■■■AYAの観劇記■■■



ミュージカル
「赤毛のアン」

劇団四季



2002年  9月 7日(土)〜9月29日(日)     大阪 近鉄劇場
2002年 11月19日(火)〜2003年1月5日(日) 四季劇場「秋」

観劇日:2002年9月12日(木)昼(N列18番)

劇場 :大阪 近鉄劇場


HP主人 森(=SUN)筆。

「赤毛のアン」
読みました私も。
もう忘れてしまいましたが 詳しくは。
でもどちらかといえば、テレビアニメの「赤毛のアン」を覚えてます。
日曜日にやってた。
好きでした。

あのシリーズでは、しかし私は「トム・ソーヤの冒険」が一番好きでした。
オープニング&エンディング曲、好きでしたねー。

名作アニメシリーズってのだった。たしか。

テレビアニメかあ、観てないなあ中高生以後は。
大人になってから久しぶりに「エヴァンゲリオン」は観た。
唯一だなあ。
まわりから「アレは面白い」と言われ、社会現象みたいにもなり、
タイミングよく深夜に連続で再放送してくれた。
おかげで観られた。
たしかに興味深かった。
「使徒」(で、あっているかな?)のデザインが面白い。

同じ監督が、村上龍が書いた「ラブ&ポップ」の映画を撮っているんだが、
これもよかった。
何より村上龍の「ラブ&ポップ」がものすごくいいんだが。
「渋谷」を表現したモノの中では秀逸だ。
文章表現の、ある究極の気がする。

その映画化作品「ラブ&ポップ」を、渋谷パルコの映画館で観た。
数年前になるかな。
渋谷パルコで観るわけだから、それまで渋谷の街をブラついているわけで。
そうして「ラブ&ポップ」を観、また渋谷の街に降り立つ。
何か、凄い面白い感じだった。

つくづく思った。
例えば、ニューヨーク物を東京で観たって(映画でも舞台でも)
きっとニューヨーカーの半分も楽しめてないんだ。ってことを。

映画も 究極は体感だな。
映画のロケ場所の名所を訪ねるって こういう感覚なのかな。

イカン。
ほっとくと話しがどんどんズレて展開していく・・・・

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。



ミュージカル
「赤毛のアン」 劇団四季


   原作:ルーシー・M・モンゴメリー
   脚色:ドナルド・ハーロン
   音楽:ノーマン・キャンベル
    詞:ドナルド・ハーロン/ノーマン・キャンベル
   補詞:メイヴァー・ムーア/イレイン・キャンベル
   翻訳:吉田美枝/梶賀千鶴子
   訳詞:岩谷時子
 訳詞協力:劇団四季文芸部

   演出:浅利慶太

   振付:山田 卓
装置・衣裳:三宅景子
   照明:赤崎浩二
 音楽進行: 鎮守めぐみ


<主な配役>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   アン・シャーリー:野村玲子
 マシュー・カスバート:日下武史
  マリラ・カスバート:末次美沙緒
    ステイシー先生:五東由衣
 ギルバート・ブライス:田邊真也
   ダイアナ・バリー:秋本みな子
レイチェル・リンド夫人:平野真里


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 毎年、アンの故郷プリンス・エドワード島では、
夏になると演劇フェスティバルが開かれます。
そこで上演されるオリジナルミュージカル
「Anne of GreenGables」を、
劇団四季は『赤毛のアン』として上演してきました。
カナダ版のスタッフからも「世界で最高のアン!」と
お誉めの言葉をいただいた魅力的なアンです。
今回は熱いラブコールにお応えして、7年ぶりの再演。
ご覧になったかたも、まだのかたも、
きっとなにか忘れていた懐かしい気持ちを思い出せる、
そんなミュージカルです。

(ちらしより)

<ストーリー>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ある春の日、プリンス・エドワード島のちいさな村、ブライト・リバーの駅で、
ひとりの女の子が、壊れたバックを片手にぽつんと待っています。
彼女の名は、アン・シャーリー。
孤児院を出て、ひきとられることになったのですが、
お迎えにやってきたマシューおじさんは、男の子だとばかり思っていたので困惑。
しかし、アンは持ち前の空想力を駆使したおしゃべりで、
いつのまにか無口な彼の心をほぐしてしまいます。
妹のマリラもどうにか納得し、
かくしてアンは無事にふたりの家にひきとられることになりました。
ところが、好奇心いっぱいのアンは、しばしばトラブルメーカーとして、
いつもなにやらしでかしてくれるからたいへんです。
めまぐるしくおこる事件や出来事の中で、アンは友情をはぐくみ、人々に愛されながら、
のびやかにみずみずしく輝いてきます。
そう、喜びも悲しみも体験しながら。

(ちらしより)


<近鉄劇場>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 悲しいことに取り壊しが決まった。
確かに、金子の家からは少々不便なところにあったが、
色々な舞台をみせてくれた、関西の老舗劇場である。

初めて金子が行った演目は忘れもしない、
大地真央さん宝塚退団後初来阪の「エニシング・ゴーズ」。
とにかくみたくて、当日券があるときいて、
どういったか覚えていないほどマオちゃんみたさに行ったものだ。
席は非常に悪かったのは覚えているけど。

それから、大分たって印象に残っているのが、
錦織&草なぎ(すみません、漢字でませんでした)コンビの「鎌田行進曲」。
とにかくチケット入手難で、これまた悪い席で、
いったら全員ジャニーズのノリで、「芝居を見る」という感じではなかったので驚いた。

最後にこれはいい席だったが、印象にあるのが劇団四季の「壁抜け男」。
フランスのエスプリはこの劇団ならではのものだったし、
主演の石丸さんが立派なリーディングアクターに育っているのは観ていて楽しかった。

そんな劇場が1つ消える。
関西文化の灯が一つ消される感じだ。
劇場ではないが、宝塚ファミリーランド、
甲子園パークという遊園地も取り壊しが決まったし、
なんだか関西文化が逼塞していくのが、やりきれない。
また、いつ灯はともされるのであろうか。


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「少女の頃読んだ『アン』の世界が現実化された、心温まる舞台」

『赤毛のアン』。
何度読んだことであろうか。
『若草物語』とともに好きな小説だった。
そんなアンの世界は、少女の頃の永遠の憧れでもあり、心の中の大切な思い出でもある。
今回の舞台は、それを壊されるどころか、それが視覚化されて登場人物が出てくる。
小説を裏切らない、丁寧なつくりに好感を覚えた。

ちなみに、『赤毛のアン』は、
「新潮文庫の100冊」というCD−ROMにまで入っている。
他に入っている訳本は『アンナ・カレーニナ』や『罪と罰』なので、
それだけポピュラーと認められているわけだ。
あとは人別に。


 アンの野村さん。
李香蘭やエビータといった大人の、
それもどちらかといったら悲劇のヒロインがレパートリーかと思いきや、
役者は化けるのが商売、アンもぴったりであった。
おしゃべりなところ、かんしゃく持ちなところ、そしてちゃっかりしているところ。
小説のままのアン・シャーリーがそこにいた。
アンは初めの女の子からマシューの死の後にはしっかりした少女へと成長するのだが、
その過程が実によく分かった。
ちらしにあるように「世界で最高のアン!」であった。


 マシューの日下さん。
小説で読んで頭の中で描いていたマシューそのものであった。
訳本の「そうさな」という口癖が違和感なく、
なにかとマリラに隠れてアンへ便宜をはかってやる男親の優しさが始終垣間見えた。
特にパフスリーブを買ってきてやるところは絶妙だった。
しかし、一番よかったのは、亡くなるところ。
ふっと笑って目を閉じるところは最高だった。
「ああ、マシューは幸せだったのだ」と本を読んだ以上に思えた。


 マリラの末次さん。
マリラはとっつきにくいが、本当は心からアンを愛しているのである。
少女のころ小説を読んだときは「マリラはこわい」としか、
その深い愛情を感じ取れなかった。
しかし、このマリラ、実は非常に金子の母と似ているので、
今になって我が家のマリラと比べてその愛情に気づいた次第である。
末次さんは、強面でいながら、アンの服(アンは気に入らないが)を作ってやるとか、
アンがマシューの死後、奨学金を辞退するというと
「それはいけない」というところに深い愛情が溢れていた。
特に秀逸だったのは、マシューの死後
「愛していた、言葉が見つからない」と歌うところは、
涙腺が強いほうの金子ですら泣けてしまった。


 ステイシー先生の五東さんは、
これぞ先生、という感じで知識の高さと高潔さと
生徒への愛情に溢れた理想の教師像を表現していた。
歌もしっかりしているので、これまた小説どおりで楽しかった。


 ギルバードの田邊くんは、
このミュージカルではギルバートは初めから男の子ではない。
ませた男の子なら、アンが割った石盤を弁償しにきたり、
アンが初体験のアイスクリームをいの一番に持ってきてやったりしない。
初めから少年なのだ。
その辺りのつくりをもう少し大人びて作ってもよかったのではないか。
歌ももう少し安定感が必要だと思ったし、ルックスはいいのだから、
もう少し細かい解釈の役作りと歌のレッスンで充分四季の中心的男優に育つと思う。


 ダイアナの秋本さん。
まず、外見的に縦ロールはいいなあ、と思った。
本を読んでいるときは金子、勝手にダイアナは金髪と想像していたが、
それ以上に縦ロールはインパクトがあった。
そう、私たちが憧れるお嬢様の髪型、といったら「ベルばら」並みの縦ロールだもの。
役作りのほうだが、すぐり酒で酔っ払ってしまうところも含めて、
素直なお嬢様で好感がもてた。
アンと歌う「腹心の友」のところも声がよく出ていてよかった。


 リンド夫人の平野さん。
いかにも、うるさ型の近所のおばさんだが、ただ人に干渉するだけでなく、
最後にマリラに向かって「あんたがこのグリーン・ゲイブルスなんだよ」というところは、
今の日本では絶滅しかかっている「ご近所さん」のよさを感じた。
失礼だが、体型からも、トラブルはどーんと任せられる感じがして、
これまた小説どおりであった。


 さて、いろいろ書いてきたが、金子、観た夜はなかなかテンションが下がらなく、
母にストーリーを延々と話して、マリラのごとく
「五月蝿いねえ。よくしゃべること。あんたがうちのアンだよ」と言われてしまった。
とにかく、少女のときの弾んだ気持ちが戻ってきた。
アン、有難う。


 最後に、劇場でもらえたメッセージカードの文章で終わりたいと思う。

「今朝の私は、絶望のどん底ではないの。
 朝は、そんな気分になれないの。
 朝が来るって、すばらしいわね。」


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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