■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


宙 組

2002年 4月28日(日)〜5月6日(月) 宝塚バウホール公演

2002年 5月11日(土)〜5月17日(金) 東京特別公演(日本青年館大ホール)

バウ・ミュージカルプレイ
エイジ・オブ・イノセンス

The Age of Innocence−美徳の微笑み−


観劇日5月2日(木) と列15番

劇場 :宝塚バウホール


HP主人 森(=SUN)筆。

私も観た! この公演。

すっごいよかった。
植田さん、あなた素晴らしい演出です。
もうひとりの植田とは大違い・・・・キケンキケン ヤメヤメ・・

金子さん 怒ってます観客に。
録音。
まだね、録音ならいいんだよ、静かにやってくれているから。
カメラは、さすがにあんまりいないが 勘弁してくれ。って感じだ。
携帯は・・・同じ人が連続でやってくれると殺意すら覚える。

録音 もちろんイケナイんだ、金子さんの言うとおり。
その場で統べて体感経験しきる気構えじゃないってことでしょ録音は。
写真撮りまくって本当にその景色を観ていないのと同じ行為だ。

写真をどれだけ撮ったって、
もう二度と その景色を シーンを 目前にすることはないのだと、
そう思って その眼前に望まなければ ならないのです。
残る とは そういうことだろう と。

舞台とは 劇場の空間とは そうだからうつくしい。
アトには何も 残らない。

私は、だから 公演終えて、バラシを終えた空舞台を眺めるのが とても好きです。
その残像を感じるのが好きです。
人生もまた 多分そういうものだろう と。

そして、この「エイジ・オブ・イノセンス」は、
そんな物語りなのだろう と。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




バウ・ミュージカルプレイ
エイジ・オブ・イノセンス

The Age of Innocence−美徳の微笑み−


   原作:イーディス・ウォートン
脚本・演出:植田景子


<出演者>

宝塚歌劇団宙組29名  (専科)鈴鹿 照


    ニューランド・アーチャー(ニューヨークの弁護士) 椿 火呂花
      エレン・オレンスカ(伯爵夫人。メイのいとこ) ふづき美世
         メイ・ウェランド(アーチャーの婚約者) 美羽あさひ

   ムッシュ シュランメル(ボヘミアン・カフェの主人) 鈴鹿  照

ネッド・ウィンセット(ジャーナリスト。アーチャーの親友) 遼河はるひ
      シャルル・リヴィエール(オレンスカ氏の秘書) 速水 リキ
    シラトン・ジャクソン(ニューヨーク社交界の権威) 越 はるき
                     シラトン夫人  月城 美咲
         ジャネット・ウィンセット(ネッドの妻) 優花 えり
              ウェランド夫人(メイの母親) 彩苑 ゆき
             レタブレア(アーチャーの上司) 風輝 マヤ
                ウェランド(メイの父親) 貴羽 右京
                 ボーフォート(実業家) 悠未 ひろ
               ダラス(アーチャーの息子) 珠洲 春希
            カーフリー夫人(ロンドンの夫人) 純 あいら
      キャサリン・ミンゴット(メイとエレンの祖母) 毬穂えりな
       ラヴェル・ミンゴット(メイとエレンの伯母) 白河 るり
   レジナ・ボーフォート(ボーフォートの妻)/ネリー  織花なるみ
           ミドーラ・マンソン(エレンの叔母) 華絵 みく

               他 宙組「エイジ・オブ・イノセンス」組




<解説>

1920年に出版されたアメリカの女流作家イーディス・ウォートンの代表作。

19世紀末のニューヨーク、
自由な人間の精神性を求める若き弁護士ニューランド・アーチャーは、
対照的な二人の女性の間で揺れ動きながらも、
恋焦がれた女性に手を伸ばすことは出来ず、結局は自分が居るべき場所に戻っていく。

その姿に、人生とはこういうことの繰り返しなのかもしれない・・・
としみじみとした共感を呼ぶ名作に、バウ初主演となる椿火呂花が挑む。


<予習!予習!>

 今年の初めから2作、大劇場は再演物がつづいているので、
というわけではないが、
近頃金子、横着になって予習をせずに「プラハの春」に行って、
座席で慌てふためいた次第。
よって、観劇料を無駄にしてはならじ、
と先にこの作品の映画をレンタルしてきて見た。
金子家、ビデオデッキは居間に1台しかないので、家族での鑑賞となった。
母はなにも言わなかったが、

父は「ああ、辛気臭い話やな。小説のほうがいいんとちゃう?」
と元が全然分かっていない大酷評。

金子自身は「なんか、このままやっちゃうと男役の役が少なくない?」
というのと、完璧にエレン派であった。
「自分の感情のままに生きてどこが悪いのだ」と。

ただ、2人のアメリカの美女
(●エレン=ミシェル・ファイファー ●メイ=ウィノラ・ライダー)の美しさと、
衣装の豪華なことには魅せられた。
そして、バウホールに向かったのである。


<観劇前に>

「客にも『美徳の微笑』かい?」

 金子、バウなんていつも「観られたらいい」状態で、
余りいい席に座ったことがないのだが、今年はなんだか運が着いているのか、
段上がり2つめのセンターブロックという良いお席であった。
実は「ダイアモンド・アイズ」の1列のときもそうだったが、
良い席に座ると必ず周りは録音しているのである。
今回も隣の席の人が、オペラグラスを取り出すようにして、
MDを起動しているのがばっちり目に入ってしまった。
それを見てしまうと、上演中、咳一つするのも規制されているようでいやだった。
バウは座席にちゃんと、
「録音・録画は著作権法違反になります」の紙がおいてあるのだし、
今はバウではおろか、新人公演だって、
ノーカットでTCAからビデオ発売されるのだから、それまで待てないものだろうか。
いや、7月から衛星チャンネルだってできるのだから、そこで放送されることも考えれば、
手に入らない映像なんて殆どないのではなかろうか。
6月、運良く当たったTCAスペシャルに行ったらどうなるか・・
考えるだけでイヤだ。
兎に角、ファンに節度ある観劇マナーの向上をお願いしたい。


<感想>

 「現実って素晴らしいと思わない?」

 観劇後、じわっとこの言葉が心のなかから沸いてきた。
結局、エレンは夢・憧れであり、
人生はメイという素晴らしい現実と生きるのが終着点なのである。
演出家はそういうことを言いたかったのではないだろうか。
出演者別に見ていく。

 ニューランドの椿火呂花
映画のダニエル・デイ・ルイスより、ずっとソフトで上品で
知的なイメージは役にぴったり合っていた。
誰かに似ているな、と思ってみていたら、元月組トップの久世星佳さんだった。
(出身も東京できれいな標準語も似ている)
黒やエンジの衣装より、アイボリーのフロックコートが一番お似合いであった。
また、髪形も格好良かった。
今回、初主役でそうドラマティクな役でもなく、心象表現に苦労しただろうが、
あまりその苦労のあとも感じさせず、すーっと役になりきれている感じであった。
演技は思っていたより上出来であった。
ダンスは1場面しかないので良く分からなかったが、
もう少し、腕の使い方が上手くなればエレガンスに見えるだろう。
課題は歌で、
もう少し歌詞を解釈して説得力のある歌い方ができるようになればいいと思う。
でも、初主演としては充分合格点だ。


 エレンのふづき美世
つぎつぎ変わる衣装に合せて髪形も変えてくれるので、
「次はどんな髪型だろう」と思うと楽しかった。
こった作りが多く、手数がかかっているのだろうがその努力の価値は充分あると思う。
こういう、センスの良い髪形を色々してくれる娘役さんがいると
「宝塚の娘役ここにあり」という気概が感じられてファンとして嬉しい。

さて、役作りのほうであるが、
エレンは現代人に近い感性の人だからやりやすかったのではないか。
どちらかというと、ニューランドよりエレンリードの関係だが、
最後に潔く身を引くところは
「もう、お互い夢に生きていくのはやめましょう」
といっているようで、情熱的でありながら、
理性のあるところを示して「大人」という感じであった。
ふづきはメイと対比をつけるために、台詞のトーンを落としているように感じたが、
それは正解であると思った。
欲を言えば、もう少し、溢れ出るような女の色気、みたいなものがあれば更にいい。
ただ、数小節聞いただけでこんなことを言うのは言い過ぎかもしれないが、
歌が得手でないように思ったので今後の頑張りを期待したい。
エレンの思いの独唱が1曲あれば、この作品もより充実すると思うのである。
ダンスも少し見ただけだが、柔軟性があって、
歌の代わりにストーリーダンスを劇中に取り入れてもいいのではないか、と思った。


 メイの美羽あさひ
新人であるが、なかなかの実力の持ち主、とみた。
なんせ最後の「(妊娠したって)素晴らしいとは思わない?」
の台詞を上のように思わせてしまうのだから。
勿論これは、脚本の力もあるのだが。

メイというのは一番の難役で、
始めはなにも知らない「無垢(innocence)の微笑み」から、
だんだん夫とエレンの関係を知りつつも、
何も言わずに「美徳の微笑み」を浮かべたまま死んでゆく、という人である。
美羽は、初めの出がピンクの衣装で白のほうが断然いいと思い、初々しい感じはしたが、
やはり、〜金子の好きな表現〜削りたての鉛筆の芯のような清冽さ、が欲しかった。
それと、これは映画の印象を引きずってしまっている、といわれても仕方がないのだが、
もう少しスレンダーでお願いしたかった。
それに、台詞のトーンをもう一段高くするともっといいと思った。
しかし、2幕に入ってすべてを知って「ジゼル」を観ながら
「なぜだか泣けてしまうわ」というあたりから、「メイ可哀想」と思えて仕方なかった。
そして、最後の台詞でが〜ん、ときた。
「現実もまた、素晴らしいのだ」と。

映画ではエレン派であった金子だが、この舞台を観て俄然メイ派に変わってしまった。
美徳、もっといえばほんの少しの思いやりや誠実さは、
今の時代には忘れかけられている本当は大切なものではないだろうか、と思った。
美羽については、演技は充分だったが、歌はもう少し安定感をお願いしたいし、
ダンスはまだまだだと思った。
髪形は健闘しているのはよくわかった。
今後注目したい娘役さんである。


 さて、役がないと思った男役であるが、2人大きな役が付け加えられていた。

 まず、ネッドの遼河はるひ
快活なイメージはよく合っていて、長身が舞台栄えする。
芝居のほうは軽い役なのでこれまでだろうが、歌はもう少し求心力を持って歌って欲しい。
フィナーレでのダンスは、目を見張らされたので、これからはショーで注目してみたいと思った。


 リヴィエールの速水リキ
映画では散々言葉だけで出てくる、伯爵の男性秘書の役なのだが、
そこは宝塚的に、エレンとの関係はない、ただエレンを憧れ、
思いやるフランス人元秘書に変わっていた。
速水の誠実そうな感じにはよくあった設定だが、
ニューランドに対してエレンをヨーロッパに帰さないように頼むところが良かった。
それにまして、ソロの歌は感情がこもっていて良かった。
彼女はダンスが苦手そうなので、歌は今以上の精進とともにダンスに力を注いで欲しい。
あと、もう少しスタイルがすっきりするといいと思った。


 カフェの主人の鈴鹿照さんはさすがである。
老人の若いころへの感傷というものが良く表れていた。
やはり、(昔からの)専科の戦力は大切である。


 あと、サヨナラのネッドの妻の優花えりは
いかにも夫を助けて働く女性で、
バリバリのキャリアウーマン的でなかったのが、良かった。


 いろいろ書いてきたが、
この芝居は「心で感じる」芝居であり、事実だけを見ていては観劇料に似合わない。
例えば、終演後ある男性が「妊娠で男と引き止めとくっていうのは、
今の『できちゃった婚』と同じで、女の常套手段やな」といっておられた。
これじゃ、作者、演出家、の意図が全く理解されていないと思う。

〜「人への思いやり、誠実さ、ささやかな心遣い・・・、
  そういった人としての美しさが、
  何気ない平凡な人生を温かな光で包んでくれることもあります。」
  (プログラムより)〜 

これが、演出家の意図するところとだと思う。
私は、「現実の素晴らしさに目をむけ、
    思いやりを持って人生を歩むことこそささやかで温かな人生なのだ」
とこの作品は述べているととった。

どうかこれからご覧になる皆さん、
この話は、本当は1人の男の2人の女性の間で恋に悩む話ではないのです。
1人の人間が夢と現実に行きつ戻りつしながら、
現実の持つささやかな温かさに気づく話なのです。
そこを押さえてご覧下さい。
そして、観劇後、あなたの心に、他人に対してささやかな心遣いが生まれていれば、
それで充分観劇したことになります。
例えば、まず、最初にMD録音を止めてみませんか。
そう思います。

それではメイになりたい金子の感想はこれで終わります。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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