■■■SUNの観劇記■■■



帝劇創立90周年記念公演
ミュージカル
風と共に去りぬ

帝国劇場
2001年 7月6日〜8月27日 公演

観劇日:2001年8月5日(日)17:00〜(1階F列24番)


    脚本:菊田一夫
    潤色:掘越 真

    演出:山田和也

    音楽:佐橋俊彦

    作詞:秋元 康

    装置:堀尾幸男
    照明:服部 基
    振付:上島雪夫
    衣裳:緒方規矩子
    音響:大坪正仁
    指揮:伊澤一郎
ヘアデザイン:嶋田ちあき
 アクション:渥美 博

   製作:東宝株式会社


@@@キャスト@@@@@@@@

     スカーレット:大地真央
   レット・バトラー:山口祐一郎
       メラニー:杜 けあき
 アシュレ・ウィルクス:今井清隆

   ベル・ワトリング:寿ひずる
        マミー:花山佳子
     ピティパット:木村有里
      ミード博士:沢木 順

  フランク・ケネディ:藤堂新二
チャールズ・ハミルトン:安崎 求
  ジェラルド・オハラ:林 アキラ

    エルシング夫人:冨田恵子
  メリーウェザー夫人:大橋芳枝
       プリシー:植田チコ

その他の方々



舞台において、娼婦達のシーンがある。
娼婦といっても 夜鷹からパリの高級娼婦まで色々ある。
結構 娼婦のシーンって出てくる。
その数々観てきた娼婦シーンの中でも
本日観劇した「風と共に去りぬ」=帝国劇場 は
出色であった。

娼婦の持つ 猥雑さ、魅惑 妖艶、懐の大きさ、
肝の座り具合、優しさ厳しさ、計算(人生の知恵者)
それら全てを含んで尚且つの美しさ。存在感。
娼婦っていうより「いい女」論になってしまったが
まあ、そういう女が「風と共に去りぬ」に登場する。
アトランタで娼館を営む ベル・ワトリングだ。
無頼漢レット.バトラーを叱り飛ばすことの出来る唯一の人間。

叱り飛ばす というか・・。
何て言うんだろう 諭す か。それも違うなあ。
んー・・・この女(ヒト)の前では 虚勢が通じない ・・か。

それがベル・ワトリングという人間だと私は思う。
これを誰が演じて舞台上で存在させたか。
寿ひずる。
大輪の花っていうんだろうか ああいうのを。
見事でした。
歌の深さにも泣けてきます。

この「風と共に去りぬ」は、新作ミュージカル作品。
再演でなく(何度も舞台化されているが)
これが初のオリジナル・ミュージカル。
そのナンバーも 大河ドラマの凝縮のさせ方も
シーンの転換も よく工夫されています。
よく納めました。
色々と思うところあった故であろう名場面カット等々。
見せ所カット等々。
まあ、大河ドラマの構成ってのは 各々のシーンに
作り手も観客も演じ手も 各々に思い入れがあるわけで。
どう構成したところで、「OK」は出ないものだ。

アトランタ脱出時の炎上シーン
映画で見せ場なあの場面。
今回舞台上=いやあ、ド迫力。
ライブの迫力楽しみました。
火薬に照明、音響効果! 家台ちょっと崩し。
炎上シーンと焼跡にはウルサイよ私は。

花園神社野外劇「新宿」椿組での炎上&家台崩しも見事だった。
家台崩し というか 家台崩れたって感じで。
私は初日(2001/7/17)に観にいったけど、
後日は消防車もやってきたそうな。
あれは来てもおかしくないでしょう。

閑話休題。

さて、ベル・ワトリングから感想がはじまったが、
次はメラニー。
きっとメラニーって、スカーレットより
ベル・ワトリングと対極なんだ。

今回この『風と共に去りぬ』のベルとメラニーを観て
で、この「対極」ってのに思い至った。
メラニーってこんなに いい女なんだ。
と はじめて思った。
演じるのは 杜けあき。

弱々しくって 正論しか言わない 困った女(ある種)。
だって 困るでしょう。
言うこと聞かなかったら、ひどい人に思えるでしょう。自分のこと。
死にそうな感じで正論言われると。
というかなり斜かかった目でしか観てこなかったけれど、
杜メラニーは違ったよ。
違った というか、やっとメラニーわかった というか。

メラニーの他者を信じる強さに、周りは負けていくんだろうね。
他者を頼るんじゃなくて 信じる。
ベルも強いがメラニーも強い。

スカーレットって、最後にレットに去られて
「明日 考えましょっっっ!」
って開きなおる(ある種)まで、きっとこの2人には負けてるよね。

寿ベル・ワトリングと杜メラニーのおかげです。
『風と共に去りぬ』というドラマの見方が広がりました。
対極 対極。

アシュレとレットはね、対極じゃないと思うんだ。
対極になるには、どこか本質は通じる部分が必要だから。

アシュレにとっては、
メラニーとスカーレットが対極になるわけだ。

「風と共に去りぬ」のドラマの構造って、対極なのかな。
書きながら思いを巡らしているが。
そう思うと、宝塚『風と共に去りぬ』の「レット編」(?)の
[立て前]と[本音]の2人のスカーレット。という対極構造って、
それはそれである種本質をついているのか?
スカーレット自身にとっての対極ってことで。
イヤ・・そこまで考えてなかったかもしれないぞ。ウエダ氏。
イヤ・・わからんわからん。その当時は冴えていたかもしれん。
危険だ・・もうこの話しはやめよう。

さてさて、主人公のことを話そうか。
レット・バトラーというキャラクターって
物語りの登場人物中で かなり好きな一人だ。
スカーレットもね。
(『風と共に去りぬ』という物語りに限定せず)

今回「心のかたち」というレットのナンバーがあって

初めて逢った瞬間(とき)から
わかっていた
言葉は何も交わさなくても
俺たちは きっと 似たもの同志

にて歌いはじまるナンバー。アトは、
強情でプライド高くって、巷で何と言われようと
好きなように思うがまま生きたい。
大切なのは自分の気持ち。
心のかたちが似た者同志。

って感じの歌なんだが。
似た者同志なんだけどね、
それを、スカーレットは最後になってやっと分かる と。
時は既に遅いんだが。

レット 頑張ったのにねー。
もう頑張れなかったね。
去り際の台詞は 色々バージョンはあるだろうけど、
本質は もちろん一緒だろう。
宝塚バージョンのが好きだけどね。
いい台詞だよ アレ。
「壊れたものは 壊れたものさ・・・」に続いていく台詞。
それはそれで 大きい愛がある。

小さい頃(映画みててね)は、そのラストに
「スカーレットがあんなに謝ってんだからさ、
 許してやれよ酷いこと言ってないで」
と思っていたもんだし、
「明日考える とか言ってないで、追い掛けろよレットを。
 追い掛けて、謝りたおしてこいよ」
とも思っていたが。
まあそりゃ 無理なわけだ。

スカーレット。
スカーレットといえば大地真央。

「マリー・アントワネットは フランスの女王なのですからっっっ」
もとい
「花總まりは 宝塚の女王なのですからっっっ」
もとい
「大地真央は 東宝ミュージカルの女王なのですからっっっ」


「風と共に去りぬ」のプログラムに
クリエイティブ・チームの軌跡を、
演出の山田和也氏を軸に追ったルポが掲載されている。
とても興味深いものであった。

「今、なんで『風と共に去りぬ』なんだろう。
 どういったスタイルで上演し、
 終演後、観客にどんな感情が残ればいいのだろう。」
そう 演出を引き受けた山田和也氏は考えた と記述されている。

そしてまた
「僕は、どういう仕上がりのものを創ればいいんでしょう」
とプロデューサーに素直に質問したこともあった。とも。

その上記第一歩から、音楽、装置、照明、衣裳の
各デザイナーの軌跡が記されていく。

『風と共に去りぬ』という文学史上、映画史上に残る名作。
日本での舞台公演回数も数有り、宝塚でも上演されている。
舞台作品としても、名だたる作品。
それを演出するにあたっての、山田和也氏の上記の言葉 っていうか
思いが 私には非常によくわかる。
よくわかるし、よくわかると共に
「素直に思ったことパンフに書かせちゃう人だなあ」と思った。
まあ、パンフレットという公の出版物だから、
多少の虚飾はあるということを考えても
この「プロダクション.ノート」は、
大変素直に書かれてあり、何より面白く興味深い。
こういうのいいよね。

舞台の感想ってより、
『風と共に去りぬ』論になっちゃうね、
こういう元々好きな物語りだと。
「論」だと全然まだ言い足りないが、キリなしなので止め。

『風と共に去りぬ』って凄く愛されている作品だよね。
だから 各々に「『風と共に去りぬ』っていえばさ」
みたいな話しって持っているって思うんだ。

それにしても レット・バトラーって いいよなあ。
わかるなあ。
あれいい男だよなあ。

−SUNの舞台観劇記へ戻る−

−タイトルへ戻る−