■■■SUNの舞台評(番外)■■■



映画『タイタニック』

鑑賞日:1998年2月20日(木)
    19:00〜当日券にて購入

劇場 :大阪 梅田 北野劇場


「タイタニック」について。
確かに映画館は混んでいる。
「もののけ姫」の時も混んでいた。
始まる前はそれはとてもいやだ。
できるなら空いた映画館でみるのがよいと私も思っている
(ここが映画と舞台の違いのひとつやね)。
しかし、「タイタニック」が始まってしまえばそんなのは消えるよ。

3時間以上もの上映時間の間、
その作品に臨む集中力を落とさせないというのは凄いことだ。
あんなに単純な、古典的な物語なのにねえ。
確かに映像はそりゃあ素晴しいさ、
それだけを観るにしたって価値はある。
だけれども、どれだけ映像的に素晴しかろうと、
映像的な小業やテクニックが優れていようと
(例えば「フィフス・エレメント」のことさ)
それだけだったらつまんないんだよ。
「タイタニック」は「タイタニック」という壮大な舞台装置を使った、
シンプルな古典的な美しいドラマだと思う。
そのドラマの為に「タイタニック」はあるんだ。
その壮大な舞台装置と状況だからこそ、
シンプルなものはよりいきてくるのだと思う。

まあ、注文をしたいところはあるけれど、あるけれど、
そしたらあと10分は長くしないといけないし、
視点が散漫になったかもしれない。
だから、ディカプリオとウィンスレットの二人でよしとしよう。

この「タイタニック」がこれほど大ブレイクの状況ってのを考えるに、
ようは「がたがた小難しいこと言ってないで、
    もっと正直に真直ぐに人生を楽しんで、
    情熱的に生きていけばいいじゃないか」
っていうむちゃくちゃストレートな・・・

そうなんだよね、理屈じゃないんだよ。
そういうわけで「タイタニック」について小難しい理屈はやめましょう。

私がどうしようもなく惹かれるのは
「生きていこう」という誠実で情熱的な態度だ。
そうしてそういうドラマだ。
ということが、つくづくと感じるのだ。
結局そういう戯曲(もしくは、そのように解釈して)を選んで、
勉強会とかで机上の演出プランをしてるものね。
「ロミオ&ジュリエット」が好きなのもそこだし。

一番いいのは、自分がそう生きられることだ。
とわかっているが、わかっているが、
きっと出来ないのもわかっているので、
こんなに憧れるんでしょう。

理屈や体裁や常識や、そのようなもので大人は我を縛るのです。
子供も我を縛るのです。
贅沢で余裕がある。
だから人は寂しいのだよ。悲しいのでなく。
現代の日本の私はこういう位置にいる。
こうして、分析をしているわけだ。

ともかく、世の中で「現象」としておきていることに、
立ち合えるなら、立ち合ったほうがよいと思うぞ。


<追記>
贅沢で余裕がある。
というのは、24時間コンビニに行けば、おにぎりを買って食える
ということだ。日本では。
日常的でいうなら。

命がけでなくとも、生きていられるということだ。


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