2003年 5月26日〜6月11日 公演 観劇日:2003年6月11日(水)14:00 作:三島由紀夫 演出:鐘下辰男 美術:島 次郎 照明:中川隆一 音響:井上正弘 衣裳:前田文子 ヘアメイク:林 裕子 演出助手:山田美紀 舞台監督:矢野森一 芸術監督:栗山民也 主催:新国立劇場 <出演者>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ルネ/サド侯爵夫人:高橋礼恵 モントルイユ夫人/ルネの母親:倉野章子 アンヌ/ルネの妹:片岡京子 シミアーヌ男爵夫人:新井 純 サン・フォン伯爵夫人:平 淑恵 シャルロット/モントルイユ夫人家政婦:中川安奈 <案内・筋書き>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 美を追求する思想に身を投じた、 昭和を代表する華やかな文学者・三島由紀夫(1925-1970)。 彼はまた優れた劇作家でもあり、 現代演劇や歌舞伎においても著作や演出などで活躍して、多大な成果を収めました。 現代演劇の財産となるべき優れた作品を集めたシリーズ 「現在へ、日本の劇」の掉尾を飾るのは、 その三島戯曲の中でも最も高い評価を得ている作品のひとつ 『サド侯爵夫人』。 1965年の初演では衝撃的な内容で話題をさらい、 以来国内のみならず海外でも様々なかたちで上演され、支持を集めています。 ロココと呼ばれる絢爛と頽廃の時代からフランス革命勃発へと至る、 情緒不安定なパリが舞台。 当時の世の風潮から著しく逸脱した性癖のため投獄された夫をひたむきにかばい続け、 実母と激しく対立しながら、理解者であろうと苦しんだサド侯爵夫人・ルネが、 老年に及んで初めて辿り着く真実とは・・・・・・。 サディズムという言葉の語源でもあり、 今もなお不道徳の象徴とされるサド侯爵に関係する六人の女性たちが登場。 ルネは貞淑、 ルネの母モントルイユ夫人は法・社会・道徳、 シミアーヌ男爵夫人は神、 サン・フォン伯爵夫人は肉欲、 ルネの妹アンヌは女の無邪気さと無節操、 召使シャルロットは民衆 をそれぞれ代表する者として描き出されます。 各々が確信する思想を激しくぶつかり合わせ、葛藤しながら築く人間関係の妙。 ロココ様式から抜け出したようなフランス貴族たちの飾った言葉と、 語られる悪徳や肉欲との美しいまでの対照性を通して、 流麗な台詞回しが真髄の三島戯曲を存分に堪能できることでしょう。 比類ない完成度を誇るこの作品に新たな光を当てるべく演出に取り組むのは、 人間の心情を深く巧みに描くことに定評のある鐘下辰男。 実力ある六人の女優もそろって、 豊富な修辞や緊迫感あふれる会話がどのように表現されるのかも見どころになります。 『新国立劇場「サド公爵夫人」公演案内より』 <感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− チェス盤。 舞台が進行するにつれ、その舞台を観ているにつれ、そう思う。 縦、斜・・・。 止まる。 対峙。 時が 流れる・・・・。 その役者の動きと、予めそのように造られたであろう装置(床の紋様)が、 チェス・ゲームを連想させる。 「役者はコマか!」 そんな大時代的な台詞が聞こえてきそうだ。 けれど、 駒で『出来る』役者を貰えたら、こんな幸せなことはないんだ。 上記は、私という演出家の(多分、他のどんな演出家も)心の叫びだ。 分かってもらえるかな。 駒で使えるってのは、 何も言わなくても、労力をかけなくとも、 その「働き=仕事」をしてくれているということだ。 ってなことを、書いていると、 「演出家、ラクしようとしすぎー」というダメが、きっと入るだろうから もうここらへんでやめておく。 ブレイク。 チェス盤。 東洋の「将棋」と、よく比較対象とされるゲーム「チェス」。 似ているもの程、 実は、違うのだよ。 取った「駒」は使えない。 降りた「駒」も使えない。 裏返り「駒」も使えない。 裏返った別『駒』(「別」なだけだ。「強」くなったのではない)があるだけだ。 その「駒」は、その「駒」というだけだ。 だからこその、『サド侯爵夫人』=『チェス』 私は嫉妬にかられるだけだ。 「私に、このキャストと一緒にやらせてくれよ」と。 前にも書いたが、 三島由紀夫 泉 鏡花 谷崎潤一郎 ジャン・コクトー 我が愛する文豪たち。 そういうことで、 「嫉妬」にかられつつ、こうして、久々の自己「観劇記」更新です。 と、更新している今は「6/16になった深夜」。 素直な演出家 というのも たまには いいでしょう。 ってなことで。 オヤスミナサイ 善い夜を。 |