■■■SUNの観劇記■■■



シラノ・ド・ベルジュラック

紀伊國屋サザンシアター

観劇日:1月23日(日)
    13:30〜(11列 6番)

2000年1月14日〜23日

       作:エドモン・ロスタン
       訳:辰野隆・鈴木信太郎
      演出:鵜山仁

      美術:堀尾幸男
      照明:勝柴次朗
      衣装:朝月真次郎
      音楽:永田平八
      音響:深川定次

     シラノ:平幹次朗
   ロクサーヌ:剣 幸
  クリスチャン:渕野俊太

     佐野圭亮・廣田高志・高橋耕次郎・・他




「シラノ」は悲しい物語りだ。
好きだけど。
そう、とても好きな物語りだ。

豪傑なんだよね、シラノ。
気持ちいい男でさ、陽気でよく笑う。
だけど、鼻がデカイのがコンプレックス。
「こんな醜男が恋なんて...」
と、好きな従妹のロクサーヌに何も言えない。
あげくに、他人の為に恋文書く。
暗闇まぎれて、他人のフリして恋をバルコニーの下から語り..。
その他人ってのはロクサーヌが想いをよせる
クリスチャンって若者(いい男)で、彼もロクサーヌが好き。
二人の橋渡し役にシラノはなってしまったわけだ。
ロクサーヌには「お兄様」と慕われて...。

男としてこれは悲しいだろう。
しかし、自分の恋文を相手(=ロクサーヌ)は喜んでくれる。
その恋文に想いをよせてくれる。
でもそれは、書いているのがクリスチャンだと
ロクサーヌが思っているからだ、
と、その時はシラノは思っている。

私の心は誰よりもあなたを愛している。
しかし、この身体では(このデカイ鼻が!)ダメなのだ・・。
変われるものなら変わることが出来たなら、
愛することが出来たのに・・・
今のままでは、負い目っていうか、ねえ・・

ってことだろうが、この弱虫野郎シラノがっっっっ!!
って感じなんかな、今時だと。
でも結構そういうのってつらいなあ、あるよなあって感じでもある。
この「身体」を、「立場」や「状況」に変えるれば、
結構よくある話しで・・・
変えなくても、ある話しで・・・

豪傑で気持ちいい男で陽気でよく笑う奴でも、
愛する人の前だと嘘のように臆病になる。
自信が持てなくなる。
なんでだろう?
なんでだろうって、そんなこと聞いてもねえ、そういうものだもの。
・・・開き直りはいかん。

やがてシラノはクリスチャンと共に戦場に旅立つ。
戦況は厳しくなり、食料ももうなくなるといった状況。
そこにロクサーヌが現れる。
敵陣を越え、ふたりの前に。

クリスチャンに内緒でシラノが戦場から毎日出していた手紙。
朝闇に紛れ、敵陣を走り抜け、命をかけてシラノが毎日出した手紙。
その手紙に映された愛と真心を、愛しているとロクサーヌは言う。
その手紙はクリスチャンが出したのだと彼女はもちろん思っている。
「もし、クリスチャンが醜くても、愛しているか?」
しつこいくらいにシラノはロクサーヌは尋ねる。
そこがクリアー出来れば、シラノにはOKなわけだからだ。
「愛している。その心、手紙を愛しているから」ロクサーヌは答える。
シラノがいまこそ真実をロクサーヌに伝えようとしたその時、
上記の言葉に傷ついたクリスチャンが隊の最前列に自ら立ち、
銃弾に倒れ運び込まれてくる。

「いかん! これで、もう何も言えなくなった・・・・!」
シラノの苦悩。
しかし、そしてすぐ死に逝くクリスチャンの耳もとにシラノは言う。
「あの手紙は、クリスチャン! 
お前からのものだから愛していたんだとあの人は言っているぞ、本当だ」
その言葉を聞きながらクリスチャンは息絶える。
その胸にシラノがロクサーヌに書いた最後の手紙があった。

それから14年。

夕闇の修道院。
シラノは修道院にいるロクサーヌを
毎週土曜日に訪ねるのを日課としている。
いつも来る時間(鐘が知らせる)を少し遅れてシラノが現れた。
「初めてですわね、あなたが遅れるなんて」とロクサーヌ。
「急な客がきてね・・無礼な奴だ」とシラノ。
訪ねる前に、シラノは頭上から丸太を落とされて瀕死の身体。
豪快な性格のせいで、敵も多く出世も逃した彼。

願わくば、そのまま死んでいってほしかったよシラノ。
静かに、ロクサーヌと話しながら、眠るように死んでほしい!
そして、幕。劇終。

嘘は全部墓場まで持っていってほしかった・・・物語り的にね。

朗々と隠してきた事実を今さら歌い上げてほしくなかったよ。
ロクサーヌに最後に悲しい思いをさせるなんて、
シラノらしくないじゃないか。
(おいおい、シラノだっての、それが本当の物語りの)
でも..。

これは優しい嘘の物語りだ。

去年、文学座公演「翔べない金糸雀の唄」に
「一生仮面を被り通せば、それは仮面ではなくなる。僕の顔になる」
という悲しい台詞があった。
これと「嘘をついたら墓場まで持って行く」は違う。
「墓場まで・・」の嘘は、その物語りを封印するということだ。
その時の嘘の物語りのままで封印する。
そこに己の思いは、もう介入させない。

そういう優しい嘘をついたままに、シラノは死んでほしかった。
多分、それでシラノは満足だったハズだ。

そういう嘘なら、いいかもしれない。
一番いいのは、もちろん嘘がないことさ。

と、どうしようもならない本元の物語りにコメントしている観劇後。

誰かに手紙を書くことは、
その書いている時間相手のことを想うということだ。
想ってそのまま封印する。
なかなか封印なんてしきれないもんだから、
憧れをこめてそれを物語りに託したい。

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