■■■SUNの舞台評■■■



蜘蛛女のキス

観劇日:1996年10月12日(日) 13:00〜
劇場 :アートスフィア(天王洲アイル)

           演出:ハロルド・プリンス
    美術・映像デザイン:ジェローム・サーリン
照明・映像コーディネイター:三上良一

出演:オーロラ/蜘蛛女:麻美れい
       モリーナ:市村正親
    ヴァレンティン:宮川 浩


さて、ひさしぶりにミュージカルを観て来ました。
去年の夏にブロードウェイに楽しみにして行ったら
数日前にクローズしていた「蜘蛛女のキス」。
日本のキャストでお目にかかることが出来ました。
(出来れば比べてみたかったけれど)

最初は小説、そして戯曲(ストレートプレイ)、
映画(これが一番知名度ありますね。ウイリアム・ハートが出演してた)
ときてミュージカルとなり、1993年ブロードウェイに。
トニー賞とりまくりの絶賛の舞台でした。

さて、日本の舞台ではいかに。

先ず、総評。
良かったですねえ。
私の好み(ハードなテーマでミュージカルって好きなんですよ)
でもありますし。
役者ももちろん良い。
装置、効果、照明(映像)のミックスも見事。
舞台はやっぱり総合芸術ですよ。うんうん。

装置の基本は鉄格子。
上手、下手に対象の幾枚もの格子パネルがスライドすることで、
舞台空間を変化させる。
そしてその格子パネルの全面に張られた紗幕に映像がスライドされる。
イメージの映像。
コピーを何度も繰り返したかのような荒れた画像の刑務所のファサード。
サイズを無視した鉄条網。
蒸せるような熱帯の花々。
そして、蜘蛛の巣。

この蜘蛛の巣のスライドの美しいことといったら・・・。
オーケストラボックスの上に紗幕が張ってあるから
「何だろう?」と思っていたのですが、
この蜘蛛の巣の為だったんですね。

舞台奥、袖、床、一段降りてオケボックスの紗幕。
この立体的な平面に蜘蛛の巣のスライドが重なると、
まるで劇場全体が囚われたような心地がします。
そうしてその蜘蛛の巣の真ん中から、蜘蛛女=麻美れいが歌いかける。
私はこの1シーンを観るためだけでも
「走れ劇場へ!」と言ってしまおう。

さて、装置のことばかり書いてしまいましたが、
舞台は役者のものです。ということで、役者。
市村正親さん。
見事な役者。彼はゲイの役をするのは3度目でしょうか。
私はゲイの市村さん観るのは初めてですが、今回はおかまのゲイ。
この人の芝居は、この人が役をやっているということを忘れます。
その役でしか観れなくなる。
市村さん演ずるモリーナは
革命家ヴァレンティン(宮川 浩)に惚れてしまい、
彼の望みをかなえる為に殺されてしまうのだけれど、
問題はヴァレンティン(宮川 浩)にあり。
なぜか。
だってね、モリーナがそれだけ惚れるような男には見えなかったもの。
そこにリアリティがない。

ミュージカルにリアリティがあるかって? 
バカ言っちゃいけないよ、
「リアルである」ということと
「リアリティがある」ということは違うのです。
そのドラマの舞台が過去であれ未来であれ、異国であれ異世界であれ、
ドラマをドラマたらしめているのは人間の感情であり、感覚です。
そこにリアリティがある。
どんなにリアルなテレビドラマでも、そこにリアリティがないのは、
つまりその部分が欠如してるからだっっ。

閑話休題
ヴァレンティン(宮川 浩)が魅力のない男だったからといって
彼ばかりを責めるのもかわいそうです。
演技はお互いの関係性ですから。
でも宮川さん、市村さんを惚れさせるにはまだまだだったね。

麻美れい=蜘蛛女。凄味のある美しさ、といいましょうか。
さすが宝塚で3000人の観客の視線を一人で受け止めてきただけのことはあります。
(これって結構すごいことだと思うぞ)
あの蜘蛛女を納得させてくれたのは彼女の存在感のなせる業でした。

しかし、ミュージカルはチケットが高い。
仕方ないけどね。
あの装置と出演者数では
チケット代で採算とろうと思ったらああなります。
(今回、S席13000円なり)
それと、パンフレットがあんなに高いのは何とかならないものだろうか。
(今回1800円=これはバカ高い)
ミュージカルって高いのだよ。
入場料も高くて、パンフも高い。
いいかげんにせい!

てなことで、乱筆(?)乱文失礼しました。
この「蜘蛛女のキス」は11月16日まで公演してます。
ミュージカルファン、走れ。
そして、「けっ、ミュージカルなんて」と思っている君も走れ。
懐に余裕がある方には絶対お薦めです。

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