■■■AYAの観劇記■■■



ふるあめりかに袖はぬらさじ


大阪松竹座


2003年 11月1日(土)〜 25日(火)    大阪松竹座 公演
2003年 11月30日(日)〜 12月25日(火) 新橋演舞場 公演


観劇日:2003年11月17日 1階1列17番


HP主人 森(=SUN)筆。

杉村春子さん。

文学座では「先生」と呼ばれる方です。
文学座のすぐお隣にお住まいでした。
ご存命の頃、ゆるゆるとお歩きされている姿を時折お見かけしました。

ひとたび舞台に立つと、なんて凛として、なんとかわいらしくなられることか、と、
感動ひとしおに、その舞台を拝見したのを覚えています。

ご葬儀は文学座のアトリエでした。
雨が、降っていました。

「よく降る雨だねえ」

日本の演劇の歴史に、ひとつの区切りがついた。
そういう時でした。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。





ふるあめりかに袖はぬらさじ




 作:有吉佐和子
演出:坂東玉三郎

製作=松竹

<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

      お園(芸者):藤山直美
      亀遊(遊女):牧瀬里穂
      藤吉(通辞):松村雄基
イルウス(アメリカ商人):団 時朗
       岩亀楼主人:小島秀哉


<あらすじ>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 攘夷か開国かで揺れ動く幕末の横浜。
遊郭・岩亀楼(がんきろう)の行灯部屋では亀遊という花魁(牧瀬里穂)が
一人寂しく病にふせっていた。
寝付いて三ヶ月、見舞いといえば
昔なじみのおしゃべり好きで酒好きの芸者お園(藤山直美)と
通訳の藤吉(松村雄基)がやってくるくらいであった。
亀遊が最近ずいぶんと良くなったのは藤吉が調合する薬がきいたせいでもあるが、
それ以上にお互い恋仲であることが大きな力となったのをお園は気づき
暖かく見守る事にする。

 やっと病が癒えて店に出た亀遊に惚れ込んだアメリカ商人イルウス(団時朗)は
即金で身請けしたいと言い出すが、絶望した亀遊は自殺してしまう。
この事が表ざたになり商売に差し障りが出ては一大事と秘密にしておいたはずが、
ある日瓦版に亀遊のことが「攘夷女郎」として大々的に報じられてしまう。
事実とはまるで違ってしまった話を真に受けて岩亀楼に押し寄せてきた野次馬客を
納得させるため店の主人(小島秀哉)に言いつけられて
お園は即興で作り話をでっちあげ、亀遊自決の場を演じてのける。
皮肉なことにこれが評判を呼び岩亀楼の名物となる。

 それから五年、今日も亀遊自決の場を客の前で演じるお園に
意外な出来事がふりかかるのであった・・・・。

(ちらしより)


<期待して>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 まず、この芝居を見ようかどうか迷ったので、
このHPのマスター・森さんに相談させていただいた。
すると、もともとは文学座の杉村春子先生のために書かれた戯曲だそうで、
薦められたので行くことにした。
チケット代はかなりつらかったが。

 そして、チケット予約開始日の前日、
新聞にこの公演の宣伝がでかでかと載っていた。
帰ってきた父が見て、
父「へえー、これ面白そうや」
母「この子、行くのですってよ。一等席で」
父「ほう、えっと12600円。豪気な。わしらも行きたいけれど金がないわ」
母「まったくね。直美さんの芝居はTVで見る限り素晴らしいけれど、高いのね」
父「ま、ライブ感覚を楽しむ、か」

 ということで、
直前まで3回も観た宝塚宙組の感想を書き終わってから観劇に行った。

 いざ席に座ると、1階1列なので宝塚大劇場と違い、
手の伸ばせるところに舞台があって、観る前から感激していたら、
なんと周りの1列の連中は某百貨店の会員価格で購入している。
真面目に払っているのはこの列では金子だけ?
?となった。
しかし、平日の昼公演であったが、ほとんど満席。
藤山直美人気は凄い、と思った。
期待がさらに膨らみ、開幕となった。


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「名戯曲と名女優のマッチングを楽しむ舞台」

 観終わってから一番に思ったことは、
「この脚本を読んでみたい」ということである。
というのは、直美さんのアドリブ満載で、
噴出してしまって台詞のいえない共演者あり、というノリノリだったので、
どこが本当の台詞か知りたいという気持ちがあった。

 それとこの作品は確かに喜劇であるが、
根底には動乱の時代をしたたかに生き抜く女の哀歓が描かれていると思うのだが、
どうもコメディという感じのほうが強かったので、
脚本のどこがシリアスな部分になっているのだろう、と探してみたい気がした。
確かに喜劇で「哀しみ」を表現するのは難しいと思うのだが、
これが音楽劇・ミュージカルなら
いきなりシリアスなメロディと歌詞の曲を入れてしまうという術が使えるのだが
(こう考えると、ミュージカルというのはある意味、
 歌があることで作劇がやりやすいかもしれない)、
ストレートプレイだからそういうわけにいかず、すべて台詞勝負なので、
ヒロインの哀しみがどこに表れているのか脚本を丁寧に拾ってみたいと思うのだ。

 全体に観て思ったことは、
観客の98%は喜劇と思って
「ああ、楽しかった」で帰ってしまったのではないか、ということである。
もう少し、わさびのように、
「女の哀しさ」のスパイスを効かせる事ができれば完璧だったと思うが。

正味2時間半で12600円、チケット代が少々高い気がした。
10500円なら我慢するが。
あとは人別に。
なお、杉村先生・玉三郎さんのバージョンを観ていないので比較はできない。


 お園の藤山直美さん。
この人は大阪を代表するだけでなく、日本の演劇界を代表する女優さんだと思うが、
「口から先に生まれてきた」ようなお園を自分の特性にあわせてやっていたと思う。
直美さんのお園は、人情に厚くて、
その場その場で調子よく合わせて生きているように見えがちだが、
芯は移り行く世情の事や、自分の立場を冷静に捉えているという創りに観えた。
ただ、喜劇的なところは申し分ないのだが、
プログラムの解説にポイントと書かれている最後の台詞、

「よく降る雨だねえ」

というところが今ひとつさらりと流されてしまっているようなので
(それが意図なのかもしれないが)、
少し消化不良を起こしてしまった。

 つまりこの台詞に、
「(まったく)よく降る雨だねえ
 (ああ、われとわが身を考えると嫌になってしまう)」とか

「よく降る雨だねえ(私は雨〔=開国の世情〕に流されながら、
 この遊郭に閉じ込められているのだ)」

 といった、言外のニュアンスが感じられたら良かったのに、というところである。
金子の感じるところ、この役はまだ直美さんの手中に100%入っていないと思った。
まだ東京公演もあり、再演をすれば当然良くなると思うが、
それは本人次第なのでなんともいえない。
ただ、これだけの名戯曲を当てられたのだから
「直美のお園」を確立して欲しいと思うのだが。
どうでしょう。


 亀遊の牧瀬里穂さん。
短い出番ながら透明感のある幸薄い遊女を演じて見せた。
最後までこの芝居は亀遊の存在を引きずるのだが、印象はしっかり残っていた。
滑舌のいいのが好印象を与えた。
ただ、あまりにも出番短すぎる・・・。


 藤吉の松村雄基さん。
亀遊を愛する生真面目な通辞であり、
彼女の死後は医者になるために密航してアメリカにわたる青年であるが、
イルウスがいう英語を亀遊のためストーレートに訳せないで動揺する様や、
彼女への思いを一段落させてアメリカに旅立つところなど
二枚目としてすっきりした出来であった。
ただ、直美さんがアドリブだらけのところを
隣でじっと聞いているのは大変だろうなー、と思ったが。


 イルウスの団時朗さん。
先の杉良太郎公演のときも思ったが、
本当は日本人の癖に外国人をやらせたら、
堂々とした体躯と押し出しでぴたりとはまる。
今回も強引な商人を堂々と演じていた。
しかし、こちらも出番が短いなー。


 主人の小島秀哉さん。
商魂たくましい廓の主人で、
芸者などは思い通りに使い放題でというところは芸歴の長さでお手の物という感じ。
しかし、面白かったのは、直美さんとのアドリブ合戦だ。
どちらも一歩も引かない状態で、
1回公演だったということもあるのかかなり長々と笑わせてもらった。
それで脱線してもちゃんと芝居の本筋に戻すところは流石だ。


 以上、いい芝居であったが、
もう少し解釈が深ければ12600円の値打ちがあったと思うが、
今ひとつ、というところであった。
再演されれば見比べてみたいと思った。
以上で終わる。


<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

なんとかまだネタはあるのだが・・・・。

 今回は「1階1列」。
色々な劇場で有難いことに最前列に座らせてもらうことがある。
まず、オケボックスがある宝塚大劇場はショーの最後のパレードで
全員がでてくるまではあまり近い感じがしない。
本舞台でやるのがほとんどなのだから
「かぶりつき」感覚を味わえるのは5列ぐらいまでならそう変わらない。
一方、オケボックスがない劇場
(こちらのほうが圧倒的に多いと思うが)
最前列、といったらそれこそ「かぶりつき」である。
宝塚大劇場が当たり前の金子にとって
「わー、前だな。いやだ、オペラグラスなど重いだけだったわ」
と思うほど。
初めは隣の人がメイク直しをしていると
「いや、そんなに役者さんから見られるの?」と思ってしまった。

金子家では「かぶりつき」が大好きなのは金子だけで、
「後ろでも、全体に見たい」金子に言わせれば「センター主義」なのが両親である。
これは読者の方も好みが分かれるだろう。

みなさん、どちらがお好きなのでしょうね。


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□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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