■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


星 組

ミュージカル・ロマン
ガラスの風景


レビュー・アラベスク
バビロン
-浮遊する摩天楼-




2002年 11月22日(金)〜12月24日(火)  宝塚大劇場公演

2003年  2月14日(金)〜 3月23日(日) 東京宝塚劇場公演


観劇日:
12月19日 1階 1列27
12月20日 2階14列26
12月24日 1階19列85

劇場:
宝塚大劇場


HP主人 森(=SUN)筆。

すみません金子さん。
去年頂いたものなのに、今年になっての更新です。

先ずは、お詫び。


今回の公演、退団者が8人。
文中に金子さんは「宝塚人生」という言葉を使っている。
この宝塚という世界は、退団という区切りがある。

宝塚における人生 という区切りがあるわけです。

新しい人生も素晴らしいものでありますように。
退団する方達に祈りを込めて。

しかし、文末の<金子のよしなしごと>コーナーには、
毎回笑かしてもらってまっせ。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。


ミュージカル・ロマン
ガラスの風景


レビュー・アラベスク
バビロン
-浮遊する摩天楼-



<1階1列>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 読者の皆さん、許されよ。
上の席番をみて、「♪ジェラシ〜」と歌われているような気がしてならない。
しかし、誓って言う。
金子、それぞれのチケットに7500円以上払っていない。
19日のほうは宝塚友の会で当たったのだが、始め封を切ったとき
「あ、2階の一番前ね。サヨナラ公演だし、いい方か」。
と思って後で整理しようとしたときびっくりしたものである。

友の会会員の皆さん、頑張って電話入力していれば当たるときもあります。
「もうやめた」と思わずに「継続は力なり」で続けてください。

一方、千秋楽のほうは「努力」のなにものでもありません。
お金をかけるなら、委託とかいろいろ方法はあるのでしょうが、
自分の力でとったチケットには、それなりに愛着が沸き、
その日までのドキドキ感がたまらないものです。


<1階1列のその後>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ああ、やはり目の前に立たれるスターを観ているだけで舞い上がってしまって、
とてもいつも16列とかで観ているときのような冷静な見方ができなかった。
仕方なく、次の日、万障繰り合わせて、ない袖を振って、B席で観た。



ミュージカル・ロマン
ガラスの風景


    作:柴田侑宏
演出・振付:謝珠栄


<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(ちらしより抜粋)

宝塚歌劇団 星組73人  (専科)鈴鹿 照、矢代 鴻、未沙のえる、初風 緑


ジョーイ・バクスター(アメリカ人。貿易会社役員):香寿たつき
 ローラ・シモンズ(イギリス人。シモンズ家長女):渚あき

  グレゴリー・クレマン(オランダ人。大学教授):初風緑
  ピッコラ・ポンテイ(イタリア人。別荘の住人):鈴鹿照
 アルト・ポンティ:(イタリア人。ピッコラの妹):未沙のえる
 フランコ・ミラー(イタリア人。ミラノ警察警部):安蘭けい
ピエトロ・グレコ(イタリア人。別荘管事務所所長):夢輝のあ
 マリオ・グランデ(イタリア人。銀行家の御曹司):朝澄けい
レオナルド・バローネ(イタリア人。政治家の息子):真飛聖
        リーザ・クレマン(クレマンの妻):秋園美緒
      クララ・シモンズ(シモンズ家の次女):仙堂花歩

                          他 星組組生

<ストーリー>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 1960年代、北イタリア湖畔のリゾートでの一シーズンの出来事。
ヨーロッパ各地の資産家が集まる別荘地は、夏の間だけ小社交界を形成しており、
この夏もシーズン開きのパーティーがシモンズ氏のサロンで行われていた。
皆の注目は、新たに別荘地の住人としてやってきた青年紳士、
貿易商ジョーイ・バクスターである。
その日、シモンズ家の次女クララが殺人容疑をかけられる事件が起こる。
妹の容疑を晴らそうとするシモンズ家の長女ローラと、
彼女に魅かれるジョーイの大人の恋。
約1ヶ月のこの別荘地のシーズンが終わるまで、
ジョーイとローラの胸のうちにどのような変化が起こるか・・・。
夏の終わりの別荘地に「アリヴェデルチ」の歌が聞こえる。
(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「サスペンスとラブ・ロマンスをあわせて
  ミュージカル化しようとした意欲作だが、
  ミュージカルらしい華やかさに欠けるのが残念」

「ガラスの風景」う〜ん、なにを意味するのだろう。
行くときの電車の中で考えてしまった。
それはプログラムを読むと「美しく壊れやすい青春時代の夢」ということである。

今回の主人公ジョーイの年齢は37歳、と舞台の中で語られているし、
彼を追い詰めるミラー警部の年齢も35歳ぐらいの設定と
安蘭けいがプログラムでいっている。
ヒロインのローラの年齢は定かでないが、30歳は越しているであろう。
とにかく大人の話である。
いわゆる20代の青春を経た後の人間で、現在の世の中へのしがらみ、
もうもどらない過去への憧憬、などを有する人間が分かるドラマなのだ。
しかし、である。
「夢」を売る宝塚が30代の話では少々「宝塚らしくない」気がした。
まあ、こういう大人のドラマはこの星組のトップコンビにはしっくりあっているが、
『エクスカリバー』的な宝塚を想像して劇場に足を運ばれた、
特に団体のお客さんには違和感があったかもしれない。
19日・20日両日、いわゆる「サバキ」が山のようにあって、
「これがサヨナラ公演とはなんとさびしいことか」
と金子自身、宝塚のことを思うと泣きたい気持ちにさえなった。

 もう1つ、「宝塚らしくない」のは、
30代の人間が語る台詞のせいか、人生観にかんする理論的な台詞が多いことである。
謝先生の舞台は、以前家族で「天翔る風に」をビデオで見たとき、終わると父が
「ああ、理屈っぽいなあ」
と嘆息していたが、今回はどこまで柴田先生が書かれたか知らないが、
少し理屈っぽく感じた。
せいぜい、ジョーイがとっさにボートに飛び乗ったクララを助けたときに
歌いながらいうところぐらいでおさめていただきたかった。
本来、舞台において出演者がどういう人生を選ぶか、どういう考え方で動くか、
ということは行動において表されたらそれでいいのであり、
とくにミュージカルの場合、台詞ですべて片付けてしまおうとするのは安易である、
と思っている。

例えば「マイ・フェア・レディ」のヒギンズの最後の台詞
「イライザ、僕のスリッパはどこだったかな」
というのは名台詞である。
あれで、「初めは実験台だった君を愛している」と言っているのだ。
あれは心に残るが、その前にいろいろナンバーがあったり、
イライザが家を出て行ってしまったり、と行動があるからあの最後の台詞が効くのだ。
だから、今回も主役2人はそれぞれの思いを口にするが、
時には歌い、時には感情を表すように踊って欲しかった。

ただ、主題歌の「岐(わか)れ道」(高橋城作曲)は後半のメロディーが美しい曲だ。
いろいろ書いたが、人別に書いていこうと思う。


 ジョーイの香寿たつき(タータンさん)。
本当に渋い男役の集大成のような役で、最後の衣装がベージュだったのが良かった。
彼女はどの色にも合いやすい演技者でいながら、
自分の色が隠れることがない宝塚きっての演技派であった。
それが、青春が蘇ったようにローラを嬉々として愛する姿と、
裏社会に通じマネーローダリングなど法律ぎりぎりのところで稼いでいる
自分の世の中でのしがらみとの相克で苦しむ姿は、
見ている側に本当に納得させられる演技であった。
当分これだけの説得力のある3拍子揃った演技者は出てこないだろうな、
と思うと本当に退団が惜しまれる。


 そのローラの渚あき(あきちゃん)。
夫のある身でいながら、姉として妹を必死に助けようとする母性愛と、
ジョーイへの愛を知って、一度は自殺未遂までした舞台へ復帰しようという、
自立した女性像をくっきりと描き出した。
特に最後の
「ジョーイ、あなたのいるニューヨークのブロードウェイに行きます。
 いつか現れてくれるわよね」
という台詞は隠れて聞いているジョーイだけでなく、
観客にも新しい人生を歩みだそうとする彼女の矜持がくっきりと分かった。
タータンといういい相手役を得て、娘役としてはながかったが、
いい宝塚人生を送られたのではないか。


 大学教授の初風緑(ガイチ)。
本当に大劇場でみるのは久しぶりだが、普段は少しの妻の火遊びも気にせず、
知的に振舞っているが、ジョーイに事件の真犯人だということを突き止められると
豹変してしまう、二面性を持った役だ。
専科に入ってからこんな重要な役は初めてのような気がするが、
はじめの紳士ぶりと犯人と知られてからの人間の汚さを全部背負ったような
うってかわりようはなかなかの出来だった。
できることなら、銀橋で1曲あってもいいかな、と思った。


 ポンティ姉妹のでこぼこコンビの鈴鹿、未沙のお二人は
この集落の叶姉妹(?)で、ひたすらあることないこといって回るのだが、
どちらかというと重くなりがちなこの芝居に軽さを加えてくれた。
さすがベテランである。


 ミラー警部の安蘭けい(とうこ)。
は上の35歳、というのを意識してか
「私はあなたがた上流社会の人間とは違う一般人でしてね。
 人生の裏表も辛酸も分かっているのですよ」
といったつくりで、ニヒルな刑事像を表現していた。
終盤のジョーイの過去を調べながらも
「あなたに友情を感じるのですよ」
といって歌いながら去るところはなかなかの出来だった。
実は「プラハの春」のヤン以来、あのとうこの瞳にガツンとやられてしまった金子、
和央ようかが退団したら、とうこファンになるだろうな、と予感してしまった。
ただ、今回は「とうこ、随分上級生になったな」と思った。


 別荘管理事務所長の夢輝のあ(ねったん)。
これもまた、前回の「プラハの春」のヘス中尉で難しい役に挑戦していたので、
最後にこんな役で少し軽い気がするが、さわやかに演じていた。
やめたらすぐ女優活動するのだろうな、と思うが、
もう少し宝塚で、という気持ちが残る。


 銀行家の御曹司でクララの婚約者のマリオの真飛聖朝澄けい(かよこ)。
犯人容疑をかけられるお坊ちゃまだが、ひたすらスマートな二枚目で、
この人のもつ「白」のイメージを壊されることなく終わった感じだ。
彼女たちを含む若手が歌う「♪ケ・セラ」は迫力があり、
20代ならではの明日への活力というものが感じられた。


 政治家の息子で金使い、女遊びがあらいレオナルドの久世星佳(うんちゃん)。
いかにも生活が荒そうな感じで、犯人容疑をかけられるのも仕方ないかな、
といった感じだが、親の仕事のせいでなにか青春の若さのもって行き所がない
焦燥感みたいなのは良く出ていた。
ここで書くが、彼の妹役の陽月華は池田銀行のイメージレディとして
関西圏では広く顔の知られた存在だが、特に2階席からみると、
髪型が、鬘を上にぽんとのせているだけのように見えて、髪型に一考ありだ。


 大学教授の妻のリーザの秋園美緒(そんちゃん)。
歌が上手くて、自由奔放でこわく的な人妻だが、
マダムの優雅さがよく現れていて、最後に夫が犯人とジョーイにばれそうになると
色仕掛けまでやってみせるいい役だ。
最後にやりがいのある役で、とてもセクシーで、
こんなに急に成長した娘役さんが退団とは残念だ。
退団となると急に上達する人がたまにいるが、その典型のような感じがした。


 ローラの妹で初めに殺人容疑をかけられるクララの仙堂花歩
歌が上手いのは知っていたが、演技でもなかなか清楚な宝塚らしい娘役さんで、
この役をやっていたら新人公演は随分楽だったろう、と思う。
歌も聴きたかった。





レビュー・アラベスク
バビロン
-浮遊する摩天楼-


作・演出:荻田浩一


<出演者>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

宝塚歌劇団 星組73人  (専科)鈴鹿 照、矢代 鴻、未沙のえる、初風 緑


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 古代の都と現代の摩天楼を往還しつつ、
栄光と破滅という裏腹の様相と来るべき再生を謳ったレビュー。
宝塚歌劇に相応しい華やかさと明るさを表現する意欲作。
トップスター香寿たつきの類稀な歌唱力と洗練されたダンスをふんだんに盛り込み、
星組の魅力を余すところなくお届けする。

(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「斬新な構成だが、さよならにふさわしい豪華なレビューった」

あー、このショーの感想は本当に書きにくい。
なぜなら、暗転もカーテン前もないし、なんだか、どっと続いて、
「えーもう最後の大階段?」という感じで切れ目がないのだ。
唯一あったのが、第二景間奏曲(初風緑の一人がちだったが)。
いつもの宝塚のショーを見慣れていると、大分違和感を覚えることは確かだ。
でも、一応、章立てがしてあるので記憶を一生懸命思い出して書いてみよう。


第一景 序(廃都)

 アナウンス前に上手から出て踊る、柚希礼音、陽月華の二人のダンスは
なかなか退廃的で、この作品のタイトルを予想させるものであった。
真ん中の辺りでもこのカップルは登場するのだが、どちらも伸び盛りでいい若手だ。

 さて、幕が開き香寿たつき(タータン)の登場となるのだが、
現代の廃都で渚あき(あきちゃん)と出会い
ずっとカップルで次元・空間をわたり続けるのだが、
ここでは矢代鴻さん(シビさん)の歌声が圧倒的だ。
そして本格的なプロローグに入る。
なんだかデカダンスな感じのする幕開きだ。


第二景 空中庭園^(バビロン・タワー)

 ここで、大階段から女役さんたちが降りてきて、
男役も古代をあらわしたようなどちらも豪華な衣装でのプロローグとなる。
荻田先生のプロローグはいつも豪華だが、
今回は前回の「パッサージュ」よりも豪華だった。
両足を出しての極楽鳥の朝澄、真飛の2人は、
タータンさんに負けないぐらい、スレンダーで綺麗だった。


第三景 空中庭園_(浮遊する摩天楼)

 金子としては一番気に入った場面である。
このレビューのサブタイトルと同じサブタイトルがついているし。
特にもう抱きしめてあげたいぐらいいとおしく思えたのが、
この場面の朝澄けいの「白い鳩」だ。
白い衣装でせりあがってきてタータンさんに包まれるように踊るところは
退団も手伝ってか、本当に純粋さを感じさせてこの人の代表場面ができたな、と思った。
一方「黒い鳩」の安蘭けい(トウコ)は現実を歌っていて、
烏のように感じたのだが、長い曲でも安定した歌唱力を示し、
多分ショー全般を通して星組にきてこんなにたくさん歌ったのは初めてではないだろうか。
とにかく「白い鳩」にやられてしまった。


第四景 廃都

 ここでは秋園美緒(ソンちゃん)が目立った。
タータンさんにしなだれかけるところも芝居に続いてとてもセクシーだし、
歌もシビさんと一緒に歌うところは迫力があった。
こんなに急に女の色香を出せるようになった人は知らないし、
ここまで来たのだから是非残ってもらいたいが、そういかないらしい。
タータンさんと対抗してあきちゃんを奪おうとする初風緑(ガイチ)は、
もう少し挑発するばかりでなくて、
余裕を見せたらもっといいタンゴの場面になったと思う。


第五景 月光

 ここは本格的なトップコンビのデュエットダンスのシーンだ。
後ろに何人も踊っているが、やはりこういう定番のシーンもないと、
納得して家路につけない感じがする。


第六景 砂塵

 退団するのにこんなことをいうのは失礼だが、
夢輝のあ(ねったん)のマレーネはいささか健康的過ぎる感じがした。
昔の洋画でみたデートリッヒはもっと退廃的だったと思う。
また、外人部隊の男の真飛聖(うんちゃん)も、
ゲーリー・クーパーの端正さには及ばないな、と思ったのと
「ヴィンター・ガルデン」に続いてまた軍人役か、と思った。
ここの次元は現代より少し昔、といったところか。
ここでカップルは別れる。


第七景 遺跡(イシュタルの門)

 ここがタータンさんの一番の見せ場だった。
女を失った哀しみを歌い上げるのだが、金子、ただ客席で
「ああ、これがタータンさんの歌だ」と感じ入っていた。
ここで一気に書くが、タータンの歌のすばらしさは、その歌詞解釈力にあると思う。
彼女が歌うと、それは「歌につけられた詞」ではなくなり、ストーリーとなるのだ。
いや、時にはそれが、いわゆる「言霊」にさえ聴こえる時がある。
これだけの実力者、きっと宝塚を退団した後、すぐに女優に転身しても、
あっというまにナントカ賞(菊田一夫賞とか)とれてしまうのではないかと思えてしまう。
そして東宝ミュージカルの大プロジェクトにご出演となるのかな。
譜面をよく読みとってとても上手に歌える人は宝塚には何人か(10人ぐらい?)いるが、
それ以上の解釈力、という点では今のタータンさんの右に出る人はいない、
と思うしだいである。


第八景 古代幻想(祝祭)〜マルディグラ

 少々遅い感じがするが、ここが中詰めである。
ここではあきちゃんは綺麗なお衣装を2着も着て、髪飾りもすごく凝っていて、
ベテラン娘役の意地をみせてくれた。
ここは全員金ぴか、といった感じだが、
またここでタータンとあきちゃんのカップルは結ばれる。
ここでもソンちゃんの歌が存分に聴けた。
ここでの涼紫央の女役はなかなか目の使い方が上手くて雰囲気作りにかっている。
ここは別れの前の一瞬の浮かれた時間だ。
ここで古代から現代へと次元が変わる。


第九景 終焉

 なんとさびしい章立てか。
しかし、8人の退団者を送り出さなくてはいけないのは事実である。
白いドレスのあきちゃんと白燕尾の男役のなかに、1人タータンさんだけが黒燕尾、
で皆が歌い継いだ後、タータンさんがトウコの肩にぽんと手をおいて、
最後の歌を歌うところは、これが最後か、と思うと1列にいたときなど、たまらなかった。
そして一旦、幕は下りる。
そして、またミラーボールが回って、
ソンちゃんの澄んだソロから大階段でのあきちゃんの歌が長く聴けてよかった。
そして最後のタータンの羽根が紫色で綺麗なのは良かったが、
それ以上に、なにか表情がすべてを受け入れたようで清々しく感じた。
退団する本人にとってはこの公演はこんなピュアな気持ちで毎日勤められているのかな、
と思った。


 以上、本当にざっとしか書けなかったが、
どの人も惜別を惜しみたい一方で劇場に入ったのだが、
退団者の清々しさに「いままでありがとう」という言葉しか見つからなかった。




<星組 大劇場 千秋楽報告>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

上記をクリックすると「千秋楽」報告が読めます。




<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


今回のテーマは「宝塚カレンダー」

 金子のウサギ小屋のような家の、洒落ていうならダイニング、
つまりは食事をする部屋は、別名「カレンダーの間」と家族では言っています。
ここには、宝塚が発行する、すべてのカレンダーを吊っています。
毎年11月になると、これらを買うために金子のただですらない袖は
ますますなくなっていくのですが、これがなかなか、
ただ食事するのに比べて、会話を増やしてくれていいのです。

例えば、
 父「おー、今月の女帝(ハナちゃんは父にとっても「女帝」らしい)は
   すごいドレスだ〜」、
 母「いや〜、今月と来月のリカちゃんドギツすぎるわぁ」、
金子「今月のタカコさんのコート、袖が短くない?」

といった具合です。
(今年は「モーツアルト!」のCDを買ったから、袖は短くなるばかりでした)
スターカレンダーとステージカレンダー(なぜ値上げ?)の2つは
少々発売日の後にキャトルレーヴに行っても置いてあるし、
お金のない今年は、紀伊国屋で図書券を使って買いました。
しかし、パーソナルカレンダーは本屋に置いてないので、キャトルレーヴ専売状態。
そのうえ早く行かないと、全員揃わない!売り切れの人がいる!ということで、
なるべく発売日は万障繰り合わせて、発売初日にキャトルレーヴの前へ。
今年は、発売初日が星組公演初日で、
タータンさんのものをがばっと10冊ぐらい買われる人もいました。
そんな中、金子はなるべくキレイなものを選んで、
タカコさん2冊以外は皆1冊ずつカゴへ。
そして、家に帰ってまだ吊ってある今年のものを見たのですが、
「あー、パーソナルの帝王、チャーリーさんのものがなかった」と第一に思いました。
東京はどうかしりませんが、チャーリーさんのものは良く売れたのです。
あのクールな美貌は団体の方の目も引いたのでしょう。
しばし、あのような形でやめられたチャーリーさんの宝塚での舞台姿を
懐かしく思った一時でした。
ちなみに来年は表紙だけ見て父は「香寿さん、綺麗だな〜」と言ってました。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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