ゆるしの秘跡

 この秘跡の名称は何度か変わったが、名称の変化の中にゆるしと和解の理解と実践の変化も含まれている。

 すべての人は何らかの形で悪の影響を受けている。悪を行う、あるいは悪(罪、疎外、不正、抑圧、等)の支配のもとに生きているということを意識している。また、それから解放される必要を感じている。ユダヤ・キリスト教にはこの意識が深く、神との出会いによって罪と悪から解放されるとの確信がある。「和解」とゆるしは教会の中で大変大事にされており、使命として宣言し実践される。

 この確信の源は聖書全体の流れの中にある。

1.聖書

 A.旧約聖書

 B.新約聖書

→教会は罪人を助け、警告する。時によって償いを命じる。償いの意味は、罰ではなく、いやしとなる手段[Medicina]である。

→それと共に共同体は罪をゆるし、罪人のために祈り、一緒に苦行する。 →和解とゆるしの奉仕を様々な形で行なう。

*主な箇所:Uコリ 5:18-21 ;ロマ 1-6. ; マタイ 18:18; (16:19参照) ルカ15章; ヨハネ 20:19-23;その他。

2.歴史

 A.『公の償いの制度』 1世紀から 7-8世紀まで。

   a)1世紀から3世紀まで。

    −前後関係: 迫害の中で福音に生きる困難。

            教会のアイデンティティ−は多くの危険を体験する。

            教会から罪を遠ざける必要が強く感じられる。

    −強調する点は: 壊された善を直す。

              罪人を回心とキリストへの道へ戻す。

              信仰共同体との和解。

    −それによって最終的にキリストと共同体との和解が行われる。

    −公の償いは、回心の保証であった。(Affectiva et Effectiva)

    −和解は教会的な出来事で、皆は何らかの形で与かる:祈り、指導、苦行、模範、等。

    *和解の過程:〜大きな罪を犯した人は教会の集いから破門される。

           〜償いを言い渡されて、それを行なう。

           〜償いを終えた後、集いにおいて、按手とゆるしの祈りを受け、エウカリスティアに与かる:Pax Ecclesiae

   b)4世紀から 7-8世紀まで。

    −前後関係: 教会の人数が急に増える。熱心さと倫理生活が下がる。

            迫害の問題はまだ残る。(Lapsi) 等。

            教会の堕落を絶対に避けるべきであった。

    −したがってアクセントが「罪を避ける」ところにいく。

    −罪のリストが長くなる。厳しさが増していく。(Rigorisumus)

    −償いの制度はある意味では「社会的な死」のようである。

    −ゆるされる機会は少なくなっていく。一生涯に一回しか出来ない時もあったが、ある場所では三回まで可能だった。

    −結果として、この制度は非現実的になって、新しいニードに応えられなくなった。

 B.[Tariff]の制度。  6-7世紀から 10-11世紀まで。

C.いわゆる『ゆるしの Forma Moderna』 12世紀から第二バチカン公会議まで

           ・罪の痛悔の必要性。「完全か不完全かの問題」

           ・ [Satisfactio]の意味。

           ・司祭の役割:[Precator-Judex-Praeses-Medicus]

           ・ゆるしの言葉:「誰がゆるすか」という問題。

           ・罪の告白が主な行いになる。苦しいから償いの意味にもなる。

・実際に司祭の無知と信仰教育の足りなさのために、様々の悪い経験もあった。時によって悪用もあった。トリエント公会議の必要性が出てきた。

*宗教改革者たちは、罪の告白を有意義で、ためになる行ないとして認めるが、自由でなければならないと強調した。

*トリエント公会議(1547-1551)

      ・教会におけるゆるしはキリストからくる。

      ・告白はキリストの意志と一致する。

      ・裁判的であることはその意志に反しない。

      ・全ての大罪を告白する必要がある。しかしこれは様々な理由によって相対化されることもある。

      ・年に一回の義務は教会の定めである。

      ・例外は例外であって、会議は何も言わない。

*トリエント公会議の後:ゆるしの秘跡の刷新が見られる。ミラノノ地方会議が大きな役割を果たす。

            この秘跡の神学は貧しくて、あまり発展しない。

            ヤンセニズムによって教会の実践はかたくなる。

            題材の数が増えるようだ。個人の罪が社会的な罪よりも強調される。

D.第二バチカン公会議以降。

   一方で前の制度は危機になっていくが、他方では新しい必要と新しい信者の宗教的センスが現れてきた。

    例えば:罪、倫理一般、社会責任、共同体等の意識が変わってきた。

    また、儀式とシンボルに対して新しい態度が見えてくる。

   新しい体験によって、新しい要求が出た。[カリスマ運動、等]

 聖書、典礼、歴史、司牧の研究に基づいて、現代の必要に答えるために1973年に新しい『ゆるしの秘跡のカトリック儀式書』が出た。その中に三つの可能な式が与えられた。

    @個人の和解。

    A個人的な告解を含む共同回心式。

    B個人的な告白なしに、共同体的和解の式。

  *この新しい制度の具体的なところを次で扱う。

3.ゆるしの秘跡の構造

  この秘跡も通過の儀式として(Rite of Passage) として理解して良い。

  「調和の崩れた」状態から、新しく和解された状態への通過。

          罪の結果     通過      新しい人の状態
A = 神と現実     罪        回心      一致
  に対して    不調和      和解      新調和
B = 自分に対して   分裂       癒し      新しい人
  教会に対して   洗礼の拒否    痛悔      新共同体
  社会に対して   不正       不正をなくす  新正義
C = 儀式的      汚れ(体)    清め      清浄
   シンボル    罪(おきて)   いけにえ    契約の元の関係
  (Ricoeur)     罪意識(心)   回心      新しい心

4.神学

 1.秘跡の最終的意義。A=レベル

   [1] 罪と恵みは、「関係」として理解するのが良い。この点では聖書には発展が見られる。

     罪の意味は、神の善と憐れみによってはっきりされる。

     罪は「人の状態」、あるいは「悲劇」として描かれる。(パウロ)

     罪の結果はまず罪人の中にみられる:罪人は非人間化の被害者であるので、裁きよりも、憐れみを必要とする。

     罪によって様々な関係が壊れていくが、神はその全てと深い関わりがある。「わたしはあなたに罪を犯し、悪を行ない…」詩編51:6

   [2] ゆるしと和解の最終泉は神である。

     神の愛はキリスト教の中心である。罪人が必要とするのは、罰ではなくて救いと希望である。和解によって人は自分と悪の束縛から神の心へ移る。 それゆえ人の努力よりも、神の憐れみを強調する必要がある。

   [3] 神の正義は、人間の正、正義と根本的に違う。

     人間の正義にはフィクションがある:「悪は悪によって『罰』がなくされる。また、悪が増えるとき、罰も大きくなる」

     神の正義は、フィクションを壊す:『愛だけが悪に打ち勝つ』

     また、罪が大きくなるとき、恵みは溢れる。(パウロ〜 Ricoeur)

   [4] キリストの十字架はこの溢れる恵みを啓示する。十字架の前で、初めて、常識的な正義の理解の空しさが分かる。

     十字架上のキリストの姿に「神の僕」の姿が見られる。Solidarity

   [5] 他の秘跡のように、『記念』の要素が必要である。御言によって行われる。

   [6] 和解の過程の中心は『回心』である。

     『回心』は自動的でもなく、口先だけのことでもない(Cheap Grace)

   [7] 本当の和解は長い過程である;深みも、信仰も、時間も要る。

     その過程には、共同体の役割が大切である。

     また、儀式の歩みも大きな助けになる。(Reverse programming)

   [8] 「罪意識」について考えるとき、宗教的な要素と、心理学的な要素を区別する必要がある。

 2.和解と教会の生き方と霊性 B=レベル

  1. 和解の奉仕は教会全体の奉仕である。秘跡は教会全体の現実を具体化する。
  2. 罪はいろいろな意味では共同体の生活と、信仰の成長と、恵みの流れを妨げる。世界に対しての教会の証しを弱める。罪の意識はいつも共同体の福音的価値観が含まれている。ある種の「社会的秩序」(Social Order)が必然的である。だから、歴史の流れの中で、強調される罪が時代によって変わった。 現代では、「社会的な罪」が新しい深さで取り扱われる
  3. この前後関係の中で「ゆるしの秘跡」と「エウカリスティア」の密接なつながりを考えなければならない。
  4. 教会は自分の中にある罪を意識する。ある意味では、罪の「連帯」もある。 教会はゆるされながら、人にゆるしを伝えて、人をゆるす。 教父たちは教会を(Casta Meretrix)と呼ぶのを恐れなかった。
  5. 教会内のゆるし合いと和解は、ゆるしの秘跡を信じ得るものとする。
  6. 同時に社会的、経済的、政治的、国際的世界にも教会は使命を持っている。「和解」は一つの生きる態度でもある
  7. 教会の様々の和解の可能性を生かす必要がある。秘跡は唯一の形ではない。
  8. 初代の時から、教会共同体の罪人のための祈りは強調された。また、共同体的出会いも和解の場として大切にされている。
  9. 「罪の告白」の教会論的な意味を深めることが必要である。

 3.秘跡の儀式:シンボルと典礼 C=レベル

*1973年12月 3日に、『ゆるしの秘跡』について、新しい儀式書が出た。その中に儀式的な可能性だけではなくて、その精神も載せられている。;

  1. 儀式にはキリスト的態度が表れるはずである:共同体意識、祈り、希望、神を崇める心、信頼、等。恐れと小心の場ではない。
  2. 特に、祈りが儀式全体に入る。
  3. 共同体的な面をはっきり表現するべきである。
  4. 共同体に緊張か問題がある場合、それを無視せずに、儀式の中でも取り扱って、また儀式によって乗り越える可能性も生かすべきである。
  5. 儀式の過程は回心と和解の過程を現し、心の歩みを指導する役割がある。従って、新しい儀式書によれば、「短い式」は例外的にしか許されない。
  6. 按手が大事にされる。罪のゆるしは聖霊の賜物であることを表現する。
  7. 和解の「ドラマ」を注意深く準備する;審判のドラマではなくて、ゆるしと和解のドラマである。ルカ福音書の放蕩息子をパターンにする。それに伴う適当なシンボルを考える:体と、心と、契約のシンボル。
  8. この全てを発展させるために、様々な祝いを生かさなければならない。
    1. . 秘跡以外の和解の可能性を生かすために、教会の歴史から指導を受ける。また、文化の伝統からも受け入れる過程も大事である。
    2. その上、秘跡でなくても?典礼的な可能性も沢山ある。多くの場合には、秘跡的な儀式より実りをもたらす経験が多い。特に、聖書の朗読とエウカリスティアは和解と罪のゆるしの効果を持っていることは、昔から神学者と公会議に言われてきた。
    3. それにも拘らず、一番適当な儀式は「ゆるしの秘跡」である。今は、三つであるが、儀式的な歩みは同じである。

*各儀式について司牧的に、また典礼的に考える必要がある。

  1. 個人の和解の儀式。  時間が必要。回心と福音的成長が大切である。 相手によって過程も、話し方も違う。急いでこの秘跡を行うことを避ける。 短い形式は例外的で、和解の司牧全体を再検討する必要がある。
  2. 共同体的典礼の中で個人的ゆるしの秘跡。
  3. 共同回心式(General Absolution)

     この形式も例外的と思われる。四つの条件がある。

5.まとめ

神学のコーナーへ

ホームページへ