■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


花 組

三井住友VISAミュージカル
エリザベート
-愛と死の輪舞(ロンド)-



2002年 10月 4日(金)〜11月18日(月) 宝塚大劇場

2003年  1月 2日(木)〜 2月 9日(日) 東京宝塚劇場

観劇日10月31日(木)1階16列64番

劇場 :宝塚大劇場

HP主人 森(=SUN)筆。

「エリザベート」か。

今回は「どーしても、どーしても観たいんです!」
ってのは自分にないんだよね。
「エリザベート」はとても好きな作品なんだが。

花總まり姫がエリザベートを演じないからってのが大きい。
じゃあトートはどうなのかってことになるが、
そうだなあ、また轟 悠がルキーニするなら観に行きたいって思う。

おいおい、トートのことはどーしたトートのことは。
姿月あさとトートはよかったからなあ。
一路さんのは映像でしか観てないからな。
ああ、観たかった… 生で…  生ってどーよ。

現実今の宝塚なら、宙組でやんないかなあ「エリザベート」。
専科から轟ルキーニ呼んで。
それいいなあ、絶対行くな私。

今上演中の(宝塚じゃないよ)「モーツァルト!」が観たいね。
「エリザベート」と同じくウィーン・ミュージカル。
脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ
音楽:シルヴェスター・リーヴァイ
この二人が「エリザベート」の次に題材として求めたもの。

ピーター・シェファーの名作戯曲「アマデウス」(=映画化もされた)とは別モノ。
「モーツァルト!」ではサリエリは同時代の宮廷音楽家という程度の扱いだそうな。

でもやっぱり、「エリザベート」観られていいなあ。
何だかんだ言ってもうらやましいさ、金子さん。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




三井住友VISAミュージカル
エリザベート
-愛と死の輪舞(ロンド-


        脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ
           音楽:シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナル・プロダクション:ウイーン劇場協会

        潤色・演出:小池修一郎
           演出:中村一徳


<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

               トート(死、黄泉の帝王):春野寿美礼
   エリザベート(オーストリア=ハンガリー帝国皇后):大鳥れい

フランツ・ヨーゼフ(オーストリア=ハンガリー帝国皇帝):樹里咲穂
        ルイジ・ルキーニ(エリザベート暗殺者):瀬奈じゅん
    ルドルフ(オーストリア=ハンガリー帝国皇太子):彩吹真央
   マックス公爵(バイエルン公爵、エリザベートの父):立ともみ
             グリュンネ伯爵(皇帝の側近):磯野千尋
       皇太后ゾフィー(フランツ・ヨーゼフの母):夏美よう
        ルドヴィカ公爵夫人(エリザベートの母):梨花ますみ
      エルマー・バチャーニ(ハンガリーの革命家):蘭寿とむ
          シュテファン(ハンガリーの革命家):愛音羽麗
                   ヴィンディシュ嬢:遠野あすか

他 花組

<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 1992年の初演以来多くの人々を魅了し、
センセーションを巻き起こしてきたウイーンミュジカル「エリザベート」。

舞台は19世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国。
ヨーロッパ随一の美貌をうたわれた自由奔放に生きる皇后エリザベートと
黄泉の帝王トート(死)が繰り広げる愛と苦悩をドラマチックに描く大作。

今回は三井住友VISAカードをはじめ各社のご協賛を得て、
4度目の宝塚版「エリザベート」が実現。
トート役には歌唱力に磨きをかけた新トップスター春野寿美礼、
エリザベート役に大鳥れいが挑む。

(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「作品に対して深みと迫力に欠ける展開」

   うーん、今回も書きにくい。
もう一言言うのならば「『エリザベート』というものを観てきました」という感じ。
たぶん、金子、この演目は各組み合わせて10回以上は観ていると思う。
だから、前回3回に比べて、トップお披露目なのだから、
少し多めに見るべきなのかもしれないが、初演時、「死」に魅了されて
ロンドを踊ってしまった自殺者も出たと聞くぐらい
(かくいう金子も『エリザベート』の世界に魅了されて、
 半分トートとキスしかかった人間である)
の大きなテーマを持った作品なのだから、
なにか観客にもっと訴えかけるところがほしかった。
なんというか、「私は私のことはやっています」という感じを強く受けた。
特に合唱のところでは、またマイクが良くなって声はよく聞こえるのだが、気迫というか、

「皆で力をあわせて、観客を震え上がらせてやろう!」

といった迫力が感じられなかった。
昔から個人主義の強い花組には、この団結が必要とされるこの作品は
不向きだったかもしれない、とさえ思ってしまった。
また、トップがめまぐるしく変わる現在、「新トップお披露目」といっても

「どこまでもつやら」

という感じが劇団員全員に流れているような感じさえ受けた。
雪組のサヨナラ公演、
星組の麻路政権中盤、
宙組のできたばかりの団結力を示そうという気概、
とは状況が違うのであまり比較したくないが、やはりもう少し個人個人が
この作品の大きさを理解してやって欲しかった。
東京での改善を期待している。
あとは個人別に。


 トートの春野寿美礼(オサ)。
残念なことに「売り」=「特徴」がないのである。
あまりしたくないが歴代のトートと比較してみると、歌唱に関しては、

大学院=一路、
大学=姿月、
高校=春野、
中学=麻路、

というレベルであり、感情表現に関しては、

大学院=麻路、
大学=一路、
高校=姿月、
中学=春野、

といったレベル分けができると思った。
これでわかるとおり、なにもかも中途半端なのである。
歌に注目させたいならば、現世をつかさどっているときは
もっとインパクトのある声が必要だと思うし、
感情表現の面では、シシィに「出て行って!」と拒絶された後や、
「死は逃げ場ではない!」と自分から受け入れないときの後の苦悶を
もっと深くするべきだろうと思う。
もう少し、「春野トート」の特徴が見たかった。
トップ就任1作目でこの役は大変だろうと思うが、
なにか1つ深く掘り下げてみせて欲しかった。
感情表現に関しては、今まで見たトートでは、東宝版の内野さんが素晴らしかった。
エリザベートを一目見て恋に陥る表現など秀逸で、
昨年8月梅田コマ劇場で3階席のタダチケットで見た金子の家族全員、
帰るときの父の「あの人のトートでトートという存在がどういうものかよく分かったよ」
という一言にうんうんと頷いていた。
とにかく、台詞や譜面どおり忠実にやるのは当たり前だが、
それ以上の創意工夫というものが「春野トート」には必要だろう。


 エリザベートの大鳥れい(みどり)。
プログラムに「こういう解釈でやる」と書いてなかったので、
はてどうするやら、と思ったが、
一番初め、肖像画の後ろから飛び出てくるところで、

「庶民!」

と思ってしまった。
そのあとの解釈を金子が独善的に書くと、一言で言えば
「ほぼ一般人が王宮に入ってしまった悲しさ」ということか。
だから、彼女の「私だけに」は
「私の存在すべてが誰にも束縛されない自由な私だけのもの」という解釈になるのだ。
これは、失礼ながら、エリザベートを代表作とする花聰まり(ハナ)と比べてみると、
彼女の場合はある程度血筋からプリンセスとしての素地があり、王宮に嫁いだものの、
あまりにも皇后としての足かせの大きさに絶望するが、それでも
「私の魂だけは私だけのもの」と決意するのである。
どちらがいいかは、観る人のお好みだろうが、
ただ歌詞に何度も「自由な魂」と出てくるからにはどうであろうか。
みどりちゃんに関しては最後にして苦労した役であっただろう。


 フランツの樹里咲穂(じゅり)。
「元気溌剌」とか、
「バイタリティー溢れる」を
キャッチフレーズにしている彼女がどこまで
「マザコンで紳士的な」フランツに迫れるかは、1つの見ものではあったが、
「気の弱い、皇帝であるまえに人間的」な人物を造形していた。

代表作「FREEDOM」に見られるような、
人を見下したようなところは少しもなかった。
今回の「エリザベート」の影の功労者である。
歌はキーの高いところはお得意だし、低いところも編曲のせいか、
そう歌いにくそうに思えなかった。
また、フィナーレ銀橋で「愛と死のロンド」を歌うときは、
ちょっとした手の動きが、前の3人とは違っていて、歌詞がよく理解できたし、
その後の「闇が広がる」のダンスもキレが抜群でよかった。
外部出演も多い実力者、「おぬし、役者だね」と感じてしまった。
ディナーショー行きますので、こちらは「元気なじゅりぴょん」でお願いしますね。


 ルキーニの瀬奈じゅん(あさこ)。
こちらも残念ながら「売り」が感じられなかった。
ひねり出して言うならば、大した思想もない若さに任せた一発屋、というところか。
歴代最高のルキーニ役者の轟悠には残念ながら及ばない。
ただ、マイクがいいせいかもしれないが、歌詞や台詞がよく分かって、
狂言回しという役は十分できていたと思う。
こちらも、東京に向けて、もっと感情をぶつけてみるとか、工夫が必要だろう。
しかし、前任者3人が好演だっただけに、
この役を自分独自のものにするのは大変だろうなとはお察しする。


 ルドルフの彩吹真央(ゆみこ)。
この役は彼女の代表作になるのではなかろうか。
春野との銀橋での「闇が広がる」も春野より声がとおっていたし、
その後だんだん切迫されて、母親にもすがれなく、
最後には死を選ばざるを得なかった過程が15分の出番の中にきちんと消化されていた。
とにかく、歌にインパクトがあるのがいい。


 ゾフィーの夏美よう(ハッチさん)。
失礼ながらミスキャストといわざるを得ない。
「宮廷ただ一人の男」といわれる怖さは、ドスを効かせて十分だったが、
わが子可愛さや、鬱陶しい姑ぶりはいまひとつであった。
それとやはり、歌の高音が努力の限界、という感じで、
やはりこの役は女役さんにやってもらうべきであると思った。


 エルマーの蘭寿とむ
初めの血気盛んなところはよく表現できていたが、
2幕でふけていく過程はもう少し落ち着きがほしかった。
ただ、この人は台詞の通りがいいので、それは聴いていて気持ちいい。


 ヴィンディシュ嬢の遠野あすか
残念だが、自分をエリザベートと思い込むほどの狂気は感じられなかった。
やはり、この役は退団した陵あきのの独壇場のように思った。
以上、苦言ばかり述べさせていただいたが、感想を終える。


 もう1つ。
現在、次の花組公演の原作を読みかけているのだが(結構読みにくい上に3冊!)、
どうも主人公の松平忠輝、ソフト路線を身上とする春野と重ならない。
劇団も、こんなにトップ就任期間が短くなった現在なのだから、
なるべくトップの「売り」に合わせた作品選びをするべきだと思う。
これは、「傭兵ピエール」を読み終えてもそう思うのだが。


<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 またまた季節外れで、「父の日」に引き続いて、
今回のテーマは「母の日」。

金子家、昨年秋までは、お金もあって、大劇場毎公演、母と金子は一緒に行って、
内年1回を金子がチケット代を持って、ご招待「母の日」としていたのだが、
金子家もそう裕福でなくなった。
金子が自分で行く分で十分、という父の判断もあって、
年2回、前半・後半、各1回の「母の日」招待と相成ったのである。

ちなみに、今年は、
宙組「鳳凰伝」「ザ・ショーストッパー!」
月組「長い春の果てに」「With a Song in my Heart」の2本。


母の大酷評したベスト5は以下の5本。(→のあとはコメント)

雪組「虹のナターシャ」
→尻切れトンボじゃないの!

花組「SPEAKEASY」「スナイパー」
→これがトップのサヨナラ公演?
 おもちゃ箱をひっくり返したよう。サヨナラの重みもなにもない。

雪組「春櫻賦」
→話が途中で切れて、何のために琉球を救うのかさっぱりわからない。

宙組「砂漠の黒薔薇」
→さよなら公演に「遠山の金さん」か?

宙組「鳳凰伝」
→おとぎ話をファッションショーで誤魔化している。


母の好きなベスト5は以下の5本。

「ベルサイユのばら」
→やはり宝塚の忠臣蔵。

「エリザベート」
→構成といい音楽といいすばらしいと思う。

月組バウ「更に狂わじ」
→キリヤンがすばらしかった。

宙組バウ「FREEDOM」
→こんなに樹里さんに実力があるとは思わなかった。

「心中・恋の大和路」
→誰がやってもいいミュージカルだと思う。


さて、来年の前半を母と決めました。
花組です。
一応前年と違う組にしてもらっています。
退団もありえないので、チケット取りには平日なので苦労しないと思います。
後半は、雪組か星組ということになりますが、
演出家の先生をみて、ということになっています。
ということで、母の嫌いな演出家の先生ベスト3。

荻田先生
→「凍てついた明日」で脱力感にかられた。芝居は2度と観たくない。

谷先生
→ときどき一人で相撲しすぎて、観客がついていけない。

植田理事長
→もはや時代錯誤の感もする。OGの「狸御殿」だけ書いていらしたら結構。

と、こんなところです。それでは。



□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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