそうである、と思ってしまった。

問題は、次の「誕生」の前半である。
湖月・出雲・ダンサーたちの熱気はつたわるが、
リメイクでも内容が社会批判で、セットなども前衛的で、
ロマンティック・レビューのモットーの「陶酔」は醒めてしまう。
「印象に残る」という向きもあるだろうが、私には、今一つだった。
後半は、バードのイメージのリメイクであるが、
ここまででフサとタカコが、雪組では考えられないほど踊る。
ここは、ズンコを歌わせておく、という一番ベストな処理をしている。

最終章の「明日へのエナジー」であるが、ここもまたパワー溢れる。
ここでは、やはり出雲のゴスペルの歌へのハーモニーが見事だ。
ズンコもかなり歌っているが、ここの場面の声の主役は出雲だ。

フィナーレ前、トップコンビの歌のデュエットがある。
2日から演出が最後に2人で銀橋に出てくるようになったが、
これまたゴージャスで観客として嬉しい変更であった。

そして、フィナーレ。
エトワールの陵は、悪くはないが、気負い過ぎである。
美々にさせるべきである。

全体的に宙組はいいデビューをしたと思う。
スターも豊富だ。
いや、豊富すぎる。
他の組とのバランスを考えたら、アンバランスだ。
しかし、やはりこれだけ、若くて、容姿のいい、トップから3番手、
プラス「宝塚の花」とも言えるフサが揃っては、他の組は太刀打ちしにくい。
まず、3番手の湖月だが、今回は芝居・ショーを通して目立たない。
次のルッキーニが正念場だろう。
準トップの和央は、色で例えるなら「ベージュ」の人だと思うが、
トップの姿月が稀に見る「ピンク」のスターなので、
目立つには「黒」になるしかない。
芝居・ショー共に、タカコは「黒」のイメージが与えられていたが、
少し違うと思う。
そして、姿月。
正に「ピンク」のスターなのである。
母性本能をくすぐらせ、真ん中が似合う人。
最近20年くらいこんなトップはいなかった。
また、最近では滅多にないくらい
「これからの」度合いが大きいトップスター就任なので、
欠点はこれから改善されていくのを我々観客は見守るしかない。
他の組を杞憂しつつ、宙組の感想を終える。

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