■■■SUNの観劇記■■■



水の記憶
=ひょうご舞台芸術第21回公演=

紀伊國屋ホール

観劇日:2000年7月12日(水)
    19:00〜(J列 18番)
           当日券にて。

2000年7月5日〜15日

       作:シーラ・スティーヴンスン
      翻訳:小田島恒志
      演出:栗山民也

      美術:堀尾幸男
      照明:勝柴次朗
      音響:山本浩一
      衣裳:前田文子


@@@キャスト@@@@@@@@

     テリーザ(長女):佐藤オリエ
     メアリー(次女):キムラ緑子
    キャサリン(三女):戸川京子
 マイク(メアリーの恋人):千葉哲也
フランク(テリーザの亭主):坂部文昭
      ヴァイ(母親):八木昌子



いい戯曲だと聞かされていたこの舞台。
いい舞台でした。

粗筋/パンフレットより=======

舞台:
イングランド北東部、ホイットビー近くの海岸の村

先頃亡くなった母の葬儀の為に、
三人の姉妹が久しぶりに顔を会わせる。
長女テリーザは健康食品のセールスマン、フランクと結婚し、
母の面倒をみながら近くの町で暮らしていた。
次女メアリー、三女キャサリンは家を出て、
メアリーは医者として多望な日々を送っている。
だが、現在二人はそれぞれ悩みを抱えていた。
メアリーは同じ医者仲間の妻帯者マイクと不倫関係にあり、
キャサリンは婚約者ハビエールとの仲が思わしくない。
通夜の日、三人は思い出話を始めるのだが、
泥酔したテリーザがふとしたはずみでメアリーの過去の秘密を漏らしてしまったことから、三人がそれぞれ胸に秘めてきた過去のわだかまりが一気に噴き出してしまう。
そこに居合わせたフランク、マイクの両人をも巻き込んで、
姉妹間の永年のコンプレックスや夫婦間の不満、
不倫相手への不信感にまで話しが及ぶ。
ついには、互いに思いの丈を相手にぶつけるのだが・・・。

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思い出の物語り『モンタージュ』という舞台の演出を
この三月にした。
この『水の記憶』という作品と、
とても重なるところがあった。
「思い出」「記憶」という同じテーマで
世界を作っているのだから、当然か。

メアリーが
自分の色んなものを入れてしまっておいた缶がある。
その缶はどこにあるのか? 
と、亡き母に尋ねるシーンがある。
やっぱり「思い出」は缶に入れておくもんなんだろうかね?

この亡くなった母が、
棺桶に入っている自分の顔を覗き込むシーンがある。
とても静かに、自分の顔をみていた。
その母親が好きだったと言う、
ナットキングコールのアンフォゲッタブルがひくく流れる。
亡霊なのか、幻覚なのか、説明するにはそんな言葉で言うしかないのだろうけれど、既に死んで棺桶に入っているハズの母親は、生前と変わらぬ姿で娘達と話しをする。

葬式ってのは、生き残った人の為に必要なのだ、
とはよく言われることだ。
そこで、ケリをつけるってことなんだろうけれど。

人はみんな過去を背負って今あるわけで、
だがしかし、それで今どうなっているかが問題なわけで。

「人間の過去は即ちその人の現在の姿。
 それが人間を判断する唯一の方法です」

と、オスカー・ワイルドは言っている。
私も実にそう思う。

数日前まで、オペラの、
それも超ハッピーな作品の現場にいたので、
「記憶がどうした」
「嘘がどうした」
「幸せってさ」
というような『ド〜ン・・・』的なものに、
いいじゃねえか、みんな背負って今は立ってるんだったらよ!
と、「フィガロの結婚」という超ハッピーな世界から
いきなり「現実はそんなにうまくいかないの、フフフ」
という作品達を前に、
(その作品達は、とても面白かったんだけど)
とても面白かったんだけど、
だけど、「キツイわ・・」という世界なんで、
「キツイわ..」と、思っている客席の私がいる。

頭の中にはまだ「フィガロの結婚」の音楽が流れている。
しかも日本語上演だったので、歌詞つき。
ああ、「フィガロ・・」大好きなオペラ作品!

しかし、不思議なもので、「キツイわ・・」世界を観るのは
「キツイわ・・」だが、
自分が作りたくなるのは、そっちもなんだよね。

前もこの話しを友達としてて、
「好きなものと、自分が作りたいもの(つくってしまうもの)
って、違うんだよねー、これがねー」
と、言い合ったものだ。

最後に「救い」は、もちろん欲しいけれど。
それがなければ、作りたくはないなあ。

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