■■■AYAの観劇記■■■



「夢噺 桂春団治」

藤山寛美13回忌追善公演


大阪松竹座


観劇日:2002年5月22日(金)16時(1階5列12番)



HP主人 森(=SUN)筆。

金子さんはネイティブではないんですね。
(何のことかは<感想>の中に)

私は、大阪に住んでた頃があります。
もう、約10年前にもなりますかね。
ので、時々エセ関西言葉になります。

大阪にいたころ、
ランドセルしょっている小学生(に限らず小さい子供全般)が
大阪弁話しているのがコワくて・・・。
コワイというか
「なんか間違っているだろう それは」(というコワさ)
と、その大阪弁にツッコミを入れたくなったものだ。

大人はいいんだ、大阪弁話していても。
子供が話してると(特に子供同士)何て言うんだろう・・・
子役がいっぱい というか・・・。

テレビのせいってことなんだけどね きっと。

でも、大阪の子供にしてみれば、
標準語話す子供に、こういった違和感を感じるんだろうかね。
金子さんの文を読むに。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。



「夢噺 桂春団治」 藤山寛美13回忌追善公演


   原作:長谷川幸延
   脚色:舘 直志
潤色・演出:宮永雄平


<配役>

おとき(京都の旅館の娘・春団治の2番目の妻):藤山直美
              桂春団治(噺家):沢田研二

            おあき(春団治の姉):波乃久里子
         おたま(春団治の最初の妻):土田早苗
     おりう(後家・春団治の3番目の妻):入江若葉

          力松(春団治付きの車夫):曽我廼家文童
    橘家文雀(噺家)・エントツ(漫才師):ベンガル
              戎(吉本の番頭):小島慶四郎
桂麦団治(春団治の先輩)・オチョコ(漫才師):綾田俊樹


<あらすじ>

『夢噺 桂春団治』は、
明治・大正・昭和にかけて、上方で活躍した天才噺家、初代春団治の生涯と、
彼を取り巻く女性達との人間模様を描いた名作である。
 物語の舞台は、今も昔も大阪のシンボルに変わりないミナミの「法善寺横町」。
庶民の享楽地であるとともに、芸人たちにとっても、
とりわけ紅梅亭、金沢亭の寄席芸人にとっては、馴染み深い横丁であった。

 売り出し中の噺家、桂春団治もその一人。
落語の古い型に満足できず、従来の型を破った芸風で、落語通のひんしゅくを買い、
古株の先輩連中からも目の敵にされていた。
そんな彼を影で支えていたのは、春団治の姉・おあきと、妻・おたまであったが、
生活のほうも破天荒で、絶えず貧乏と背中あわせであった。

 やがて真打ちとなり、人気実力ともに勢いづく春団治であるが、
生活苦の上に派手好みは相変わらずで、色事のほうにも浮名を流し、
いつしか薬問屋の後家・おりうと深い仲になり、
客席からも「後家殺し!」の掛け声がかかる。

 そんな折、京都の旅館の娘、おときが春団治を尋ねてくる。
春団治が京都の寄席に出ている時に、
女房がいるとも知らず「嫁にしてやる」という春団治の言葉を信じて頼ってきたおとき。
彼女のお腹には三ヶ月になる春団治との子が宿されていた・・・・。

(ちらしより)


<チケット奪取>

 読者の皆さんの中では、
阪急東宝系どっぷりの金子がなぜこんな演目を観にいったのかと
不思議に思われる向きもあるかもしれない。
実は、金子自身も行こうか行くまいか大分迷った。
初めは新聞の広告で知ったのだが、
どうもすべての演劇は宝塚からはじまっている金子にとって
「芝居だけなあ」と思ったが、直美&沢田というゴージャス2枚看板であるし、
「昭和の春団治」といわれた亡き横山やすしの大本の春団治という人は
どんな人だったか知りたかったので決心を固め始めた。
しかし、チケット料金を見ると、一等席13650円。
はー宝塚へA席なら軽く2回はいけるよ、となってしまった。
そこで、両親に相談すると、

「それはええ芝居やで。寛美のをどこかで見たことある。お金作ってでもいき」

といわれ、ここは清水の舞台、一等席で行くことに決め、お金も作った。
そして予約開始日、TELのみだったが、
なんと平日だったにもかかわらず、90分繋がるまでかかった。
その上、日にちを大分妥協しての上の席なので、
どれほどの人気演目だかお分かりいただけるだろうと思う。
そんなわけで行くことになったのである。


<「番附」と「護美箱」>

 さて、当日、ちょっと不注意をしでかして、劇場の前についたのは開場寸前であった。
キャパ数が宝塚大劇場の半分以下の劇場であるので、
待っている人数をみたら平日の夜というのにまず満席の状態だろうと思った。
それだけで観に来た価値はあったな、と思った。
劇場の場所は、大阪のミナミの本当にど真ん中で、幼少のときに母に

「ミナミは危ないから一人でいったらダメ」

言われて以来、ミナミは危ないという概念がある金子、
時間もないことだし周りをうろうろするのもやめて、さっさと場内に入った。
さて、まずプログラム、と思って財布を出したのだが
「プログラム」という文字が見えないのである。
かわりに、プログラムらしき物の横に書いてあるのが「番附 1300円」。
これか?と思い、仕方なく売っているお姉さんに
「これプログラムですよね」と確認して買った。
たしかにプログラムであった。
しかし、表紙には「藤山寛美十三回忌追善公演」と控えめに書いてあるだけで、
サイズもB5というつつましやかなもので、「宝塚と大分違う〜」と思ってしまった。
ちなみに家に帰って、この「番附」を『大辞林』で引いて見たのだが、
「番付」演芸または勝負事などの番組を記したもの。
「歌舞伎の番付」 とあった。
金子、歌舞伎を観にいったことがないので自分の浅学さを思い知った。

 そして、「さ、次はトイレ」と思って行ったのだが、
入って紙くずを捨てようとして上の「護美箱」にぶつかった。
宝塚でも確かにおいてあるが、ただ箱があるだけである。
これも帰って引いて見たが、まったくの当て字で、
許容範囲の当て字は「塵箱」か「芥箱」の2つであるそうだ。
またまた「宝塚と大分違う〜」である。
でも当て字としてはしゃれていると思った。

 さて、席に着くとオケボックスがないため、
5列といっても大劇場のそれよりはずっと前で、
金子の周りは失礼ながら年配のそれも2人連れのオバサマばかりで、
自分が大分違っていることを認めざるを得なかった。
そして、20倍のオペラグラスを取り出そうとしたら、左隣のオバサマに

「あんた、そんなものでどこまでみますの。鼻の穴までみはるの(笑)」

と言われてしまった。
そこで仕方なく引っ込めて、「番附」を読み出したのだが、
ご挨拶の面々が宝塚の某理事長の挨拶だけとは大違い。
なんと、内閣総理大臣から大阪府知事、大阪市長、とあるのだ。
ひえ〜っ、こんな格の高いものをみるのだ、と思った途端、
手は再びオペラグラスに伸びていた。

「そんな凄いもんなら、
 なにがなんでもばっちり全部みさせてもろうて、チケット代取り返しまっせ」と。

かくして開演、と相成ったのである。


<感想>

「ほんま、こんなに楽しくて哀しい芝居、ようみせてくださいました」

 初め、台詞が聞き取りにくかったのでこのままいくとヤバイ、と思ったのだが、
それはすぐ直って、最後までマイクがどこにあるのか分からなかったのだが、
そんなことはともかく、実にいい芝居だった。
人間の喜怒哀楽を表現しながら、その上をつつむユーモア、
そして大阪弁、すべてがマッチしていた。

ここで閑話休題だが、
読者は金子と電話でしゃべるものなら、こてこての大阪弁でしゃべりたくる、
と思われるかもしれないが、実は金子、大阪弁ネイティブではない。
というのは両親の言葉は出身地や戦争や職業の都合でほとんど標準語だ。
特に母など今でも「〜じゃない」といった感じだ。
しかし、金子自身は、公立学校で友達としゃべるのに標準語とはいかない。
そんなことをしたら、とんでもなくお高い野郎、と思われてしまうのだ。
で、大阪弁習得を努力した。
わけても、吉本の漫才をよく見たものである。
特に、本当に活動最後のころの「やす・きよ」漫才は素晴らしかった。
スピードといいセンスといい、最高だった。
だから、金子は「エセ大阪弁」はしゃべれるが、
とてもこの舞台に出てくるような大阪弁の理解はできてもしゃべれない。
しかし、この舞台で使われている大阪弁はかなり古くて
実際の大阪&関西圏の人たちがこんな会話をしていると思われては困る。
東京に行くとよく言われるのだが、
「吉本の漫才のあの調子の大阪弁を関西人はしゃべっていると思っていたら、
 実際の関西人はそうでもないわ」と。
これは大きな誤解である。
あの吉本の言葉はどちらかというと河内弁で、普通の関西人はあんな言葉は話さない。
標準語と大きく違うのは語尾とイントネーションぐらいであろうか。
とにかく、あんなすごい大阪弁をしゃべれる人は
大阪府在住のかなりなお年寄りぐらいであるので、
誤解されている向きは少し概念を変えていただきたい。

さて、舞台に話を戻して、お話は初代桂春団治の破天荒な人生を軸として、
彼と彼を愛する女たちの生き様を通して、
生きることの楽しさ、哀しさを綴ったものである。
三幕十五場で2幕に慣れている金子としてはどっぷり芝居、という感じであったが、
一番困ったのが暗転である。
時々は下手客席内を突き抜けている花道を使って
ちょっとした芝居などがあるのだが、音楽だけで場内真っ暗、
というときは少々気持ちが切れる感じがした。
これに比べると宝塚の銀橋、というのはすごいと改めて感じた。
あれのおかげでどれだけ芝居がとぎれないことか。
あれのおかげで幕無しのショーもできているのだ、
と創始者の先見の明に1ファンとして感謝したくなった。
しかし、筋立てがシンプルであるので少しばかりギャグがすべっても、
すこしばかりゼスチャーを足しても、
品をなくさない限り工夫はいくらでもできそうであった。
あとは人別に書いていこうと思う。


 座長のおときの藤山直美さん。
余り、明るい場面がなくて、耐える場面がおおくて
フラストレーションがたまるのではないか、と余計な心配もしてしまう役であるが、
本当にこの人は「天才が生んだ天才」だと思った。
どうしてあんなに簡単にぽろぽろと涙がでるのだろう。

例えば、春団治が別の女といちゃつきながら去ってゆくのを見送り、赤子に
「あんたにはお父ちゃんはおらんのや」
と言い聞かせるシーンなどは、金子はさすがに人生経験の少ない分、
頭でしか分からなくてじ〜ん、ときていたが、
周囲はハンカチとティッシュで一杯であった。
この場面だけでなく、もうハンカチは離せない場面が多く、
オペラグラス握っている金子のほうが舞台からみられたら悪目立ちしていたかもしれない。
それだけ、琴線に触れる芝居であるということだ。
最期のご挨拶まで、直美さん、立派だった。
きっと、この舞台を見て天国のお父様もプログラムにある
「ええ人情出してる」
とおっしゃっていると思いますよ。


 春団治の沢田研二さん。
観る前は「歌がない沢田さんはどうかな」と思っていたのだが、
そんなばかな心配は不要であった。

春団治は当時の落語会のスター、それをスターがやらねばどうする、ということである。
そういう点から、完璧なキャスティングであった。
まず、最初の登場のシーンからライトがそこだけ明るくなっているようで、
どうしようもない「華」を感じた。
そして圧巻だったのが2幕の彼の落語以外での私生活について非難されてからの開き直り。

「春団治は高座にでて人を楽しませとったらそれでええんや!
 他のことをどうしようと、なんとかいわれる筋合いはない!」

というところ。余りにも傲慢で、
金子「ひや〜っ、スターの傲慢さってこんなすごいんや」と
客席で圧倒されてしまった。
スターって、こういう驕りがあるのだろうな、
という計算とか想像でやっているのとは全く違った。
スターとはこういうものである、というのが厳然とそこに立っていた。
沢田さんは今まで舞台を拝見すると、「計算」がすごくてその上に成り立っている演技者、
という思いを強く持っていたが、今回だけはその「計算」が全然感じられなかった。
スターが演じるスター。
これ以上の当たり役はないだろう。
彼が関西弁ネイティブであることも含めて東京公演も沢田さん、
いやもうこれからは好きなのでこういってしまおう、
ジュリーにやっていただくほうがいいのではないかと思った。
機会があればまたやっていただきたい。
ただ、直美さん、本当にご自身が男だったらこの役やりたかったでしょうね。
いい役ですし、なんといってもおときより
タイトルロールのほうが出番もウエイトも大きいですから。


 印象に残った役は、春団治の車夫の力松の曽我廼家文童さん。
一番おときのことを心配してくれて、
「先に帰ってなはれ。絶対師匠つれてゆきますさかい」とお金を預かったとき、
おりうのほうに行かせないように取り計らおうとするひたむきな姿勢がよかった。
プログラムによると、初役ではないそうで、なるほど深い人物造詣であった。
また、最後に師匠を迎えに来るところも良かった。


 また、1番目の妻のおたまの土田早苗さん。
いつも小股が切れ上がったところが気持ちいい女優さんだが、
今回もおときの妊娠を知るやすぐに春団治のもとを去り、別れてもお金の面倒をみたり、
最期にはかけつけている、という賢い女性をきびきびと演じていた。
特に去っていくとき「芸人の女房にやきもちは禁物」とすっと引くところに潔さを感じた。

 春団治の姉のおあきの波乃久里子さんは最後まで弟を非難もせず支え続けるところに、
今にない日本女性の芯の強さを感じさせてさすがである。
東京公演は本当の弟さんなのでもっと寛容になるのかな、と思った。


 3番目の妻の、おりうの入江若葉さんは、台詞の声がつやっぽくていかにも後家、
という感じがしたが、それ以上に、
最後に春団治の子供の春子に輸血の協力を頼みに来るときのおときへの
「こんな罪深い女が、これ以上のことを頼むなんて、
 大胆も過ぎているということは分かっていますが、どうか」
といった平身低頭の姿勢が、彼女も春団治を心から愛していたということがよく分かった。


エントツのベンガルさんだが、一人標準語でカンフル剤のような役だが、
TVで見るような渋い面だけではなくて、
こんな漫才もできる軽い面もあるとは知らなかった。


 吉本の番頭(今で言うと専務ぐらい?)の戎の小島慶四郎さんはさすが重鎮で、
現在の吉本の隆盛を導くやり手でありながら、
人情もきちんとわきまえているのが良かった。


 春団治の先輩の麦団治の綾田俊樹さんは
ひたすらひょうひょうとしていて面白かったが、
息子に成り代わったときに、芝居が大分滑ってしまったのは惜しかった。

 以上、色々書いたが初めて拝見する方も多かったので暴言はお許し願いたい。


 とにかく、人情の機微に触れ、その大切さにまた目をむけさせられた3時間であった。
そう。人間って、楽しくて哀しい存在なのである。
そのなかで他人と袖すりあっていきているのである。
そういうことをつくづく考えさせられた芝居であった。
「大阪」と「人情」に触れたい関東の方、
7月新橋演舞場へ足を運ばれることをお勧めする。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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