■■■AYAの観劇記■■■



「愛・舞・魅」〜初風緑コンサート〜

宝塚バウホール


観劇日:2002年5月17日(金)14:30時(い列16番)

構成・演出 藤井大介
出演 初風緑(専科)



HP主人 森(=SUN)筆。

歌詞が日本語でないと取り残される か。
金子さんは随分そのことを書いていらっしゃる。

やり方というか 構成の仕方というか 表現力の問題だと思うんだよね。
音楽というか 曲になっているんだから、
それが既に感情の表現になるわけだからなあ。

『言葉では 愛や孤独は語りつくせないが 音楽はそれをしてのける』
と、誰かが言っていた。

ワグナーは
『詩は音楽であり、音楽は詩である。
 詩と音楽は あたかも男女のごとく ひとつになって音楽となり
 舞踏と三位一体となって総合芸術となる』と残している。

それにしても[音色]という日本語は素敵だ。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




「なんなんだなあ」で尽きるコンサートだった。
そのわけは順繰り述べるとする。

<「い」列>

 誓って言うが、金子、生涯バウでこの列に座ったことはない。
ということで、行く前から「どんなんかなあ」と期待して席に着いた。
さすがに、20倍のオペラグラスは大きなお荷物であり、
ミラーボールは頭の真上にあり

「わ〜、さすが一番前だ」

と感激していられるのもつかの間、前の補助席に人が座り始めたのである。
これで「あ〜首が痛い」になってしまった。
ご存知の方は多いだろうが、バウホール、
一番前の補助席からその後ろの「へ」列まで階段状になっておらず、
「と」の方を好む人が圧倒的に多いのだ。
そのわけを身をもって体験したのである。
ここでいってしまうが、身長145cmしかない金子にとってこの調子だと、
補助席に普通以上の身長の方が座られてしまうと、
上演中、体を左右に揺するか、首をずっともたげていないといけないことになる。
それで首が辛いのだ。

その上、補助列に座る人達がばっちり会服
(ファンクラブがその時々に作るユニホーム)を着ていて、
「わー、ファンクラブともなる と『かぶりつき』がいいんだ」と思ってしまい、
それと同時に自分も超ガイチファンの片棒を担ぐことになるのだ、と自覚した。


<プログラム400円>

 買って「こんな薄っぺらい物に、こんな値段つけるか?」と正直思った。
一部カラーで12ページ。
一応曲目が書いてあるのには安心したが、
ミュージカルナンバーからの曲に(「○○」から)と書いていないのは不十分な気がした。

例えば、「ビッグスペンダー」。
これは金子も相当頭をひねって思い出したのだが「スイート・チャリティ」からの有名曲。
こういう知識の供給も必要と思うのだが。

それと、知っている曲の少ないのに困った。
金子の知っている、唯一のタカラジェンヌのコンサート、
といえば「Miki In Budokan」であるが、
あの時はプログラム(あの時も高かったなあ)に曲名が載ってなかったと記憶しているが、
いざ始まると宝塚で使った曲&J−POP有名曲という組み合わせで
余りおいてきぼりにされなかったような気がする。
今回は一応バウで一般の宝塚ファンの人も観るのだから、
超ファンの塊のための(といってもいいと思う)
ディナーショーのような選曲をしてはだめだと思う。
さて、本題に入ろう。


<第1幕> 愛 (過去)

 いわゆるジャパネスクの場面である。
正直、金子、このジャパネスクが一番嫌いである。
だから、30分が辛抱の限界であった。
花魁での登場(尾崎豊の曲で)
→ロック1曲
→太鼓をたたくのも含めてダンス
→剣舞 となっていたが、
初めの曲しか知らないのでジャパネスクと合せて困ってしまった。
それと、前に座りすぎているせいなのだろうか、
歌詞が聞こえない部分があり、これは第3幕になると直ったのだが、
初めから聞こえるようにして欲しかった。
日曜日ぐらいになると、改善、であろうか。
でも、平日の初日のほうの客も大切にして欲しかった。

あと、全体を通してさすがにワンマンショーでは身が持たないのか、
4人の若い男性の黒子&バックダンサーの登場があった。
「宝塚の舞台は女性のみ」という感覚を強く持っている者としては
男性登場というのは意外だったが、
彼らのジャンプやスピンのダイナミックさを味わえたのは良かった。
たまにはこういうのもありかな、という感じである。
と1曲しかわからず、全部ジャパネスクのままで、
大量の紙吹雪とともに第1幕は終わってしまった。
1つだけ思ったのは、振り付けANJU先生(安寿ミラさん)に
お願いできなかったかな、ということである。
ガイチはヤンさんの役を新人公演で何作かやっていたせいか、
腕の使い方や目線の上げ方などがすごく良く似ているのに気がついた。
ま、この製作の時期、ANJU先生は
チャーリーの「カクテル」をやっていらっしゃったから無理か。


<第2幕>舞 (現在)

 プレスリーのナンバー4曲
→「見果てぬ夢」(「ラマンチャの男」より)
→ジャズのナンバー3曲
 (1曲目は「I‘ts all right with me」(カンカンより))
→知らない曲3曲
という内容であった。
ここでもまだ歌詞が聞こえにくく困ったが、それに拍車をかけたのは英語の歌唱だ。
ジャズの3曲はよく歌いこんであって工夫の跡がみられるが、
ねえ、日本語でもいいではありませんか。
上の「イッツ・オールライト・ウイズ・ミー」などは
月組で上演したときの日本語詞があるのだから、それを使ってもいいのではないだろうか。
それでも英語に拘るなら「TAKE5」(聴けば聴くほど難しいと思っている)
くらいの難曲をうたってみてはどうだろうか。
○本文学科の金子にとっては「好きにならずにいられない」くらいが
その場で歌われる英語詞の理解の限界である。

また、この幕での登場の衣装だが、全身ピンクでファーが付いたもので、
マヤミキファンとしては「あのアキラをやるのか?」と思ってしまった。
プログラムから察するに、彼女のバウの主演作(金子は観ていない)
からのイメージだそうだが、混同するので止めて欲しかった。

この幕で一番期待したのは「見果てぬ夢」であったが、
最後の歌いあげまでもう少し抑えて言葉に説得力を持たせて歌ったほうがいいと思う。
ということで「ちょっと知っていた」状態で2幕は終わった。


<第3幕> 魅 (未来

 やっとオンステージ突入、という感じであった。
第一段落は、女役で、知らない1曲
→「ビックスペンダー」
→知らない曲2曲
→「世界の終わりの夜のように」(「ミス・サイゴン」より)
→「I am What I am」(「ラ・カージュ・オ・フォール」より)
知っていた曲について言うと、
「ビックスペンダー」は女声が出ないせいか今ひとつであった。
「ミス・サイゴン」のナンバーについては、やはり抑えるところがもう少しであった。
そして「アイ・アム・ホワット・アイ・アム」であるが、
金子にとってはこの曲、
決定的な、大地真央版と市村正親版という忘れられない2バージョンがある。
前者はマオちゃんの最後のTMP(いまのTCA)で歌われたもので、
衣装が当時としては斬新なものではあったが、
それよりも彼女が間奏で上手の壁にばーんと手をついたことである。
当時トップというのはひたすら真ん中に立っていたらいいもので、
上手のそれも壁に寄っていくというのは画期的なことであった。
(ビデオある方、ない方もTUTAYAで借りて、一度ご覧あれ)
そして、あの華、でその後のこれまた最後のTMPの麻美れいのトリの
「ワンナイトオンリー」(「ドリームガールズ」より)の印象なんか
かっとばしてしまったのである。
当時、○学生で今もマオちゃんファンの金子、
「マオちゃんって凄いな」と客席で一人悦に浸っていたものである。

そして市村版は、金子、この曲がミュージカルの中で
どう使われているか知りたかったので「ラ・カージュ〜」の舞台を観に行ったのだが、
本当に状況によくあった日本語詞で、
一幕の最後ザザの毅然とした姿に周りの人目も構わず泣いてしまった。

さて、ガイチは、ということになるが、
正直、上の2バージョンにはかなわなかったが、
このコンサートで歌われた54曲のなかでは、この曲が一番良かった。
歌詞もはっきり聞こえてきたし、「私の生き方!」という主張がストレートに入ってきた。
ここが終われば女役から男役に戻るのだから、
赤毛の鬘も脱いでしまう、くらいしても面白かったのではないか、と思った。

 第二段落はこれこそ定番の宝塚メドレーである。
金子、てっきりガイチの宝塚生活における主題歌を
歌い継いでいくのかと早合点していたが、本当は「宝塚の名曲メドレー」であった。
結構古いのもあって、ファン歴26年を誇る(いや、別に誇りにはならないけど)
金子も知らない曲まであった。
鳳蘭さんの「セ・マニフィーク」、
汀夏子さんの「炎の妖精」やら、
剣幸さんの「ラ・ノスタルジー」などなど、
で最後は「ノバ・ボサ・ノバ」の「シナーマン」で終わった。
聴きどころ、といえば最後の「シナーマン」であろうが、
これは最後の
「ビバ〜(間が開いてブレス丸分かり)サンバ ノバ〜サンバ」となってしまい、

「声帯の強さ誰にも負けません」の轟閣下や、

「ガッツだぜ!」の真琴姉ちゃんよりは劣って聞こえてしまった。

この辺がトップと専科の差かもしれないと思った。
ファンとしては、もう少し1曲を長く、つまり1コーラスずつ歌って欲しかった。

 第三段落はまとめで知らない曲3曲であった。
じつは金子、ずっとは思っていたが、ここで「なんなんだなあ」と思い込んでしまった。
その発端は締めのトークで、
ガイチの宝塚生活への思いを素直に語ってくれればそれでいいのだが、
手塚治虫さんことを挙げて「生命の素晴らしさ」をお説きになったのだが、
「そんなん、あんたに言われんでも分かってますわ」と言いたかった。
その前後にメッセージソング3曲。
1曲なら我慢できても3曲は

「耐えられまへん」。

その上、その歌の歌詞が「100年後の地球にいたらどう思いますか」
といった、抽象的なもので、「もうええですわ」という感じであった。
金子が考えるにメッセージソングは次のような要件が必要だと思う。

1、 言いたいことは1つ
2、 言葉は簡単な言葉を使う
3、 具体的に語りかける

こんなわけで、最後の歌は「今愛する人がいますか?」の歌詞しか残っていない。
これですべてが終わったのである。


<「なんなんだなあ」のわけ>

1、 衣装が感心しない。
  →2幕のピンクの衣装に代表されるように、
   衣装がただごてごてしているだけでセンスを感じない。
   最後なんか、黒燕尾でいいのだ。
2、 選曲をディナーショーと同じスタンスでしてもらっては困る。
  →ミュージカルナンバーの段落を1つ作ってもいいと思うし、
   一般的な宝塚ファンが知っている曲で半分以上は占めるべきだ。

3、 上に書いたがメッセージソングが多すぎる
  →最後の1曲、これ、というものをもってきてそれに集中したほうがいい。

4、 たとえジャズといえども日本語で歌ったほうがいい
  →聞いている側が取り残される。

5、 ミュージカルナンバーは、既に日本語詞で定着しているものとか、
   有名なものがあったらそちらを使った方がいい
  →「アイ・アム・ホワット・アイ・アム」はマオちゃんが使っていた(多分)
   酒井先生の詞を使った方に馴染みが沸くと思う。

 と注文ばかりつけてしまったが、チケット料金5000円。
ううん、1万円のリサイタルと行かない分これで妥当なのかなあ。
会服にまぎれた金子の感想でした。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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