第二バチカン公会議以降の教会の世界、日本の教会の流れの淀みの原因がどこにあるのか、著者は歴史的反省を踏まえて分かり易く説明してくれています。麹町教会の例をここで紹介させていただきます。なお、著者本人の承諾をいただいてここに掲載しております。


意識の転換について(I)

―――歴史的反省点―――


19974

第二バチカン公会議

1962年から4年間に亘って開かれた第二バチカン公会議は教会史の中の数々の公会議でも全く特異なものでした。教会は紀元30年にキリストによってこの世に生み出されて以来、神から受けた使命を全うするために、二千年間多くの困難とたたかいながら様々な努力を続けてきました。生まれ落ちて六年目には早くも殉教者ステファノを出しています。それから後は幼年期、少年期、青年期ともいえる成長期を経て、当時のローマ領土内で大きく成長し、四世紀の初頭には遂にローマ国教として取り入れられました。また数多くの聖人たちや学者の知的・霊的努力によって教義面も大いに充実し、六、七世紀には、ほぼ現在のような膨大で深遠な教義も出来上がりました。

一人前の大人となり、諸国家と対等に並べる程に成長した教会は、諸国家と共存しつつも自らの自立のためのたたかい、自衛のためのたたかい、自分自身の弱さとのたたかいなど、様々な苦難・経験を重ねながら今日に至っています。

しかし近世に至り、教会が次第に組織化し、複雑化し、権威的になってくるにつれ、他方では信徒大衆社会のニーズに応えにくくなり大衆は置き去りにされ、ついていけなくなってしまい、今世紀に至っては、すでに教会は一般市民の味方だとは言い切れなくなり、神を認めながらも、人々の教会離れは次第に広がってしまいました。

このことを家庭でたとえて言えば、父親は家族のためとはいえ、朝から晩まで会社々々と働き通し、いつの間にか仕事熱心のあまり家族をふり返ってみる余裕もない「会社人間」になってしまっていた。母親のたびたびの注意に気がついた時は、既に就職したり、大学生、高校生、中学生になっていた我が子たちからはそっぽを向かれていた。その時父親はハタと眼がさめ、これまでの自分の態度を反省し、今までの権威や地位から離れ、一人の父親として家族全員とゆっくり話合う機会を持ち始めた、という状況であると言ってもいいかも知れません。

冒頭に「第二バチカン公会議は特異な公会議であった」と述べたのは、次のような理由によります。それまでの公会議は、教義の完成、教会の権威や絶対性の主張、教会中心の考え方などに終始していたと言えるかも知れません。特に十六世紀以降のプロテスタント諸教会の出現によって、カトリック教会は硬直化してきたかも知れません。長い歴史の中で教会のとってきた姿勢はそれぞれの時代の事情もあって、無理からぬ面も多くあり、教会が間違っていたと一概に言うことはできませんが、他を排斥したり、自己中心的なきらいがあったことも否めません。そこでカトリック教会が自らを深く反省し、世界の必要性に眼を向け、諸宗教と協力しつつ、本来あるべき教会の姿を実現しようと決心したのが、第二バチカン公会議であったといえるでしょう。

この第二バチカン公会議は教会の内外から歓迎され、キリスト教会にも新しい希望の光がさし始めていましたが、この教会の大転換は同時に教会内部にも大きな衝撃を与えました。従来の教会になじんでいた信徒はこの急変について行けなかったり、また他方では、「さあ自由だ、開かれた教会だ」と早とちりして走り出したり、一時教会が大混乱を呈したことも事実です。しかし、この変革は次第に全世界の教会の中に浸透していきつつあります。

日本のカトリック教会

一方、日本の教会に眼を向けますと、日本の教会には西欧のような長い成長過程にみられるような複雑な歴史はありません。十六世紀に聖フランシスコ・ザビエルによってカトリック教会は、一時、日本の土地にも芽生えてきましたが、その貴重な芽は豊臣秀吉、徳川幕府により徹底的に摘みとられ、辛うじて根だけが「かくれキリシタン」として残ったに過ぎません。本格的に自由にキリスト教宣教が始まったのは第二次世界大戦終了後からでしょう。日本人は機会を得てカトリックの真髄に触れると、まずそのすばらしさに驚嘆し、神の愛に打たれ、真に生きる意味を知り、底知れぬ信仰の喜びにひたり、けなげにもひたすらカトリックの教えを吸収していこうとしました。しかし二千年の歴史を通して成長してきた教会の内容を一朝一夕で、いや、生涯をかけても、くみ尽くすことは出来ません。信仰するとは、すなわち「カトリック教会を学びとる」ことから始まっていると言ってもいい状態でしょう。ですから残念ながら、私たち日本の教会には変えようにも変えてゆく程のカトリック信仰の歴史がないのです。(2世紀あまりのかくれキリシタンは別にしても)。もっぱら西欧カトリック教会を見倣って、その中から吸収していくのが精一杯だったのかも知れません。だから、日本人信徒が第二バチカン公会議の必要性すら感じていなかったのは当然ともいえます。

しかし、時代の変化は、私たち信徒の意識とは関係なく、必然的な世界の流れです。教会の外の世界は変って行きます。終戦当時と今の時代とでは大きく変わっています。公会議後三十数年たってやっとその変革の意識は日本の教会にも、そして小教区にも感じ始められてきました。たとえば、その動きとは外国の事情に詳しい修道会員の話、信徒使徒職についての海外の多くの訳本、有志のグループなどの自発的活動の中に見られます。また日本の司教団もここ十数年の間に「優先課題」の発表(1984)にひき続き全国の信徒に呼びかけ「ナイス−I」(1987)、更に「ナイス−II(1993)と積極的に取り組んできています。

反省点

従来はカトリックは(或いは私たち)はカトリックの優れた点を強調し、他(他の宗教とか、日本の一般社会)の欠点を好んで指摘する傾向があったかも知れませんが、それは果たして福音的だったといえるでしょうか。むしろ敬遠或いは煙たがられるだけでしょう。カトリックの教えを受け入れてほしいなら、まず自分の立場よりも相手の立場なり事情を見るべきでしょう。過去のある時期、「日本のカトリック化」か「カトリックの日本化」かと議論されたことがあります。当時はカトリックを中心において、日本の方からカトリックに入って行くべきだ、それが宣教だと考えていたのかも知れません(それも一理あることです)が、「カトリック」が「普遍的だ」と言われるのは、どの民族どの地域どの時代の人々にも適応できることであり、どの時代の誰にでもカトリックの信仰が受け入れられることは可能であり、また必要であるとの意であり、内も外も何もかもいわゆる西欧的なカトリック一色だけに染めあげ画一化することではない筈です。受け入れられるべきはカトリックの信仰内容であり、信仰の表現方法、教会のあり方、行事、考え方、習慣などにおいてはその時代、その民族の特徴が表明されて当然のことで、何も外面的な画一は要求されるものではないでしょう。すなわち信仰内容は世界どこにあっても普遍であるのは言うまでもないことですが、その表現方法に於いては、それぞれの国のお国柄にあった、その国なりの衣をまとうべきと言えるでしょう。つまりカトリック信仰は日本の土壌で発芽し、成長し、日本的実りがあって始めて日本のカトリックと言えるでしょう。主体は私たち一人ひとりです。私たちも同じカトリック信仰を受け入れていますが、個人、個人はそれぞれ異なった個性をもった信者でしょう。

そこで今までの教会(私たち)の行動を反省してよくなかった点を幾つか考えてみましょう。

まず、教義を絶対的なものとしてあまりにも性急にしかも唐突に相手の面前に出し過ぎたかも知れません。多分、相手の求めていたのはカトリックの教義ではなく、もっと日常的な、生活に直接関わりのある喜び、充実感、希望、安心のようなものだったかも知れません。相手の事情、求めているもの、必要としているものには無頓着に、難解な教義を高踏的に権威的に上から押しつけられては、なにも知らない善良な市民はヘキヘキし、遂には失望するかも知れません。たとえ信者になったとしても、解放された喜びよりも、教会が要求する細々とした掟(?)にその人は疲れてしまいます。喜び踊る筈の宗教が、その人を悲しませるとしたら何か、どこか間違っているのかもしれません。

また、他宗教はすべて悪魔の仕業、少なくともキリスト教に反対する「異教」と思われていた時代の影響もまだ残っています。しかし、私たちは経験的に、他の宗教の信者さんの中には、私たちよりも社会において福音的な働きをしているともいえる尊敬すべき人々があることを知っています。それらの宗教や信者さんたちの実践の中に学ぶべきことはたくさんあります。それを鏡として、よいところは積極的に取り入れ、私たちに足りない点は謙虚に反省すべきでしょう。

また、私たちの態度にも問題があります。カトリックの世界的で巨大な宗教的組織、絶対的とも見える位階制度、一般人には歯も立たない論理の大伽藍のような教義、星の数ほどの聖者たちなどなどが、無意識的に私たち自身の業績或いは自負心のようなものになっていて、結果的には自分たちの信仰生活の至らなさをカバーしているように見えることもあります。周りの人々からみるとそれはカトリック者の高慢、独りよがり、自分達とは違う人種のように誤解されるかも知れません。

   また、主日のミサに与ればそれで信者の務めはすべて果たした、熱心な信者だと思われているふしもあります。しかし信徒としての務めは、ミサに与ることだけでなくその他教会行事への参加、宣教精神の発揚、人助け、家庭、職場、学校、社会において自発的にする愛の業など、有形、無形のものが多くある筈です。そうしたことに説教苦的に関わらず、ミサに与れば事足れりとする信者を見れば、世間一般の周りの人々は心の中でこう判断するでしょう。「カトリックほど愛、愛と口癖のように行っている宗教も少ない。それにしては愛も温かさも意外と感じられない」と。

   また、教会(小教区)のことはすべてローマまかせ、司教まかせ、主任司祭まかせ、教会委員会まかせなど、あなたまかせの信徒も多いようです。そして何よりも今までは信者のでる幕がなかった、また、そのように育てたのも教会自身であったと言えましょう。これでは「従順」としてはいいかもしれませんが、信徒には活力を与えず、共同体の力にもなりません。

意識の転換

教会は以上のようなことについて改めようと決心しています。しかし、教会が今まで通りに上から音頭をとって、信徒は従うだけでよいのなら、それは従来のくり返しに過ぎません。第二バチカン公会議のあと、世界の改革の波に乗って日本の教会でも抜本的な改革がありました。背面ミサから対面ミサへ、ラテン語典文から日本語典文へ、カトリック聖歌から典礼聖歌へ、聖体拝領も口から手へ、聖職者、シスターの服装の自由化、修道会の禁域の撤廃などなど。しかし、これらの改変は日本の信徒の止むに止まれぬ欲求から実現したものではなく、すべてローマからの要請、世界の中で行われたもの、一般信徒のあずかり知らないところで行われたのであり、そして、それにも信徒は従順でした。信徒の自発性によるものでもなく、創造力によりものでもないので、信徒の活力にはなっていません。信徒の意識の転換にはなっていません。外面はいくら変わっても意識は変わっていません。教会を構成するのは信徒ですから、この信徒の意識の変換なしには教会が変わったとは言えません。

   以上、思いつくままに挙げたようなカトリック教会の最も素晴らしいもの、人類の遺産とも言える教会の生命、宝物、真理、業績も、残念ながら周りの人々から見た場合に、かえってマイナスに作用したり、誤解されたりしているとしたら、誠に残念至極で、これを改めることは教会自身のためでもあり、何よりも私たちがみ言葉を宣教しようとしている隣人にとってもどれだけ助けになるか知れません。

戦後すぐに張り切って始まった本格的宣教から既に半世紀たちました。ローマ時代、初代教会では、半世紀もたつと信徒数は何十倍にもなっています。しかし、日本では信仰の自由は保証されているのに、いまだにわずか3倍にもなっていません。一人ひとりの信徒は皆それなりに熱心だと思います。皆それぞれ働いている筈なのにこの教勢の伸び悩みの原因はどこにあるのでしょう。止むを得ない当然の理由もあると思いますが、やはり責任は教会自身(聖職者、信徒)の側にあると思います。他宗教、とくに新々宗教のあの爆発的な教勢の発展の原因は何なのでしょう。決して裕福でも暇でもない一般信者が喜んで多額の献金をし、何千人の信徒が2泊3日の泊り込みで終結してくる原因は、魅力は、何なのでしょう。カトリックはどうして魅力的と思われないのでしょう。

眼を転じて周囲を見回してみると、日本のカトリック教会はまさしく宣教の沃野の真只中にあるとも言えます。人を見ても、社会を見ても、カトリック教会の貢献すべき場は到るところにあります。日本では儒教のせいもあるでしょうが、道徳と宗教は逆転しているか、混同されているか、しています。神の眼(信仰)よりも人の眼(道徳)を恐れています。道徳と宗教は似ていて非なるものです。道徳生活が立派であれば、宗教は不要と思っていたり、キリスト者が不道徳なことをすると“信者のくせに”と言ったりします。教会へ誘っても、“私は何も悪いことはしていないから宗教は必要ない”と言ったり、“悪いことをしているから教会へ行く資格がない”と思ったりするのも混同のしるしです。このことは教会の中でも見られます。教会は品行方正の人の来る所と思ったり、不道徳者は教会から排斥されなければならないと思ったりする。教会はほんらい聖人君子のみを受け入れるところではなく、罪人のよりどころといってもいい所でしょう。

「世俗主義、金銭主義はよくない」、「物質や遊興やぜいたくだけでは幸福にはなれない」「物質的な飽食から不思議な精神的飢餓が生まれている」など、誰もが感じているでしょうに、これに応える適切な対策をもっていない。そのた地上的、世間的なものだけでは人生は解決できないと人は感じているでしょうに、キメ手がない。その他様々な問題に対してカトリック教会は、そのためにこそ、霊的なもの、聖なるもの、天上的なもの、彼岸的なもの、真に人を解放するもの、すなわち神からの人類への贈り物をあり余るほど持っている筈なのに、充分使いこなしていない、与えることが出来ないでいるとすれば、原因はどこに、責任はどこにあるのでしょう。

地上の幸福を願い、死後の幸福を願い、神を求めている周囲の人々の意識的、無意識的な願望に正しく応えることのできるように神の示された教えをもつ「カトリック教会」は一層の努力をすべきでしょう。一点の非の打ち所もない人となられた神の子キリストを私たちは、上手に彼らに紹介していない、彼らにキリストをうまく売り込むことができたら殆ど大多数の人々はキリストを買い取ってくれるでしょうに。私たち一人ひとりはキリストのセールスマンです。世のセールスマンたちほどの売り込みの熱意を私たちは果たしてどれ程持っているでしょうか。

世間を騒がしたあのオウム真理教も、やがて彼らの社会的犯罪のみがとりあげられ、さばかれればそれで忘れられてしまうでしょう。しかしオウム真理教が生まれ得た日本の社会的、心理的、宗教的深層の真実などには全く触れられないまま過ぎ去るなら、この事件がもたらした重大な警鐘はただ一時巷に響き渡った鐘の音と同じように空しく消え去ってゆくだけでしょう。私たちはこの現象から学ぶことが多くあることを認識すべきでしょう。

カトリックの信仰生活には理性や心だけでなく体や感性も平等に参加させてやらねばなりません。人間には心も体もあるのですから、深厚には理論的、教義的、観念的な側面もありますが、身体的な面もあります。その点、禅や仏教に学ぶだけでなく、長所は積極的に教会の中に取り入れるべきでしょうし、既に心ある人々によって取り入れられています。それとともに、一人前の社会人、大人としての信者の治世にふさわしい成熟した信仰の理解も深める必要があるでしょう。教義の文言にこだわらず、現代に生きる私たちにとって、社会にとって、周りの人々にとってそれは具体的にはどういうことなのか、ということを絶えず考えてみることも大事です。疑問が出て来るのは当然のことです。おそれず、それを大事にしましょう。信仰は理性を超えるものではありますが、理性に反するものではないのですから。信頼のうちに、祈りのうちに求め続ければ、いつか必ず何かの形で応えが与えられるはずです。結論として、「@神の神性に吸収された(救われた)、A新しい人間(聖霊に生かされた)B心身ともに体得できる(体も参加する)方法でカトリック教会は、C社会の正しい要望(広く眼を開き)に応え、D真に聖なるもの霊的なもの(地上のものでない)をE心身を通してF学べる場(論じ合える場を作る)を提供すること」が課題だと思います。

転換委員会及びプロジェクト・チーム(PT)

以上、長々と述べたことについての具体的な対策について麹町教会は考え、「一つの眼に見える形」として、まず組織の見直しを始めました。19959月の運営協議会の研修会で研修し、19963月に転換委員会を発足させ、以来、毎月一回の会合を重ねています。転換委員会は、今、私たち皆に呼びかけられている「意識の転換」という視点から、また、具体的には来年1月完成予定の新聖堂への移転に伴って新たに生まれる仕事やいろいろな変化も視野に入れて、主に教会の素子鬼面の現状を「全体として」とらえ直し、より豊かなものとなっていくための実際的な方策を「考えていくために」設けられたものです。現行の諸活動の実践を軽んじたり、その組織を変えたりすることを目的とはしていません。転換委員会では麹町教会内の現行のすべの活動を網羅するプロジェクト・チーム(PT)を設定し、できるだけ多くの信徒がそれらに参加できるよう試みています。それは信徒全員で今までの活動を見直し、再検討し、できるだけ多くの信徒の意見を吸収しながら、活動の内容をより豊かに、時代の要望に応える、より充実した企画を作るためです。各P.Tで検討された企画が転換委員会を通じて、主任により教会運営協議会にかけられ審議の上、決定されると、そのPT.は自分達の全責任において、その活動の運営にとりかかることになります。「この趣旨にそって、すでに教会報にも載せられているように、典礼PT.クリーンアップPT.、及び結婚PT.が発足し活動を開始しています。その他のPT.の創設についてはその都度、教会報でお知らせします。」

昔は家族の中で父親一人が全員のために働いているように思われていました。しかしながら今では、家族一人ひとりが個々にしているアルバイトや家事、あるいは何の仕事もしていないように思われる「存在」自身も、家族全員を互いに支えている大切な部分であることに気づくようになりました。教会でも同じようなことがいえるのではないでしょうか。司祭だけではなく、信徒全員がともにキリストを中心とし、祈りつつ、知恵や力を出し合い、弱さを担い合って、教会がより福音的なものとなるよう互いに責任と愛をもって努力・協力していくことになります。

転換委員会やPT.は、そのような「意識の転換」のための「一つの、目にみえる試み」です。より多くの人々が、これらをきっかけに、新しい出会い・息吹を得、同じキリストの体の部分としてお互いがお互いのために働いていることを実感するようになることを願っています。これらが実現すると教会は見ちがえるように明るい、活気を帯びた、互いに感心をもち合った、楽しい、嬉しい、行き甲斐ののある、しかも日々の生活に深くかかわった共同体としての教会になるでしょう。

このためには信徒一人ひとりの意識の転換が必要ですし、それが達成されれば、第二バチカン公会議の精神は麹町教会において実現したと言えるでしょう。PT.ができると現行の諸活動の場は更によりよい働きやすい場になるでしょう。

さいごに

聖パウロの言葉にもありますが、教会は「建物」ではなく、あくまでも私たち一人ひとりが「教会」です。「意識の転換」は、「信徒一人ひとりの意識の転換」の上にはじめて成り立つものです。麹町教会の全ての信徒のみなさん、教会のこの「意識の転換」の試みを理解・協力し、特に、祈りの内に共に支えて下さるよう心からお願いします。

今回は、意識の転換の「目にみえる試み」である教会組織の転換を中心にお話しましたが、この次は、私たち一人ひとりに求められている「内的な意識の転換」についていっしょに考えたいと思っています。

カトリック麹町教会主任司祭 ルイス・カンガス

助任司祭 粟本 昭夫(文責)


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