■■■SUNの観劇記■■■


ミュージカル
ラ・マンチャの男

帝国劇場

2002年 7月31日〜8月30日 公演

観劇日:2002年8月23日(金)13:00〜(D列25番)


     脚本:デール・ワッサーマン
     作詞:ジョオ・ダリオン
     音楽:ミッチー・リー
      訳:森 岩男、高田蓉子
     訳詞:福井 崚

日本初演の振付
     演出:エディ・ロール

     演出:松本幸四郎、江口正昭

     振付:森田守恒

     装置:ハワード・ベイ、田中直樹
     照明:吉井澄雄
     衣裳:ハワード・ベイ、バットン・キャンベル、真木小太郎

     監修:中村哮夫、坂上道之助、滝弘太郎
     制作:宮崎紀夫、古川 清
     製作:東宝

<出演者>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

セルバンテス/ドン・キホーテ:松本幸四郎
         アルドンサ:松たか子

         カ ラ ス コ:福井貴一
         アントニア:松本紀保
         牢 名 主:上條恒彦
          サンチョ:佐藤 輝

         神   父:石鍋多加史
         家 政 婦:荒井洸子

         床   屋:駒田一
         隊   長:大石剛

               その他の方々

<最初に>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この舞台は、牢屋に入れられたセルバンテスと、
セルバンテスが劇中で語り演じる「ドン・キホーテ物語り」という、
劇中劇の二重構造となっています。
そして、その劇中劇「ドン・キホーテ物語り」の、主人公であるキホーテは、
本当(?)は、アロンソ・キハーノという田舎の郷土。という設定。
その田舎の郷土キハーノが、遍歴の騎士『ドン・キホーテ』となって、
すべての悪を滅ぼさんがために世界に飛び出そうとする……。
そういう物語り。

「ドン・キホーテ物語り」という劇中劇の中でも二重構造、となっています。
つまり、足して三重構造なのです。
そのあたりを混乱無き様、下記の<ものがたり>
読み進めていってください。

脚本のデール・ワッサーマン。
ようこんな見事な構造の世界を構築したことよ。

しかもミュージカル。

しかもってことはないか。


<ものがたり>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

とき・16世紀の末。

ところ・スペイン、セビリア市の牢獄
そしてミゲール・デ・セルバンテスが想像するさまざまな場所。

うす暗い牢の中。
教会を侮辱した罪で、セルバンテスは従僕ともども、投獄されようとしている。

囚人たちは皆、宗教裁判を受けるのか、というセルバンテスの問いに、
隊長は、こいつらはただの泥棒や人殺しばかりだ、と言い捨てて牢の外へ。

刺激に飢えていた囚人たちは、この新入りをこづきまわす。
騒ぎをききつけた牢名主が、セルバンテスを詰問する。
そしてあげくに裁判をやろうと言う。

セルバンテスは、即興劇の形で申し開きをしようと思い立つ。
牢名主の許しを得たセルバンテスは、さっそく“舞台”の準備にとりかかる。
配役が多いのでここに居る全員の方に御登場願おうという趣向だ。

――さて私は1人の男、私が創り出した男を見てくれ、
その男、決して若くはない田舎の郷土。名をアロンソ・キハーノと言う……。

この男アロンソ・キハーノ、
狂気の沙汰か、余人の考えつかぬ計画を思いついた。
何世紀も前に姿を消した遍歴の騎士となって、
すべての悪を滅ぼさんがために世界に飛び出そうとする……。
――その男こそ、人呼んでラ・マンチャのドン・キホーテ。

従僕のサンチョ・パンサをひき連れて、勇躍出陣する騎士ドン・キホーテ。
主人思いの従僕サンチョ。
キホーテにとっては、4本の腕を持つ巨人マタゴーヘルも、
サンチョにはただの風車にすぎない。
城壁をめぐらした広壮な城もただの旅籠。
そんなサンチョなどに目もくれず、巨人退治に敗れたキホーテは
宿屋に馬を乗り入れ「城の主はおられるか」と呼び張るのだった。
驚いたのは牢名主扮する宿屋の亭主や、そこにたむろする囚人たちの扮する荒くれ男共。
今どき見慣れぬ鎧冑の男(ドン・キホーテ)が現われたのにびっくり仰天。

その宿屋には、ひときわ目立つ女、アバズレ女のアルドンサがいた。
しかしキホーテにはあばすれ女の姿はなく、
そこにいるのは美わしきドルシネア姫その人だった。

ところで、そんなキホーテのラ・マンチャの邸では、
姪のアントニアやアラスコ博士が出奔したキホーテの事を心配している。
「あの方のことが、心配なのです」
その嘆きは家政婦や神父の心をゆさぶらんばかり。
本当の所、どうだかは、わからない。

その頃、宿屋ではアルドンサにむかいサンチョが主人を想う心を吐露していた。
「旦那が好きなのさ……」〈本当に好きだ〉アルドンサにはさっぱり分からない。
なぜ自分がドルシネアなのか、だからといってどうだというのか――。

キハーノの発狂は真実なのか? それは誰にも分からない。
床屋ヒゲ剃り用の鉢をいきなり黄金の兜ときめつけるキホーテ。
その黄金の兜を使い、キホーテは戴冠式をする。
その場に来合わせた神父とカラスコ博士は、複雑な想いにかられる。
キハーノの病はどうすればなおるのか?
もしかして、病気のままの方がよいのでは? 神父はふとそう思う。

キホーテにとって、アルドンサこそ真のドルシネア姫その人だった。
騎士の想い姫、アルドンサ!
キホーテはおもむろに騎士としての使命を披瀝する。

「夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」
〈見果てぬ夢〉を、ドン・キホーテは歌い上げる。

次第に感動に心ゆさぶられるアルドンサ。

牢名主の手を借りてついに騎士の称号を得たキホーテ。
そうして、「憂い顔の騎士」の名を得る。

キホーテの幾度もの「想い姫」という語りかけに、別人のようになったアルドンサ。
だがそんな彼女の変化に気づいたラバ追いたち(荒くれ男達)は、
スキをねらっていきなり襲いかかる。
連れ去られるアルドンサ。
そんなこととは知らぬキホーテは、
やがてボロ布のようになった彼女を見つけることになる。
――あたいはあんたの思い姫なんかじゃない……。

「溝の中で生まれたあたいさ」アルドンサは歌う。
しかし、彼女が何と言おうともキホーテの気持は変わらない。

そこへ現われたのは鏡の騎士と名乗る者たち。
全員鏡の楯をかざしてキホーテに迫る。
「鏡に映った己を見よ!」と。
「お前は騎士ドン・キホーテではなく、アロンソ・キハーノではないか!」
打ちひしがれるキホーテ。
鏡の騎士の正体はカラスコ博士だ。キハーノの発狂を癒さんがため。

ふいに、セルバンテスの名を呼ぶ声。喚問だ。
ところが芝居はまだ終わっていない。

鏡の騎士に敗れたキハーノ。
寿命幾許もないことを悟ったキハーノは遺言状を口述する。
そこへアルドンサがかけつける。
必死に語りかけるのだが、キハーノには彼女が誰だか分からない。

――あたいのことを違う名前で呼んでくれたんだよ、ドルシネアって……

女の悲痛な叫びに、次第に心を動かされるキハーノ。
ドン・キホーテのことを少しずつ思い出すキハーノ。
最後の力ふりしぼって立ち上がるキハーノ、いやドン・キホーテ。
かくして見果てぬ夢を追い求めた男に死が迫る。

――こうして芝居は終わった。
セルバンテスは裁判所へ。


 牢名主は問う。
「セルバンテス、ドン・キホーテはお前の兄弟か?」

セルバンテスは答える。
「われらは2人ともラ・マンチャの男です」


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

人生自体が狂気じみているとしたら、
 一体本当の狂気とは何だ本当の狂気とは。
 夢に溺れて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
 現実のみを追って夢をもたぬのも狂気だ。
 だが一番憎むべき狂気とは、
 あるがままの人生に折り合いをつけて、
 あるべき姿のために戦わないことだ。


−−−セルバンテス


この作品を、私は5年前に青山劇場で観ている。
その時 松たか子は、今回 松本紀保が演じているアントニア役。
アルドンサは鳳蘭。

それから数回「ラ・マンチャの男」は再演を重ねていっているが、
足を運んではいない。
それが今回、また「ラ・マンチャの男」を観たいと思ったのは、
松たか子がアルドンサを演じるから。
そしてもちろん、幸四郎1000回公演達成という記念すべき公演ということも。

アルドンサというキャラクターは、
ドスのきいた色気満々のアバズレ女 というイメージだ。
と、そう思ってきた。
だから、そのイメージとは反対の松たか子が、
それをどう 演じるのだろう と。
その私の固定観念固まった頭は、たか子アルドンサにガツンとやられました。

たか子アルドンサ。
働かされ通しの、痩せた、目の鋭い、人に決してなつこうとしない、
野生の猫。
自分に差出される手が、
(それがもしかしたら頭をなでてくれる手であったとしても)
その痩せた身体中の毛を逆立てて、牙をむいて踏ん張っている野生の子猫。

「ラ・マンチャの男」を
見果てぬ夢を狂気の中追い掛け過ぎた哀れな男の話だ と。
アルドンサは、それに巻き込まれた存在だ と。
そういう評がある。
私は そうは思わない。

一番憎むべき狂気とは、
 あるがままの人生に折り合いをつけて、
 あるべき姿のために戦わないことだ。


劇中でセルバンテス(キホーテ)は語る。
『あるべき姿』とは、
「そうありたいのーっっっ!」と叫ぶ幻想を言うのではなく、
『本質』のことを言っているのだ。

事実は真実の敵である。

キホーテがアルドンサのことを
「我が想い姫、ドルシネア」
と想い言い続けるのは、キホーテがアルドンサの中に
『ドルシネア』という『本質』を見たからだ。

そうして、ラスト近く。
アルドンサは『ドルシネア』となって、
死の床のアロンソ・キハーナ(キホーテ)を訪ねる。
そして今度は反対に、『ドルシネア』が『キホーテ』を呼び覚ます。
アロンソ・キハーナの『本質』である『キホーテ』を。

たか子アルドンサは、素晴らしかった。
もともとの資質として『ドルシネア』を持つ松たか子という演者。
だからこそのアルドンサの誕生。

その資質をもとより見つけ、昇華させた演出。
松本幸四郎氏は、今回は演出も手掛けている。

松本幸四郎。
「ラ・マンチャの男」をブロードウェイで主演。
そしてその30数年後に、上演1000回を達成する。
凄すぎる。

ブロードウェイ、日本人といえば、宮本亜門。
氏の演出したブロードウェイ・ミュージカル「大平洋序曲」
日本では一昨年、新国立劇場で初演。観た。
そして、アメリカでの招待公演。
ニューヨーク、ワシントン。
そして今秋、日本凱旋公演(再演)。行くべし。

「大平洋序曲」
演出・振付:宮本亜門 
作曲・作詞:スティーブン・ソンドハイム
台本:ジョン・ワイドマン
2002年10/11〜10/31 新国立劇場 小劇場

ミュージカルファンにとっては、夢の都ブロードウェイ、NY。
同国人にとっても夢のまた夢の都。
それを他国人が叶えることの どれほどの道程と情熱か。

夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん

「見果てぬ夢」を追い求め、
我もまた行かん。

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