観劇日:1997年1月16日(木) 19:00〜 劇場 :紀伊国屋ホール 作:深堀寛二 演出:木野 花 装置:石井強司 照明:倉本泰史 音響:高瀬敬子 衣装:菊田光次郎 舞台監督:上野博志 出演:三浦洋一 平汰 満 京 晋佑 高田聖子 菅原大吉 多田慶子 武田義晴 骨董屋「我楽多屋」を舞台に 「わけあり」の人々が登場する良質の舞台。 店主の玄助(平田)、仕入れ業者の西(三浦)、バンドマン(京)、 日本語学校の教師(菅原)アーミーマニアの会社員(武田)が人のいい玄助を慕って集う。 そこに「住み込み従業員募集」のはり紙にひかれて、 ゆうこ(高田)が現われる。 その出現に、馴染みのバーのママ(多田)も巻き込んでの 「平和だった日常」に波風がたつ。 「ゆうこ」という新鮮な風は、玄助と西に忘れていた (忘れようとしていた)過去を呼び起こす風だった。 若い頃小説家志望だった西は、ファンだったというママや、 玄助にせがまれて再び筆をとる。 そして、今の日常、 「我楽多屋」を舞台とする半フィクションを書き始める。 そのことに触発され、 そのフィクションがあたかも現実のような錯覚に陥る日本語教師に、 現在の社会の歪を見たような気がした。 ふてぶてしくも潔く生きる、[ゆうこ]というキャラクターにひかれた。 「好き」といっておいて、すぐにからっと「冗談よ、信じた?」。 彼女もまた「わけあり」の人物。 住み込み可の募集の仕事場を、うその履歴で渡り歩く。 しかし、それは「本当に好きなものに巡り会うため」。 誰よりも「生きている」人物。 その[ゆうこ]が骨董屋の棚のライトや吊してあるペンダントを順々に灯けていき、そのポツポツとした、やさしくてさみしいあかりの中に一人いるシーンがある。 このシーンだけでも、この芝居を観に来てよかったと思える。 (装置の石井さんは文学座のダンディな装置家です。) 「過去は美しいものであってほしい」 歳を重ねると、皆そう思うのだろうか。 しかし、その偽った過去に関わった者にとって、 その行為は己の存在も否定されかねない罪だ。 それがどんな思い出にしろ「覚えていてほしい」と思う。 もしかしたら、辛い思いを味わった事件であるほど。 それは「今の自分の存在の証」となるものだから。 舞台で役者が生きていた。 いい舞台だった。 |