■■■SUNの舞台評■■■



真夜中のパーティー

観劇日:1997年1月13日(月)19:00〜
劇場 :PARCO劇場

    作:マート・クローリィ
演出・翻訳:青井陽治
   美術:堀尾幸男
   照明:沢田祐二
   音響:高梁 巌

   出演:マイケル:加勢大周
      ドナルド:金子賢
      エモリー:手塚とおる
       ハンク:田中実
       ラリー:湯江健幸
     バーナード:沢向要士
       アラン:羽場裕一
     カウボーイ:風間将義
      ハロルド:永島敏行



@@@[ストーリー]@@@

ニューヨークの高級マンション。
部屋の主・マイケルはパーティーの準備をしている。
今日はホモシェクシャルの友人達が集まってのバースデーパーティー。
そこにマイケルの学生時代の親友アランから電話がかかってくる。
「どうしても今、会いたい」と泣き出すアランをマイケルは拒めない。
結婚し、子供もいるアランに自分がゲイであることを知られたくはないのに。

ぎごちないながらもアランを迎えるメンバー達。
やがて、苛立つエモリーの皮肉と冷やかしにアランが激怒。
二人は殴り合いのケンカになる。
騒ぎの中、アランはマイケルとメンバーの秘密に気付く。
気まずさと怒りにマイケルは、
立ち去ろうとするアランを引き止めたうえ、全員にゲームを提案する。

「今までに、一番自分が愛したひとに電話をする」。

このゲームを利用し、アランに告白を強要しようというのだ。
学生時代のある「出来事」について。
マイケルはアランが本当は共通の友人であった男子学生と関係があったと思っている。
このゲームに巻き込まれたメンバーは、各々が傷つく。
最後にアランが電話をする。彼が「愛している」といった相手は、彼の妻だった。
そして、アランは立ち去る。メンバーも。
マイケルは激しく自分を責める「皆を傷つけた」と。
そして夜のニューヨークの街に出ていく。


@@@[感想]@@@

初演は1968年。
映画は1970年制作。
(=ビデオで観ました)
そういうわけで、”古さ”を感じてしまうのは仕方ないことかもしれないけれど、こんなにもゲイが自分自身のことを否定しているってのは、やっぱり30年前の作品だなという感じですね。
(もちろん、この戯曲はすばらしい戯曲です。)

「これを、今また演ることの意味ってのはどこにあるのだろうか?」

再演ものを観るといつも思うことなんだけど、
というか、そう思ってしまった作品ってのは私にとっては
「今また演る意味」が「ない」と思った、ってことなんでしょうね、きっと。
それは、「演出の問題」として、ってことです。

「演出」の役割の一つは、それなんですから。

演出の問題はおいといて、演技陣にうつりまして、
先ず加勢さん(=マイケル)。
膨大な台詞をまだ完全にこなしてませんね。
初日が開いて1週間、もう言い訳は通用しないぜ、って感じです。
東京での楽の頃には大丈夫なんだろうか? 
会話が会話になってないってのは・・・。

手塚さんのエモリーはさすがの出来でした。
しかし、演技者に技術の差がありすぎる。
こんなこと言っちゃっていいんだろうか...。
でも、正直なところ、7000円は高いよっっ。
てなことで、あんまりお薦めな舞台ではありませんでした。
でも楽の頃には、こなれて、もっと面白くなってるかも
(とフォローをいれておく)。

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