■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


花 組

慶長グランド・ロマン
野風の笛


グラン・ファンタジー
レヴュー誕生
−夢を創る仲間たち−




2003年  5月23日(金)〜7月 7日(月)  宝塚大劇場公演

2003年  8月 8日(金)〜9月14日(日) 東京宝塚劇場公演



観劇日:
6月12日 1階 1列22
7月 3日 2階 7列22

劇場:
宝塚大劇場



HP主人 森(=SUN)筆。

轟閣下、理事就任後、初舞台。

金子さんは
「いままでは「閣下」だったのだが、
 理事になられたのだから「先生」とお呼びするべきでしょうね」

と、書いていらっしゃるが、
いっそう「閣下」と呼ぶに相応しくなったのでは・・・
という見方も出来るのでは。

それにしても、金子さんの感想を読むに、
轟閣下は素晴らしい芝居をしていらしてるらしい。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




慶長グランド・ロマン
野風の笛


   原作:隆慶一郎「捨て童子・松平忠輝」(講談社文庫全3巻)より
脚本・演出:谷正純


<出演者>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

宝塚歌劇団 花組&専科

         松平忠輝(徳川家康の六男):轟悠

       花井主水正(花井三九郎の嫡子):春野寿美礼
   五郎八姫(忠輝の正室、伊達政宗の息女):ふづき美世

       柳生宗矩(将軍家の武芸指南役):瀬奈じゅん
    豊臣秀頼(豊臣秀吉の嫡子、大坂城主):彩吹真央
   伊達政宗(奥州の勇と呼ばれる外様大名):立ともみ
        徳川家康(江戸幕府初代将軍):汝鳥伶
        花井三九郎(忠輝の筆頭家老):未沙のえる
  徳川秀忠(家康の三男、江戸幕府二代将軍):夏美よう
不知火(傀儡師、忠輝の身の回りの世話をする):蘭寿とむ
              りんどう(同上):遠野あすか

専科= 立ともみ、汝鳥 伶、未沙のえる、轟 悠
他、花組


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 徳川家康に「鬼っ子」と恐れられ養子に出された忠輝は、
自由奔放な思考、特異な才能の持ち主だった。
兄である二代目将軍・秀忠に忠誠を誓う忠輝であったが、
秀忠はその才能を恐れ、忠輝暗殺を命じる。
やがて家康は忠輝に勘当を言い渡す。
家康が忠輝を勘当にした真の理由は何だったのか・・・・・。

 波乱万丈の生涯を遂げた忠輝を主人公に、型破りな男たちの夢とロマンを描く。

(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「泰然自若とした轟理事の存在感」

 点数からつけてしまうと60点、というところか。
専科の特別出演による主役、
そして花組メンバーにも役を振らなければならない、というお家事情で、
根本の主役像がいまひとつはっきりしないのが難点だ。
実は、CATVに加入しないとTVが見られない地域に金子は住んでいるので、
「時代劇チャンネル」という父しか喜ばないchで放送された、
松平健さん主演の同じ原作で忠輝を扱った1987年のTV時代劇を見たのだが
(題名も同じ「野風の笛」であった)
こちらの方が、忠輝中心にしぼってあったので、すっきりした印象を受けたし、
また宝塚版を観るのに理解が深まった。

例えば、秀忠に諫言に行くのも忠輝自身でこちらの方が自然に思えた。
宝塚の主水が諫言して自決する、というのは
春野の場面を増やすだけの演出意図が感じられて、
もっといかに忠輝が余人にはとても追いつけない「鬼っ子」であるかということや、
理知的なところ、豪放磊落なところ、
そして「鬼っ子」のまま92年を生き抜く決心をさせる境地に至らせる由縁、
など一言で言えば
「絶対普通では追いつけない」
忠輝の人物の大きさをもっと書き込むべきであろう。
余りにも、当時の歴史上の有名人物が多く忠輝に関わるために、役はどんどん増やせるのだが、今ひとつ、宝塚の事情よりも主人公をしっかりと描くことが劇の本質ではないだろうか。
主人公の像が少しはっきり見えなかった次第である。

こうなれば、仕方ない、
轟理事にはこちらの方にだけ出演していただいて、場面をもっと増やし、
ショーは出演なし、にしたほうが理にかなうのではないか、と思った。
もっと忠輝の人間的な素晴らしさ、というものを
原作は読んでいない人間としては知りたかった。
後は人別に。

 松平忠輝の轟悠
(いままでは「閣下」だったのだが、
 理事になられたのだから「先生」とお呼びするべきでしょうね)。
非の打ち所がない。
「完璧」の一言に尽きる。
もう、下手な言葉を並べるのはそれこそ「蛇足」だ。
もし、タイムスリップできて、本当の忠輝に会えたらきっとこんな人に違いない、
という確信が持てたほどだ。
「流石」です。轟先生。

 主水の春野寿美礼(オサ)。
6月に観た時は、いまひとつ自決の場面で「重さ」みたいなものが感じられなかったが、
7月に観た時はかなり良くなっていた。
最初のほうの、友達感覚の明朗闊達なところはいいが、
7月に観ても、少し感情が高ぶったところの台詞になると
怒鳴り口調になってしまうのが惜しい。
それでももう少し、父の死のあとをうけてなった、
「家老」という職の重さを考えて行動している、
という重心みたいなものがあると良いのだが。
もう少し「武士たるもの」というのがあればいいだろう。
余りにも轟先生が完璧なのでやりづらいだろうが、
自決のところなど見せ場はあるのでトップとして頑張って欲しい。
しかし、五郎八姫への思慕を断ち切るところなどはオサらしくて良かった。

 五郎八姫のふづき美世(ふーちゃん)。
ひらすら忠輝を慕う純粋な姫、というあまり為所がない役だが、
男役の方が圧倒的に役の数が多いので仕方ないか、というところである。
人物像は少ないながら描けていたと思うが、問題は歌である。
6月に観た時は
「キーは出ているようだから、もっと太く強い声が出せないのか」
と思ったのだが、7月に観た時は本当に失礼だが
「あなた、音楽学校出たの?」
というレベルにしか聞こえなかった。
TCAのときも思ったのだが、今の彼女には歌唱力の向上が第一の課題だ。
トップ娘役として克服して欲しい。

 柳生宗矩の瀬奈じゅん(アサコ)。
出だしの大道芸人に扮しての説明は6月では少し滑舌がはっきりしなかったが、
7月の時は2階にいても全部分かった。
役の方だが、どちらかというと能動的なイメージのあるアサコとしては、
クールに決めていて及第点は出せる。
もう少し出番が多いといいのだが、こればかりは仕方がない。

 豊臣秀頼の彩吹真央(ユミコ)。
没落していく家の最後のプリンス、という役はプログラムにも本人が述べているように、
前作『エリザベート』のルドルフと似ているが、
彼女はこういう短い出番で集中して役を表現できるようになったのは強みである。
母への愛情、妻への思いやり、最後の時への観念、といった複雑な感情を
1場面で難なく乗り切った。
今後はこういう短い場面の役ではなく、
多い場面を使っての人物造形もみせてほしいものである。

 伊達政宗の立ともみさん
政宗の虎視眈々としたところなど、台詞が力強く出ているので十分感じられた。
まあ、専科の方にはいうことなどないのだが。

 徳川家康の汝鳥伶さん
家康がでる、と聞いたときに
「ああ、これは汝鳥さんの出番だな」
と予想したらそのとおりであった。
愛情ゆえに忠輝を勘当する、という複雑な親心だが楽勝、といった感じだった。

 花井三九郎の未沙のえるさん。
ひょうひょうとしていながらも、
忠輝に本当の武士としての生き方を切腹までして教える出番のわりに重要な役である。
江戸城で忠輝がなかなか来ないので困惑する様と、
最後の銀橋を渡りつつ今後のことを息子に言い含める演技とが
いいコントラストをなしていた。

 徳川秀忠の夏美よう(ハッチさん)。
純粋ではないが、こういうハッチさんの悪役を観られるのは久しぶりではなかろうか。
星組時代は「悪役専科」のような時もあったのに。
自分より人気も技量も高い忠輝に対して、嫉妬と恐れを抱き排斥しようとする
器量の小さい人間をきっちりと表現していた。

 あとは、小さな役ばかりになってしまうのだが、
蘭寿とむ・遠野あすかを中心とした、傀儡子のメンバーは全編を通してでていて、
「忠輝の野の家来」という芝居は出来ていた。

 印象に残った人は、
家康の家臣の矢吹翔の確実な台詞まわしと
千姫役とショーでのピアノを弾く令嬢役をしていた桜乃彩音の清楚さが印象に残った。




グラン・ファンタジー
レヴュー誕生
−夢を創る仲間たち−


  原案:小林公平
作・演出:草野旦

宝塚歌劇団 花組 &専科 


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 作者、演出家、音楽家、振付家、衣装デザイナー、照明デザイナーら、
ショー創りに関わるスタッフたちの夢と創作活動の様子を
明るいナンバーで綴った、楽しさとセンス溢れるレヴュー。

(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「今ひとつパリのエスプリが感じられないショー」

あえて書くと

「『♪愛の賛歌』と『♪ラ・ヴィアン・ローズ』を歌わせといたら、
 シャンソン・レビューになるというものではないよ」



 作品概論から行くが、
昨年の『ON THE 5Th』のパリ版、と聞いたときに
「ああ、いいなー」と思ったのだが、
いざ観劇した感想は昨年に及ばない。
何が足らないのだろう、と考えるとシャンソンが余り歌われていないことがまずある。
オープニングとフィナーレでメドレーとして出てくる以外は、
「♪愛の賛歌」と「♪ラ・ヴィアン・ローズ」くらいしかなくて、
「白鳥の湖」などよりもっと使うべきいいシャンソンはいくらでもある。

 それと、構成がショーつくりの裏方と華やかなショー場面の交錯となっているのだが、
これも裏方の方をもう少し少なくしてバランスをよくとって欲しかった。
金子としては、ちょっと華やかなショーの場面が少ないような気がするし、
裏方はボヘミアンの4人
(ボヘミアンが分からない方は映画『ムーラン・ルージュ』(01)を見られるべし)
だけでもいいのではないか、とすら思う。

 そして、これまたお家事情だが、轟先生の出演場面があのようなのはどうだろう。
オープニングと最後の締めだけやっていだたくなら、芝居の方に集中していただいて、
「完全分業」の方がいいのではなかろうか。
轟先生だって、いつかは春日野先生のようにショーの出演はなくなることは、
あれだけ真面目な方だからお分かりと思う。

 それに、原案が小林公平社長なら、
どうしてこの「レヴュー誕生」するところを宝塚自体にされないのだろう。
10年以上前の愛読者大会(いまのTCAのようなものです)で取り上げたから?
金子なら、ストーリーテラーとして、「レヴューの王様」といわれた、
故・白井先生を轟先生にやっていただいて、
宝塚がレヴューをいかに取り入れ今のようになったのか、
という変遷を55分詰め込んだほうがずっといいと思う。
なにも舞台はパリでなくていいと思う。
というわけで、
「ごちゃごちゃとなんだか『パリ風』が55分あったなあ」という感想しか持ち得ない。
7月は家に帰ると思わずCS放送のディナーショーの
「99年宝塚パリ祭」(匠ひびきが中心)を見てしまった。

 それから、6月に隣の方が
「私、春野さんのファンだけれど、
 彼女『エリザベート』で最高に滑り出したものだから、
 (手で示して‘天狗’に)なっている」
と言われたので勇気を持って正直に書かせていただく。
春野寿美礼ファンの方はここ読み飛ばしてください。

 このショーを観終わって、金子が正直ぱっと思ったことは
「花組のショーってつまらないなあ」ということである。
その理由は、と考えると、やはりトップスターに行き着くのである。
よく、「ショーはスターを見せる」という。
つまり、宝塚というところは、ショーではスターの特性を見せるところなのである。
すると、観客としてはスターに各場面で違った、いろいろなよく言われるところの
「引き出し」を見せて欲しいのである。
大劇場3階のビデオシアターで春野は「あなたの売りはなんですか?」という質問に
「爽やかさ!」と答えている。
金子は、こういうだろうな、とは予想していたが、本人に言われた途端
「いやー、それでは影のある役とかどうするの?」と思ってしまった。
つまり、金子にとって、現在の春野には
「爽やかさ」という引き出し1つしか見えてこないのである。
正直、これでは困る。

まず、「引き出し」を入れる「机」を用意していただきたい。
「机」というのは、春野というスター独自の特徴である。
他人を例に出すのは悪いが、轟先生なら「確固とした男らしさ」であり、
和央ようかなら「鷹揚さ」と「都会的」といったところである。
いつでも「爽やかさ」の金太郎飴では見飽きる。
芝居では、「机」がないことが功を奏してかどんな役にも染まれる春野だが、
もう少し「多面的なアピール」というものを考えていただきたい。

金子が最高に感じたショーの1つに同じ花組の『ダンディズム!』がある。
あの時の披露公演だった真矢みきのエンターティナーぶりは素晴らしかった。
場面が変わるごとに髪型も変わっていたけれども、表現がずっと変わりっぱなしだった。
月組の真琴つばさもそうだったけれども、「エンターティナー」と呼ばれるスターは
「引き出し」がたくさんあるのである。
春野も持っている「華」は素晴らしいから、
「エンターティナー」になっていただくべく、あえて書かせていただいた。


第1章 パリ・レヴュー

 プロローグから羽根の豪華な幕開きだで、上から続いているが、
最初に出て来る春野寿美礼のダンスがどうもと思った。
6月のときは、「もっとポーズに気を配ってフォルムを考えてみれば」と思ったが、
7月に2階からみたらそう思う理由が分かった。
振りに忠実すぎるからてきぱきと見えてしまうのである。
物事、緩急は大切である。
ダンスにおいては、元花組トップの大浦みずきさんは緩急のつけかたが素晴らしかった。
「宝塚のアステア」といわれるだけの技をお持ちだった。
もとにもどるが春野の歌は安定していて聴きやすい。
そのあとやっとシャンソンが歌われて、最後に轟先生の登場となるのだが、
ステッキ・帽子の扱い方など見ているだけで手馴れていて、
さすがトップ経験者でいられたと思った。

 その後で、男役が白いコート翻しての「♪愛の賛歌」となるのだが、
なんだが、『ジャンクション24』(H3年)の焼き直しのような気がした。
それでも、春野と轟先生の二重唱は歌を上手とする2人だけに迫力がある。


第2章 クレアトールの苦悩

 瀬奈じゅんの大劇場では初の1場面であるが、
ちょっとオカマのナルシストの衣装デザイナーという設定がひねってあって面白かった。
アクティブな感じのする彼女にはよくあった場面であった。
ただ、そのいきついたデザインの衣装はちょっとタイトすぎる感じがしたが、
最後に帽子がマネキンめがけてさっと下りてくるところは装置さんに拍手である。


第3章 愛の幻想即興曲

 春野が扮する売れない本書きが夢の中でジゴロとなって踊るシーンであるが、
幻想即興曲の歌は素晴らしいのに、上の「爽やかさ」とジゴロは全く相反するのである。
相手役の舞城のどかが大柄でアダルトなダンスの出来る人だからなんとか、
ジコロとはみえるが、プログラムを読んでいなかったら
「あ、コートを脱いでなんか格好いい男に変わったな」としか思わないであろう。
去年の『琥珀色の雨にぬれて』で分からなかったのかな。
クロードの方がずっと似合っていたのに。
金子なら、コートの下は白燕尾(次が黒燕尾だから)にでもしておいて、
令嬢がせりあがってきて、優雅にデュエットダンスを踊るにしておくが。


第4章 スワン・レイク

 なんでまた、‘ロシア’の作曲家・チャイコフスキーの作曲した「白鳥の湖」の
亜流みたいなのが中詰めなのか。
やたら長く感じた。
そのまえにボヘミアンたちが言う「スペルタクル」とは
こういう「優雅な」とは違うと思うが。

春野→王子→ジーグフリード王子→「白鳥の湖」というのは
あまりにも単純な着想ではありませんか、草野先生。

金子ならここで一気に宝塚のシャンソンの名曲メドレーとしますが。
宝塚には、「♪モン・パリ」からはじまって、「♪夜霧のモンマルトル」、
「♪メモアール・ド・パリ」と名曲がたくさんある。
ボヘミアンに「日本のレヴューを見てみよう」と言わせておいて、
これらを次から次へスターに歌わせたほうが、色々観られて聴けていいと思うのだが。
上のディナーショーの「巴里祭」では「宝塚のシャンソンコーナー」ができるくらい、
宝塚とパリは縁が深いのだ。
それに、轟先生に中詰めでも出ていただきたかった。
「♪夜霧のモンマルトル」などいいではないか。

 しかし、黒鳥の瀬奈はここではさきほどのデザイナーとはがらりと変わっていて、
彼女のほうにショースターとしての可能性を感じる。
また、フィクサーの役のような矢吹翔も上にいるだけなのに、存在感がある。


第5章 スターへの道

 始めの彩吹と蘭寿のかけあいは、日によって変わっていて面白かった。
また、「消極的な舞台人」(プログラムより)の春野はジゴロよりあっていて、
ここぞ「爽やかさ」全開の「♪ラ・ヴィアン・ローズ」で爽快だった。
ダンスのことはもう書いたので書きません。 


第6章 オーナーの夢

 轟先生による締めの場面である。一気に『凱旋門』モードへ。
ショーに重みが加わる。
先生の歌はいうまでもないのだが、
後ろの3人の女役のダンサーの人たちのドレスの裾さばきが上手いのは
選ばれている証明だろう。


第7章 フィナーレ−レヴュー誕生

 ラインダンスの遠野あすかの歌は透明感があっていい。
そして、贅沢にも轟先生がエトワール。
ここでこそ、「♪モン・パリ」を歌って欲しかった。
日本のシャンソンのはじまりだから。
しかし、そのあとに「♪枯葉」や「♪パリゼット」などが出てくると安心した。


 ということで、一言で言えば
「もっとシャンソンを聞かせろー!」
という心の中の絶叫とともにショーは終わった。
50点。
やはり、草野先生には「レヴュー」はお似合いにならないです。
やはり、「ショー」作家です。
今、「レヴュー」が似合う先生はやはり岡田先生でしょうかね。
だれか、『メモアール・ド・パリ』のような、
シャンソン・レビュー演出してくださらないでしょうか。
これも宝塚の伝統ですから。
それでは今回はこの辺で。


<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 「雨に唄えば」に引き続き映画の話題で。
「どうしてこれを宝塚でやらないのだ!」と思う映画。

「めぐり逢い」(57年・米)。
3度ほど映画化されているが、真ん中の、
ケイリー・グラントとデボラ・カーのやつです。
レンタルビデオでも廉価DVDもあるのでどこに住んでおられても
見ることは可能と思いますが、これぞメロドラマの究極。
また、主役の2人が美男美女のカップリングのうえ粋でおしゃれ。
また、主題歌も一度聴けば覚えられる甘美なメロディー。
筋は、さっと書いてしまえば、ともに結婚相手が決まっている、
世界的プレイボーイと元クラブ歌手の真実の愛、
なのですがアクシデントやすれ違いがあって・・・
でも最後はハッピーエンド。

ミュージカル化しようとするなら、男の方のナンバーが必要でしょうが、
女のほうはクラブで歌うところとか音楽を教えるところなどあるので、
版権がとれるなら是非宝塚でやるべきだと思います。
でも、船の中が大半の話なので、登場人物が少なくなるのは否めないので、
バウかドラマシティが適当でしょうね。

誰にやって欲しいか、といわれると、すぐ実現可能なのは宙組トップコンビでしょうが、
月組 月船さらら&紫城るい、
雪組 壮一帆&白羽ゆり、あたりの中堅でも面白いかもしれません。
5連作や二番手ばかりのバウもいいですが、
いい作品なら中堅クラスでも面白いと思うし、いい勉強の場となると思うのですが・・。
ま、一度映画を見てみてください。

ちなみに、先日初めてこの映画を見た父は
「あーいい映画だった。これ宝塚でやっていないの?絶対宝塚向けだよ!」
と太鼓判を押してくれました。
今回はここまで。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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