■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


宙 組

宝塚グランド・ロマン
傭兵ピエール
−ジャンヌ・ダルクの恋人−


レビューデラックス
満天星大夜總会
−THE STAR DUST PARTY−





2003年  2月21日(金)〜 3月31日(月)  宝塚大劇場公演

2003年  5月 9日(金)〜 6月22日(日) 東京宝塚劇場公演



観劇日:
2月24日 1階 4列50(父と観劇)
3月 4日 1階16列63
3月13日 1階14列29(観劇予定)

劇場:
宝塚大劇場



HP主人 森(=SUN)筆。

今回、ショー(レビューデラックス)は「満天星大夜總会」。

花總まりの大夜会ってことか。

(花總の「總」の 大夜「總」会)
と、私はこのタイトルを見た時に思ったもんだ。

ちょっとあたってた。

「HANACHANG」ってキャラクターが出てくるそうだ、
そのレビューデラックス「満天星大夜總会」に。

舞台の上でマイク片手に、
「元気ですかあー!」
と客席に、

「私は?」
と 自分のことをフルと、
その他出演者が「ハナちゃん!」
と答えるらしい。
親衛隊のノリみたいなんだろうか。

そしてまた客席にも「よろしくね!」とハナちゃんがマイクを向けるらしい。


ハナちゃん(=HANACHANG)ってのは、宙組トップ娘役の花總まり。
現在、宝塚の女王。
トップオブトップ。
女帝。

アイドル「HANAGHANG」と女帝。
アイドルと女帝。
こんな相反する言葉が混在している花總まりって、やっぱすごいかもしれん。


金子さんは、お父様と観劇された時、
お父様はハナちゃんの「よろしくね!」に答えて客席から手を振っていらしたとのこと。
金子さんは一瞬「この人の家族と思われたくない」と思った、と書かれてますが、
私も間違いなく手を振ってます。

世間では
「花總まり 長いこといすぎー」
とか
「若い娘にかえてー」
とか
言う声があるそうだが、
いいじゃないの いたって。
っていうか、いて。

もう一回エリザベートやろう 花總まり姫で。
和央ようかのトート。
ルキーニは轟さん専科から呼んで。


金子さんはこの公演三回行くのですね、
(三回目はこれから)
私は一回でいいから東京公演の時に行きたいものだ。

いいなあ。
ハナちゃん(=HANACHANG)見るためだけに行こうかなあ。
その前にチケット取らないかんだろー自分。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




宝塚グランド・ロマン
傭兵ピエール
−ジャンヌ・ダルクの恋人−



   原作:佐藤賢一「傭兵ピエール」(集英社刊)より

脚本・演出:石田昌也


<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

宝塚歌劇団 宙組  (専科)邦 なつき、箙 かおる、伊織 直加


     ピエール(傭兵部隊「アンジューの一角獣」の指揮官):和央ようか

   ジャンヌ・ダルク(オルレアンの乙女、フランスの救世主):花總まり

        トマ(「アンジューの一角獣」の副官、会計係):伊織直加
     ロベール(「アンジューの一角獣」の幹部、元修道士):水夏希
          ヨランド(シチリア王妃、アンジュー公妃):邦なつき
                       コーション司教:箙かおる
               ラ・イール(フランス軍の名将):椿火呂花
               カトリーヌ(コーションの愛人):華宮あいり
       ルイーズ(ピエールと同郷の幼馴染み、今は娼婦):彩乃かなみ
ヴィベット(傭兵部隊に囲われてピエールにあてがわれている女):花影アリス

                               他 雪組組生

<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 佐藤賢一氏著「傭兵ピエール」(集英社刊)を舞台化。

歴史に名高いフランス救世の乙女“ラ・ピュセル”ことジャンヌ・ダルク。
神の使い、気高い聖女と思われがちなジャンヌだが、
彼女もまた一人の女性として恋をしていた。
ジャンヌの愛した男、その名はピエール。
ならず者たちが集まる傭兵部隊の青年指揮官である。
ジャンヌは「魔女裁判」で火刑になるというのが通説であるが、
今回は二人の恋を大胆な発想でロマンチックに描く。

(ちらしより)


<原作を読んで>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「プラハの春」のときあわてたので、今回は原作を読んだ。
しかし、読み始めると「どうやって宝塚らしくするのだ?」というところが多々。
まず、ピエールの容貌だが、

「中背より高いが長身ではない」
「がっしりと骨太の体格だった」
「真ん中で割れた顎」
「頬までかかる無精髭」
「段のついた鷲鼻」
「褐色の長髪」
(以上原作より)

→どこが和央ようかなのだ?
ポスターを見ると格好よすぎて大分違うぞ。

それから、ピエールは強姦、強奪など朝飯前のならず者の隊長である。
→どこが「清く、正しく、美しく」なのだ?

このことを一緒に観る父に言うと
「それを、どう宝塚化するかが、見所なのじゃないか」といわれた。
まあそうだけれど、う〜ん、
この原作を取り上げた石田先生というのも勇気あるなあ、と思って劇場に足を運んだ。


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

金子 「骨太な原作をラブロマンス中心に描き、
    『すみれコード』ぎりぎりまで近づこうとした作品」

父 「花總さんの最後のウエディングドレス、
   近くで見たので凄く綺麗だった!」


 まず、「歌劇」の座談会を読んだのだが、石田先生いわく
「原作からモチーフだけを頂き」とあった。
ここでは少し、原作を読んだ者の感じたことを書かせていただく。

まず、原作は

[1]傭兵の不安定な身分とその実情
[2]ピエールの女性に対して、特にジャンヌに対しての恋愛、が

[1]:[2]→5:5ぐらいの割合で書かれていたと思う。
実際、読んでいて上巻を読み終わったときは
「いつピエールとジャンヌはラブラブになるのよ!」と思ったほどだ。

さて、宝塚においては、[1]:[2]→2:8という感じであった。
よって、男役の「その他傭兵」以外の役が少なく、
女役ももともと役が少ないので少人数で話が進む、ということになった。
ジャンル分けとして「宝塚グランド・ロマン」とあるが、スケールが少々小さい。
やはり、「宝塚グランド・ロマン」とするなら
「ベルサイユのばら」とか「風と共に去りぬ」とかという
歴史の動きも絡むスケールが大きい話で、1本立てのものにするべきだろう。
たしかに、原作を読むと、同時代の日本の室町時代からは想像できない、
フランスの騒乱の時代だが
(プログラムにある解説を読んでも理解しにくいほど、激しく変わる時代である)、
もう少し歴史的なことをいれてもいいか、とも思う。

原作の下巻を中心に構成するだろうことは本を読んだだけで想像できたが、
もう少しジャンヌもピエールも歴史の渦の中にいる、という緊迫感が欲しかった。
また、脚本にテンポがないので、4日は隣の観客は爆睡。
トイレでも、声高にこのことを言っている人がいた。
原作から考えると、ジャンヌをピエールが火刑から助けて、
南フランスに戻る逃避行の中で燃え上がる恋愛模様などを取り上げれば
もう少しドラマティクになるのではないかと思う。

 さて、上に書いたように、いわゆる「すみれコード」の話だが、
原作(プログラムには原作者は「アンチ・タカラヅカ」と文をよせておられる)
を読んである程度覚悟していったのだが、やはり「きわどい」ところがあった。
団体の男性客(24日)には大うけであったが。
しかし、少々宝塚を知っている父ですら
「宝塚で『私の裸を見たのですか?』というと思わなかったな」と言っている。
こういう点でも「宝塚グランド・ロマン」というには相応しくないかな、と思う。
まあ、「ミュージカル」くらいがいいと思う。

 あと、24日に多く見たような、団体客にとって
「宝塚」→「フランスの話」→「ベルバラ」
という公式があるだろうから、このミュージカルを観ると
「甲冑ばかり着て、いつになったら綺麗な衣装が出てくるのよ!」になると思う。

実際、主役のピエールですら私服は4着ぐらいしかないのだ。
最後、やっとジャンヌは父が満足するようなウエディングドレスに着替えるのだが、
ピエールはマントをまとって甲冑のまま。
衣装代は相当ショーに回ってしまった。
こういうヴィジュアル的にも「宝塚グランド・ロマン」とはいいにくい。

原作の下巻を中心に使った脚本だが、
4日にロビーでジュースを一緒に飲んだ人に感想を聞いてみると
「なんだか、子供だましのような話」、
「ジャンヌ・ダルクに対して私たちが今までに持つイメージを散々崩してくれたわ。
 ジャンヌは処女のまま火刑で死ぬのよ。それでこそ歴史に残るのではない?」
と言われた。ギャラリーの声はなかなか厳しい。
ジュースを飲んだ後、もう4回も隣の席に座ったことのある、
この公演を5回観る、という人にこう言われた、というと
「最近、感動するものがないわー。あなたは?」と言われた。
金子も考えてしまって「やはり、『エリザベート』でしょうかねぇ」
としか答えられなかった。
全体的に言うと、華に欠け、ストーリーも「きわどい」の方も
「ピエールの生き様」と同じぐらい印象に残る。
点数をつけるなら60点。

また、主題歌でピエールは「僕」と歌っているが、原作も台詞でも「俺」なのだから、
歌だけ「僕」は変だと思った。
「聖なる星の奇蹟」の時にも書いたが、宝塚の演出家の先生、
一人称にはもっと気をつけましょうよ。
特に主役に対しては。

ジャンヌの歌う、「愛のような恋」(作曲:西村耕次)は
素直で覚えやすいメロディーラインで主題歌より耳に残りやすい。
さて、いろいろ書いたがそれぞれのメンバーに移ろうと思う。


 ピエールの和央ようか(タカコさん)。

ピエールという人物は

[1]女性、特にジャンヌに対して表す優しい面
[2]育ちのためか下品で、女にはすぐに男性としての本能を満たして欲しい
   (かなり婉曲に書いているのですよ)という下郎なところ
[3]傭兵隊長としてならずものたちに対しても通用する求心力、
   そして「シェフ殺しのピエール」と恐れられるほどの冷酷な面

の3つに分けられると思うが、
原作では[1]から順に、5:3:2であるが、
宝塚では8:1.5:0.5という割合であると思った。

タカコさんは[1]に対しては持ち味の「甘さ」でなんなく乗り切り、
(ジャンヌに対してはピュアであるところなど)

[2]に対しては相当柄が悪く、荒くれて物をいっていたが、
所詮女性がやっている、また、原作にないジャンヌが生真面目で、
物知らずのところがある脚色に助けられて、そういやらしく感じなかった。
むしろ、この[2]は団体のオジサマたちの笑いの場面になっていて
24日など相当笑いがでていた。

[3]に対してはヴィベットを殺した連中をすぐ復讐として殺してしまう、
という設定ぐらいしかないのだが、あのスタイルで父いわく、
「あのピエールの人、なんという愛称?タカコさん?すごく背が高いな。
 あのスタイルで甲冑を着ているとなんだか、本当に強そうな男に見えるな」
と言わせてしまった。
本当の男にこう思われるなら[3]もクリアというところか。

金子としては、
「あー、最後はハッピーエンドで、本当は貴族のお坊ちゃんで、
 相思相愛のジャンヌと結婚できて『いい男』になっているな。
 やはり、宝塚のヒーローは格好よく出来ているわ」
と思った。まあ、そういう帰着に達すれば役作りとしては成功だろう。
ただ、原作を読んだ限り、このピエールについてはもっと奥深い心理描写などがしてあるので、演じているうちにもっと「大きな男」になると思う。
千秋楽は行けないが、千秋楽までにどんなピエールになるか期待したい。


 ジャンヌの花總まり(ハナちゃん)。
ジャンヌは「『神の啓示』から受けた信念に従って生きなければならない」という面と、
「本当は女一人戦場で、『神の啓示』という支えがなければ寂しくてたまらない、
 誰かに抱きしめてもらいたい、しかし神のため男に恋してはならないという苦しさ」
という1人の女性としての両面を持った女性だ。
「聖女」ではない「一人の女性」というジャンヌがこの作品には出てくる。
有名な絵にあるように、「ジャンヌ=聖女」という既成概念をお持ちで、
それが崩されるのが嫌だ、という方は仕方ないが、
脚本だけでなく、原作もジャンヌは「一人の女性」として書かれている。
また、脚本には上に書いたジャンヌの生真面目さや物知らずのところが書かれているので、
ましてや原作をお読みでない方は違和感を覚えられるだろう。
しかし、ハナちゃんは原作・脚本どおりに
ジャンヌという一人の女性をきちんと演じている。
もうこの人にかかったら、「どんな役でもかかっていらっしゃい」状態である。


 トマの伊織直加(ナオちゃん)。
この作品で退団だが、原作では会計係のほかに、
ピエールに1度喝を入れるところ以外そう大きな役ではないのだが、
今回は「ピエールの部下」という以上に
「トマの許可を得なければピエールの許可が得られない」という雰囲気があって、
「隊の重臣」という趣があった。
喝を入れるところのほかに、ソロの曲はなかなかパンチがあったし
(歌詞内容が分かりやすい)、最後なのでもっと大きな役でもいいと思えた。
しかし、原作にはピエール以上書き込まれている役はないので仕方ない。
髪型も凝っていてなかなか原作以上の存在に作り上げている。


 ロベールの水夏希(ミズ)。
元修道士にしてはあまりにも生臭だが、トマと違ってピエールにべったりではなく、上手く世間を渡って出世する、という要領のいい男をいつものちゃらちゃらしたところなく演じていた。
「女の指揮下に入るのはいやだ」というソロの曲で
トマと違ったかっかとした男気のあるところが現れていて2人の対比がよく出ていた。


 ヨランド王妃の邦なつきさん。
1場面しかないところに、政治家の一面、王妃としての威厳、母親としての愛情、
ジャンヌとの結婚の命令、と盛りだくさんであるが、
1場面だけでもったいないと思わせるほど立派な出来であった。
さすが専科、という言葉以外ない。


 コーション司教の箙かおるさん。
原作を読んだときから、金子は箙さんを想定してしまったほどで、
「神の言葉」は教会専売であると主張し、司教の癖に愛人を囲い、
知らぬうちに自分でその愛人を火刑にかけてしまう、
という人間として汚い面ばかり見える役だ。
やはりさすがで、最後にカトリーヌを骨まで焼いてしまえと命令し、
自嘲するところなどは見応えがあった。


 ラ・イールの椿火呂花(ゆうか)。
彼女もこれで退団だが、原作のイメージや座談会で言われるように
「専科のやるような役」が最後に回ってきた。
ゆうかは「エイジ・オブ・イノセンス」の繊細さとはうって変わって、
原作の実戦経験の豊富な貫禄のある人望がある大隊長を、
ピエールより貴族で位が高く徳のある人物に上手く置き換えた。
声が太く出ており、「エイジ〜」とは別人のように思えた。
ショーと合わせて、この公演だけで色々な魅力を見せてくれて、
退団とは惜しい限りである。
えてして、いわゆる新人公演が終わったあとの「中堅どころ」の男役は、
やめるときに「有終の美」といえる
いままでに見えなかった魅力を見せてくれるものである。
最近は中堅どころの退団がおおいので宝塚自体を心配する金子の心情は
最後になって揺れ動くのである。


 カトリーヌの華宮あいり(あいり)。
彼女もまたこれで退団だが、意地悪でゲスな美女をこわく的に演じていた。
彼女は女役になると大きい役が多かったような気がするが、
初めから女役希望か女役転向をしていれば、
もっと芸名のように「華」が咲く人ではなかったか、と残念である。
かつては、男役から女役に転向してビックになった人が多くいた。
「男役一本」というのもそれもまた潔いこと、であるが人生には何本もの道があるように
違う道を探ってみるのもまたよし、ではなかったのではないだろうか。


 ルイーズの彩乃かなみ(みほこ)。
出だしの人生捨ててしまったような娼婦も
なかなか下級生の頃と比べてけだるい雰囲気があったが、
やはり売春宿を出て行くときのピエールに取りすがって、
寂しい胸のうちを明かすところが短い場面だがルイーズの人格を明確に表していて良かった。
そのあと、ピエールの警護する村で農婦として幸せそうなところは
いつもの「元気印」一杯で、
ジャンヌの他に彼女も幸せになってよかったな、
と思える原作にない展開であった。


 そして、ヴィベットの花影アリス
正直、初舞台のときから凄く目立った存在だったが、研1にしてもう大きな役が来た。
期待の新人である。
容姿は抜群なのだが、まだメイク、髪型(4列にいるとヘアピンが丸見えだった)
に研究の余地はありすぎるほどだ。
しかし、一番純朴な娘を一生懸命演じていた。
そして、彼女の唯一のプライド「ジャンヌの代わりとしてピエールに抱かれるのは嫌だ」
ということはきちんと伝わってきたので、研1としては上々の出来だと思う。
父も「あのヴィベットの人、花總さんに似ていて美人だな。後、歌はどうなのかな。
   リカちゃん(紫吹淳)の相手役(映美くらら)だって、抜擢だったのだろう?
   歌が上手けりゃな・・・いけるよ」と言っていた。
今後楽しみな存在だ。


 色々書いたが、原作を読んでいかれることをお勧めする。
それと、男性には結構受けるので、親孝行にはいいだろう
〜なんて少々自分の父親向けの演目を選ぶ自信がついてきた金子であった。





レビューデラックス
満天星大夜總会
―THE STAR DUST PARTY―


作・演出:斎藤吉正


<出演者>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

宝塚歌劇団 宙組  (専科)邦 なつき、箙 かおる、伊織 直加


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 中国語で「満天星」は夜空を埋め尽くすほどに輝く星の数々を、
「大夜總会」はパーティー、パレード、またレビューやショーといった意味を持つ。
 香港や1920年代上海のグランドキャバレーの雰囲気を醸し出す、
オリエンタルムード溢れる華やかなレビュー。

(ちらしより)


<「なんだこれ」>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 父にちらしを見せた途端、こういわれた。
確かに仰々しい名前のショーである。
金子も「ここまで凝らなくても」と思ったし、
むしろ副題のほうを主題に持って行っては、という感じである。
なんだか最近は英語ばかりのショーも多いし、カタカナというのはもう古いのかなぁ。


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

金子「チャイナ服から伝統の黒燕尾までありの
   55分盛りだくさんなまた少し変わったアジアンショー」

父 (中詰めで)「こんなに人間がいるのかぁ?」
  (終演後)「あー、音楽がガンガンとうるさかった」

 「アジアンショー」というと今までいろいろあったが、
このショーでは場所をアジアでも割りと狭く設定しているのはいいと思った。
インドとかの方までいってしまうショーも多々あったので。
しかし、最後になって急に伝統の黒燕尾の男役の総踊りや(総踊り自体はいいのだが)、
プログラムを読まないと設定が分からないシーンが2つほどあるのが残念である。
しかし、それゆえに選曲がバラエティに富んでいるなど、
今までの「アジアンショー」と違うテイストを感じた。
それと、スターを上手く使えているのはなかなかの手腕。
大劇場デビュー作を55分上手く時間を使いこなせていると思った。
たっぷりショーを観た気分になる。
大劇場デビュー作としては上々のほうだろう。
少し、おめでとうの意味も加えて85点。


第1場 熱烈歓迎*OPEN THE GATE*

第2・3場 歌舞般的飛翔

第4場 麗美優時空(れびゅうじくう)
〔ここまでがオープニングとしてくくれるか〕

 和央ようかがオケピットから銀橋の中央に現れて始まる。
ここで父「わっ」。
ショーの常套手段だし、ここ2作「バビロン」「Joyful!!」と続いているので
金子は新鮮味を覚えないが、
初めて観る人にはインパクトがある登場の仕方のようである。
初めに考え出した先生はエライ!か。
そして和央がそのまま銀橋から少し客席に下りて来るのだが、
4列通路側にいたので、また父
「いや〜、ピエールの時大きく見えたが、本当に背が高いなぁ」と喋る。
ここで周囲の人に文句を言われてはたまらないし悪いので、金子、父の耳元に
「上演中喋ってはいけないことは常識なの!」と焦ってささやいた。

 と客席ではハラハラのショーが始まった・・・・
しかし、金子の受難(?)はまだ続く。
ショー本題に戻るとトップスターが3着も衣装を着替えるのは、芝居の鬱憤を晴らしてくれるし、
主題歌「THE STAR DUST PARTY」(作曲:高橋城)も
雰囲気のある曲だ。
花總まり中心の女役の剣舞も凛としていて、ドレスを着て登場よりインパクトがある。
あと、水夏希が
「銀橋を一人ダンスするだけでわたるところがあるのです。
 ナツメさん(大浦みずき)みたいにできたらいいのですが」
というようなことを座談会で語っていたが、正直に言わせてもらうと、
ナツメさんの域というのは相当ハイレベルである。
たぶん水は「ジャンクション24」の中詰めをさしていっているのだろうが、
あの技は手や足が動くだけで劇場の空気が揺れるのである。
目に残像が焼きつく、というか。
水頑張れ、というだけにしておこう。

 それより和央ようかファン(ファンクラブは8000人いるそうだが)の金子としては、
「あ、タカコさん、変わったな」と思った。

[1]ニコニコ笑っているかスッとしている「ノーブルタカコ」 

[2]果敢にも花總にダンスを挑んでいくとか、
  「ダンシング・スピリット!」のネコの場面のように
  いわゆるドスを効かせる「ワイルドタカコ」の2種類しかなかったように
  思ったのだが、今回は

[3]ビデオ収録の日だというのに、
  上着の袖口からブラウスが出ているといった‘気取らなさ’、
  いわば「カジュアルタカコ」

[4]これぞ男役、決めて女性客をメロメロにしてやる「キザタカコ」の2つが加わった。

[4]はどういうことをいうのかというと、ウインク・流し目です。
これは、伊織直加の影響があったのではないか、と思う。
伊織は花組育ちで、「ウインクの帝王」とでもいうべき
元花組トップスター、真矢みきの役を
新人公演で多くやっていた人。
「ショーの花組」の伝統が一部、宙組に移るのはいいことだと思う。
「アク」とか「あざとさ」というものは、
宝塚のスターには要求されるものだと金子は思っている。

 オープニングでは銀橋の「カジュアルタカコ」
その後は「ノーブルタカコ」しか見られなかったが、これからが変わるのであります。


第5〜6場 銀幕街頭

 言ってしまえば、このショーのなかで一番印象に残る場面である。
スリの少女「HANACHANG」が、松浦亜弥のノリの
(これはSKY STAGEを見て我が家家族全員で一致したイメージ)
アイドルとなって、彼女の憧れのスターまでもが彼女にひざまずくというシーンである。
スター役の椿火呂花の弾けようとスカシようも面白いが、
ここはなんといっても「HANACHANG」である。

舞台の上でマイク片手に、
「元気ですかあー!」
「よろしくね!」
「私は?」
→その他出演者が「ハナちゃん!」ときた。

おい、ここは日本武道館でもフェスティバルホールでも、
ましてや東京ドームや大阪城ホールではないぞ、宝塚大劇場なのである。
ああ、とうとう真矢みきの作った「アキラ」に対して出来てしまったよ、
女役のキャラクター「HANACHANG」。
とその場は思ったが、家に帰ってふとこんな考えが頭をもたげた。
斎藤先生、もう花總まりがタカラジェンヌとして舞台で演じるキャラクターを考え出せなくなってしまったので、ご本人をキャラクターにしてしまったのか?
はあ〜、もう言葉がない。

しかし、この「HANACHANG」キャラクター、なかなか強力である。
金子の受難がまた・・・。
わが父、なんと「よろしくね!」とハナちゃんがマイクを客席に向けると、
手を振っているのである。
金子、一瞬「この人の家族と思われたくない」と思った。

しかし、目立ったろうな。
硬直する娘と、にこにこと手を振る白髪の老人。
父のハナちゃん賛歌は終演後も続くのであった。
帰りの電車の中で金子のズボンの足を見て、
「ハナちゃんの足は、本当に人形のようだな。すーっとして。お前なんか4倍あるわ。」
その上、確信犯的にその日の日記に「こちらを見てくれたと思う」と書いている。
もう、知るか。


第7〜9場 大聖悟空(たいせいごくう)

 現代版孫悟空に扮した和央が、
多分トップ就任後初めて花總以外の女役と組む場面である。
その相手は美羽あさひ。
実力派の娘約さんだが、花總以外というので、和央の包容力がよく分かった。
ここでは、ダンスの振りからしてもカジュアルで、
和央の表情も多彩で「カジュアルタカコ」が見られた。
激しい振りのあと、少しで息を整えて歌えるようになったのは、
前作「ザ・ショーストッパー」を乗り切った証か。
花總対してとぜんぜん違う和央に新鮮味を感じた。
ただ、この場面はプログラムを読まないと、
「西遊記」をベースにしていると分かりにくく、
もう少し装置など工夫ができなかったろうか。


第10〜15場 満天星大夜總会 *SHANGHAI 1920*

 いわゆる中詰めである。
伊織のギャングに始まって、
歌は水の歌う「アマポーラ」まであってバラエティに富んでおり、
最後に結婚式で収まる、明るい中詰めである。
ここで花總は芝居に引き続き、2回目のウエディングドレス姿だ。
とにかく皆が弾けているのがいい。
それよりも金子が気に入ったのは、カーテン前の、和央、伊織、花總の
「アバ・ダバ・ハネムーン」の早口言葉連発の掛け合いの歌である。
和央と伊織の「俺のほうがいい男だろう」というキザぶりも面白かったが、
2月というのに汗びっしょりで「カジュアルタカコ」を思い切り楽しめた。
もう、ここでは和央、伊織ともウインクの投げ合い合戦である。


第16〜17場 星辰童話(せいしんどうわ)

 ここもプログラムを読まなければ、どういう設定か分かりにくいシーンである。
寿つかさの存在感はさすがであったが、
手錠を使った踊り、というのは以前にあったし、そう目新しくなかった。
また、水の相手役が彩乃かなみであるが、このペアは花組時代から見慣れていて、
和央のように一度相手役を変えるのもいいのではないかと思った。
しかし、この場面では、彩乃は結局サソリで、
声をがらりと変えるのはこの人の歌唱力がなせる技であろう。
それなら、フィナーレナンバーの水の相手はそれこそ花影アリスでどうだろう。
いつかトップになる人材なら、色々な人と組むのも大切だと思うが。
しかし、水の歌唱力が確実に上達しているのはよく分かった。


第18〜19場 異邦悲恋

 始めに和央の歌があり、
伊織と椿の悲恋が場面であるが、椿の女役も歌声は難があるが、
もともと上品な顔立ちの人だけになかなか似合っていた。
芝居のほうでも書いたが、最後で新しい面を見せられた。
伊織の方は伝統的二枚目で、宝塚生活最後として軍服でスターの風格が漂っていた。


第20場 白翼伝説(びゃくよくでんせつ)

上の2人が悲恋に終わったあとの、白の衣装の総踊りだが、
ここはあえて全員が踊るのではなく、退団者を立てる意味で、
伊織と椿の二人だけの昇天にしたほうが、
和央も体力が要るショーだし、2人だけのほうがいいのではないか思った。


第21〜23場 「あ」(済みませんWordで出ませんでした)娜百図(あだひゃくず)

第24場 パレード *THE STAR DUST PARTY*

 3組のカップルの歌から、水・彩乃のデュエット、ラインダンス、
そして究極の黒燕尾の男役の総踊り、伊織が歌う「別れの歌」に乗せての
トップコンビのデュエットダンス、といきなり宝塚の定番がくる。
黒燕尾の総踊りは金子の記憶では昨年の花組の「Cocktail」以来になり、
「さあ、きたぞ」とぞくぞくするのだが、
今回は曲もスタイリッシュで金子の好きな「Unchain my heart」で
なかなか1ファンとして嬉しかった。
先に歌う伊織がなかなかアドリブたっぷりに歌っているので、
4日は伊織中心に観ようと思ったのだが、「キザタカコ」にやられてしまった。
16列にいながら、タカコさんの流し目にメロメロ。
伊織を見ようとするのだが駄目だった。
雪組出身者、また、前宙組トップの影響もあるのだろうが、
宙組で流し目なんて初めてであった。
それでも、伊織が歌詞を丁寧に歌っているときは、
「ああ、トップになれないでやめるのだな」と惜別の思いが心を満たした。

 ということで、和央ようか中心に書いたが、ショーの感想をこれで終える。
と、これを書いていると後ろから父のこんな質問が来た。
「ねえ、なんで宝塚の男役はリーゼントなの?」
あまりにもこの公式に慣れきっている金子、答えが出せなかった。
だれか、初心者が納得する答えがあるなら、そっとメールで教えてくださいね。


<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 昨年末にミュージカルに関する本を2冊買った。
今回はその1冊から。
「ミュージカル作品ガイド100選」成美堂出版 本体1300円
 地域別に分けて、ミュージカルの秀作をざっと紹介している本だが、読んでみて金子
「あー、この自分も結構あれやこれやよく観ているな」と思った。
また、日本初演もきちんと書いてあるのがうれしい。
その上、小さいが、日本版上演時のちらしが載っているのも結構楽しい。
その中で、もう一度、また一度見てみたいベスト3。

1、「その男ゾルバ」
  →「アイ・アム・フリー」のあの精神は人間に強く生きる意志を鼓舞させる。
同じ台本・製作コンビの「屋根の上のバイオリン弾き」ほうが知名度は高いが、
「人生とは」ということを考えさせるミュージカルである。
藤田まことさんの持ち役のゾルバだが、
藤田さん、毎年1回の梅田コマ劇場の公演で「剣客商売」ばかりやらずに、
もう一度「ゾルバ」やっていただけませんか?
初演(1986年)から大分たって、また味もでてくるでしょうに。

2、「上海バンスキング」
  →もう観られないのかと思うと残念である。
「人間とは楽しくて哀しいものである」というのを強く感じさせられた舞台であった。
テーマ曲「ウェルカム上海」を始め、当時の有名曲が目白押しで、
最後に劇場のロビーで演奏してお開き、というのが良かった。
宝塚の「霧深きエルベのほとり」(菊田一夫脚本)の次にいい脚本だなー、
と観劇時には思った。

3、「ファニー・ガール」
  →映画の印象が強いだけに、日本では1980年に鳳蘭さんで初演されただけ、
というのが不思議である。
最近のミュージカル女優でこういうパワフルさを得意とする人が少ないから再演がないのだろうが、人をえたらなかなか見ものの作品になるだろうと思うのだが。

 まだまだ、「くたばれヤンキーズ」
(多分、元野球選手でないとジョーの若き日の役がやれないのがつらいところだが)
とか、
「グランドホテル」、
「ブラッド・ブラザーズ」(柴田恭兵さんやって下さい)、
「マドモアゼル・モーツアルト」などいろいろあるが、
やはり、今、といわれたら「その男ゾルバ」が観たいなぁ。
今回は以上です。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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