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古・老人会の「音」 LOG3
”古”老人会用の「音」 LOG2 03/12/21〜05/01/03

[701] 夫が行きます
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:105/01/03(Mon) 14:50:58
あけましておめでとうございます。

今夫が向かってるようです。現在銀座らしい。(14:53)
奇術師さま>今回は夫だけ、お世話になります。
公安さま>だんけ。

今年もよろしく。
[700] 参加表明
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:105/01/02(Sun) 21:49:31
>奇術師様
御蔭様で、なんとか参加できそうです。
家族4人で、おそらく昼過ぎに参上、夕方前に失礼することになりそうです。
皆で楽しみにしております。よろしくお願い致します。
[699] 明けましておめでとうございます
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:105/01/01(Sat) 03:24:44
本題:標記のとおり


長い追伸:去年から今年にかけての半日の出来事。
要約:世にも珍しいUSBケーブルの不完全短絡。みなさん気を付けましょう。
って、こんな珍しい事態はなかなか起きそうもないから気を付ける必要もない
か。(コンピュータ話なので、常人は以下を読む必要なし。時間を無駄にしない
ように。)

ここ2週間程コンピュータが不調で、メインユーザーのにゃあがぶーたれていた
と思ったら、ついにスイッチを入れてから30秒から3分でダウンするように
なってしまった。
焦げ臭い臭いもするが、今までだましだましにせよ動いていたのだし、溜まり
まくった埃が焦げているのだろうと思っていたが、こうなるといけない。
原因がわからず悪戦苦闘すること3時間。埃の掃除やら原因になり得るハード
ウェアを一つずつ外したり交換したりするが一向に改善しない。熱暴走を疑い
ふと立ち上げ直後にハードウェアモニターを見ると、な、なんと+5Vが
+4.3Vしか出ていない。おお、これが原因か。24時間365日の酷使に
耐えかねて電源ユニットがおしゃかになったかと思い、電源ユニットなら幸い
手持ちがあるから交換して修理完了だぜと思って、マザーボードから電源供給
ソケットを引き抜いたら目が点・・・。
ぎゃあー、端子が焦げてプラスチックが溶けている〜!!!
電源ユニットだけかと思えば、これじゃあマザーボードも交換しなけりゃダメ
だ!!! うっ!でも、さすがにデュアルアスロンでRAIDの載ったマザー
ボードの手持ちなんかあるわけない。
ここは札幌のど田舎。新橋に住んでいた頃であれば即座に秋葉原に出かけ、
全く同じボードを中古屋を巡ってゲットし、即座に修理ができたものを!!!
この時ほど「人間秋葉原無しでは生きていけない」ことを痛感したことはない。

で、どうしたかって?
死ぬほど苦労しましたぜ。なんせスペアのコンピュータは何台もあるものの、
肝心のデータがRAID0のディスクセットに入っている。おまけにそのOS
はWindows2000のマルチタスク用だから、シングルCPUのRAIDマザーで
は起動もできない。一応、この手段しかないと思って、別のコンピュータに
接続してデータだけ移すこともできないかと思ったが、下手にチャレンジする
とデータを飛ばしてしまうことが判明。(おかげで1台OSごとディスクの内
容を飛ばしちゃった。うぇーん、また再インストールだよ〜) 

結局、元のマザーボードを何とか使えるようにするしかない。ダメモトで電源
ソケットの中の焦げて溶けたプラスチックをキリとまち針でほじり、中の曲が
った端子を無理矢理元通りの形に直し、接点洗浄剤とワイヤーブラシで表面の
導電を回復させ、さらに接点復活材でだめ押しときたもんだ。これでも、治る
保証なんか全くない。悪くすれば、もう一つ電源ユニットをダメにした上で残
るのは徒労感だけという可能性が高い。
でも、身近に「秋葉原」が無い人間失格の環境下では、これしか手段は残され
ていないと思い定め、晩飯に焼き肉をたらふく喰らい、ついでにニンニクを通
常量の3倍程摂取して、気合いと潜在体力を解放して私は闘った。

要求貫徹!!! 闘争勝利!!!

やはり、日頃の行いが良いのであろう、コンピュータは今のところ焦げた臭い
を発することもなく、おとなしく快調に動作している。
これは去年よりも今年の方が良くなるという象徴のような出来事なのであろう
か・・・。

ところで、故障の原因はなんだったと思います? USBのケーブルが中で
不完全にショートしていたようで、ケーブルを差していただけでマザーボード
を通じて大電流が流れていたため、マザーボード側の電源ソケットが焦げたよ
うです。しかし、完全に短絡していれば、すぐに保護回路が働いて電源が落ち
ているし原因もすぐに分かったものを、保護回路が働かない程度に短絡してい
るなんて普通想像もしませんわなぁ。

[698] RE:クラス番号の西暦表記
■ 投稿者:しまだ
■ 投稿日:104/12/30(Thu) 13:11:32
ポキさんの入学年度は1978年ではなかったかと思います。
[697] 喪中につき
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/12/28(Tue) 23:17:26
年末年始のご挨拶を控えさせていただいております。

>奇術師様
お誘いいただきありがとうございます。
お電話を頂戴した後、家人の一人が少々体調を崩しまして、当日までに治癒するだろう(その場合には喜んで参加させていただきます)とは思うのですが、万一の場合には改めてご連絡申上げます。
皆様も御身御大切に。

>まうまう様
頑張り過ぎではないですか。
もすこしゆる、ゆるやっておくれんかな、もし。
[696] 新年会のお誘い
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/12/27(Mon) 18:47:10
本年も押し迫りましたが、積み残しが多く気が休まりません。

というわけでもありませんが、今回は新年会にしたいと思います。

ご都合のつく方は是非ご参加ください。

場所は拙宅、時間は1月3日12時前くらいから予定しています。

来られる方はご連絡ください。

また、場所等がわからない方は気軽に尋ねてください。白金高輪駅すぐ近くです。

ご家族連れでの参加をお待ちしています。
[695] RE:クラス番号の西暦表記
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/12/25(Sat) 01:36:34
確か、1982年の時点でも「82ST17」とか表記されていたと思います。

以下については、曖昧な記憶なので間違っているかしれませんが、私が駒場を
うろついていた頃に「ついに藤木さんと同じ学生証番号の人間が入学してくる」
と騒がれていたような気がしますので、少なくとも藤木さんの入学年度の学生
証は年度表記であったものと思われます。(学生証番号は確か入学年次の末尾
一桁を使っていたようなので。S54と1984、S55と1985は同じ番号
になる可能性があったということでしょう。)
で、誰かポキさんの入学年度を覚えている方はいらっしゃいますか?

あ、そうそう、もう一つ。
古のオールマイティ(33rd以前のもの)や文V劇場のパンフレットなどを
持っている人がいたら、それで確かめてみるのが確実ですね。
[694] ごぶさたです
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/12/23(Thu) 12:19:29
はい。旦那(河瀬)が新書版を出させていただきました。
ご連絡遅れてしまいました。

こちらでお知らせしようと思ってたんですが、私が重度の
アトピー症状を出してまして、人間活動休止しておりまして、
不義理をしてしまいました。

Kが君、おめでとう。
人生の早い頃に、伴侶と知り合えるのはうらやましいですね。
重ねる時間が大きくて。

西暦は、84も西暦だった気が。たいして繰り上がらなくて
申し訳ありませんが。
[693] 河瀬本2を買った
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/12/22(Wed) 20:13:50
 今日、都庁内の本屋で河瀬本2を見つけて買ってきた。「戦略思考のすすめ あなたと会社を強くする36の「ツボ」」、講談社現代新書である。まだ半分も読んでいないので、評価は差し控えるが、前作に比べると暴走している部分が少なく、こじんまり纏まっているように見える。720円と廉価でもあり、発売されたばかりで書店にも多数出回っているようであるから、今のうちに買い求めておくのが得策と思う。なお、今回の著者紹介は写真つきである。
[692] クラス番号の西暦表記
■ 投稿者:春日@49期
■ 投稿日:104/12/19(Sun) 00:19:01
はじめまして、49期の春日と申します。(50期でCAPを努めさせて頂きました。)

突然のご質問で恐縮なのですが、私の懇意にしている駒場の教授が先日、
クラス番号の年度表記について尋ねてきました。
現在のクラスの表記では、04年文3-10組フランス語であれば「04L3-10D」
のようになりますが、この年度表記が元号から西暦に変わったのは
いつ頃だか お分かりになる方はいらっしゃいませんでしょうか?

(現在判明している限りで、1985年の時点で西暦表記だったようなので、
それ以前のこととなるようです。)

唐突な質問で申し訳ありませんが、もしご存知の方がいらっしゃいましたら
どうぞよろしくお願いします。
[691] 水晶婚
■ 投稿者:こが
■ 投稿日:104/12/12(Sun) 19:51:51
結婚して15周年、水晶婚と言うそうです。一昨日、その水晶婚を迎えました。いつの間にやら子供が4人、私自身もあと2ヶ月で不惑を迎えます。月並みですが、あっという間の15年であったように感じます。

もう、昔みたいに馬鹿騒ぎができる歳ではなくなったけど、久しぶりに懐かしい顔と酒を飲み交わしてみたいな、とそんなことを思いました。
[690] 遅くなりました
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/21(Sun) 00:45:44
上海、香港、バンコクに出張で行ってきました。というわけで返事が遅くなりました。

取引が成立するということは、その時点でWinWinが成立することと同義だと思いますから、トートロジーではないかというのが基本的な認識です。さらに、これを個々の取引ではなく、一連の取引をある一定の期間継続するためには、その意志が必要であるというのが上昇志向氏の主張だと思いますが(まあ、個々の取引でもというのが厳密な主張でしょうが)、その意志とは投資判断と同義であるはずです。すなわち、短期的には収益はでないが長期的には収益は出るとの判断です。その判断なくして、収益面で劣る取引は始められない。逆に個々の取引で充分に収益が出ているのであれば、別に何ら問題はないはずです。従って問題は長期的な取引関係に収斂すると認識しています。

上昇志向氏の主張に違和感を感じるのは、じゃあ取引が成立しなかったときに、WinWinの関係を築けなかったからだと指摘されれば、別に間違ってはいないけれど、じゃあどうすればいいのと応じることもあるだろうに、それに何ら答を提供しないものの言い方だと思うからです。信頼性を実行能力と約束を実行することと、WinWinの関係を築く姿勢と分解されましたが、最初の2つはああそうか、ならばと対応が可能(もしくは無理)と判断できるでしょう。しかし、WinWinの関係を築く姿勢を云々するのは結構ですが、それに対していかなる解決策を提示できるのか、少なくとも今までの氏の説明からは全くわかりません。私とて、日々の仕事において氏の主張されるようなことは心がけているつもりですが、大なり小なり皆心がけている内容ではなかろうかと思います。それを取り上げて不足していると言いつのるのは、努力が足りないと言い続けているマネージャーと本質的には変わらないでしょう。努力が足りないと言い続ければ解決する問題なのでしょうか。私はそうは思いません。もし本当にWinWinの関係を築く姿勢が各社の収益や売上高を決定していると思うのであれば、その解決策を提示できなければなりません。そうでなければ私は精神論、人生訓としての敬意は表せても、例えばコンサルタントとしてクライアントには言えません。勿論そういう精神論を得意とする人もいますから、全く意義がないとは言いませんが、私の範疇ではありません。

尤もらしいことを言いながら何ら解決策を提示できないのではただの評論です。私はそのような主張には全く興味がありません。

私は長期的なWinWinを築くためには長期的なビジョンが必要だと思います。将来こういうサービスを実現しようだとか、将来こういう世の中にしようだとかですね。それに共感し、お互いが成長できる関係が築けない限り長期的なWinWinはあり得ない。成熟商品やサービスにおいて、別に個々の取引でそのような姿勢を維持することは否定しないものの、マクロで考えれば、寡占に持って行けなければ収益は確保されない。成熟商品やサービスにおいて氏の目指される姿勢が具体的にどれだけの収益をもたらすのかはっきり言って疑問です。何が寡占をもたらすのか。本当にその問いに答えるならば、決して信頼関係を真っ先に挙げることはないだろうと思うのです。

今回、プロジェクトで顧客インタビューを行っているわけですが、中国のスタッフが、中国では価格と品質が良ければ顧客がその商品を買うと言ってると報告してくれたわけです。私は言いました。そんなことはみんな知っている。問題は価格と品質を同時に満たせないときにどういう基準で判断するのかだと。上昇志向氏のお話は価格と品質が良ければ顧客が商品を買うと言っているとの話と同程度に感じます。

あまり本質を抉っているようには感じないのです。意味のない正論に感じてしまうのです。
[689]  RE:また定義が違うようで
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/15(Mon) 06:01:27
論点に応えていないとのご指摘。「長期的なWinWin」の出自を確認しました。

>>[683]長続きする関係というのは、双方にとって取引を継続するメリットのある、WinWinの関係であることが必要と考えます。


>>[684]長期的なWinWinと言う裏には、短期的には必ずしもWinWinが成立していないということではなかろうかと。

>>[685]なので一つ一つの取引を誠実に積み重ねていくことと、長期的なWinWinを求める姿勢とは考え方として別物ではないと思います。

奇術師氏の[684]の発言中の「長期的なWinWin」という言葉を、私が[685]で引用して発言しているのがミスリードしているのかもしれませんが、私自身として、[683][685]ともに、WinWinの関係を築く考え方それ自体については、短期か長期かという区別を意識していません。長期か短期かは期間の程度問題にすぎず、キーとなるのは取引姿勢だと思っていますので。

[684]の問いかけに対し改めてコメントすると、短期的な取引としてWinWinの関係が成立していないということは実際よく起こることかと思います。[683][685]に書いたとおり、長続きする関係となるためには、WinWinの関係を志向することが必要条件と考える次第です。一方がずっと犠牲を強いられるような関係は長続きしない。取引の当事者として意識すべきはその点につきるのかなと。

「提携」といったものも、形から入る意味では重要かと思いますが、大手企業同士の提携解消のような話をよく耳にするにつけ、日々の取引、通常取引の中から関係をいかに積み上げていくか、ということを身近な課題として認識すべきではないかと思う次第です。取引姿勢の目指すべき姿を示すことは、ただの精神論にしかすぎないのでしょうか?ビジョンと精神論を隔てるものはなんなのでしょうか?
[688] また定義が違うようで
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/13(Sat) 20:57:32
上昇志向氏の書かれていることは全ての取引においてWinWinの関係構築を目指して信頼関係を築くべきとの趣旨かと思いますが、精神論として何も否定していません。繰り返しになりますが、取引が成立したという事実のみで少なくともその取引においてはWinWin関係は成立しているとも言えるわけです。いみじくも氏が書かれているようにそうでなければNo Dealにするのが妥当だからです。

論点になっているのは長期的WinWinであり、氏の書き込みはこの点に何ら答えていないかと思いますが。
[687]  RE:意志は必要ですが
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/13(Sat) 20:03:56
WinWinの関係は、当事者双方がWinWinを指向しなければ成立しません。少なくとも自分自身がそういうスタンスを取ることが初めの一歩となり、まずは自らの姿勢が問われることとなります。その上で、相手側も同じであれば成立の前提条件は整うこととなりますが、相手側の要求事項が妥当でない状況において、一方的に自分の側が妥協して応じるのは、もはやWinWinの関係ではなく、LoseWinの関係です。その状況を避ける選択肢はNo Dealすなわち取引しないことです。WinWinの関係を志向すること=全ての相手と付き合わねばならないという話ではないと考えます。

その一方、顧客との関係構築は、勝ち組にしか関心がないといった単純な二元論的発想で遂行されることはまずありません。極端な話、不良債権先とですら、与えられた状況の中でのWinWinの関係は希求しうるものです。不良債権先と罵り合い罵倒しあって関係を断絶することも可能ですが、私自身の経験として、相手側の担当者と会話を持ちつづけ、立場の違いはあるものの人として互いに尊重しあうことにより、与えられた状況の中でのベストな成果を得ることもできます。WinWinの関係を求めることは有効かつ効果的な実践規範と私は考えます。
[686] 意志は必要ですが
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/12(Fri) 00:26:14
意志についてはそうとも言えるしそうでないとも言えるでしょう。例えば自動車メーカーで言えばみんなトヨタと長期的な関係を結びたいわけです。せいぜいあと日産、ホンダでしょう。勿論他もありますが、既存の取引関係の中で、新規があまりとれないと思うからこそ既存を大切にしなければと思うわけです。

今三菱自動車と長期的な関係を強化したいと思う取引先はないでしょう。しかし、ここで三菱に恩を売れば、再生した暁には長期的な関係で安定的な収益が期待できるわけです。昔のトヨタですね。大体長期的なWinWinという場合、短期的には収支が合わないことが多いと思います。問題はそれが回収できるかで、ある意味他の顧客よりも収益をもたらしてくれなければ、収益の低下でしかない。逆に長期的には収益の安定化に貢献するとか、高収益につながるという期待がなければ、長期的なWinWinなどあり得ないでしょう。しかし、そのような状況を顧客サイドからすれば収益を取られすぎていると考える向きもあり、現実問題として顧客サイドの胆力が年々小さくなってきているように思われ、長期的WinWinというのは提携などの話までにならなければ、通常取引の範囲内では幻想の度合いを増していると思います。利益はともかく売上は読めるという面では必要とも言えますが。

長期的WinWinと言いながら、別に全ての顧客とそのような関係を結びたいわけではない。甚だ欺瞞だと思いますが。本気でそう思っているなら、他の銀行は見捨てたけれども、自行は見捨てないと肝を据えて銀行が競争すればいいのにと思いますが。昔のメインバンクっぽくなってしまいますが、中小企業の原石を如何に見つけて、その成長を支援するか。その視座なくして長期的なWinWinなどあり得ない。顧客を選択すると言ってもいわゆる勝ち組との取引にしか興味がない面々に長期的なWinWinと言われても何も響きません。上昇志向氏のお話には、全ての顧客ともしくは勝ち組と長期的なWinWinを目指して日々信頼関係を築くべきとの話に精神論を超えたものを感じられないのは気のせいでしょうか。
[685]  RE:長期の見方では
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/11(Thu) 07:07:04
一つ一つの取引も、長期的に良好な関係をどのように築くかという視座のもとに行なわれるものと考えます。なので一つ一つの取引を誠実に積み重ねていくことと、長期的なWinWinを求める姿勢とは考え方として別物ではないと思います。結果論として(たまたま)長期的な取引になることはなく、どこまで明示的に意識しているかどうかは別にして、一つ一つの取引の中においても長期的に良好な関係を築こうとする意思、ベクトルがあって初めて長期的な取引が成立するのではないかと。

[684] 長期の見方では
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/10(Wed) 00:38:35
正しく理解しているかと思いますが、長期的なWinWinと言う裏には、短期的には必ずしもWinWinが成立していないということではなかろうかと。それを投資という言葉で美しく表現されることも多いかと思います。一つ一つの取引の誠実な積み重ねが長期的な取引になり、確固たる信頼関係になるとの主張かと思いますが、であれば結果論ではなく長期的なWinWinを求める姿勢とは全くの別物ではなかろうかと思います。
[683]  WinWinの関係
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/09(Tue) 01:35:36
若干誤解を招いているかもしれない点があると思われるので補足です。

「金の切れ目が縁の切れ目」と書いたのは、商取引である以上、金も払わないくせに、親密取引面をして信頼関係を維持することなど有り得ないという意味において書いています。「金の切れ目が縁の切れ目」ということは刹那的で悪いという意味ではなく、極めて当然の話であると私は考えています。

取引が成立していればWinWinかと言えば、諸般の事情により、赤字でも一定の売上げ確保のために取引を成立をさせるための選択はありうるかと思いますが、当事者の一方が永続的にに赤字を垂れ流すような取引は、民間企業対民間企業の取引ではありえません。長続きする関係というのは、双方にとって取引を継続するメリットのある、WinWinの関係であることが必要と考えます。

WinWinが欺瞞かどうかは別にして、ご指摘の通り、WinWinの関係を築くためには、まず自分の望みが何であるかを明確にする必要があり、その意味でまずは徹底的に利己的に考える必要がある。でもその上で、双方が単なるゼロサムゲームで自分の要望のみを角突き合わせていては埒が明かない場合、解決策を考える必要があります。互いに妥協し互いに不満を残すか、互いの要望を両立させる第三の道を捜し求めるか。後者がWinWinの関係を求める姿勢と考えます。
[682] 別に間違っている訳じゃないけど
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/08(Mon) 23:09:07
信頼性については定義の問題なので、上昇志向氏の定義を採用しましょう。狭義の実行能力は第2項のみかと思いますが、第1項の約束したことを実行するというのは、詐欺を前提としない限り、自らの実行能力を正しく理解しているかということでしょう。組織の場合やっかいなのは実行を約束する人と実行する人が違うことで、さらにやっかいなのは、実行する人ができないと言っていることをそのまま真に受けて、仕事を断ってしまうと会社が成り立たない場合が往々にあることでしょう。また、そういう仕事を頑張って成し遂げることによって組織の力が一段向上するというのも事実であり、約束したことを実行する能力とはリーダーシップに近いものがあるのでしょう。

第3項のWin-Winの関係はこれも曖昧で、取引が成立していること自体でWin-Winの関係は築けているとも言えるわけで、企業取引に当てはめるならば金の切れ目が縁の切れ目だからといって、それを以てWin-Winの関係ではない刹那的な関係と断じることはできないように思います。逆にそこで切れなかったら、要は助けるということですから、もはやWin-Winの関係とは言えないでしょう。最近Win-Winの関係というのがよく使われますが、ほとんどの場合全く内容がなく、欺瞞に満ちあふれていると個人的には思います。重要なことはそれぞれがより利己的になることで、それによって自らの捨てるもの、自らの限界を知り、相手との協力関係を築かなければならないその必然性を認識することでしょう。今は中途半端に利己的で、結果として強欲で傲慢な場合が多いと思いますが。今時ユニバーサルバンキングなんて強欲で傲慢そのものでしょ?
[681] RE:やはり定義が違うような
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/04(Thu) 07:17:39
>> うまくいかない会社や組織は何らかのそういう歴史を抱えているものです。

やや単純化しすぎの感がないでもありませんが、問題はいかにその状態を克服するかです。個々人が、会社のせい、上司のせいと他に責任転嫁しているうちは状況は解決すべくもありません。基本的には個々人の責と私は思いますが、組織としては、個々人が自分にできること、自己責任に目を向かせるための気づきを促す仕組を、いかに組織運営上取り組むか、という話になると思います。


>> 氏が信頼関係の名の下に例示されていることは実行能力で優れていることと同義の部分が多いようでもあり、そうであれば少なくともその部分は実行能力という方が妥当でしょう。

スティーブン・コヴィーの著書からの受け売りで、何度か書いていますが、信頼関係を築くために当事者が備えるべき信頼性というものは

信頼性=約束したことは実行する×実行する能力がある×WinWinの関係を築く姿勢がある

という関係にあると私は思います。約束を反故にする人は信頼できませんし、「いい人」でも能力がなければ信頼できませんし、一方的に自己の便宜のみを図らんとしている人も信頼できません。ご指摘の通り、オールマイティーな言葉の使い方をしているかもしれませんが、当事者の信頼性の上に立脚する信頼関係というものは、互いの総合評価の産物であり、実行能力もその中に包含される要素と考えています。


>> で、いろいろな交渉があるわけですが、恫喝に近いような交渉をするナショナルチェーンもありました。でもそれなりにお互いの利害関係が一致するから取引が継続するわけです。

恫喝に近いような交渉で成立する関係は、刹那的には成立しうるかと思いますが、長続きする良好な関係となりうるかは私は疑問です。どちらか一方に無理を強いる関係はWinWinの関係からは程遠く、力関係の強弱を成立させている基盤が変わると相手から見向きもされなくなります。商取引であれば取引の原則として双方にとっての経済合理性があり、金の切れ目が縁の切れ目ですし、当事者の一方が赤字を未来永劫垂れ流し続けるというような関係はありえません。

ちょっと脱線しますが、西武株の話は、オーナーが株価が下がる前の時期に売却し、その後、上場基準に抵触していたことが露見し株価が大幅に下落する等、株をはめ込まれた購入者から見るとインサイダー取引の疑惑が濃厚で、また評価額ベースでは損害も発生しており、購入企業として無為無策でいたらそれこそ自分の株主に叩かれる話で看過しがたい内容と思います。また新聞紙上で報道されているような金額で億円オーダーの株式の購入は、有価証券報告書に目に見える形で現れ、取引強化の施策の一貫であったとしても、そもそも株という価格変動の激しい資産の取得の判断の妥当性が問われる内容で、一連の議論とは少し次元が違う要素も入ってくるかと思います。


>> 取引が継続することが当たり前になってしまうと、需給いずれの立場でもそれに変更を加えることが難しくなる。勿論信頼関係があるから続いているとも言えますが、全てを信頼関係に押し込めるのはあまり賛成しかねます。

取引継続の成立要因をすべて信頼関係に押し込めるつもりは私もありません。必ずしも信頼関係が出来上がっていなくても、馴れ合いの関係でも取引の継続は可能です。

お互いの関係からより多くの成果を得るためには、絶えず関係の見直しを図り、互いに高い信頼関係を中長期的に築くべく努力することが必要と考えている次第です。
[680] やはり定義が違うような
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/11/02(Tue) 19:02:51
多分自律的の定義が異なるように思うのですが、基本的に皆良かれと思って行動しているわけです。良いことは評価されると信じ込んでいる。だから、例えば良かれと思っていろいろ努力をして新規取引先を開拓したのに、自分として得心のいかない理由でそれを却下されたときに大きな挫折感となり、その人はそのような努力を二度としなくなる。それを周りで見ている人も学習する。単純化すればそういうことだと思います。そのようなサイクルに入ってしまえばもはや自律的ではなくなってしまうでしょう。提案の仕方が悪かったとか、部長がわかってなかったとか、その時々でいろいろな理由があるでしょうが、それでも、そういう努力が報われないと思われるような出来事が何回か続けば、勇気ある新参者でない限りチャレンジすることはなくなるのです。うまくいかない会社や組織は何らかのそういう歴史を抱えているものです。

信頼関係についてはあまりにも多くの要素を押し込めているように感じています。まるでオールマイティのような感じなのですが、顧客の立場で言えばそんなに単純じゃない。氏が信頼関係の名の下に例示されていることは実行能力で優れていることと同義の部分が多いようでもあり、そうであれば少なくともその部分は実行能力という方が妥当でしょう。

取引に関して言えば、既述の通り必ずしも信頼関係の優劣で成り立っているわけではありません。とりわけ流通がそうですが、ナショナルチェーンとナショナルブランドの取引はあることが前提なのです。要は売れるものは消費者の望むものであり品揃えをしなければならないと思っているわけです。売れる商品は最優先で欲しいけれど、売れる商品がチェーンごとに違うわけでもない。で、いろいろな交渉があるわけですが、恫喝に近いような交渉をするナショナルチェーンもありました。でもそれなりにお互いの利害関係が一致するから取引が継続するわけです。最近で言えば西武鉄道株の件などは近いものがあるのではないでしょうか。もし、購入が明らかにならなかったら、買い戻し請求や損害賠償など各社したかどうか怪しいものです。今時秘匿し続けることが難しいようですから、いずれ明らかになって結果は同じなのかもしれませんが、自ら明らかにしてアクションを起こすかと言えばそうでもないかと思います。

取引が継続することが当たり前になってしまうと、需給いずれの立場でもそれに変更を加えることが難しくなる。勿論信頼関係があるから続いているとも言えますが、全てを信頼関係に押し込めるのはあまり賛成しかねます。
[679]  RE:簡単に
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/11/01(Mon) 23:19:25
>> 多分上昇志向氏と私の大きな違いは現場が自律的に動くことをどれだけ想定しているかの違いのように思います。世の中氏のような人ばかりだったら苦労はしないと思いますが。

実は、私と奇術師氏では、現状認識はあまり変わらないのではないかと思っています。ただ言えるのは、自律的に動く可能性を信じ期待しなければ、自分も含め人は動かないということでしょうか。


>> 東京三菱じゃなくて三井住友でも良かったんですが、要は身近に体感できる信頼関係が競争力の源泉であるというならば、各社の違いを述べてみてくださいと振っただけです。その差異が認知できなければ、信頼関係は大切だろうけれど、競争力の源泉と言われてもねえ、といったところです。

「東京三菱の」「三井住友の」信頼関係なるものは、箱から取り出してきて愛でるような客体として存在するものではないと思っています。もっと、身近な話として、平素、自分が当てにする取引先とそうでない取引先を区別するもの。それはいろいろな意味において信頼感を持てるかどうかにかかっているように思いませんでしょうか。ことさらに差異を認識せずとも、それは同業の先からすれば差別化要素であり競争力にはなりませんでしょうか。

繰り返しになりますが、信頼関係というのは非常に身近なものです。約束したことは実行する、実行する能力がある、WinWinの関係を築く姿勢がある等々ビジネスではごく当たり前に求められる事項より成立します。精神訓話として聞き流すのではなしに、平素の小さな行為振る舞いの中で少しずつ体現し、それも組織的に行うことができれば、顧客ロイヤリティが高まるのではないかと思う次第です。

[678] 簡単に
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/29(Fri) 23:22:51
勿論結果のみでの判定をすれば、本末転倒を起こすこともしばしばであり、その点はご指摘の通りです。しかしながら、手続きの妥当性は結果を保証するのものではないというのがポイントです。氏の言われる通り、主体的に考え続けられればいいのですが、往々にして形式論に陥っていくもので、その結果、多くの企業で見直しにここ数年大がかりに取り組まざるを得なかったと思います。多分上昇志向氏と私の大きな違いは現場が自律的に動くことをどれだけ想定しているかの違いのように思います。世の中氏のような人ばかりだったら苦労はしないと思いますが。

取引先の選定基準に一貫性がなくなるのは既に書いている通りカスタムメイドの財やサービスの場合です。それでも、継続的に発注されるようなものであればそれなりに選定基準も収斂していくものだと思いますが、発注頻度が低ければ、毎回選定基準を考えるようなものだと言うことです。結果として、担当者によって全然違う(テーマによる部分もないとは言えませんが)ということになるのだと思います。

東京三菱じゃなくて三井住友でも良かったんですが、要は身近に体感できる信頼関係が競争力の源泉であるというならば、各社の違いを述べてみてくださいと振っただけです。その差異が認知できなければ、信頼関係は大切だろうけれど、競争力の源泉と言われてもねえ、といったところです。例えば整理整頓が大切だと日本電産の永守会長も説いて多くの企業を再建しているわけですが、別に整理整頓したから業績が上がる訳じゃない。それによって無駄が見えやすくなり、その無駄を即座になくしていくというのがポイントだと思います。信頼関係の話は挨拶励行に近い印象を受けています。それでも挨拶ならば具体的施策も見えますが、身近に体感できる信頼関係を深めましょうって、精神訓話のように聞こえませんか?
[677] 私も懲りずに
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/28(Thu) 23:38:44
>> 人間系のシステムが自動的に何かを保証することはなく、何らかの達成目標が与えられたときに初めて機能するものだと思います。

システムが自動的に保証することはないという点については全く異論はなく、達成目標が与えられるときに初めて機能するというのは、より正確に言うと、システムに集う者が達成目標に対する達成の意思を明確に持ったときに初めて機能するということではないかと思います。

>> で、取引先の評価ですが、結果として新規取引先が増えていないのであれば、やはり暗黙の組織の意志として既存取引先しか考えないと表明しているに等しいでしょう。

新規取引先が増えないことをもって既存取引先のことしか考えていないと言うのはやや早計な気はしないでもありません。ポイントとなるのは、主体的に関係の意味づけや見直しを図るか、他律的に関係というものを考えているかではないかと私は思います。新規先が増えても関係が空疎で刹那的だったりするものは、私自身は価値を見出せなかったりします。もちろん、取引先も増えず、主体的に何も考えず、惰性で今の関係を続けるのが最悪だとも思いますが。


>> 株主への説明責任とは些か大げさですが、そんなことを言ったら今時ITならインドや中国の会社を対象に入れなければ、株主責任を果たしたとは言えないでしょう。

実際、大分前から試みは行われています。コミュニケーションギャップによるプロジェクトリスクの問題があるので、パッと見の単価の安さのみで評価はできない感があります。もちろん日本のSIベンダーであれば問題ないというつもりも全くなく、プロジェクトをうまく進めるための試みで四苦八苦したりします。そういった様々な試みが説明責任を果たす拠り所になるのではないかと思います。


>> 氏が挙げられた取引先選定基準は、RFP参加基準で選定基準ではないように思います。カスタムメイドになればなるほど、その選定基準に組織の一貫性はなくなる傾向があり、ある時の選定基準で次回対応しても、うまくいくことは稀で毎回違うというのが私のポイントです。別にそれが一概に悪いとは思っていませんが、それではサプライヤーは育たないとは言えるでしょう。

参加基準と選定基準は鶏と卵みたいなところがあるように私は思います。初めての先はそれこそパイロット的な使い方をして徐々に範囲を広げて試していく場合まさにそうですよね。選定基準が組織の一貫性がなくなる傾向がある、というのは具体的にはどのようなことを指して書かれていますか?


>> 最後のポイントは信頼関係が競争力を有する資産とのお話に呼応したまでで、身近に体感できる信頼関係と言われ

てしまうと、精神論めいてしまい、大切だけれど、じゃあそれで東京三菱とどう違うのと思うだけです。

比較する対象として「東京三菱」が出てくるのが面白いですね。「東京三菱」なる「信頼できる客体」は人を離れては存在せず、東京三菱に所属する人を通して信頼関係が構築されるように思います。公安氏のような頼もしい人もいれば、信頼できないような人もいるでしょう。あるいは公安氏にしても初めから顧客と信頼関係が出来上がっているわけではなく、地道な努力の積み重ねで顧客との信頼関係を築いていっているのだろうと思います。

そのような身近で日常的な信頼関係の構築の営みは、法律という強制力による他律的で最低レベルの水準しか維持されない関係ではなしに、当事者の自発性・主体性に基づく一番確かで相互に発展的なアライアンス関係を結ぶための現実解であり、精神論ではないと私は考えています。
[676] また長くなってしまった
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/26(Tue) 21:21:51
システムの問題と言うのは簡単だけれど、実際それが回らないわけです。雪印のHACCPにしたって、ISOにしたって私に言わせれば形式論、手続論にすぎません。人間系のシステムが自動的に何かを保証することはなく、何らかの達成目標が与えられたときに初めて機能するものだと思います。

で、取引先の評価ですが、結果として新規取引先が増えていないのであれば、やはり暗黙の組織の意志として既存取引先しか考えないと表明しているに等しいでしょう。如何に素晴らしい取引先評価システムがあったとしても、新規取引先がそれなりに開拓されていなければ、私はその実効性をまずは疑います。付け加えればそれらのシステムは既存取引先しか評価しないでよいのではないでしょうか。

上昇志向氏がいみじくも書かれているように、新規取引先との取引を開始する場合には、それだけの労力を投じるわけです。したがって、新規取引を行うという意志が先にある場合が多いのではないでしょうか。そもそも、コンペにしてもどこに声をかけるかという問題があり、結局のところ既存の取引先にしか声をかけない会社もあるわけです。

取引先選定の理由を述べられないとは些か端折りましたが、勿論それなりの理由は添えられているわけです。どれだけ担当者が意識しているかはケースバイケースですが、昔で言えば非関税障壁のような理由で結果として新規取引先が排除されるような形になっていることも少なくないと思います。例えば、メーカーがサプライヤーに要求する試験があるわけですが、当然そのためには試験設備が必要なわけです。結果として試験設備を持っていなければ参入できないのですが、それにこだわれば、サプライヤーは自ずと固定化するのです。ところが、別のメーカーはその試験を必要としないときに、その試験にこだわるか否かでサプライヤーの地平は大きく変わる。トヨタだったら、取引したいんだったらそれぐらいの投資は必要でしょとも言えるでしょうが、三菱だったらその意図は別としてもサプライヤーの固定化にしか貢献しない。

コンペにしてもブレインピッキングと我々は呼んでいますが、提案を評価しても、その内容を別の発注会社にやらせてしまうことである意味有名な会社もあるわけです。で、提案は良かったんだけれどもコストが合わないという理由を返されるわけです。メーカーだと製造というところである程度プロテクトできるけれど、我々のような場合にはどこまで開示するかは悩ましい問題です。

株主への説明責任とは些か大げさですが、そんなことを言ったら今時ITならインドや中国の会社を対象に入れなければ、株主責任を果たしたとは言えないでしょう。まあ、実際全ての潜在取引先を精査できるわけでもなし、極論ではあります。

メーカーにしても業界で最初に新規取引先との取引を開始する会社は決まっているような印象を受けます。他のメーカーはそれに追随するか、それを見て自分たちも新規取引先を開拓しなければと思うか。最近は中国からの調達が当たり前のようになってきたのでもう少しこなれてきたようには思いますが、要はそういう志を持っていなければ新規取引先など開拓できるはずもないのです。

氏が挙げられた取引先選定基準は、RFP参加基準で選定基準ではないように思います。カスタムメイドになればなるほど、その選定基準に組織の一貫性はなくなる傾向があり、ある時の選定基準で次回対応しても、うまくいくことは稀で毎回違うというのが私のポイントです。別にそれが一概に悪いとは思っていませんが、それではサプライヤーは育たないとは言えるでしょう。

最後のポイントは信頼関係が競争力を有する資産とのお話に呼応したまでで、身近に体感できる信頼関係と言われてしまうと、精神論めいてしまい、大切だけれど、じゃあそれで東京三菱とどう違うのと思うだけです。
[675]  RE:きれいすぎるような
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/26(Tue) 00:13:55
>> 組織の意志と個人の意志との位置づけが必要かとは思います。

組織の意思というものは、構成員の個々人が意識しているかどうかは別にして、確かにあると考えます。そうでないと、そもそも法人格という考えは成り立たないし、企業文化のような名状し難いものについても、個々人と全く切り離された別物ではなく、構成員個々人もその意思の一部分であり、責任を負っているもの、無関係ではありえないものと私は考えます。

>> 今回の事例に当てはめれば、どうせ取引先は変わらないと現場が思えば、取引先を評価することなどしなくなってしまうのです。

それは組織というシステムの問題によるのではないかと私は考えます。個々人の善意のみに依存するのではなく、人間の怠惰な性癖を補完するものとして、組織として制度的補完を行うわけですよね。例えば、メーカーではよく認証取得している、ISO9000のようなマネジメントシステムでは、PDCAのマネジメントサイクルの中で、サプライヤーについても定期的に評価を行うことになっておりませんでしょうか。ISO9000自体が形骸化している場合もある、と言い出すときりはなくなるのですが。あるいはこれも日本のメーカーのお家芸であるTQCも組織的取り組みで絶えず改善がはかられているのではないでしょうか。

>> 信頼関係の構築は極めて重要なことでそれ自体何ら異議を唱えるものではありませんが、その名の下に行われていることは実際なんなのかということを振り返る必要があろうかと思うわけです。

振り返るのは全くやぶさかではありません。

>> しかし、安易に信頼関係に取引先選定の基準をおくべきではなかろうと。往々にして取引先評価能力の欠如の結果ではないかと思うわけです。

「信頼関係」は第一義には、取引先選定の基準に設けることはできないと私も思います。何故なら定量的な評価が難しく第三者に対する説明の難しい評価項目だからです。システム開発の現場である私の職場であれば、「品質」(障害発生数/委託金額 or コーディング量)、「生産性」(開発機能数/委託金額)といった指標が定量的な指標として委託先の評価対象に使われています。あと、そもそも納期に必要される機能を満たすものを納品できることが大前提になりますが。基本的に客観性を持って説明できる指標が選定の基準になります。


>> 取引先選定において選定及び不選定の理由を明確に述べられる会社はそれほどないと感じています。戦略的に述べないのではなく、述べられないのだと思っています。不選定の理由を述べれば、次回その理由が取り除かれれば選定しなければいけなくなってしまうからです。

どのような点からそれほどないと感じるのか興味深いところです。選定理由、不選定理由が明確でなく、委託先を選定するということは、私自身の身の回りでは聞いたことがありません。特に新しい先を使おうとするときなどは、ケチのつきそうなところは細心の注意を払い、材料を集め、理論武装し、文句をつける人を各個撃破していくこととなります。不選定の理由が取り除かれればそれでよし。融資の採り上げで審査部の審査役と協議するプロセスと全く同じです。選定理由、不選定理由が不明確なまま外部のサプライヤーを使うというのは、株主に対する説明責任に応えられないと思うのですがいかがなものなのでしょうか。


>> 本気で新規取引先と取引を開始したいと思えば、新規取引先に自社情報を開示しなければなりません。

新しい技術や血を入れるために、あるいは、既存ベンダーとの馴れ合いを防ぐために、システムの世界では、RFP(Request For Proposal 提案依頼書)の提示をベンダーに求めコンペを行うことがあります。この場合、見積の前提条件として、RFP提案応募先には、見積りに必要な自社情報の開示を平等に行います。官公庁で言えば、随意契約方式ではなく競争入札方式みたいなものです。いろいろな会社からの提案を見比べると、それぞれの提案で強み弱みがあり、見比べることにより一番知恵をつけてもらえるといったメリットがあります。やり方と意思の問題だと思いますが。


>> で、結局どうなるかと言えば、組織としての慣性は既存取引先との取引の継続に流れるわけで、それは、氏の言われる崇高な信頼関係とは全くの別物ではなかろうかと思うわけです。

信頼関係というのは非常に身近なものです。約束したことは実行する、実行する能力がある、WinWinの関係を築く姿勢がある等々ビジネスではごく当たり前に求められる事項より成立します。築くのは大変だし失うのは簡単だし。そんな崇高な話ではない。ただこの当たり前のことを当たり前にやりつづけることが大変です。惰性で関係が継続しうるのは組織対組織であるが故で、個人対個人の関係であればいっぺんに取引解消となってしまうのではないでしょうか。


>> また、そのような信頼関係が競争力を有する資産とされるなら、法的な拘束力を持つ提携であるとか資本関係に持ち込むのが本筋かと思います。

法による縛りは、罰則による強制力で守れることしか明文化しないという技法上の特徴から、ミニマムスタンダードしか定め得ないと私は思っています。あるいは、経営に対する発言力を持つという観点から資本関係を結ぶのはオーソドックスなやり方の1つかとも思いますが、経営に対する支配権を持つところまで持ち株比率を高めるというのは、かなり限られたケースなのではないでしょうか。罰則とは違う力による提携の推進、より緩やかな連携による提携の推進を図る上で、身近に体感できるところの人と人との信頼関係が大きな要素になると私は考えています。
[674] きれいすぎるような
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/24(Sun) 22:01:17
組織の意志と個人の意志との位置づけが必要かとは思います。個人の意志は余り問題ではないかと思いますが、組織の意志はない場合もあるだろうし、トップの意志である場合もあるだろうし、部門長の意志である場合もあるだろうし、良くはわからないけれど漠然とした風土や伝統やしがらみや組織における常識などに制約された何かである場合もあるでしょう。特に最後のものがやっかいだと思いますが、いずれにしても、結果が見えていると思ってしまうと、結果につながらないことを現場はやらなくなってしまうものです。今回の事例に当てはめれば、どうせ取引先は変わらないと現場が思えば、取引先を評価することなどしなくなってしまうのです。
信頼関係の構築は極めて重要なことでそれ自体何ら異議を唱えるものではありませんが、その名の下に行われていることは実際なんなのかということを振り返る必要があろうかと思うわけです。それが意図されたものかどうかは別としても、多くの場合、取引先選定の際に、ウチのことをわかっているからというわかったようなわからないような理由がまかり通るわけです。新規取引先が既存取引先よりも「ウチのことをわかっていない」のは当たり前の話で、そのような物言いをする企業は、最初から新規取引先など開拓するつもりがないと言われてもやむを得ないでしょう。勿論、価格やサービス、製品に差が認められなかった結果かもしれません。しかし、安易に信頼関係に取引先選定の基準をおくべきではなかろうと。往々にして取引先評価能力の欠如の結果ではないかと思うわけです。取引先選定において選定及び不選定の理由を明確に述べられる会社はそれほどないと感じています。戦略的に述べないのではなく、述べられないのだと思っています。不選定の理由を述べれば、次回その理由が取り除かれれば選定しなければいけなくなってしまうからです。本気で新規取引先と取引を開始したいと思えば、新規取引先に自社情報を開示しなければなりません。で、結局どうなるかと言えば、組織としての慣性は既存取引先との取引の継続に流れるわけで、それは、氏の言われる崇高な信頼関係とは全くの別物ではなかろうかと思うわけです。上昇志向氏がそうだとは全く思いませんが、信頼関係の実態は千差万別であろうと思う次第です。
また、そのような信頼関係が競争力を有する資産とされるなら、法的な拘束力を持つ提携であるとか資本関係に持ち込むのが本筋かと思います。
[673]  RE:意志ではなく結果なのでは
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/23(Sat) 22:40:24
>> 最初から40年の長期間取引を維持することを目的とすることは極めて稀で、日々の努力が積み重なって結果として40年という期間になることもあるということかと思います。

取引の「期間の長さ」自体を<目標>とするのではなく、<結果>として長い年月が積み重なることがあるという点は、全く異論はありません。<目標>とするのは「良好な関係性の維持」であり、それは<意思>によって不断に志向されるものであるかと。ちなみに「良好な関係性の維持」には、発展的取引解消も含まれ、かならずしも取引として「くっついている」もののみを指すものではないと私は考えています。


>> 氏の経験されている取引の継続性もかなり属人的で、双方の担当者が変わったときに果たして同様であるのか、また同様であるべきなのかは意見の分かれるところかと思います。

会社対会社の取引の有り様については、その時々そこに居合わせる者たちにより選択されるものにて、「同じであるべき」と当事者でない人間が言ったところで意味を持ち得ないと私は思っています。


>> 実際、言われるところの信頼関係と相互理解は馴れ合いと紙一重で、多くの企業が新規の取引先(サプライヤー)を開拓してこなかった、できなくなってしまったという結果にもなっています。

「信頼関係」と「馴れ合い」の違いは、彼我の関係に対する主体的かつ絶えざる見直しが入っているかいなかの違いかなと思います。信頼関係が十分成立した取引先との取引がもたらす品質保証、安定性、効率性の高さは大きな資産であり、その資産が、自らが置かれた市場の中での他社との競合上有意なものとなるのであれば、維持継続させていくべきものと私は考えます。問題は、関係が有意なものか陳腐化してしまっているかに気づくかどうかで、取引先が特定の先に固定化され、新たに開拓することを怠る問題は、取引の継続とは別の課題かと私は思います。


>> もう何十年前の話ですし、今時の株主価値に照らし合わせれば、間尺に合わないということになるでしょうが、この手の話は意外と無視できないと思っています。

意外と無視できない、というより、取引の歴史が今現在に影響するのは必然かと。株主も含め、さまざまなステークホルダーとの相互依存関係の中で会社は存続しています。どの相互依存関係を大切にするか、どういう観点で大切にするかは、まさに居合わせる人々の価値観によりもたらされるものですが、過去に受けた恩を大切にして関係を維持するというのは、私はビジネスにおいても非常に普遍的な考え方かと思います。


>> で、本格的に特別サービスで顧客の囲い込みをやったら法規制なんか守れっこないよねと、シティが立証してくれたのではないでしょうか。

社会の中に存在し、活動する企業が、コンプライアンスを否定することは、自らが社会に存続する資格を否定することであり、社会からの退場を意味します。シティの日本法人のサービスは収益至上主義から来る瞬間芸的な際物であり、顧客は刹那的な満足はあったかもしれませんが、継続的・安定的な満足を得られなかったのではないでしょうか。


>> 10年もすればその経験を共有しない人がまた別の思いを持って入社しているでしょう。それらの人が主体的に会社と関わったときに氏の目指されるところが実現されるためには、意識の共有ができるかどうかにかかっているのだろうと感じます。

自分として組織的に敷衍した方がよいと思う考えについて、意識の共有化を図るべく日々努力することが大切であるということは、すべてに通ずる話かと私も思います。
[672] 意志ではなく結果なのでは
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/22(Fri) 22:39:20
ITS国際会議を覗きに行って、名古屋から中央高速で帰ってきました。景色が良く、天気のいい日にドライブするには最高の高速ですね。

さて、大きな差異はなくなってきているかと思いますが、たぶん表現の違いなのかと感じます。継続的な取引の期間をどのように設定するかの問題だと思いますが、最初から40年の長期間取引を維持することを目的とすることは極めて稀で、日々の努力が積み重なって結果として40年という期間になることもあるということかと思います。

氏の経験されている取引の継続性もかなり属人的で、双方の担当者が変わったときに果たして同様であるのか、また同様であるべきなのかは意見の分かれるところかと思います。なぜなら、担当者の個性もしくは裁量をどこまで認めるかという問題でもあるからです。担当者が変わるならば取引のあり方も変わってしかるべきという考え方もあろうかと思います。実際、言われるところの信頼関係と相互理解は馴れ合いと紙一重で、多くの企業が新規の取引先(サプライヤー)を開拓してこなかった、できなくなってしまったという結果にもなっています。ですから、取引の継続性そのものは別に否定しませんが、それを第一義とされるとそうかなあと思ってしまうのです。

特別扱いの語感はご指摘の通りだと思います。問題はむしの良さというよりも双方の認識の差異から生じることが多いように思います。要はこんなにしてやったのにつれないとか、まあそんなたぐいですね。トヨタなんかは経営危機の時に助けてくれたところに今でも恩義を感じているわけです。逆にトヨタを見限ったところもあるわけで、そこにはつれないわけです。もう何十年前の話ですし、今時の株主価値に照らし合わせれば、間尺に合わないということになるでしょうが、この手の話は意外と無視できないと思っています。そういうところに氏の言われる信頼関係の基礎があるようにも思います。全てが合理性で割り切れるわけではなかろうかと。まあ、それでも氏の言われる合理的な商取引の範囲であるか否かが問題なのでしょうが、まあ明確な判定はできないかなと思います。

その中でマスカスタマイゼイションは次善の策で、顧客対応をパラメーター化したり、モジュール化したりする手法というわけです。擬似的な個別対応ですね。ですから、本来のカスタマイゼイションよりも格段に安くなければなりません。また、顧客の囲い込みも通常顧客は囲い込まれたくないと思っているわけですから、囲い込まれたらこんな特別サービスを提供しますよというのが一般的かと思いますが。で、本格的に特別サービスで顧客の囲い込みをやったら法規制なんか守れっこないよねと、シティが立証してくれたのではないでしょうか。

氏と氏の同僚の方々は確かに極めて困難な時を共にしてきたので主体的に会社と関わり、かつ目指すところも共有されているのだろうと思いますが、10年もすればその経験を共有しない人がまた別の思いを持って入社しているでしょう。それらの人が主体的に会社と関わったときに氏の目指されるところが実現されるためには、意識の共有ができるかどうかにかかっているのだろうと感じます。
[671] RE:一般化に無理があるような(追補)
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/20(Wed) 06:51:55
>> 自己責任論など上昇志向氏に言われると、氏の隣の席の人は違うんじゃないのと言いたくなりますが、

いやいや、みんなそんなことないですよ (^o^)。
全員が全員そうだというつもりはないですが、一時は株価50円を切る状況にいたなかで頑張りつづけてきたメンバーの大半は、みんなそれなりに、それぞれの事情に応じて、会社との関係に自己責任をもって折り合いをつけてきていると思います。そうでない人はとっくに辞めてますし。

>> 40年の話を成立可能性で論じられれば、その通りだと思いますが、徳川政権のようなイメージで、現代でも本当に可能なのかなとは思います。

私の話の基調として、ご理解いただけいてるかと思いますが、私自身10年取引を続けるのは大変と思っています。

情緒的に聞こえるかもしれませんが、継続取引のメリットは、信頼関係に基づく安心感だと相互理解によるコミュニケーションの効率性が高いことだと私は思っています。信頼関係を1から築くことは、ものすごい体力と時間がかかります。その一方で信頼関係を維持しつづけることも、新規に関係を築くときほどの瞬間的な大量パワーは必要ないものの、不断の努力が必要で大変です。そのバランスをどう判断するかだと思います。

仕事柄、いろいろなソフトウェアハウスの開発チームと付き合いがありますが、7年越しでつきあっている某鉄鋼系ソフトウェアハウスの開発チームなどは「あうん」の呼吸で仕事でき、1言えば10分かってくれるのでとても楽です。初めての先だと、いろいろなことに気を配らなければなりません。

当然に社外の相手先ですので、終身雇用的な発注の保証などありえず、その一方、優秀なメンバーによる要員体制を維持してもらうためには、先方としてもコンスタントに受注できることが見込める必要はあり、お互いビジネスとして出来る範囲で最大限のことをやりながら取引をつづけてきています。

何事もなく良好な関係がつづくなどということもありえず、トラブルが発生したりすることもありますが、その中でお互いの信頼関係を維持できるように、関係に携わる個々人が努力することにより、今日の取引があります。

先方のプロジェクトマネージャーと私の信頼関係という属人的なところに依拠しているところもありますが、1本の線だけではなく、関係会社の人間も含め、何本も人間関係の線を引いて組織的な関係にしつづけてきています。

なので40年というのも、可能性の議論というよりは、意思の問題なのではないかなと思います。少なくとも富士山が爆発する可能性よりは、可能性は高いのではないでしょうか(^o^)
[670] RE:一般化に無理があるような
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/19(Tue) 23:54:57
>> 需要側の話として、取引の継続性のメリットとは何かといえば、建前としては既に上昇志向氏が書かれている通りだと思いますが、本音としては特別扱いではないかと思うわけです。

話が少しそれますが、「特別扱い」というのは私自身の語感として「双方メリットがあり通常の場合よりも互いに有利な条件で取引する」ということと微妙に違うように思います。お互いに相手にかける便宜がバランスがとれていれば通常の商行為のように思います。「特別扱い」というのは、自分の側は相手に対し特段の便宜を図らずに相手には通常以上の便宜を期待する、むしのよさの漂う語感があります。これは相手に対し対自分と対他の顧客のダブルスタンダードを要求する行為で、商行為としては長続きしないように思ったりします。「特別扱い」というダブルスタンダードに応じるような相手先は、逆に別のところでダブルスタンダードを適用して自分のことを軽んずるのではないかという疑念が絶えずつきまとい、安心して信頼関係が築けず、その場限りの刹那的な関係になるように思います。

>> 親密取引先との関係性を密にする代わりにマスは追わないか、マスを追う代わりに基準に沿った顧客のランク付けはあり得るものの、特定取引先との例外処理的な取引は行わないかのいずれかを目指さざるを得ないのではなかろうかと思います。

親密先とマスを対置概念におくのは私自身は難点があると思っています。私自身としては、親密先(親密既存取引先)の対置概念は優良非取引先です。銀行の場合でも10年20年のタームで見ると、親密な貸出先は大きく変わっています。特定の親密先に収益的にすがりつくような経営スタイルはありえず、耐えず新しい市場すなわち優良非取引先との取引を開拓してかないと存続しえなません。その一方、新規開拓と既存取引とでは、投入するエネルギーが天と地程の違いもありますので、細ったとしても経済合理性の働く範囲では既存取引先も重要な顧客であることには変わらないように思います。

あと、奇術師氏のおっしゃるような二者択一だとするが正しいとすると、マスを追い、なおかつ、顧客の個別性に対応するという、マスカタマイゼーションという考え方はおかしいということになりませんか?

>> この認識が正しければ氏の目指される取引の継続性の重要性がなくなることはないかと思いますが、総論として、とりわけリテールを志向する金融機関においては低下していくのが流れではなかろうかと思います。

金融機関がリテールでも優良顧客の囲い込み(=顧客ロイヤリティや取引の継続性確保)を行っている動きと体感的に合わないのですがいかがでしょうか?
[669] 一般化に無理があるような
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/19(Tue) 19:45:49
自己責任論など上昇志向氏に言われると、氏の隣の席の人は違うんじゃないのと言いたくなりますが、大筋では異論ありません。40年の話を成立可能性で論じられれば、その通りだと思いますが、徳川政権のようなイメージで、現代でも本当に可能なのかなとは思います。
また、相変わらず取引の継続性が引っかかります。供給側の話としては今まで議論してきたかと思いますので繰り返しませんが、需要側の話として、取引の継続性のメリットとは何かといえば、建前としては既に上昇志向氏が書かれている通りだと思いますが、本音としては特別扱いではないかと思うわけです。その裏返しとして供給側も特別扱いを期待するわけですが、おそらくはこういう関係が維持できるのは限られたビッグアカウントのみでそれ以外はもはや特別扱いは期待できない時代に入っているのではなかろうかと思うわけです。
勿論双方の方向性がありますから、一概に言うことは難しいのですが、親密取引先との関係性を密にする代わりにマスは追わないか、マスを追う代わりに基準に沿った顧客のランク付けはあり得るものの、特定取引先との例外処理的な取引は行わないかのいずれかを目指さざるを得ないのではなかろうかと思います。これはスタンスの問題ですが。
この認識が正しければ氏の目指される取引の継続性の重要性がなくなることはないかと思いますが、総論として、とりわけリテールを志向する金融機関においては低下していくのが流れではなかろうかと思います。提供する財やサービスが優れていることに因る取引の継続性は当然ありますが、氏の言われる継続性は異なると認識しています。
また、多重化した人間関係はそれこそ恒常的に取引のあるビッグアカウント以外では、もはや構築し得ない状況になっているように思います。それ以外の関係性は財やサービスに落とし込まれているか、属人的な関係性に依存するかのいずれかではなかろうかと思うのですが。
[668]  RE:組織側の論理かな
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/19(Tue) 00:11:49
雇用関係や夫婦関係その他ありとあらゆる関係につき、その関係が維持されるかどうかは、当事者同士がその関係の意味を主体的に見出し、関係を維持しようとする主体的な意思を持つかどうかにかかっているように思います。また前提として、どちらかが一方的に責任を負うものではなく、それぞれが主体的に自己の責任を負うものと考えます。

当事者間の関係の意味が固定的なものであれば、あるいは関係の継続につき主体的な意思を持たないのであれば、「40年という期間に亘ってバランスさせることが現実的ではない」はおろか、1年すら現実的ではないこともあるかと思います。逆に当事者間の関係の意味が、状況に応じて絶えず当事者の主体的な意味づけにより新たなものへと変わっていくのであれば、もしかしたら、40年という時を重ねることも可能かもしれません。

強調しますが、互いが絶えず関係に新しい意味づけをするように変わっていかなければ関係を継続していくことはできない、というのが私の考えです。ときには、惰性で長続きしている関係もあるかとも思いますが、その場合も、意識しているかどうかは別に、主体的な意思の結果であり、その結果については自己で責任を引き受けるべきものと考えます。

かような考えでありますので、取引の継続性につき終身雇用を前提とした考えというご指摘は、私自身にとっては違和感があります。そもそも取引を継続させることは難しいというのが基本認識で、形ばかり終身雇用制があって同じ人がいつづけたとしても、意思なきところに取引の継続性はありえないと考えます。

また取引の継続性については、先に記述しました、多重化された人間関係を築こうとする意思をもった仕組みによる、会社対会社の関係があれば成立可能であり、その会社が終身雇用であるか否かは全く関係ないと思いますがいかがでしょうか?
[667] 組織側の論理かな
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/17(Sun) 11:30:08
人材は辞めるものというのは、勿論残る人もいるだろうけれども、一つの会社や組織の所属し続けることで、個々人にそれぞれ求められる役割、それに対する報酬、個々人のやりたいことを、40年という期間に亘ってバランスさせることが現実的ではないという認識の下、組織及び個人が上記バランスを維持できなくなれば、雇用関係を解消するのがその後期待される双方の便益からも双方の精神衛生上も最も望ましいという考え方です。
この考え方では、企業特有の専門性をつけるということはつぶしが利かないということになりますから、実際に全うできるかどうかは別としても、その人の人生を40年背負う覚悟なしでそのようなシステムを作り上げることはどうかと思っています。でも実際は、そのようなシステムを構築する人は近々引退してしまい、結局40年もの間責任を全うできる人などどこにもいないのです。
人材がいないと言われる一つの背景に、程度問題ではあるものの他の人では代替の利かない状況が意識的もしくは無意識に作り上げられているように感じます。上昇志向氏の言われる取引の継続性はやはり終身雇用を前提としているように見受けられ、現状として述べられているのであれば是認するものの、普遍的な話として述べられているのであれば、遅かれ早かれ取引の継続性のあり方そのものを見直さなければならない場面に遭遇されるのではと感じます。
[666]  RE:RE:閑話
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/10/17(Sun) 08:59:06
本題と関係ない横槍。

>逆に、パフォーマンスの低い人材を抱えてしまうリスクも少なくてすみ、
>結果としてロスが少なくなるのかもしれませんが。
親方日の丸だとパフォーマンスが低い人材どころか、メンタルまで抱え込んでいる。知り合いの精神科医に言わせれば、患者には本人がやめようかなと言っても絶対やめるなと言い聞かせているそうだが。
極めて効果的かつ直接的な社会福祉政策なのかもしれない。
[665] RE:閑話
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/16(Sat) 13:22:29
>>我々のようなところは基本的に人材は辞めるものなので、全くシステムの前提が違うのかなと思います。
>確かにその通り。「人は辞めるもの」という意識は、頭にありませんでした。素直に反省。(「人は採るもの」という意識は、もっとないけどね。)

「人財」という言葉がありますが、優れたメンバーの集まったチームに勝る資産はなく、チームを育てるのにかけた労力、暗黙知も含めて共有化された知識のもたらす効率性を考えると、終身雇用とは趣が異なるのですが「基本的に辞めるもの」という前提は、かなりの組織的なロスを前提とした考えですね。逆に、パフォーマンスの低い人材を抱えてしまうリスクも少なくてすみ、結果としてロスが少なくなるのかもしれませんが。

[664] RE:やはり継続性の定義かな
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/16(Sat) 12:59:49
書き終わりかけ途中でアップしてしまった(^_^;

>> 企業の存続は、コンピテンシーを発揮しつづけるための組織体制(社員との関係)の維持・継続、ならびに企業を支えるステークホルダーとの共存共栄による取引関係の維持・継続に依存しているという点において、

継続性、冗長性の議論と同じ範疇にあるように思います。
[663]  RE:
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/16(Sat) 12:53:44
>> 若い頃から付き合っている相手先の担当者と気心が通じ合っているというところが一番大きいように感じています。で、担当が変わったりしながらお互いの会社でそれぞれ知り合いが増え、また一緒に仕事する機会もあったりしながら、共に昇進していく。そして、上が信頼関係を築いていることを拠り所としながら部下がまた新たな関係を築いていくというサイクルが続いていく。

銀行と企業との間で会社対会社の関係が作り上げられていく現場はまさに上記の繰り返しです。銀行と親密企業との間に出来上がった関係というのは、まさに社長同士、役員同士、部長同士、課長同士、担当者同士での人間関係ができています。信託銀行であれば、財務セクションだけではなく、年金や証券代行、不動産等の各プロダクト部門の人間と相手先企業の人事や総務等、様々なセクションの各階層のポジションの人との間で人間関係ができている。奇術師氏の記述に付け加えれば、これらの多重化された人間関係は、たまたま出来上がるものではなく、意識的に、意図的に、組織だって作ろうとしていることです。個々の担当者の属人性に依存するのではなく、組織の中で制度化された役割を持つ担当者として相手先企業と関係を保とうとしていく。人事異動で出来の悪い人間がこの多重化された人間関係の構成要素に入ってきたとしても、他の人間関係で補完することにより会社対会社の関係は維持され、組織の自浄作用で出来の悪い担当者は短命にして担当替えになったりもする。もちろん、最初からこのような会社対会社の関係ができているということはあり得ず、歴代の担当者が、その時々でよりよき関係を目指すべく尽力することで、会社対会社の関係になっていくのですが。このような相手先企業との関係は、組織というチームプレー総体の成果であり、個々の担当者の属人的な人間関係を超えた仕組が存在して可能になるものと考えています。誤解のなきよう補足すれば、このような個々の属人性を超えた仕組は、絶対不変の固定されたものではなく、その仕組を構成する個々のメンバーの意思により変わっていくものであり、均一で交換可能な機械の部品のような個々人ではなく、属人性に満ち満ちた不揃いな林檎のような個々人により作り上げられていることが組織運営上の醍醐味でもあり、奇術師氏が「人にくっついていく」と記述されていることを否定するものではありません。

>> で、氏の言われるコンピテンシーの継続性は取引の継続性のために必要と言うよりは企業の存続のために必要な話で、取引の継続性のためには冗長性が必要というのとはちょっと違うかなと思いますが、どうでしょう。

企業の存続は、コンピテンシーを発揮しつづけるための組織体制(社員との関係)の維持・継続、ならびに企業を支えるステークホルダーとの共存共栄による取引関係の維持・継続に依存しているという点において、
[662] やはり継続性の定義かな
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/16(Sat) 09:27:12
短期的な利害得失でくっついたり離れたりはアメリカ企業と雖もしていないと思います。フォードとブリヂストン(ファイヤストン)が取引を解消した際には操業以来の関係が壊れたと、メディアでも大きく取り上げられたかと思います。

じゃあ、なぜそのような関係が長期的に維持できたのかが問題なわけですが、上昇志向氏の言われる組織的に継続性を担保しているからかと言えばちょっと違うかなと思っているのです。意外とそういう会社はアメリカ企業や欧州企業であってもそれほど転職が頻繁ではないんですね。だから若い頃から付き合っている相手先の担当者と気心が通じ合っているというところが一番大きいように感じています。で、担当が変わったりしながらお互いの会社でそれぞれ知り合いが増え、また一緒に仕事する機会もあったりしながら、共に昇進していく。そして、上が信頼関係を築いていることを拠り所としながら部下がまた新たな関係を築いていくというサイクルが続いていく。これが氏の言われる取引の継続性の実態ではないかと思うわけです。勿論顧客満足が得られなければ継続できないわけですが、そこに組織的な担保があるから取引が継続すると言うよりは、人間関係に因るところが大きいように感じています。

じゃあ、転職が頻繁にある企業の場合どうなるんだと言うことになると、結局新しい担当者が過去に取引をした取引先に声をかけそれなりの手続きを踏んでその企業で新しい取引を始めることが多いと思います。組織ではなく人にくっついているという点では変わらないかと思うのです。

で、氏の言われるコンピテンシーの継続性は取引の継続性のために必要と言うよりは企業の存続のために必要な話で、取引の継続性のためには冗長性が必要というのとはちょっと違うかなと思いますが、どうでしょう。
[661] RE:浜松はちょっと遠い
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/16(Sat) 02:44:46
>> 継続性の重要性がユーザーにとっても以前に比べ急速に低下してきているというのが全体的な流れではないかと認識しています。

アメリカナイズされた短期的な利害得失で刹那的にくっついたり離れたりする関係というのは、私自身は自分のスタンスとしては是としません。

>> 今の時代約束できるのは10年が精一杯で、それ以上の期間に亘って何らかの約束をするのはかなり難しいのではなかろうかと思っています。

私の言う「継続性」は、「同じこと」を10年間しつづけることを約束することとではありません。10年間、良好な関係を維持・継続することです。コンピュータシステムも1度開発すればそれでおしまいではなく、稼動した後に現れる様々なユーザーニーズに応えていくため、絶えず機能改善が図られていきます。さすがにシステムの構造の骨格部分は簡単に変えられないため、数年に1度は抜本的に1から作り直す必要は出てくるのですが。ただ、その場合も、旧システムが持っていた優れた機能については、新しいシステムにも引き継がれていくものです。同様に、様々なビジネスで、そのビジネスをビジネス足らしめるコアとなる機能ないしコンピテンシーは、10年ではあまり変わらないような気が私はしています。例えば銀行についていえば、現在、貸出形態はいろいろな種類があるにしても、「信じて信ぜぬ」という金貸が金貸たるコンピテンシーは10年前も今も変わっていないと思います。

>> でも実際のところ属人的な継続性が組織にとってどれくらい重要かというとさほどないのかなとも思うんです。

属人的な継続性は、組織の有り様としては、一番否定すべきものと私は考えています。

>> 全体的な傾向としては継続性よりも如何に変えるかがより重要な経営テーマになっているようにも思うのですが。

夫婦関係も同じだと思いますが、2者が良好な関係を維持・継続するためには、状況の変化に応じていくため、お互い絶えず変わっていかなければならないかと思います。如何に変えるかが重要な経営テーマであるということについては、全く奇術師氏と同意見です。
[660] 閑話
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/15(Fri) 23:32:10
>崩壊したとはいえ、氏のような方々はやはり転職されないわけで、まあ、知っている人がいるんだったら聞けばいいところもあるんですよね。
>我々のようなところは基本的に人材は辞めるものなので、全くシステムの前提が違うのかなと思います。

確かにその通り。「人は辞めるもの」という意識は、頭にありませんでした。素直に反省。(「人は採るもの」という意識は、もっとないけどね。)

最近、システム上の人災の真っ只中にいて、色々な開発チームの人々と頻繁に話をしている中に、ひとり上昇志向氏と「声色も口調もそっくり」という人がいるのです。
こないだも電話で議論している最中に「ううむ、まあ一定よいのだが」みたいな発言をするので、おかしくてゲタゲタ笑ってしまったら、また「なにをそのように笑われるのですか」と来て、御蔭様でストレスを発散できました。何の関係もないが取敢えず、上昇志向氏に御礼申上げます。
[659] 浜松はちょっと遠い
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/15(Fri) 22:23:50
今日未明に浜松から車で帰ってきました。休憩を除き実車時間でおよそ2時間半。後半大分飛ばしたものの、もはや片道2車線ではスピードリミッタが付いているにも拘わらず追い越し車線にいる大型車に行く手を阻まれ、まあ、このあたりが限界でしょう。

上昇志向氏の言われる状況は目に浮かびますよ。昨日が一区切りの浜松のクライアントも同様ですから。で、ビジョンと中期計画を策定しているんですが、ビジョンはともかく中期計画になると現実に引っ張られちゃうんですよね。人員計画が最たるもので、一昨日言ってすぐに変えられるもんじゃないから、まあ、昨日のスタンスとしてはとりあえずワンラウンドやってみた結果の報告としたけれど、案の定指摘されることは指摘されてしまいました。中国に業務移管するのに人員の減り方が少ないとか、総人員を増やさないでどこまでできるかの見極めが必要とか。それに対し、人員を浮かせると言ってもエース級を既存の仕事に残せば半分でできるが、エース級を注力事業に回すようにするとあまり人員が浮かないとか、まあ現場の悩みは尽きないわけです。ただ、上の方針がはっきりしているので、あとは腹を括ってもらえばいいだけだとは思っていますが。

冗長性の話は一般化してしまうと全くその通りで異論はないんですが、私の基本認識はそのために増員が必要との上昇志向氏の主張だったと思っています。しかし、その点はあまり重要ではなくなってきたのかなと。で、取引の継続性については、一般化が難しいかと思います。確かに従来は取引の継続性が無前提であったようにも思いますが、今は銀行と雖もペイオフが解禁となり、企業の存続自体が無前提ではないということをユーザーに教育してきたかと思います。系列も全てではないものの基本的には解消される方向ですし、継続性の重要性がユーザーにとっても以前に比べ急速に低下してきているというのが全体的な流れではないかと認識しています。以前年金の話もしたかと思いますが、今の時代約束できるのは10年が精一杯で、それ以上の期間に亘って何らかの約束をするのはかなり難しいのではなかろうかと思っています。

もう一つ継続性の背景としてあるのはやはり終身雇用かと思うわけです。崩壊したとはいえ、氏のような方々はやはり転職されないわけで、まあ、知っている人がいるんだったら聞けばいいところもあるんですよね。我々のようなところは基本的に人材は辞めるものなので、全くシステムの前提が違うのかなと思います。でも実際のところ属人的な継続性が組織にとってどれくらい重要かというとさほどないのかなとも思うんです。もう長いので、ちょっと飛びますが、あるスーパースターに組織が依存しているならば、そのスターを引き留められるだけの条件を提示し続ければいいわけです。それを標準化したりすると、キャパシティを増やせるかもしれないけれども、相対的には質は低下し、単価を下げる必要があるでしょう。結局ビジネスが違うのかなと思うんですが、違いますかね。

全体的な傾向としては継続性よりも如何に変えるかがより重要な経営テーマになっているようにも思うのですが。
[658] 健在
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/10/15(Fri) 00:24:39
しつれい。健在っす。
だから、昼間がいいよ。東京くるついでに、もしもこちらに来たらぜひ。
[657] コジェネ、やってませんて。
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/10/14(Thu) 23:57:20
いや〜。逗子のデニーズは近隣一帯ふくめて死んでまして、無事だった葉山のデニーズで時間潰してました。
電線切れたトコがつかないからか、道路一つ隔てて明暗、があちこちにありました。「町の半分が真っ暗」の「百億の昼と千億の夜」状態で。

あのバーは顕在っす。でも、店もいいぐあいに年取ってるようで、ペンキのはげなんかそのまま残して、力の抜けた感じになってます。潮風に吹かれて、ほね〜っとするのに具合よかです。

いじょう、私信ですな。
[656] RE:価値のわからないユーザー
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/12(Tue) 23:54:18
もう1つ字の多い文をば (^_^;

>> ちょっと違うのですが、価値を理解しないユーザーに供給する必要はないというのが基本的なスタンスです。その意味でユーザー教育が重要で、市場を通せばそのようなユーザーは良いサービスを受けられないと思っています。市場では供給サイドが選別されますが、需要サイドも選別されるのです。

この考え方は私にはありませんでした。社内にも擬似的な市場を作ることにより需要サイドも選別しうるというのは考え方として面白いと思います。何度かご指摘いただいているように、社内で価値を理解させることも重要だと認識しています。

ただ日常の光景として、ユーザー側で要件定義等のシステム開発の上流工程を担う人も足らず、新しいことや難しいことをやろうとすると、いつも集まるのは同じ顔という状態になっており、人が足らないのは自部門だけの話ではないのは、先に書いた通りです。(コンサルをもっとうまく使ってもよいと思うのですけどね)


>> 継続性の議論はやはり定義が違っているのかなあという印象を持ちます。当初の継続性は特定のサービスが安定的に提供されることだったように思うのですが、今回は取引の継続性にややシフトした感があります。

私の捉え方が雑駁なのかもしれませんが、「特定のサービス」を安定的に提供することと「取引」を安定的に維持することとは、顧客との関係維持という点でサプライヤー側に求められる内容は同じと思っています。


>> ちょっと、議論されようとしている継続性の論点がわからなくなってきました。継続性のためには冗長性が必要というのが基本的な主張だったように思うのですが。

サービスの継続が、特定の人の属人性に依存し、その人がいなくなるとお手上げになってしまう状態にならないようにするために、組織として一定の冗長性が必要というのが一連の主張です。
[655]  RE:うわー字が多い
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/10/12(Tue) 15:19:40
>昨日は夜半まで停電。まっくらの中にいるのが嫌でデニーズに避難しに
>行ったら、

 街が停電なのに云々と考えて、やっと気がついた。そのデニーズってば
電気代を安くするためにガスタービン型のコジェネを導入してたのね。
『真っ暗な街に煌々と輝くファミレスの灯り』
いやぁ、シュールだなぁ。
ところで、湘南海岸に面したあのレストランというかバーというかは
健在なのだろうか。>まぅ

>ここまで字が多いともはや読めない身となりました。
噛みつくところが多すぎて? 自主規制?
それとも悟りつつあるとか。
(最後のに1票)

ほとんど私信だな。
[654] 合掌。
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/10/12(Tue) 15:10:29
かの建家が新築されしおり、これで服を掛けておくところが
できたと喜んだのが、昨日の事のようで・・・(以下略)
[653] 台風の爪痕
■ 投稿者:しまだ@45期
■ 投稿日:104/10/11(Mon) 23:10:25
先ほどニュースで知ったのですが、修善寺の独鈷の湯の建屋が跡形もなく流れて
しまったそうです。映像で一瞬だけ流れましたが、石組みだけは残って
いるように見えました。残念。
[652] 価値のわからないユーザー
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/11(Mon) 09:52:42
>「ユーザーが判断すれば、それでよい」というのは、ユーザーが客観的で合理的で正しい判断を自己責任のもとにできることを前提にしている考え方なのかなと思うのです。

ちょっと違うのですが、価値を理解しないユーザーに供給する必要はないというのが基本的なスタンスです。その意味でユーザー教育が重要で、市場を通せばそのようなユーザーは良いサービスを受けられないと思っています。市場では供給サイドが選別されますが、需要サイドも選別されるのです。

以前、あるクライアントで予算がなくなり、10月頭に事務局から12月までの契約を10月末までにしたいという話があったのですが、その際の理由が、今やってもらっていることは本来自分たちでやらなければいけないことだし、自分たちでできるからというわけです。言いはしませんでしたが、だったらすぐに契約を打ち切ればいいじゃないかと私は非常に立腹し、当社のプロジェクトマネージャーに、取締役も出席する次回の定例会を、内容には踏み込まず議事進行だけにするよう指示をしました。結局、その定例会は内容的に悲惨で、最終的に、当社のサポートの価値がよくわかったけれども、予算がもうないから雇えない、11月いっぱいでできる限りのことをしてくれないかと先方が言うので、それならできる限りのことをしましょうと応じたわけです。今でもいい関係をそのクライアントとは構築できていますが、価値を理解しない人にいくら良いサービスを提供しても報われないと思います。余程儲けさせてくれないと割に合いません。まあ、社内ユーザー相手だとユーザーを選べるわけではないのでなかなか大変だとは思いますが。

継続性の議論はやはり定義が違っているのかなあという印象を持ちます。当初の継続性は特定のサービスが安定的に提供されることだったように思うのですが、今回は取引の継続性にややシフトした感があります。取引の継続性だと基本的要件を満たした上で顧客ニーズにどれだけ継続的に応えられるかがポイントになろうかと思いますが、顧客ニーズも時系列で変化していきますから、新商品開発力やサービスの品揃えとか、提案力とか周辺ニーズの取り込みとかそういう話かなと思うのですが、違いますか。

ちょっと、議論されようとしている継続性の論点がわからなくなってきました。継続性のためには冗長性が必要というのが基本的な主張だったように思うのですが。
[651] 運動会中止(T_T)
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/11(Mon) 08:14:25
台風22号来襲で一昨日の土曜日から今日に延期になっていた娘の幼稚園の運動会が、グランドの状況芳しくなく今日は中止となった。残念。
[650] RE:継続性とは
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/10(Sun) 23:29:44
字が多い文をもう1つ。

>> 上昇志向氏の議論で一番違和感を感じるのは「事業リスク」を氏の部門で負おうしているように聞こえるところです。氏が例示されているように最終的にはユーザー部門が喜んででも嫌々でも選択しているわけですから、それでいいじゃないと思ってしまうわけです。それを超えて氏の部門で事業部門のリスクを負うことなど無理なのではないでしょうか。

>> 継続性の議論は相変わらずですね。私が言っていることはそれもユーザーが判断することで、供給側がそれをアピールするのは自由としても、だから必要だというのは違うと思いますが。

私も事業部門のリスクを自分の部門が負えるなどとは微塵にも思っていません。
「ユーザーが判断すれば、それでよい」というのは、ユーザーが客観的で合理的で正しい判断を自己責任のもとにできることを前提にしている考え方なのかなと思うのです。誤解のなきよう言っておきますが、自分も含め、誰も、完璧なことできるとは思っていない。誰しも、それぞれの立場の、己が見える範囲、経験の中で、限られた材料、知りえた知見で判断することしかできない。そんな皆が不完全な状況の中において、供給側として自分の過去のいろいろなユーザーとの付き合いの中での経験や部門としての業界動向等、自分の見える範囲で、今のユーザーの気づいていない点は、指摘し、情報を提供し、より適切に要否を判断してもらうことは、供給側として必要なスタンスと考えています。当然、自分に見えていないところの指摘も受けたりするし。また、システムサービスの場合は、ユーザーとの関係が継続的な取引となる故、現時点ではユーザーが不要と判断しても(ある事情に基づくため悪い判断とは思わない)、いずれどこかでユーザーが直面し、結局、当方に話が降りかかってくることが見えている話については、何らかの自衛的な措置はとることもありますが。


>> 実際、企業として契約が継続していても、担当者は変わるわけです。そうすると今回の担当者はいいとか悪いとか言う話は当然出ますし、担当者間で全てが引き継ぎできるわけでもありません。担当者のばらつきが大きいと、担当者を固定化するようユーザーからの圧力が高まるわけですが、先方の担当者も変わるわけですし、担当者が変わる中で継続したサービスとはなんぞやと思ってしまいます。

担当者が変わって、相手先のニーズに応えられない状況が長続きした場合に、その契約は継続しえますか?特にサービスの単価が高いような場合に。組織として継続可能なサービスの一定の標準化ないし最低保証レベルを設定していくことになりませんか?


>> お手上げとは書きましたが、それでも様々な担当者が担当し、ファームとしてのサービス水準が理解されれば、そんなに切り替えられるもんじゃないですよ。我々のサービスは単価が高いし、事前にアウトプット水準を把握することが難しいので、過去の実績がものを言うわけです。新規取引を開始すること自体がクライアントの社内調整上大変なんですよ。担当者間の取引を会社対会社の関係に持って行くことは重要だと思いますが、継続性と簡単に括られるとどうかなと思います。

金融機関の法人取引も全く同様ですが、新規取引を開始してもらうこと自体が大変ですよね。ですから一旦できた優良顧客との取引については、組織として会社対会社の関係として継続させようとしておられるのではないですか?私が継続性と言っているのはまさにこの点です。方便とかいうレベル感のものではなく、顧客とのリレーションシップ・マネジメントの最たる課題ではないかと思いますが。


>> 継続性の名の下にレガシーシステムが生き残り、過去の蓄積が物言う世界を作り上げてしまっているのかなという印象を今回持ちました。もしそうなら、人員のバランスはとてもとれないだろうと推察します。思い切ってシステムを総取り替えするのも一つかと思いますが、悪夢の経験をお持ちですから経営陣は決断できないでしょうね。

流れとして、自らの経営資源を集中しない分野においては、関係会社も含めてシステム資産を持たない方向にはあるものの、総取替えといった、システム資産の巨額の償却を伴う話は収益面から言って非現実的な議論かと。それと1つ前の記述で「蛇足ながらパッケージ導入も一番大変なのはBPR等の業務プロセスの見直しにかかわる作業です」と書かせていただいておりますが、システムの更改は、ユーザー部門内での業務プロセス見直しの合意形成、意思決定、さらにはエンドユーザー研修等、ユーザー側の体力を非常に食うため、いっぺんに全てを変えるのはユーザー側のほうが体制的に持ちません。


>> 私の言っていることは、社内に擬似的に市場を作るか、同業他社とベンチマークするかがまずは必要ではないかと言うことです。多くの間接部門はこれが可能だと思いますよ。比較対象がないのであれば、少なくとも自分たちの仕事を他の部門にわかってもらう努力(情報発信)をし、「あいつら頑張ってるよね」という共感を地道に広げていくしかないんじゃないかなと思います。

異論なく、また日々やれることはやっていて、おかげさまでそれなりに存在感は示しています。それとシステム開発に関して言えば、ユーザー部門での要件定義を最上流工程とする生産活動につき、全体最適の観点からは上流の品質向上が全体の効率改善に大きく寄与するため、自分のところを含め上流工程の体制的なテコ入れを思案する次第です。
[649] うわー字が多い
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/10/10(Sun) 20:51:00
ここまで字が多いともはや読めない身となりました。

昨日は夜半まで停電。まっくらの中にいるのが嫌でデニーズに避難しに行ったら、
途中電柱がぽっきりと倒れてるし。

信号の止まった国道を走るなんて、なかなかの経験でした。

市域の3分の1くらいは停電しまして、市役所に被害状況と復旧の見込みを聞こうと電話をしたら、「うちも東電に問い合わせてるんですが、つながらなくてわからないんですよ」だって。うちらといっしょでした。
[648] 継続性とは
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/10(Sun) 13:41:11
ユーザーという言葉がわかりにくかったかもしれませんが、私の意味するユーザーは社内ユーザーを含めています。要は金を払う人がユーザーなのです。金を払わないユーザーはただ無責任に要求ばかりしますから、サービス対価として金を払わない人事部が定員を決めるなど私に言わせれば論外なのです。
勿論リストラの初期に部門一律で人員削減をするなどはそれなりに効果的ですから、状況に応じて使い分ける必要はありますが、これに味をしめて一律の人員削減を続ける場合があるのは問題かと思います。
上昇志向氏の議論で一番違和感を感じるのは「事業リスク」を氏の部門で負おうしているように聞こえるところです。氏が例示されているように最終的にはユーザー部門が喜んででも嫌々でも選択しているわけですから、それでいいじゃないと思ってしまうわけです。それを超えて氏の部門で事業部門のリスクを負うことなど無理なのではないでしょうか。
また、バックアップのとれない事業だってたくさんあると思いますよ。例えば、JR東海は東海道新幹線が崩壊したら事業体として成り立たないのではないでしょうか。しかも、バックアップはない。もう寿命だという見方もある中で、点検等に万全を期していかなければならないという意識は経営陣には強くあるのではないかと思います。しかし、だからといって無尽蔵に点検にコストをかけているわけではないでしょう。インフラの品質維持とそのためにかかるコストをどうバランスさせるかは常にJR東海の経営陣の第一テーマとして考えていると思いますよ。
私の言っていることは、社内に擬似的に市場を作るか、同業他社とベンチマークするかがまずは必要ではないかと言うことです。多くの間接部門はこれが可能だと思いますよ。比較対象がないのであれば、少なくとも自分たちの仕事を他の部門にわかってもらう努力(情報発信)をし、「あいつら頑張ってるよね」という共感を地道に広げていくしかないんじゃないかなと思います。単純に知らない部門については機械的な対応になっていくものです。わかってもらう一つの方法としては大言壮語して実行してみせるのも一つの方法かと。少なくとも注目は集めるでしょう。あとは経営陣の方針です。これがなければ話にならないんだけれど、方針があるのに(事業リスクを寛容しているのに)、事業リスクを盾に冗長性を主張するならば、受け入れられないのは当然でしょう。まあ、そんな方針もないんだろうから問題になっているとは思いますが、上昇志向氏が経営陣や社内ユーザーの立場に立ったときに、様々な制約条件の中で、主張されていることを受け入れられるかと言えばやっぱり増員は認めないのかなと思ってしまうのです。
継続性の議論は相変わらずですね。私が言っていることはそれもユーザーが判断することで、供給側がそれをアピールするのは自由としても、だから必要だというのは違うと思いますが。言われているようなことは私に言わせれば些末な問題で、ローソンがヤマトとの契約を断念した際に継続性など判断の片隅にもなかったのではと推測します。継続性に縛られれば氏の銀行も合併などできなかったでしょうし、支店コード・口座番号変更の必要もなかったでしょう。方便にしか聞こえません。
実際、企業として契約が継続していても、担当者は変わるわけです。そうすると今回の担当者はいいとか悪いとか言う話は当然出ますし、担当者間で全てが引き継ぎできるわけでもありません。担当者のばらつきが大きいと、担当者を固定化するようユーザーからの圧力が高まるわけですが、先方の担当者も変わるわけですし、担当者が変わる中で継続したサービスとはなんぞやと思ってしまいます。お手上げとは書きましたが、それでも様々な担当者が担当し、ファームとしてのサービス水準が理解されれば、そんなに切り替えられるもんじゃないですよ。我々のサービスは単価が高いし、事前にアウトプット水準を把握することが難しいので、過去の実績がものを言うわけです。新規取引を開始すること自体がクライアントの社内調整上大変なんですよ。担当者間の取引を会社対会社の関係に持って行くことは重要だと思いますが、継続性と簡単に括られるとどうかなと思います。
コールセンターなどでは不特定多数に対して均質な対応を目指しているかと思いますが、その代わり個別対応はできない。個別対応をしようとすれば、少なくとも案件ごとに担当者を固定化しなければ無理かと思います。その中間として顧客プロファイル等で担当者が変わっても過去の経緯がわかるようにしているわけですが、それでも、記入欄のない項目については通常引き継がれません。アカウントオープンの手間は違うにしても、担当者レベルでは新任担当者にユーザーは教育しなければならないわけです。宅配便で裏口から入るのか、どこに荷物が置いてあるのかなど顧客ごとにとても文書化してると思いませんし、そんな必要もないかと思います。
継続性の名の下にレガシーシステムが生き残り、過去の蓄積が物言う世界を作り上げてしまっているのかなという印象を今回持ちました。もしそうなら、人員のバランスはとてもとれないだろうと推察します。思い切ってシステムを総取り替えするのも一つかと思いますが、悪夢の経験をお持ちですから経営陣は決断できないでしょうね。
[647]  RE:話が噛み合わないですね
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/10(Sun) 12:01:09
>> 上昇志向氏の見方では全てに同等のバックアップが必要だと言ってるようにしか聞こえないですね。冗長性の定義も違うように思います。

「全てに同等の」というような非現実的なことを言うつもりは全くなく、目的とするのは状況に応じた信頼性の確保であり、その実現手段としての冗長性です。当然に求められる信頼性のレベル感は状況に応じ変わるものであり、絶対的な水準、絶対的な使命などもあろうはずもありません。

また冗長性により信頼性を確保する手法についても、コンピュータシステムにおいても1台に必ず1台バックアップ機がある場合から、データのバックアップだけで済ますレベルまで様々あり、組織というシステムもコンピューターシステムも考え方は同じ(質的な違いが認められない)と私は考えています。

「信頼性」の確保は「効率性」の追求とは技術的手法としてはトレードオフの関係にあり、同時実現と言っている場合も、基本的にはユーザーが支払を認める「コスト」との兼ね合いも含めたサービスレベルを満たす、ある判断基準の中での最適解として、折り合いをつけているものです。

その際に問題となるのは、ユーザーが「求める」「信頼性」のレベルと、それを実現するのにかかる「コスト」と、ユーザーが支払を認める「コスト」のギャップです。「信頼性」という要件は空気みたいなもので、信頼性は高くて当たり前というのが暗黙の前提になっていて、ユーザーが明示的に「求める」ことは少ない(ないと言ったほうがよいかもしれません)。システムの世界では「非機能要件」と呼ばれる領域で、ユーザーは自分のやりたいことを達成するのに必要なことを全て自分で認識しているわけではなく、「これをやりたい」と直接的に挙げる機能要件とは別に、そのシステム全体としてユーザーの目的を実現するために必要なものを明確にしてユーザーに意識させ、ユーザーとサービスレベルの合意を交わすことが重要とされるものです。例えば、

私:「システムが故障したときに復旧までどれくらいの時間猶予できる?」
ユーザー:「え!故障することなんかあるの?んーそれじゃ30分以内」
私:「じゃあこれだけお金かかるけどいい?」
ユーザー:「えー!そんなにかかるの!ほかのやり方ないの?」
私:「半日以内だったら、これ位のお金になるけど」
ユーザー:「しょうがないなあ、それだったらユーザー側も手でしのいで(渋々渋々)・・・」

基本的にユーザーは「コスト」を払うことにつき、価値を認めて「喜んで」払うことはない。いろいろなものを比較し、同じ価値を実現するのに一番コストの安い方法を見つけて、その方法を見つけたことに対し「喜んで」払うように思います。またえてしてありがちなのは、要求する価値と支払いうるコストと必要とするコストにものすごくギャップがあること。要求を明確にし、要求間でギャップがあることを明確にし、折り合いをつけ、関係者の合意形成を図っていくかが私のお仕事だったりします。要求する価値の実現手段についても当然に社内の資源だけではなく、社外の資源も探しながら検討することにもなります。今どき何でも内製するなんてことはあり得ませんし。(蛇足ながらパッケージ導入も一番大変なのはBPR等の業務プロセスの見直しにかかわる作業です。ユーザー部門内の合意形成、意思決定の支援などを当方が行ったりします)

部門の人員増の問題についても、行き着くところは、経営として要求する価値とコストのバランスをどうとるかです。それも私の所属する部門だけの話ではなく、会社を構成する様々な部署に対する経営として要求する価値とコストのバランスの総体の結果として、今々の状態がある。前にも書きましたが「人が足りない」状態なのは自分の部署に限った話ではない。コンサルティングファームでも同様かとは思いますが、単純に頭数が増えればよいというものでもないですし、技術の伝承による現有戦力のより一層の活用等、出来ることは絶えず行っていくしかない。それでも全体としてやりたいことと、やれることのギャップが大きく、そこは「捨てる」ものがまだまだ足りないのかなと思うところです。

>> 継続したサービスが必要というのも決めつけですよね。我々は人数で言えば中小企業ですから知識やスキルに関わる部分はある程度代替できますが、特に人間関係に関わる部分はまず代替できません。でも、我々は売上を諦めれば
いいわけですし、別のクライアントを開拓しようとするでしょう。クライアントもファームではなく私に頼んでいたのであれば、明日事故で死んでしまうかもしれませんし、それはそれでリスクな訳で、必要なら他のコンサルティングサービスを探すでしょう。例えば、コンサルティングの場合競合他社に転職することもありますが、その際にクライアントも一緒について行くことは当然あります。

コンサルティング会社が売上を諦めるのは勝手ですが、クライアント側から見ると、サービスが途切れてしまうと、コンサルティング会社をまた探さねばならない。候補先を比較検討し、決まれば決まったで、前のコンサルティング会社との間に出来ていた暗黙知も含む共通認識が失われた状態で、また1から新しく来た人に「会社の経営戦略は、強みは弱みは」などと説明しなければならないとなると結構なコストを要します。それはそのようなコンサルティング会社を一旦選択した時点でクライアントの自己責任でしょ、と言うのは簡単ですが、当事者としては結構しんどい話ですよね。継続取引の維持が双方にとってメリットあるサービスにおいては、継続性の維持は顧客から支持を得る重要なファクターになると思います。

>> ファームとしての対策は案件ごとに担当者を変えることなんです。まあ、これも冗長性といえば冗長性でしょうが、銀行も支店間をローテーションで回すのは不正防止のためですし、バックアップのためと言うよりは、別の目的で冗長性が結果として確保されていることはあるでしょう。ただ、それでも上の方は担当を固定化することで効率化も図っていますから、上が動いちゃうとちょっとお手上げの部分はあります。複数のパートナーで担当している場合もありますからその場合、そのリスクは低減されますが、全てのクライアントに対して行えばそれこそ効率が維持できませんから。

この「上が動いちゃうとちょっとお手上げ」の状態を極力なくすことが私が希求していることです。ごくごく普通の光景としてあちこちの部署で見られることが頭のいたいところです。
[646] 台風、北の方に来るなよ!
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/10/10(Sun) 03:11:30
小生が忙しかった間に、盛り上がっている(いた)じゃあありませんか。
面白そうなので、遅蒔きながらちょっと参入。

横で聞いていて、話は噛み合っていると思う。もちろん、両サイドの直面している事情や持ち合わせている経験・知識は異なっているという前提で、双方それを認識し(ようとし)つつ、議論になっているように読めます。

その上で一言。「各段階での認識のギャップ」はどこから来るのでしょうねぇ。
ついでに、各段階でのギャップはそれぞれどの程度のものなんでしょうか。
おまけに、どの程度まで改善可能なものなんですかね。(とりわけ、我々の個人的努力の範囲内で)

細部ではともかく、奇術師の言っていることも上昇志向氏が言っていることも概ね正しいと仮定して(少なくとも私はそう思いますが)重ね合わせてみると、両側から掘り始めたトンネルがどこまで掘っても出会わないように思いっきりすれ違っているのは、「ユーザーと市場」「市場とサプライヤー(この場合銀行ね)」、サプライヤー企業の中でも「市場と経営陣」「経営陣と人事などの企画部門」「企画部門と”現場”(の管理職?)」の間に、認知ギャップがあるからではないのかしらん。もちろん、単なる(容易に改善可能な)認知ギャップだけでなく、顕在化しないものはなかなか認知できない人間の性による部分も多いと思いますが。

 奇術師はそのギャップを主に「市場とサプライヤー(企業)」の段階に、公安氏や上昇志向氏はサプライヤー企業内部を主に想定されているようですね。


P.S.
>私のプロジェクトでは、スタッフは基本的に週末は休んでいますよ(諸悪の根源
>氏は意外でしょうが)。
ほっほっほっ。何をおっしゃいますやら。
もちろん、壊れない程度に計画的使用とメンテナンスに努めるのは当然ですね。
対象が、機械であれ人間であれ。
で、「牛馬は死なぬよう生きぬよう」とか言う言葉がありませんでしたっけ(笑)。
別の言い方をすれば、マルクスさんの言う資本家のように「労働者には再生産に必要な分だけ」分配されているのでしょうから、きっと「週末」に休ませることが必要なほどWeekdayにこき使っておられるのでしょう。
 ちなみに、奇術師の言う週末が実際どれだけ長いかについては、私は深く問いません(笑)。きっと、実際には24時間よりは長いのでしょう。人間に必要な睡眠時間を1日三時間として、故障に備えた冗長度も考慮すると、1週間分で・・・(以下略)。
[645] 暴風
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/09(Sat) 18:43:15
台風22号の暴風が、先ほどやっと収まりました。
16:30〜17:30頃は、公園の防球ネットや樹木が(誇張でなく)倒れんばかりの風。怖かったです。(横浜は最大瞬間風速39.9mだった由。)
今頃、千葉方面が同様の状況か。
皆様ご無事で。
[644] 噛み合っていると思う
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/09(Sat) 10:42:08
上昇志向氏と小生の考え方が概ね合っているとの前提ですが、相違はない(少ない)と思うのです。
奇術師氏のおっしゃる、
>なぜそれだけの増員(コスト増)が認められないかと言えば、つまりユーザーがその価値を理解できていないか、他の企業では同等と思われるサービスを同人数以下もしくは低賃金で行っているのではないですかと問いかけているのです。
>上昇志向氏は自らの達成しなければならない絶対的使命に対して冗長性が足りないと言われているのだと思いますが、そもそもその使命が過剰に設定されているかもしれません。そこに相対感があれば、まだ理解できますが、そうでなければ、仮にいくら正論であっても経営陣に耳を傾けられず、いずれ破綻し、ようやく経営陣も理解することになるのではと思うのです。
が多分、上昇志向氏と小生の考え方に一致していて、システムにせよバックオフィスにせよ、内部に代替部署はなし、外部調達の可能性もなく(システムは別儀らしいが)合理的比較の手法も知らず、ただ「人を減らせ」、なぜなら「コストセンターだから」というのが現実に近い。
まあ「破綻」の実例と言っても数年前のみずほ口座振替の程度だから(あれは規模・程度としては小さい)、吉野家の牛丼や奇術師の会社の属人的サービスと同様、新商品開発もマス個人向基本サービスも「できなきゃそれでいい(後でなんとかすればいい)」というものでは、実はあります。
「それではいかん」という上昇志向氏と、「そんなこと覚悟の上でしょ」という奇術師氏との議論なので、隔たりは少ないかと。
まあ、「一度途絶えたスキルの(厳密な)復活は不可能だから、構造的に伝承の手当を」という、職人的心情は、少なくとも小職にはありますが、奇術師氏的には無価値でしょうね。
[643] 話が噛み合わないですね
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/09(Sat) 02:33:04
上昇志向氏の見方では全てに同等のバックアップが必要だと言ってるようにしか聞こえないですね。冗長性の定義も違うように思います。
上昇志向氏の言う冗長性に価値があるならばユーザーが喜んでその金を払うでしょうと私は言っているつもりです。その中で冗長性が確保できないと言われているのは、現状日本人の人員ではそれだけの増員を認められそうにないと言われているのだと理解しています。なぜそれだけの増員(コスト増)が認められないかと言えば、つまりユーザーがその価値を理解できていないか、他の企業では同等と思われるサービスを同人数以下もしくは低賃金で行っているのではないですかと問いかけているのです。
上昇志向氏は自らの達成しなければならない絶対的使命に対して冗長性が足りないと言われているのだと思いますが、そもそもその使命が過剰に設定されているかもしれません。そこに相対感があれば、まだ理解できますが、そうでなければ、仮にいくら正論であっても経営陣に耳を傾けられず、いずれ破綻し、ようやく経営陣も理解することになるのではと思うのです。
部門としてサービスの安定性が必要というのはその通りだと思いますが、言われている一定の冗長性のレベル感がわかりませんので何とも言いようがありません。10人に対して1人必要といっているのか、100人に対して1人といっているのか、いずれも一定の冗長性でしょう。でもシステムの場合、通常1台に対し1台かと思うので(今はグリッドコンピューターなどでもう少し柔軟な対応ができるのもしれませんが)全然レベル感が違うように思います。
基本的に冗長性を排除しながら効率化を図っているのがほぼ全ての産業の構図ではないでしょうか。例えば吉野家は牛丼に特化したオペレーションを実現したから高収益を実現し、牛肉調達ができなくなったことでそのビジネスモデルが回らなくなったのです。急にいろいろなメニューを入れても今まで通りには行きませんから当然冗長性、おそらくはアルバイトの増員が行われたのではないかと推測します(まあ、売上が減少していますから増員は行われていないかもしれませんが、人件費比率は上昇しているはずです)。しかしながら、それを短期的には必要なこととして受け入れ、再度効率化を目指していると思います。私が問うているのは吉野家は増員できて(それだけが原因ではないにせよ、その結果のひとつとして赤字を受け入れているかと思いますが)、上昇志向氏の部門では増員できない、その根本的な差異がどこかにあるのではないですかということです。
一般的に効率を上げながら冗長性を確保する方法としてマニュアル化とか標準化、自動化、機械化といった手法が取られているかと思います。上昇志向氏の担当部署については全くその詳細を知りませんから的はずれを覚悟で言えば、どの程度市販のパッケージを使えるかによっても全体としての効率は変わってこようかと思います。その場合おそらく氏の部門の仕事も大きく変貌し、市販パッケージの検証と評価になるのかなとも思います。もう既に行われているのかもしれませんが。日本の自動車メーカーもソフト開発については独自路線を皆歩んでいたのですが、もはや増大する開発量に対し(開発量が増大するのは車の電子化よるソフトの複雑化と開発車種の増大の2つの要因ですが)効率化だけでは対応できないと共通化に乗り出しました。共通化すると言うことはその部分においては差別化競争をしないということです。一部で破綻らしきことはありましたが、それでも本格的に破綻する前に対策の必要性を認識し、それでも全体としての開発効率は高めようとしています。
中小企業における冗長性の状況については私より上昇志向氏の方が詳しいのではないでしょうか。中小企業こそ冗長性を確保する余裕などないというのが私の認識ですが、誤っていたら是非直してください。
継続したサービスが必要というのも決めつけですよね。我々は人数で言えば中小企業ですから知識やスキルに関わる部分はある程度代替できますが、特に人間関係に関わる部分はまず代替できません。でも、我々は売上を諦めればいいわけですし、別のクライアントを開拓しようとするでしょう。クライアントもファームではなく私に頼んでいたのであれば、明日事故で死んでしまうかもしれませんし、それはそれでリスクな訳で、必要なら他のコンサルティングサービスを探すでしょう。例えば、コンサルティングの場合競合他社に転職することもありますが、その際にクライアントも一緒について行くことは当然あります。ファームとしての対策は案件ごとに担当者を変えることなんです。まあ、これも冗長性といえば冗長性でしょうが、銀行も支店間をローテーションで回すのは不正防止のためですし、バックアップのためと言うよりは、別の目的で冗長性が結果として確保されていることはあるでしょう。ただ、それでも上の方は担当を固定化することで効率化も図っていますから、上が動いちゃうとちょっとお手上げの部分はあります。複数のパートナーで担当している場合もありますからその場合、そのリスクは低減されますが、全てのクライアントに対して行えばそれこそ効率が維持できませんから。まあ、こんな話をしても金融は違うの一言で片づけられそうですが。
結局上昇志向氏の言われるところの「事業リスク」はユーザー(バイヤー、経営陣)が評価し、その上で価値判断すべきことのように思うのですが、上昇志向氏が売上(利益)に関与できない立場で些か過剰に「事業リスク」に対応しているように見え、「事業リスク」に対する責任感は素晴らしいとは思うものの、そんなことやってたら体が持たないよねとも思うのです。
上昇志向氏の仕事はよくわかりませんが、絶対的なものなのかもしれません。私の場合、もっと柔らかいですから、事前に厳密なアウトプットを定義するのはきわめて難しいのが実情です。一つ一つオーダーメイドですし、手間暇もかかります。その上で収益を上げなければならないわけですが、スタッフを使い倒せば辞めてしまいますし、一緒に働いてくれる人もいなくなってしまいます。今はスタッフが売り切れ状態で新規案件も断ったりしています。実際のプロジェクトで私ができることは、できる限り値下げを抑えて必要なスタッフを投入すること、クライアントの期待値をマネージして顧客に必要なレベルで最低限に抑えること、その上で足りなければ自らの赤字として追加スタッフを投入し、スタッフを疲弊させないこと。まあ、いつもいつもうまくいっている訳じゃありませんが、私のプロジェクトでは、スタッフは基本的に週末は休んでいますよ(諸悪の根元氏は意外でしょうが)。でもそれは、上記のような裁量権があるからできることで、そこの自由度が奪われれば難しいですね。
[642]  RE:追加で
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/09(Sat) 00:18:57
>> システムの二重性の話と人員の冗長性の話は全く違うはずですし、私の理解では今までのポイントは人員の冗長性だったかと思います。

ある目的の継続的な実現を組織というシステムで達成しようとしている点で、機械であろうと人間であろうと冗長性の議論は変らないというのが私の認識です。経営能力のあった中小企業の社長が交通事故にあって亡くなってしまい、その会社が潰れてしまうというのはよくある話ですよね。

>> ただ信頼性が必要だから高いのではなく、異なる信頼性をユーザーが認識し、それに対して対価を払っているに過ぎません。信頼性が高いから高くて当然というのは全く市場を理解していない物言いと感じます。

先の文で「サービスを利用する側の事情次第ですが」と、利用する側が異なる信頼性を認識して利用する旨記述させていただいたつもりです。また高くてもよいとは一言も書いていません。「低コスト」だけではなく、と記述している趣旨がご理解いただけませんでしたか?

>> 今時メーカーで冗長性で品質や安定性を確保するところなんかありませんよ。申し訳ないけれど、それこそ「温い」のではないかと外野としては感じてしまうのです。

文意として、『メーカーで「人の」冗長性で品質や安定性を〜』と言っておられるという理解でよいですか?それは「全て」のメーカーに当てはまることでしょうか?数人規模の数の少ない中小企業にも当てはまりますか?

あるいは、サービス業で考えて見た場合、奇術師氏のいる会社は、奇術師氏が何らかの理由でいなくなったとき、同等のサービスの提供を組織として継続してできると断言できますか?サービス業の場合、ないし知識集約型の業務の場合、人そのもの自体が価値を生み出す「工場」ですよね。継続して同等のサービスを継続するには、組織というシステムとして、一定の冗長性を備えていることが必要だと思うのですがいかがでしょうか?

>> IYバンクが入るときに想定している金額ではシステムは堅牢ではないはずだとの指摘が散見されたかと思いますが、今のところ問題を起こしていないように思います。

パーソナルユースでは問題はないかと思います。ビジネスユースでIYバンクを決済口座に使っている企業はありますでしょうか?サービスを提供する側として経営者がどうとるかは勝手ですが、使う側としてビジネスユースではとりたくないリスクです。

>> 書かれている文からは市場の中で競争しているという臭いがしないことが私の最大の違和感なのです。

確かに私の文面は「市場の中での競争」という臭いはしないかもしれません。その一方、リスクを低減するための冗長性を「理想論」と言うのも、安定したサービスを提供するための「事業リスク」を負う泥臭さが感じられない第三者的な言葉で、違和感というよりは、私の心に響かないなあというのが正直な印象です。
[641] 追加で
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/08(Fri) 22:36:11
もう一つ付け加えるならば、今回の冗長性の話は今までの話をする変えているように感じます。システムの二重性の話と人員の冗長性の話は全く違うはずですし、私の理解では今までのポイントは人員の冗長性だったかと思います。
機械のラインナップの話も事例としては極めて不適切でしょう。ただ信頼性が必要だから高いのではなく、異なる信頼性をユーザーが認識し、それに対して対価を払っているに過ぎません。信頼性が高いから高くて当然というのは全く市場を理解していない物言いと感じます。例えば自動車部品は通常の民生品に比べてより高い信頼性が求められますが、意外と安いですよ。そこには厳しい市場にさらされているということと、それなりのボリュームがあるということの2つの要因によって成り立っています。IYバンクが入るときに想定している金額ではシステムは堅牢ではないはずだとの指摘が散見されたかと思いますが、今のところ問題を起こしていないように思います。近い将来問題を起こすのかもしれませんが、それこそ経営者としてどのようなリスクを取るかの問題だと思うのです。
[640] 繰り返しだけれど
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/08(Fri) 22:10:20
上昇志向氏の言うことは分かるんですけれども、結局のところ産業全体で破綻の方向に進んでいるのか、さもなければ、やはりそれなりに回しているところがあるのではなかろうかと推測するわけです。もし破綻の方向に進んでいるのであれば、ユーザーが価値を認識していないということか、いわゆる横並びの状況で手が付けられないかのいずれかでしょう。
もし回しているところがあるのであれば、それは競争力が劣っているということではないですか、もしくはそれを差別化要素として提案できていないのではないですかというのが私の基本的な認識です。
繰り返しになりますけれど、上昇志向氏や公安氏の日々直面する問題はそれなりに理解できているかと思いますが、書かれている文からは市場の中で競争しているという臭いがしないことが私の最大の違和感なのです。
金融機関は違うのかもしれませんが、今時メーカーで冗長性で品質や安定性を確保するところなんかありませんよ。申し訳ないけれど、それこそ「温い」のではないかと外野としては感じてしまうのです。
[639] 冗長性について
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/08(Fri) 21:02:22
>> そう考えたときに、冗長性が必要と言われても、理想論としてはわかるものの、それで競争力が上がるの?と問われたときに答を持ち合わせていられるのだろうかと甚だ疑問に思ったのです。

サービスの価値を決める要素は、「低コスト」だけではなく、「安定して」あるいは「継続的に」あるいは「必要なときに確実に」サービスを受けられる=「信頼性が高い」ことも重要な要素です。サービスを利用する側の事情次第ですが、安くても、都度都度で質がまちまちだったり、あるいは希望するタイミングで使えなければサービスとしての価値がない場合は多々あります。

金融機関の提供するサービスは、決済系の業務は言うに及ばず、上記のような「高信頼性」が必要とされるケースが多く、高信頼性を実現するオーソドックスな手段は二重化等による冗長性の確保です。

ある機械の故障発生率を r % (100時間のうちr時間は故障で止まっている)としたとき、信頼性は( 1 - r/100)ですが、機械が故障したときの予備機を用意しておくことにより、同時に2つの機械が故障する確率は (r/100)*(r/100)ですので、信頼性は(1−(r/100)*(r/100))となります。r = 10 だったとすると、機械1台であれば、信頼性は0.90 となるところ、二重化することにより、信頼性は0.99となります。止まっている時間は10分の1になる。

ちなみに、機械の商品ラインナップで、r = 10 と r = 1 の2つの機械があるとすると、r = 1の方の機械の方が圧倒的に価格が高いのが世の常です。電子部品で、民生用と軍需用ないし宇宙ロケット用の価格が全然違うのと同様です。高い機械1台よりも安い機械2台の組合せの方が価格的にも安くなったりしたりする。

なので「冗長性が必要」というのは、理想論ではなく、信頼性を実現する上では、現実的な解なのです。公安氏と私に共通するのは、その信頼性を維持することができない状態になっていることに対する危機感です。
[638] まさにその通りです
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/06(Wed) 22:33:15
上昇志向氏の書かれている通りです。内製部門であれば、市場並みのコストと品質が維持できれば充分かと個人的には思います。コミュニケーションコストなど考慮すればそれで充分におつりはくるはずです。
そう考えたときに、冗長性が必要と言われても、理想論としてはわかるものの、それで競争力が上がるの?と問われたときに答を持ち合わせていられるのだろうかと甚だ疑問に思ったのです。
社内間接部門のサービスに対し各ユーザー部門が名目上でも金を払って買う立場であるならば、市場並みのコストとサービスでなければ、外部を使うことになるでしょう。しかし、これはキャッシュアウトになりますから間接部門を保有する本社・本部の立場では好ましくないということになります。それで、本社費や本部費として一律数%のコスト負担をユーザー部門に強いる代償として、ユーザー部門が本社や本部の価値を理解できず、不満が絶えなかったり、諦めて何も期待しなかったり、逆に何でもかんでも要求したりといった不健全な関係が見られるように思います。その裏返しとしてユーザーの要求に何でも応えてしまう、応えようとしてしまうというのが入るでしょう。できないと言うのも勇気がいるでしょうが、やらないと言うのはもっと勇気がいるものです。何故なら、そこに判断が求められ、その判断の結果について責任が求められるからです。求められたことを求められた枠組みの中で解決できないときに、でもやるしかないよねと受け入れるのであれば、自らの不遇を嘆くのも当然かと思うのです。
ユーザー部門が間接部門の価値を正しく理解しなければ、適切な人員配置など望むべくもないでしょう。そのためには、間接部門が常に市場に照らして自らの位置を確認することが肝要ではないかと思うのです。因みにクライアントの工場が分社化されたのですが、期末に受注の偏るビジネスで夏に資金が足りなくなり、社長が全ての予定をキャンセルして親会社に頭を下げに行ったことがありました。社長はそれまで工場長だったので資金繰りのことなど考えたこともなかったんですよね。おそらくは財務部門の重要性をそのとき痛感したはずです。社内レートが高くても、自ら銀行に赴くことを考えれば安いと思ったのではないでしょうか。
公安氏の質問はちょっと漠然としていますが、抽象論で答えるならば、その部門は不要だったのではないかと。もしくは、身の丈を知らなかったのではと思いますが、違いますか。物流部門を分社化して他の企業からも仕事を取ってくることを目指すことが一時流行りましたが、ああ言う勘違いはよくあるんでしょうね。
[637] RE:それでは展望が拓けないのでは
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/06(Wed) 01:34:08
一般的な言葉の用法とは少し異なるかもしれませんが、プロフィット(利益)=売上−コストであり、プロフィットはコストの対置概念ではないと私は思います。コストの対置概念は売上かと。プロフィットをあげるためには、売上げを伸ばすか、コストを下げるか。プロフィットは結果に過ぎません。

そしてコストを投入するのは、ある価値を生み出すためのものです。その価値がコストを上回る市場評価を得る(売上げをあげる)ことができればプロフィットとなるし、かけたコストに見合う市場評価を得られなければロスになるし。

奇術師氏が例示されている消滅の憂き目を見るコストセンターというのは、そのかけているコストと生み出している価値とのバランスが市場において競争優位性を持ち得ない状況に他ならないのではないかと思います。内製するよりも外部の資源を利用した方が効率的であることの帰結として。

プロフィットとコストの二元論は、最初の式を書き換えて、売上=プロフィット+コストにしたときの右辺の項を取りざたしている印象があり、原因と結果を同一の範疇で議論しているような気がして私は違和感を感じます。コストの投入はかならず表裏一体の関係で程度の問題は別にして価値(付加価値ではなく売上の意)の創出があります。コストの投入は当然にそれが生み出す価値を意識しての投入となります。大言壮語するまでもなく、コストを投入する際には、そのもたらす価値を示しえねば、コスト投入につき社内で合意を得ることはできません。

以上のような文脈で見ていただくと、私が「自分のことをコストセンターと自認している」と言っていることは、実は奇術師氏が言っている「自らをプロフィットセンターと位置づける」ことと同義となるように思いますがいかがでしょう。

ライトパーソンの議論は、読み返してみて表現が不適切で不遜な議論をしとるなと思いつつ、正確にいうと、いろいろな業務につき、それぞれのライトパーソンが1人しかいないことが多いのが今の現状かと。純粋に無駄飯食らいの人ってなかなかおらず、みんなそれなりの役割を果たしています。誰一人として、現状の業務を維持するという前提にたてば、不要な人はあまりいない。そういった状態で人が足りない、冗長性が云々、というのは、業務の絞込みができていないことなのかなと今日はふと考えております。
[636] 「利益がすべて」「儲けてナンボ」であることは否定しない。
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/05(Tue) 23:28:29
「プロフィットセンター」イコール「善」、「コストセンター」イコール「悪」のようにも聞こえる論調に、少し危険なものを感じつつ…。
奇術師殿に質問です。世の中に(私の身近にも)「コストセンター自身がプロフィットセンターに変身しようと試みた結果、新たに取ってきた商売が不採算・不得意であり、同時に元来のプロフィットセンターに供給していた商売・サービスが割高になったり質が低下したりして、プロフィットセンター自身が内製化(内部にミニ・コストセンターを作る)したりして、結局コストセンターの目論見は破綻し、プロフィットセンターの利益も低下する」という実例が沢山ありますが、これらについて「戦術ミス」「両者を統合する機関の欠如」以外の説明を聞きたいのですが。
[635] それでは展望が拓けないのでは
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/05(Tue) 22:48:35
まさにコストセンターの回答で些かがっかりしてしまうのですが、帰結としてはスーパーマンである上昇志向氏が一人で全てをこなさない限り、氏の満足は永遠に得られないのではないかと危惧する次第です。最近は日本語という特殊要因も障壁としては低くなってきているので、ふと気づけば中国やインドにアウトソースした方が安いとの理由で部門(会社)そのものがなくなってしまうこともあり得るのではと想像を逞しくしてしまうのです。
自らをプロフィットセンターと位置づけるとはユーザーに対して積極的な付加価値を提供することで、自らの存在を不可欠なものにすることではなかろうかと思います。そのためにはユーザーに様々な便益を提案できる必要があるでしょう。安く提供できることは勿論重要ですが、そこで戦うべきではないでしょう。例えば、人員を倍増してくれれば、必要な窓口人員を半減してみせる、このシステムに投資してくれれば貸し倒れを1%減らしてみせるなどの提案が肝要かと思うのです。氏のような優秀な人材はそのような提案にこそ時間を使うべきかと。
しかし、大言壮語するのは勇気のいるものです。そこまでのリスクと責任を背負わないのであれば、組織の非合理さを嘆くに如くはないかと思います。
基準人員やライトパーソンの問題も同様です。人事部が決めている限り基本的には改善しないでしょう。でも、人事部の問題であれば嘆くだけで幾ばくかの心の平穏も得られるでしょう。
ライトパーソンがいなければ採用すればよいのです(市場にもいないときはありますが)。でも、仕事がなくなったときには自らの手で人員削減を行わなければならないでしょう。それがいやならスタッフを食わしていくだけの仕事を取ってこなければなりません。全ては選択の問題です。
大企業の組織がそう単純ではないことは重々承知していますが、いわゆるコストセンターと雖も、少しずつでもプロフィットセンター化して自立できなければ消滅の憂き目を免れないのではと、またそのような対応を拡大することによって少しずつでも氏の望む組織構築が可能になるのではなかろうかと思うのです。
[634] RE:ちょっと違和感も
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/05(Tue) 02:45:29
公安氏と私の傷の舐めあい談義状態だったので参加者が増えてうれしいです。
コストセンターにいる事を私は自認しておりますが、自らのコストと成果の説明に関しては、私の場合、実は結構シンプルでして、数字の符号を反転することで、自分の成果を利益として説明することができます。
すなわち、私が今やっているシステム開発であれば、従来と同じことを従来よりも少ないコストで出来るようになる、ないし、従来と同じコストでより多くのことができるようになることで、同じ売り上げでも利益が増えます。
システム開発コストを1億円削減することは、スプレッドが1%であれば、100億円の新規貸出による利益増に匹敵します。あるいは1億円の開発で、営業担当者200人の1日1時間の時間短縮に寄与できれば、差し引き1億円以上のコスト圧縮=利益増になります。そこは見方の問題かと。
公安氏と私の冗長性に関する傷の舐めあい談義のベースにあるのは、組織としていろいろやろうとしていることに対し、ライトパーソンがかなり限定されているところに起因しています。2:8の原則を地でいっているといいうか。私のいる銀行の場合、各部署には「基準人員」という人事部が定めた人数の定めがあり、要は、その人数で、部署に与えられた仕事をこなせという趣旨なのですが、笑うに笑えないのが、基準人員オーバーにもかかわらず、ライトパーソンが足りない状態の部署が結構あることです。そもそも基準人員の設定の仕方がおかしいとか、配属の仕方がおかしいとか、リストラ余地がまだあるのかとか、いろいろ意見はありますが、とにかく、ライトパーソンが限定されているのは事実。人事で動かすのもままならず、結果として冗長性のないリスクの高い状態になっていて、何とかせねばと日々思う次第なのであります。
[633] ちょっと違和感も
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/10/05(Tue) 00:18:55
一つ一つの文は裏付ける各人の経験もあり、尤もらしいのに、一連の文章としては違和感が拭えません。大企業における無力感等、私自身十分には理解していない点が多々あることを認めた上で、敢えて指摘すれば、皆さんコストセンターとしての発言に見受けられます。
財務分析上、非購買コスト+利益が付加価値とされているので、コストをかければ付加価値が出ていると誤解している人もいます。勿論皆さんがそうだとは思っていませんが、問題は利益が出せるかということではなかろうかと。利益がそれで出せるのであれば、冗長性も確保されるでしょうし、増員もされるでしょう。
ミドルマネジメントに求めるべきことではないとも思いますが、これからのミドルマネジメントは収益との関係性において自らのコストと成果を説明できる能力がより重要になってきているとも思うのです。
[632] RE:けだし名言
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/03(Sun) 19:50:21
>それにつけても、ある程度の冗長性(配員について)は常に必要だと思うのであります。

同感です。不測の事態が発生した場合への備えや、相互牽制による自浄作用、新たな環境の変化への対応等のために、「あそび」は必要ですよね。
[631] けだし名言
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/03(Sun) 10:15:21
>その昔35期のKFCのときOz氏が「計画的に失敗させることも必要」と言ったことを思い出しました。余裕とリスクの見切りが求められるので高度な技が必要ですね。
う〜む、さすがOz。「余裕とリスクの見切り」の表現も名言かと。ついでに対象者の能力(含むスピード)評価、常時の自己stand-byとか、昔のKFC・MFJCの方が昨今の大企業・官公庁より余程技術継承の体制が(無意識・本能にせよ)できていたのだなぁと感心します。
それにつけても、ある程度の冗長性(配員について)は常に必要だと思うのであります。
[630] とは言うものの
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/03(Sun) 09:46:36
> スキルは自得するか盗むもの。偶々「技術の伝承に時間を割く上司・先輩」があれば、それは全く「奇貨」と言うべきでしょう。

組織的な効率のことを考えると、若い衆がスキルを習得する際に、余計な回り道をしないで済むようにサポートする、メンターないしコーチの機能を果たす人が、組織に「偶々」いるのではなく、計画的に意識的に育ち、配置されるような有り様を目指したいと私は思ったりします。

ただその場合も、学ぶ人間の「自発性」、「主体性」、「自分の頭で考えること」が大前提。公安氏のあげる2パターンは、やむを得ず追い込まれた結果であるものの、まさにその点は充足しています。

また「余計な回り道」というのも、ものによっては、本人が自分の頭で「気づき」、ただの知識を自分の経験として血肉の通ったスキルにする上で必要なプロセスです。むしろ、そういったトライアンドエラー、非効率さを許容できる余裕が組織の側にあるかどうかといったことが問題なのかもしれません。

その昔35期のKFCのときOz氏が「計画的に失敗させることも必要」と言ったことを思い出しました。余裕とリスクの見切りが求められるので高度な技が必要ですね。
[629] RE:RE:高齢化
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/03(Sun) 00:00:59
>「会社に全く幻想は抱いていないがスキルを磨くチャンスも与えられない」と若い衆本人が思っているとしたら、「温い」の一言に尽きると思います。私は、ゆっくり鍛えてもらった記憶がない。
まったくもってその通り!スキルは自得するか盗むもの。偶々「技術の伝承に時間を割く上司・先輩」があれば、それは全く「奇貨」と言うべきでしょう。
「無能な上司・年長者を押しのけて自ら主導者と名乗り、それを全うする」か、「有能な先輩が異動・退職で去り、残された自分が余儀無く必死でその穴を埋める」か、スキル継承とは所詮この2パターンに尽きると感じる今日この頃です。
[628] RE:高齢化
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/10/02(Sat) 20:07:18
>> 会社に全く幻想は抱いていないがスキルを磨くチャンスも与えられない多くの若い衆

若い衆がそもそも「多く」はいないという問題は置いておいて、若い衆に仕事をうまく移譲できず、ミドルが背負い込んで大変になるのは、ミドルのマネジメントの問題ですね・・・

あと「会社に全く幻想は抱いていないがスキルを磨くチャンスも与えられない」と若い衆本人が思っているとしたら、「温い」の一言に尽きると思います。私は、ゆっくり鍛えてもらった記憶がない。

「階級の発生」の問題は、人材活用ないし再教育というテーマと、本人および全体のモチベーションへの影響を見ながらの冷徹な人事的対応をどうするかというテーマとして考えていくしかないのかなと思ったりします。
[627] 有能な労働者団結せよ
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/10/02(Sat) 13:48:39
ヒエラルキーの崩壊と言うより、むしろ階級の発生かと。
「仕事をしない者/能力のない者が(間接的にもせよ)仕事をしている者を搾取している」と言うべきでしょう。
[626] 高齢化
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/10/02(Sat) 13:29:23
いずこも同じ>上昇志向様
新規採用を絞ったことも、若い衆をゆっくり鍛えているヒマがないことも、
従来型の社内ヒエラルキーが崩壊していることも、多分その他モロモロの
ことも重なって、ジョブスキルが上がりまくった一部中年と早く定年した
方が本人のためにも周囲のためにも幸せな方々や会社に全く幻想は抱いて
いないがスキルを磨くチャンスも与えられない多くの若い衆に、職場は二
分されている。(関係先もそのように見受けられる)

「従来型の社内ヒエラルキーの崩壊」というのは、むきつけに言えば、
「仕事をすべき奴と実際に仕事をしている奴の分離」だな。
もし、この状況の”革命的用語表現”というものがあれば、
「最近、この職場は”民主化”している。職制、権限、責任の如何を問わず、
能力のあるものが仕事を行っている。」とでも言うのだろうが。
[625] 若い衆
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/30(Thu) 06:48:38
私のいる銀行はここ数年リストラで新規採用を絞っていたこともあり、いろいろな部署の人員構成が高齢化していびつになっている。私のいるチームも一番の若手が平成2年入社の後輩。その彼といつも「今みたいな仕事の仕方、5年先はできないよなあ」とぼやいて上席にも後継となりうる若い衆の人員補充を頼んでいた。ようやく念願かない1名補充してもらえそうな話の耳打ちあり。入社2年目とのこと。若すぎるような気もするが、贅沢も言ってはおられず、どんな人が来るのか楽しみにしている。
[624] 期末
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/28(Tue) 00:21:59
今日は朝から本店で打ち合わせだった。
不動産の営業セクションのフロアにも用があって行っていたのであるが、周囲の期末の慌しさに包まれる中で自分の中で少々違和感。営業部店にいたときは、9月の月末も押し迫るこの時期、半期の目標数字を仕上げるための追い込みと期末事務でバタバタしていたものですが、ここ数年、プロジェクトという半期半期のサイクルとは違う、1回限りの期日ありイベントを輻輳してこなしていて、少々自分の中の季節感が違ってきていることを感じたりした。
[623] RE:ぢごくとは
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/22(Wed) 00:58:06
>> 上昇志向氏、なんか抹香臭くありません?

ほほほ、公安氏や葉箸の御方は、先の話の出所はご存知ではありませんか?
大西村氏や氏の御令室が読んでいれば「相変わらず」と笑い転げているかもしれません。知っていると抹香臭さが気にならなくなるかと・・・
[622] ぢごくとは
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/09/21(Tue) 22:51:23
「長い箸でもモノは食える。自分は料理中、いつも菜箸でつまみ食いしてる」と、カミさんが威張っておりました…。
私にとって地獄とは、お皿の対面のメガネをかけた丸い男(ヒゲなんか生やしてたりする)が、他のご馳走を食べようとする私の口に無理やりポテトチップばかりぎゅうぎゅう押し込む、そういう景色です。
上昇志向氏、なんか抹香臭くありません?
[621] RE:愚痴など
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/20(Mon) 20:42:39
地獄には、料理が山盛りになった大きなお皿があります。その周りには長い箸を持った人間達がいます。我も我もと食べようとしますが、箸が長すぎて食べ物を口に入れることができません。おいしそうな料理を目の前にみな飢えに苦しんでいます。
天国には、料理が山盛りになった大きなお皿があります。その周りには長い箸を持った人間達がいます。長い箸を使ってお互い他の人の口元に食べ物を運んてあげるので、みんなおいしい料理をお腹いっぱい食べることができます。

現実に与えられた環境は同じ。問題はそれにいかに臨むかではないでしょうか。
[620] 愚痴など
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/09/19(Sun) 11:49:24
上昇志向氏へ。いつもながら暖かく見守って下さりありがとう。
内部管理(管理が自己目的化しつつあるが)に特化し達人と化しつつある自分をボヤいている訳で、手続の不備を口実に怠業するヤツに実質を強制し、不可能を承知で施行された条文は上手に「遵守しなかったとは言えない」状況に持って行き、という毎日は矢張り楽しくない。
先日、某金融機関に行って久々にスコラに近いことをやって来ました。論破しただけでは日頃のストレスを解消しきれず、ついでに悪口雑言を叩きつけてしまいました。某信託銀行の某さんごめんなさい。でも自分のチョンボを上司に隠していたアナタが悪いのよ。
そうそう最近、銀杏並木の模擬店の場所割り、みたいなことをやってます。当時と違うのは、勘定系LANや情報系LANの配線が入り乱れてる点、位かな。
[619] RE:9月にはなったけど
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/16(Thu) 02:00:58
今のオフィスの建物に着任して気がつくと7年。
その間、所属組織の名前は組織変更や一時的なPT発令で6回変わっているけどやっていることは変わってないですね。正確には守備範囲はどんどん広くなっていて、その上、毎年毎年、全力疾走の目標タイムのバーがどんどん引き上げられてしまっているところはありますが。
所属部門は所謂コストセンターだけど、同じことをやるコストをより抑制することにより結果として儲けに寄与しているとは思います。或いは余計なコストが発生することを未然に防ぐことにより収益に寄与するというか。
初めて融資をやったとき、当時のスプレッド環境で、1億円の貸金を焦げ付かせると100億円の貸金の粗利が吹っ飛ぶと教えられたものでした。100億円の貸出を行うのと1億円のコストを抑えるのとどっちが楽かというと結構微妙です。
また正論は遂行力を伴って初めて有効になると思います。少なくとも公安氏や私のいる環境は、実力行使する力を伴わない正論は押し通しえないというか人を動かす力を持ち得ないというか。また機を見て敏に裏道に逃げる余地がないとそれこそ片道切符の特攻隊のようなもので誰も賛同しついてくる人はいないかと思います。なので公安氏は私の観点からは結構素敵な気がします。
[618] 9月にはなったけど
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/09/11(Sat) 20:32:24
現部署着任丁度1年。
取敢えず全力疾走し続けているし、あと2〜3ヶ月は引続きその状態確定なんで、その点では欲求不満はないんですけど、全部「内向き」の仕事で、何の収益も産まない、ってのがちょっと、ね。
やっぱり儲けてなんぼ、なのであって、企業官僚制の中で正論の押し通し方と裏道の掘り抜き方が抜群、なんてのは、少しも素敵なことと思われない。自己嫌悪。
[617] 9月になりましたね
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/09/06(Mon) 23:33:41
皆様いかがお過ごしですか?暑い夏も峠を越し9月になりましたね。
子供の夏休みも終わり、我が家も通常モードに。私自身も8月は深夜のオリンピック中継を結構見たりして、あまり健康的とはいいがたい生活をしておりましたので生活を朝型に矯正中です。
[616] 別の炉型です
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/08/21(Sat) 15:34:47
いえ、うちの子供は「高速増殖型」。日本でいうともんじゅ、フランスだと
スーパーフェニックス。運転すればするほど、燃料が増えるやつね。
うちの子供と一緒に遊んでいた子供たちが「軽水炉型」。多分、気質から
すると2人が加圧水型、もう2人が沸騰水型かな。
うーん、どちらにしても我が家には再処理工場が必要だな。
(あと、放射性廃棄物処分場も。)
[615] おそれながら
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/08/16(Mon) 22:31:51
ご自身のご子息・ご令嬢が加圧水型または沸騰水型なのは遺伝なので余儀なしとして、他人様のお子様にまで「元気なもの=原子力駆動」とのレッテル貼りは、決して賞賛の表現でないこと、諫言申上げます。

内燃機関で動く通常型子供である我が子は、夏休みの宿題にウンウン唸りながら取り組んでおりまする。
[614] 夏休み真っ最中
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/08/15(Sun) 10:16:03
8/7から家族で東京方面へ片道24時間かけて遠征。秦野の友人宅(子供4人+その友達1人)に泊まり、我が家のチビどもとあわせて総勢7匹と海に行ったり、河原でバーベキューしたり。その後、子供たちを全部(−2歳児1匹)積んで札幌に帰って来て、プラム積みや釣り堀、巨大な公園で遊びまくる。
あと、2日したら我が家の子供を除いて、私が車で東京まで送っていくことになっている。
感想:とにかく子供たちは元気だ。きっと動力は原子力に違いない。
[613] 夏休みのご報告
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/08/07(Sat) 18:46:18
二泊三日の家族旅行に行ってきました。
一泊目は福島県の高湯温泉(磐梯吾妻スカイラインの北側入口)の「玉子湯」。露天風呂が秀逸。源泉かけ流し、温度調節なし。真っ白な硫黄泉、タオル・下着の硫黄臭がまだ取れない。食事も豪華、無名の宿だが(私が知らないだけ?)宿泊客の3〜4割がリピーターというのも頷ける。
二泊目は岩手県「小岩井農場内SLホテル」。寝台車輌を改造した2段ベッド、子供たち狂喜。風呂は狭いが、夕食のジンギスカン食べ放題はよしとしよう。(子供の夏休み自由研究課題が「畜産業」なのさ。)
帰路、仙台七夕祭り見学。県外車輌専用の無料駐車場ってのがいい。商売っ気の少ない(=店名の露出度の小さい)、お金より手間をかけた風の飾りが「金賞」だったりするのも好もしい。無名の店「小太郎」の牛タン定食が美味かったよ。
で、走行距離1,360`。JH東北支社企画の「南東北周遊券」のお蔭で高速料金も割安だったし。
以上、家族サービスと自身の骨休め報告でした。
[612]  RE:やった〜!1ヶ月間カキコなし!
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/08/02(Mon) 23:18:46
入社したときの会社が分かれたりくっついたりして、でもちょっと分かれている間に、分かれた相手は母体行のカルチャーに意外と侵食されて、またいっしょになるときは、「昔の恋人といっしょになるつもりだと痛い目にあうよ」なんて話もあったりして、事実そんなところもありながら、いっしょになってしばらくして、ごたごたしつつもまたお互い馴染んできて、なんて私のいる小さな銀行でもいろいろあるのを目にするにつけ、公安氏のところのようは大きな銀行同士がくっつくのは、業務、事務、システム、企業文化等々の融合を考えるだけで気が遠くなりそうですね。
ちなみに、しばらくの間は24時間使えるATMとそうでないATMの2本建になるのでしょうか。
[611] わたしのほうは
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/08/02(Mon) 21:28:40
先日3年ぶりに米国から帰ってきた弟分の友人と、桜姫東文章を見てきました。
もうすっかり足が遠のいてたんですが、ひさしぶりにお芝居をみるのは
シンプルに楽しかったです。

全くのノンポリだった彼、すっかりデモクラットになってました。
[610] 皆さんお忙しいんでしょう
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/08/02(Mon) 21:24:23
なんか、楽しそうですね。公安さんの銀行。いや、はたから見てるとだけだけど。

そうそう、さっきヤフーをあけたら、公安さんが前書いてたテキジョ(変換も
できないですよ)じゃないけど、全面的に口語にするんですってね。
木戸銭だの、僕婢(この婢も出なかった)だの、なんだかすごい大時代だったのね。

[609] やった〜!1ヶ月間カキコなし!
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/07/30(Fri) 07:40:51
暑中お見舞い申上げます。

ダイヤモンドに目がくらみあんな男のところに逝ってしまうのか
とか、
もしもし君たち帰りなさいと二人を引き裂く声がしたのよああん
とか、
勤務先はこんな状況ですが。
[608] 共通理解はないでしょうねえ
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/06/29(Tue) 23:48:07
たぶん、共通理解はないでしょうねえ。

それと、私は件の本を読んでなく、下の言葉もダンナのことばの
とおりでもなくて私の理解を通した言葉ですので、読んでみると
全く違う話かも知れませんね。

私はまだまだ読める時間(+そこまでの興味)ができないので、
いつか余裕ができたときに、楽しみにとっておこうと思います。
[607] やわらかな遺伝子
■ 投稿者:しまだ
■ 投稿日:104/06/27(Sun) 23:48:36
おせっかいですが、自分も興味があったので、奇術師さんが言及された
本の情報を記します。リンクにもあるとおり、amazon.co.jp での検索結果です。

書名:やわらかな遺伝子
著者:マット・リドレー (著), 中村 桂子 (翻訳), 斉藤 隆央
価格: ¥2,520 (税込)
出版社: 紀伊国屋書店
ISBN: 4314009616

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314009616/qid=1088347430/250-2703389-0158668
[606] 「遺伝学」への不信
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/06/27(Sun) 23:09:10
 こういう話に対しては、それこそ学生の時分から随分疑問を呈してきていると思うが、実に感心しないこと甚だしい。遺伝子もDNAも結構だが、要は此の種の話がどれほど評価できるかは、「性格」だの「気質」だの「能力」だのといった概念が我々の日常言語と生活世界に於いて、如何なる共通理解の下に置かれているか、という点について人類全般に関する普遍性の観点を踏まえて、どれだけ説得的な哲学的反省がなされているかという点に拠ると考えている。無論「公平な社会」の理念に於いても然り。また、少々踏み込んで言えば、「人格」としての人間が、客観的な「観察」や「理解」の対象となりうるかについても然り。更には、「人間にとっての環境の総体」というような操作概念についても然り。結局、T治の採り上げている書物についても、その点で説得力があるかどうかが主要論点であろうと思う。そうした点を含め、関心がないわけではないので、入手の必要上、是非其の著者名、出版社名、価格についてご教授願えれば有難いと思う。
 K瀬が言ったらしきことについても、上記の観点から落ち着いて考えてみれば、完全な循環論法になっていることがご理解いただけるのではないかと思う。要するに「平等な社会」という観念と、「遺伝子の形質」という観念とが循環定義に陥っているのだ。
 人間は、ままならない。後天的な操作によって意のままに人間を「改造」することができない反面、ある優れた資質を持っていると誰しもが感じる人物でも、状況次第では至って愚かな境地に陥る。結局、「遺伝学」なる「学問」は、そうした人間観以上の何物も表現していないのではないか、というのが取りあえずの私の仮説である。
[605] 生まれは育ちを通して
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/06/27(Sun) 20:14:06
ダンナに本の話をしたら(ダンナこのサイト見ないんで)、
「読んでる」「本もある」とのことで、
おおざっぱに話を聞きました。

私なりの理解で言うと、DNAにプログラムされた形質の
どれが発現するのかは、後天的な刺激により左右される、
という話しなんですね。

で、平等な社会で生まれが、というのは、平等な社会だと、
機会障壁がちいさい、即ち遺伝子の形質発現を阻むものが少ない。
なので、遺伝子の個体差がそのまま社会で目に見える差になって出る。
不平等な社会では、環境による機会の障壁の方が、遺伝子の形質差よりも
はるかに影響が甚大で、結果、「育ち(つまり機会の障壁が大きかったか
小さかったか」ががぜん大きなファクターになる、ってこと、
のようですね。かなりいいかげんな理解かも知れませんが。
なるほどな〜。そうかも。

-----------
昔NHKでやってた番組で、一卵性双生児の片方がヨーロッパ、片方が
韓国で育って、数年後に性格等を比較した、という話がありましたが。
性格(というか対人行動パターン)はかなり違っているのに、
失敗したときのふて腐れ方、身体的な癖、不快刺激への辛抱強さ(キレるまでの時間)、リスク許容度(心配性か、リスクのあることでも平気か)みたいな、気質に近い部分は共通していたという話があったのを覚えてますが。。
この本の話と矛盾なくつながる気がします。
[604] 平安京エイリアン
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/06/26(Sat) 19:52:09
懐かしいですね(^o^)/
[603] ごぶさたです
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/06/25(Fri) 13:39:43
ごぶさたしてます。

たもさん事業が順調で祝着です。
奇術師さんの言及した本、面白げですね。
とはいえ今は本を読むだけの気力体力共にないので、
いつか読めるときに、読んでみたいです。

>親は子供の性格の発達に対して何ら重要な長期的な影響を及ぼせないとか

私が何年も前から慣れ親しんできたAC理論、嗜癖・依存症の考えだと、
「世代間連鎖」(主に後天的な伝達)と呼んでるものが、
これだと全部遺伝になるのかな。
もちろん、アルコール依存だの、暴力嗜癖、爆発型の性格だのは、
かなり遺伝子的な決定がされてるそうだけど、
まあ、私は遺伝と環境は、どちらも性格形成の上で、
抜きがたいファクターだと思います。

>公平な社会では「生まれ」すなわち遺伝が強調され、不公平な社会では「育ち」が強調されるであるとかなどである

これはなかなか面白いですね。世間で言うのの逆ですね。
どういう展開をしてるのか、読みたくはありながら。
最近ほんとにパワーないです。
若い頃、体づくりをまるで無視した報いですね。
[602] 落選した
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/06/25(Fri) 01:45:08
タモイチの会社の株を買い付けようとしたが落選してしまった。残念ではあるが、それだけ引き合いのあった証左でもある。まずは、順調な出だしが予想され喜ばしい。

先週海外出張に休暇をくっつけ、東回りで世界一周をしてきた。海外に行くと飛行機の中で手持ちぶさたでもあるので、今まで読めなかった雑誌や本を読むのが常だが、今回も大分読み進めることができた。今回読んだ本に「やわらかな遺伝子」があるが、面白く一気に読み終えるとともに考えさせられた。原題は「nature via nurture」で「nature vs nurture」をもじったものである。「生まれか育ちか」という長年の論争に対し「生まれは育ちを通して」という、一見凡庸な主張なのであるが、科学的根拠を例示しながらの展開は説得力に富み、その示唆には深いものがある。
性格の基本は遺伝子によって決定されているが、最終的には家族を始めとする所属する集団において差別化が図られ性格が決定するであるとか、個性は素質を欲求で強化することによって生み出されるであるとか、親は子供の性格の発達に対して何ら重要な長期的な影響を及ぼせないとか、公平な社会では「生まれ」すなわち遺伝が強調され、不公平な社会では「育ち」が強調されるであるとかなどである。詳しくは読んでもらうしかないが、どちらかといえば環境論者であったが、考え直さざるを得ない。東大生の親の年収が上がっているのは、教育投資のできる家庭の子息が選抜されているのではなく、より公平な社会で競争優位の遺伝子が残された結果と捉えるべきのようである。私には子供がいないが、子供を持つ人々にとってはまた別の感想もあろう。お薦めの本である。
[601] 学園祭
■ 投稿者:K
■ 投稿日:104/06/25(Fri) 01:42:37
先日、長男(中2)の通う学校で学園祭があったので見に行ってみた。ウチの
息子はコンピューター部とやらに入っていて、どうもコンピューター上のシュ
ーティングゲームを学園祭用に作っていたらしい。そういえばしばらく前に、
秋葉原になんとかボードを買い出しに行くとか言っていたが、これの準備だった
のだろう。下の息子(小1)が、「お兄ちゃんのつくったゲーム、面白い」と
言っていたが、それを見ていて、はるか昔にTK80にRFコンバータをつないで
平安京エイリアン(って言ってわかる人います?)もどきを作った日々を思い
出した。

で、その息子はクラブと同時に、学園祭の「総務委員」というのをやっていた
らしい。総務委員というとなんかもっともらしいが、よく聞いてみると、要は
会場のゴミ箱のゴミを定期的に収集して回る清掃担当のことらしいが、学園祭
委員会の回覧(Allmightyみたいなもの)を見ると、「ごみ集めだけじゃ面白く
ない。クリエイティブな総務委員会を!」みたいなことが書いてあった。結局
どんなクリエイティブなことをしたのかは知らないが、二十数年前の自分と似た
ようなことを自分の息子がやっているというのは、ちょっと不思議な気がしたし、
確実に世代が交代しつつあるんだと感じた。

その日の晩、子供にそんな話をしていたら、上の娘(中1)いわく、「お父さん、
そりゃそうだよ。あやの(下の娘、1歳8ヶ月)なんか平成二桁なんだよ。お父さん
みたいな昭和時代の人とは世代が違うんだよ。」と言われてしまった。

何にせよ、あと8ヶ月で僕も不惑。まだまだ惑いは多いが、馬齢だけは重ねている
と感じるこのごろである。
[600]  Re:3歳児の日常
■ 投稿者:かつを
■ 投稿日:104/06/25(Fri) 01:19:27
レスありがとうです。>根源さん。
そうでしたか。なんか楽しそうですね、家庭って。
私はこのサイトにはまってしまいました。
「チョコおいしいよ」「がしゃぽんする?」「ヤクルトのむぅ」「ひゃぴよんっ!」などとひとりつぶやきながら、にやにやしています。(不気味だ)
[599] 団欒
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/06/20(Sun) 16:20:39
NHK教育テレビ「日本語で遊ぼ」の中の、神田山陽「しりとりすごろく」に関する、ケイスケの発言。
ケイスケ「おとといは、かわちおんど。きのうは、どんぐりのせいくらべ。きょうは、べんじょのなきどころ。」
両親「それは就職後にしろ。」

これもテレビ番組に関する会話。
私「全米オープンって、何チャンネルでやるの?」
妻「2ちゃんねる。」
[598]  RE:3歳児の日常
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/06/18(Fri) 23:54:46
ええ、こんなもんです。普通、子供には「加速装置」がついています。
ついでに親父のリアクションも(SM氏とか一部の方々を除けば)ほぼ同じです。
口と態度に出すかどうかに個人差があるだけで・・・。
ちなみに0歳児や1歳児の日常はこれほど面白くありません。面白いのは、
やはり2歳児の日常から5歳児の日常くらいまででしょうか。

7歳児くらいになると、だんだん元気とか食気とかが衰えつつある親たちを上回る
(というか別次元に突入しつつある)ので、こういう面白さというよりは、自分の
”若い頃”を思い出すことの方が多くなります。
[597] 3歳児の日常
■ 投稿者:かつを
■ 投稿日:104/06/15(Tue) 02:29:48
こんなんがありました。
http://flash2chjp.hp.infoseek.co.jp/index.html
3歳児ってこんな感じなんですか?
[596] お砂場遊び
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/06/08(Tue) 01:03:11
先週の土曜、かみさんと息子がお出かけしていて、私は下の娘と近くの公園に行ってお砂場で遊んだ。
山を作ってトンネルを掘ろうとしたのだが、折りしも好天続きで砂場の砂はさらさら。トンネルができる状態ではない。そこで水を汲んできて、しっかりしたお団子ができる位に砂を湿らし、一度落盤事故も起きたりしたが、結構気合を入れたこともあり、ついにはお山とトンネルが完成。青函トンネルではないが、自分と娘とでそれぞれ反対側から掘り進め貫通、地中で握手をしたときは、結構達成感があった。
娘も結構このお山とトンネルが気に入ったみたいで、問題はこの後。ひとしきり遊んだ後に「さあおうちへそろそろ帰ろう」と私が言うと「いやだ」とごね始めた。「どうしたの?」と聞くと「お山、おうちにもって帰りたい」と言い出して聞かない。「無理だよ」と言うともう大泣きになってしまった。
正直困りはててしまい「また今度いっしょに作ろう」とかなんとかなだめすかすも、なかなか「もって帰れない」ということを受入れられず、しばし大泣きに付き合っていた。
ようやく気持ちも落ち着いてきて「今度また作ろうね」とお山を後に置いていく気持ちの受入ができたようであったが、代わりに何か家に持って帰りたくなって餌食になったのがアリさん。私もつきあうこととなったが約20匹あまりのアリさんが拉致され、我が家で今ペットボトル暮らしになっている。
土曜の午後の出来事でした。
[595] タモイチに会いました
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/06/02(Wed) 21:42:33
O野は元気そうでしたよ。下関の生活も楽しんでいるようで、多分バイタリティという面では私などよりよほど元気な印象を受けました。私はちょっと飲み過ぎ、途中で帰ってしまったので、他の方の話も聞いてください。

ところで、昨日聞きたいこともあり、久しぶりにタモイチに会いました。いつの間にか副社長に「降格」していたので、どうしたのかと思ったら、昨日マザーズの上場が決まったそうです。自分で会社を始め、上場までこぎ着けたことは決して楽なことではなかったろうと推察するにあまりあり、心からおめでとうという気持ちです。未公開株を譲渡してくれなかったのは残念至極ですが、友人の会社が上場することの嬉しさと、幾ばくかの応援ができればと新規公開株は買おうと思っています。

知らなかったけれど、いつの間にか諸悪の根元氏の実家の近くにオフィスを構えていたんだね。近く霞ヶ関ビルに移る予定もあるそうです。
ますます発展してくれれば嬉しいものです。
[594]  RE:余り意味はなさそうだが、急告
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/06/01(Tue) 06:53:52
お誘いをかけていただいたのに所用でいくことができず残念でした。
O野は元気にしていましたか?
[593] 余り意味はなさそうだが、急告
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/05/30(Sun) 10:12:40
 今晩18時、奥野と新宿紀伊国屋本店前で待ち合わせをしている。出張の帰りに東京によるとのことなので、合流なさりたい方はどうぞ、である。事前に御一報いただければありがたいが、私も連絡がつくとは限らないので、現地直接でも構わない。ということで。
[592] たまご
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/05/29(Sat) 16:41:12
ケイスケが台所で卵を割った。カミさんを手伝おうとしたのではなく、遊び・悪戯でもなさそうだが、彼は言語で説明できない。
何気なく幼稚園から借りてきた本(一泊で貸してくれる)をパラパラめくっていたら、ほうれん草マンに追われる怪傑ゾロリが盗んだ卵からヒヨコが産まれて逃げてしまう場面があり、カミさんと二人で手を打って「これだ」と得心がいった次第。ヒヨコになれなかった卵は今日の昼飯のホットケーキになりました。
タケアキの運動会は来週。80m走は足の遅い子の組なので着順が期待されますが、天気が心配。上昇志向殿、本日ハ晴天也でよかったですね。
[591] 運動会
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/29(Sat) 16:17:34
今日は上の男の子の小学校の運動会だった。
これまで行った運動会の中で一番、友達の中で生き生きとしているところを見ることができ夫婦ともども喜んでいた。競技の方は障害物競走3位を目標にしていたが、果たして5位。ゴールに入ったときはとても悔しそうな顔をしていた。表現体操はモーニング娘。のバックコーラスの振り付けをした人が考えてくれたそうで、ボックスステップもあり、見ていて面白かった。
3年生にもなるとかなり一丁前になってきているように思う。
[590] 血糖値低下?
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/24(Mon) 23:43:25
先週より1日に飲むジュースは1本ということにしている。
特に健康診断で悪い結果がでたわけではないのだが、かねてより私がジュースの類を飲みすぎとのかみさんより指摘があり、1日1本までとの約束をかみさんとするに至った。それまで1日3〜4本はコーラだの「がぶ飲みコーヒー」だのお砂糖のたくさん入ってそうな飲料を飲んでいたのだが、とりあえず朝出社したときの「がぶ飲みコーヒー」に限定し、残りはお茶とした。果たして夕方から夜にかけてとてもお腹がすくようになった。これはやはりジュースで糖分を補っていたということなのであろうか。
[589] UFJ、信託銀行売却
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/20(Thu) 07:16:16
おお、そういう手があったか、とちょっと驚きです。結構安く買い叩かれているような気もしますが。
私のいるグループにも売却打診はあったのかもしれないなと推測しつつ、社風が全然ちがう銀行なので、そうなっていたら大変だったろうなと思ったりします。商売的には狙い目ですが、本件統合がらみのシステム対応がまた発生しますね・・・
[588] 引用の消し漏れ
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/17(Mon) 23:08:58
私の発言[587]は、公安氏の引用を消しもれているところがあり申し訳ありません。余計なところは読み捨てて下さい。
[587]  RE:早寝早起その2
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/17(Mon) 23:05:38
>>「22時以降の時間外労働に対する締付け強化」を「労働者に対する締付け」で「良くないニュース」と表現されている(みたいに見える)のが、いかにも上昇志向殿らいいですね。(既に「被用者」でなく「使用者」ということか。)

私もまだ被用者で使用者じゃないですねえ(笑)

仕事の受注残が減らないで規制だけ厳しくなると、仕事の持ち帰りが発生したり、退社時間を正しく書かない等の歪がでたりしてよくないと私は思っています。寝てないのが偉い、といったような価値観ではなく、主体的にやっている人間に余計な負荷がかかるのがよくないというか。私はともかく、主体的にやっている人間に支えられて何とか業務が回っている光景をあちこちで見るにつけ、何とかしたいなと思ったりします。都市銀行のような人海戦術のきかない銀行なもので・・・

一見迂遠なのだけど、人の育成というのが自分が楽になるためには一番早いのかなとも思ったりしている今日この頃です。言うのは簡単なのですが。





>>弊社は“幸いなことに”数年前から20時以降の締付けが(ハードウェアに担保されて)強化され、ために小生は「二人の子供を風呂に入れるお父さん」という役目を、ほぼ果たしつつあります。
早起きについて申せば、混雑する寸前の電車に乗ることが結果として早起き=早朝出勤となり、部下・他部室のカウンターパートより「1時間前を走る」ことを享受しています。
前の晩やりかけの仕事を翌朝見直すとほぼ必ず修正または推敲ができるという下らないことに、この年で気付いたりもします。
[586] 早寝早起その2
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/05/16(Sun) 18:12:42
「22時以降の時間外労働に対する締付け強化」を「労働者に対する締付け」で「良くないニュース」と表現されている(みたいに見える)のが、いかにも上昇志向殿らいいですね。(既に「被用者」でなく「使用者」ということか。)20年前の「前晩寝てない方が偉い」の価値観健在、と感じました。
弊社は“幸いなことに”数年前から20時以降の締付けが(ハードウェアに担保されて)強化され、ために小生は「二人の子供を風呂に入れるお父さん」という役目を、ほぼ果たしつつあります。
早起きについて申せば、混雑する寸前の電車に乗ることが結果として早起き=早朝出勤となり、部下・他部室のカウンターパートより「1時間前を走る」ことを享受しています。
前の晩やりかけの仕事を翌朝見直すとほぼ必ず修正または推敲ができるという下らないことに、この年で気付いたりもします。
[585] 議員の年金未納
■ 投稿者:大西村
■ 投稿日:104/05/13(Thu) 12:21:43
 国会議員の年金保険料未納が問題になっていますね。
 大臣になった場合は、医療保険は国家公務員共済になり、年金は国民年金のままという制度になっているところ、国民健康保険の保険証を市役所に返しに行ったときに、一緒に国民年金も脱退してしまった、というケースが多いようです。
 国家公務員共済法72条2項に書かれていて、大臣である期間は短いので、長期給付(年金)の方は短い加入に応じた少額の年金になることを避けるために国共済適用にはしない、ということのようですが、私も今回話題になって初めて知りました。
 私のような立場の人間も知らないようなきわめて特殊な人たちの話ですから、市役所のミスもあったでしょうし、大臣であった期間だけ未加入だった菅さんのようなケースは同情の余地があるように思います。きわめて特別な人の話で、「年金の一元化」とは関係ない話のように思いますし。
 大臣であった期間以外に20年近くも未納があったような国会議員は、全く同情の余地はないように思いますが、こういう人たちは請求に対してどのように対応していたのでしょうね。
 いずれにせよ、日本社会特有の「魔女狩り」(非国民呼ばわり)の状況になっていて、これがなんとなく「年金の一元化」(何のためにどのようにすることなのかわかっている人がどのくらいいるのだろうか?)につながり、与野党対立につながっている状況を見ながら、政治の怖さと貧しさを感じます。
[584] 早寝早起き
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/05/12(Wed) 23:17:01
昨今22時以降の時間外に対する締め付けが非常に厳しくなってきてた。
慢性的な長時間労働については、私としては主体的にやっているので別に労基署に駆け込むつもりもないのではあるが、世の情勢はいかんともしがたい。
電算センター勤務だとIDカードで入退館が正確に記録されるため誤魔化しようもなく、書類だけ偽ろうものならそれこそ偉い人の書類送検モノである。
日が長くなってきて外が明るくなるのが早くなったこともあり、今日で2日目だが早寝早起きにシフトすべくトライ中である。
ちょっと病んでいるかなやっぱり。
[583] それじゃ猫っすよ
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/05/11(Tue) 22:02:04
確かに根源さんの所は、窓を開けたら清冽な空気がわんさか
入ってくる環境ですね〜。
近隣山だらけだし。いいなあ。
うちは案外ダメです。
ベランダで深呼吸すると肺の中に排気ガスがまじるし。
でもでも今は、町中歩いても、若葉のにおいが漂ってきます。
すごく木が力強い感じ。

こんな時期に生まれたんだなあ、と。
そうそう、わし40歳になりました。
根源さんもにゃあもそれぞれ誕生日でしたね。

[582] 縁の下かと思った・・・
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/05/09(Sun) 22:56:22
まぅのことだから、「縁の下」で読書といっても格別驚く
ことでもないかと思ったら、「緑」の下だったんですね。

西新橋を前提に考えると、緑の下=排気ガスと光化学スモ
ッグと杉花粉の嵐だし、こっち(札幌とは名ばかりの田舎)
では、家の窓を開ければ高原の空気が流れ込むし、家の前は
公園だし、どちらにしても「緑の下」を意識しない生活な
ので、思わず読み間違えてしまいました。

 それとも、まぅの昔のイメージが強烈すぎるからだろうか?
[581] レースかと思った
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/05/08(Sat) 01:48:31
最近堅い話はまったくダメになりました。

おばあさま、ご愁傷様です。が、大往生ですね。
そうありたいもんです。

今日、ふと思い立って緑の下で読書なんぞしてました。
夜は夜で、どこかの家の庭の木から、新芽独特の香りがしてるし。
こういう季節をあと何回楽しめるかと思うと、もう数えるほどしか
ないんですよね。
20回、30回。せいぜい40回(あるかなあ、ちょっと無理っぽい)。
人の命って短いですね。



[580] 忌中
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/05/04(Tue) 15:41:05
「ふそうのリコール問題の自動車工業に対する経済的インパクトは吸収可能」「リコール問題はダイムラーにとって判断の大きな要点ではなく、著しく価値が低下したとは考えられていないと推察」だけで、弊疑問に対する充分な回答になってます。どうもありがとう。(どのような傍証からそう言えるのか興味が残りますが。)
因みに「エンジニアの良心」とは内部告発を指しているのではなく、それ以前の段階を言ったつもりです。
「6日目、神はすべてをご自身でお作りになるのは無理だと気付かれた。そこで7日目、神はエンジニアを創造された」という昔聞いたジョークに、エンジニアが自らをどう考えているかの一端が表されていると思うのですが、そういう人たちは製品化や破断原因究明の時に何をしていたか、みたいな話です。
昨日、再び「戸田」に行って来ました。子供と水遊びをしたかったのが、生憎の雨模様の天気で、空しく霧の伊豆スカイラインを走り回っただけに終わりました。
帰宅したところで、福島県在住の祖母の訃報に接しました。享年九十四。通夜・告別式はごく内々で済ませるので孫は来なくてよい、とのこと。
[579] 論点がずれていくんだけど
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/05/02(Sun) 14:14:48
リコール隠しと資金の追加投入取りやめの因果関係については端的な事象を以て否定したつもりです。それでも尚、食い下がられる点については7000億円と報道されていた追加資金の用途計画を見てみなければわかりませんが、この規模の資金計画を練っていたのであれば、今回のふそうのリコール問題の三菱自動車工業に対する経済的インパクトは吸収可能であったと推察します。
従って、今回のリコール問題はダイムラーにとって判断の大きな要点ではなく、著しく価値が低下したとは考えられていないと推察します。蛇足ながら、乗用車のリコール問題の後にダイムラーが出資をし、ダイムラーのQuality Gate Systemを導入したから品質はもう大丈夫とTVCFまでさんざん流してきたのはご承知の通りです。個人的にはピントがずれていると思いましたが。
問題は北米の不振と新車不足で、ダイムラー主導で再建に取り組んでから3年が経過する中、ダイムラーが三菱自動車工業の価値自体を云々する立場にはないでしょう。遡って三菱自動車の価値がなかったとするならば、全てはダイムラーの問題であるはずです。従って、今回当然シュレンプも更迭されると思いましたが、そうならずびっくりしたというのが正直なところです。
もともと利用価値があったか否かについては結果論でしかあり得ません。個人的にはここまでひどくはならずに済んだと思っていますが、再建できたであろうと確証を持って言うことはできません。ただ、ダイムラーはうまく活用できなかったとは結論づけられるでしょう。
いずれにしても、ふそうのリコール問題が追加資金投入可否の検討に際し考慮されたか否かを以て、公安が何を言わんとしているのかわかりかねます。だからどうした、という感じですね。
新たに提示された「エンジニアの良心」ですが、内部告発を指しているなら
別にエンジニアに限る必要はないかと思います。事実に忠実に真相を突き止める姿勢であるならば、報道によれば、そのような報告がなされていたとのことですから、「エンジニアの良心」の欠如などを議論する必要性も感じません。唯一あるとすれば実車試験を行っていなかったことでしょうか。この点については「エンジニアの良心」の欠如が言われても仕方ないかもしれません。
全般的に不適切な事例の不適切な解釈で議論が進められることに違和感を覚えたまでです。
[578] 他人事ではある
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/05/01(Sat) 17:18:48
う〜む。なにやら批判(非難?)されているようではあるが…。
ダイムラーが自動車工業を「支援したかったのではなく利用したかった」の部分には何の異議もないが(支援したがっているのは○菱グループだけでしょ)。
利用価値が「もともとなかった」(←ありそうな話)のか、今般の事態で「著しく価値が低下した」か、程度のお話です。
ま、以前の上司が昨日の株主総会で議長やってたこと等もあって「野次馬」的に関心を寄せているのも否定しませんが。
個人的には「エンジニアの良心」に、理系の人が反応して欲しいな、っと。(文系の人間が理系に対して抱く幻想?)
[577] なんか違うと思うけど
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/05/01(Sat) 14:08:28
公安が典型的な一般の人もしくは三菱グループの人の疑問を提示しているのかどうかわからないけど、ちょっと偏っているんじゃないのと感じているわけです。週刊誌の野次馬的見方としてはともかく、民間企業でそれなりの役割を果たしている人物の見方としてはあまりに情けないものを感じているのは私だけでしょうか。
はっきり言って公安が挙げてくれた支援打ち切りの理由は6つとも全てピントはずれだと思うけど。別にダイムラーは三菱を支援したかったのではなく、自らの利益を極大化するために三菱が必要だとシュレンプが考え、拡大路線を推し進めてきたわけで、それを正当化するだけの論拠を監査役会に提示できなかっただけだと思いますが。
[576] くゎいせつ
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/05/01(Sat) 13:32:18
いつもながらの言葉足らずでごめんなさいね。
支援打切りの理由として当然挙がるであろう、
@売れ筋のクルマがない、
A開発の素地または能力に欠ける、
B乗用車のリコール隠しによりイメージが悪い、
の他に、今般の大型車部品・構造問題により、
C自動車工業の民事&刑事責任が問われることにより、
 1)賠償という少なからぬ出費がある、
 2)国土交通省当局の覚えが悪い(行政に冷遇される)、
 3)社内の枢要の者が刑事罰を食らう(長期の地方出張とか)、
Dこの会社には「エンジニアの良心がない」と思い、傘下に入れたくなくなった、
E「また三菱が」と、ブランドイメージが地に落ちた(イコール更に売れなくなる、イコール再建が更に困難になった)、
てなとこではないか、と。
この内、Eはオボロゲながら奇術師殿も想定されているようですが、CとDはドイツで検討した時の論点に挙がったかしら、という意味です。
[575] よくわからないけど
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/05/01(Sat) 00:23:00
公安のポイントはリコール隠しと支援取りやめの因果関係なんじゃないの。
違ったらごめんなさい。
[574] 法人格
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/30(Fri) 07:52:21
およ。
○動車工業と○そうトラック・バスが分社したのは2003年1月。
問題部分の設計製造及び非破壊試験を行(わなか)った時点、および横浜市での死傷事故(2002年1月)及び当局に事故原因の報告を行(わなか)った時点が分社以前なので、自○車工業も当事者として法的(刑事・民事)責任を免れない可能性がある。
またそれ以前の乗用車関係の所謂「リコール隠し」から引続いて、自動○工業グループ(そんなグループはないが?)内にかかる体質が脈々としてあるとの見方もあり得なくない。
というご説明をしなかったのは、不親切で言葉足らず、でしたかしら。
[573] でも関係ないんじゃないの
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:104/04/29(Thu) 23:34:04
世の中一般のとらえ方として三菱グループ企業の株価が下がったわけだから、関連づけるのもわからないではないけれど、今回の不祥事の当事者であるふそうは子会社化して維持するんだから、関係ないと読み解くのが普通だとは思うけど。まあ、公安のように三菱自動車工業とふそうの区別がついていない人がほとんどだろうから、一部報道でそういう視点で書き立てるところがあってもいいかもね。
[572] 冗談ということで・・・
■ 投稿者:公共放送職員
■ 投稿日:104/04/28(Wed) 09:47:07
寝不足の中年が見た「夢」か、
ぼけた頭から出てきた「悪い冗談」だった、
ということにでも、
しておいていただいたほうがよろしいでしょうか。


みな、がんばってるんですけどね。
ルールと方向が間違ってるんですよね。

バナナは南の国にいけば、
「育てなくても、その辺にある」のに、
南の国から持ってきたいなどと言えば
「ばかやろう、なに言ってるんだ!!
 お前は北海道の農家だろう、
 北海道でバナナ育ててみろ!!」
みたいな世界ですからね。
[571] あなや
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/27(Tue) 23:05:33
あう〜、なんか傷口に触れたようで。
ごめんなさい、どうぞお気になさらず、心安らかにお過ごし下さい。

ですけど、もし本当の話なら「受信料返せ」ぐらい申上げても構わないと思わせる、そんな内容です。小生は少なからず驚きました。
[570] 冗談のような話
■ 投稿者:公共放送職員
■ 投稿日:104/04/27(Tue) 11:56:43
すみません。
「売り上げ」も「コスト」も「利益」もない世界に長く暮らして、
朝9時からの日勤、そのまま泊まり勤務、
翌日は、またそのまま、夜まで勤務、の三十数時間連続勤務を
今月は、6回もやっていると、少々おかしくなっています。

異常な世界にいる、異常な人間の繰言と、軽く聞き流してください。
ストレスと、不満がたまりにたまって、以下のような
わけのわからんことを、また、書きなぐります。
すみません。


>「隠蔽が支援打切り判断の要素であったかなかったか」の
 『取材はされているのか』

冗談にしか聞こえないと思いますが、
「三菱」の「事故隠蔽」と
「MMC」への「支援打ち切り」を
関連付けて考えていた記者は、
「ごくごく一握りの優秀な記者」だけでしょう。

冗談にしか聞こえないでしょうが、
「神奈川県警が捜査対象としている三菱」と
「ダイムラークライスラーが支援するMMC」は
日本のマスコミの記者にとっては、
「まったく別物」なのです。

神奈川県警の記者クラブと
国土交通省の記者クラブにいる社会部の記者で、
「三菱の事故隠蔽」を取材していた、という記者に、
「ダイムラーの件」は「知っているか」と聞けば、
答えは、
「知らない」、と「それは、経済部の話でしょう」というものが
帰ってくるとでしょう。

いわゆる経団連グループの自動車クラブ担当の経済部記者と、
フランクフルトにいる「経済部出身の特派員」に
「三菱の事故隠蔽」を聞けば、
「それは社会部でしょ、私は取材してません」と
答えるはずです。

これも冗談に聞こえるかもしれませんが、
警視庁など捜査当局が捜査している問題(三菱の事故隠蔽)を
「担当ではない、経済部の記者」が取材することは「許されない」のです。
本当のことです。

冗談のようですが、
「記者クラブが違えば、取材はできない」と
思っている記者がほとんどです。

なにをアホラシイコトを書いているのかと思われるでしょう。

洗剤を何箱くれるか、で新聞を選んでいる
国民が多い、日本のマスコミでは、
「まったく、冗談にしか聞こえないかもしれませんが」
報道のレベルはこんなものです。

冗談にしか聞こえないかもしれませんが、
かつて、
細川内閣が国民福祉税構想を突然、記者会見で発表したとき、
某社の首相官邸記者クラブのキャップは、
「直接税」と「間接税」の違いが分かっていませんでした。

閣議のため、官邸に集まった大臣を追っかけて、
官邸記者クラブにいた経済部の記者から簡単な解説を聞いて、
「そうか、そういうことなのか、」と言っていたのは、
(冗談のようですが)
私が直接見聞きした、現実のことです。

「直接税と間接税が、どういうものか、分かっていない人たち」が書いた
「消費税のニュース」や「年金のニュース」を
日本国民は見せられているのです。
(冗談のようですが)
[569]  RE:要件定義
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/27(Tue) 08:07:50
の単語は一番私が反応する言葉の1つです。もう1つはプロジェクト管理。
公安氏のお話は、どういった体制、どれくらいの期間で開発、カットオーバーさせようとしているのかが興味深いところです。
[568] 要件定義
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/26(Mon) 22:40:34
の単語に反応して下さって、嬉しゅうございました。
因みにこの開発案件、ざっと100人月です。

>國営放送職員様
言葉足らずだったかしら。
「隠蔽(の事実または体質)が支援打切り判断の要素であったかなかったか」の取材はされているのか、という意味で問うただけです。
取材「する」側の所属部署が違うから別件、とは多分冗談としておっしゃったのでしょうね。
[567]  RE:貧乏籤
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/26(Mon) 00:40:42
諸悪の根源氏と同様に、私も、公安氏がしぶしぶ引き受けているようで、口の隅で笑みを浮かべている光景を思い浮かべてしまいました。
要件定義というシステム開発の上流工程は、その後の成否、かかるコストに非常に大きな影響を与えるので、非常に付加価値の高い領域ですよね。私も今の部門に来てずっとこの分野は日々これ研鑽状態です。最近の問題意識は、いかにして組織的合意形成を経た要件定義を行うかですが、なかなか大変です。
[566] 典型縦割り
■ 投稿者:公共放送職員
■ 投稿日:104/04/26(Mon) 00:17:05
久しぶりにお邪魔します。

公安さま、
>○菱自動車工業は、欠陥隠蔽と外資支援打切りが、別件として報道されていますね。冷静なのか、別の何かか。
とお書きになっていますが、

欠陥隠蔽は、各社「社会部」担当で、
外資支援打ち切りは、「経済部」と「経済部から出ている特派員」の担当に
なっていますから、「当然のことながら」別々に報道されます。

このことは、朝、毎、読、日経、共同、時事、NHKの世界では、
みな、地上に空気があるのを当たり前だと思っているがごとく、
みな、当然の前提として、疑問は、誰も持ちません。

事件事故と、経済は、「当然」別件なのです。
[565] 怒らない。
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/24(Sat) 11:37:40
大人になったから。←これはウソ。
ホントにたいへんだから。(仕事量が、と言うより「自分ひとりがミスると他のすべての人および後世の人が迷惑する」というプレッシャー。)

此方「ハブ」と「再建」、彼方「はるみ」と「道警」。
ぐゎんばって。>諸悪様
[564] きっと、怒ると思うけど、
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/04/24(Sat) 10:31:17
「うれしそう」ですね。公安殿。

それでは、皆様「ナンセーンス」で始まる
公安節をお楽しみ下さい。
[563] 貧乏籤
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/24(Sat) 09:17:43
え〜ん。
要件定義・端末画面・帳票印字・電文仕様の確定、対外交渉を、結局全部一人でやる破目になっちゃったよぅ。あ〜、ババ引いた。

○菱自動車工業は、欠陥隠蔽と外資支援打切りが、別件として報道されていますね。冷静なのか、別の何かか。
[562]  RE:お、まるで上司のような
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/22(Thu) 00:41:18
流石ですね。
外接絡みのシステム対応の案件と拝察しますが、会社によってはアプリケーション、端末、社内ネットワーク(途中でプロトコルが変わると担当が替わったりして)、外接基盤の内・中・外側、回線等に担当が細分化されたりしていて結構笑えたりすることがあります。私の職場だと結構1人で全部やることもあったりしますが・・・

>> 社内の「組織秩序に則る体質」が裏目に出た案件。
というのが非常に興味をそそるところです。
[561] お、まるで上司のような
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/18(Sun) 10:50:11
ご指摘ですね…。
もともと「やらねば商売を失う」事案なので、コンティンジェンシーなくとも遂行する案件ではあったのですが、一応ご回答。
>平素のバックアップ運用
 外部通信網との接続インターフェース自体にあり。
>障害時の切替・代替運用
 内部・外部障害とも、代替手段は電話&FAXしかない(今までもやってた)。仮に数日途絶しても、実は致命傷に至らない。
>異動後に備えたドキュメント整備
 先ず(稼動に先立って)社内規定を作った(十八番)。ついでに、今は手で運用している箇所の大部分をシステム化(自動発信)する開発の要件定義(業務フローと開発仕様そのもの)をやった。
(本当は「オレの異動後は大洪水が起きようと知ったこっちゃない」と言いたい。それ程、社内の「組織秩序に則る体質」が裏目に出た案件。)

手続所管部署に5年も居ると、上昇志向殿ご指摘の障害時コンティンジェンシー等は、無意識に体が動いて作ってしまうもんです。
[560]  RE:告白・上昇志向殿へ
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/18(Sun) 10:21:47
>>それでも下命に及んだのは「他に人がいなかった」且つ「失敗しても失うものは何も無かった」だけのこと。

ありがちな話ですね。現場所での公安氏の試金石案件だったのですね。
でもどこかのタイミングからは、失敗するとそこそこの費用ロスが発生するタイミングがあったのだと思いますが、そこを乗り越えているという点で、その時点では周りの信任を得ていたのではないでしょうか?

あと平素のデータバックアップ運用(その必要があれば)、システム障害発生時の切り替え、代替運用等のコンティンジェンシープランとか、公安氏が異動でいなくなっても訳がわからなくならないようなドキュメント整備等が既に出来ていれば言うこと無しですね。
[559] 告白・上昇志向殿へ
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/18(Sun) 09:37:55
現場所着任直後の下命、「日常の仕事ぶり・平素の信頼関係」なぞ皆無でした。
それでも下命に及んだのは「他に人がいなかった」且つ「失敗しても失うものは何も無かった」だけのこと。
ご存知の厚顔で、ディーリング所管部・システム所管部・インフラ所管部に電話でズケズケ質問し、理解できた範囲で指示を出し、Try & Errorの「エラー」が結果として無かったから出来上がりが異様に速かった、それだけのことです。
システム仕様・電文フォーマット・インフラ選択・対外交渉すべてやったド素人(そう見せなかった)の告白として「当時なんてカンがよかったんだろう」と、今言うと関係者の信頼を失うであろう感想を密かに抱いております。
[558]  RE:ぷろじぇくとえっくす・自己満足
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/18(Sun) 08:50:44
よかったですね。

>>何よりも「存分にやれ。最優先すべきはスピード。年度中に部分的にでも稼動させよ」という、稀に見る有難い下命があり、事実全ての関係部署が小生の事実上の指示に忠実であった(これには驚いた)。

公安氏の日常の仕事ぶりから、上の方からも関係部署の方からも信任、協力を得るだけの平素からの信頼関係ができていたということではないでしょうか。
[557] ぷろじぇくとえっくす・自己満足
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/17(Sat) 18:42:46
昨年12月から「某外部通信網接続のインフラ・手順・体制作り」を担当し、3月に試運転、今週から本格的に電文受発信を始めた。
やらないと某業界・分野での当社の商売が失われるのに、本来担当すべきセクションが2ヵ月の検討の末「無理」と回答して逃げた事案。
「組織・手順は無視してよし」と(は言われなかったが)、「インフラ・資金は節度ある範囲で自由」、何よりも「存分にやれ。最優先すべきはスピード。年度中に部分的にでも稼動させよ」という、稀に見る有難い下命があり、事実全ての関係部署が小生の事実上の指示に忠実であった(これには驚いた)。
事後的に、期間・費用(と商売を獲得できた効果)から「プロジェクト」と認知され、これも事後的に「男(たち)が立ち上がっ」て完遂した、ということで「X(エックス)」が付され呼ばれているそうな。
[556] 同窓
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/14(Wed) 02:08:10
今日は上の男の子の小学校の保護者会があった。担任の先生はこの春、世田谷から調布に転任してきた男の先生。かみさんにいわせると私と同じくらいの世代で、そこそこ好印象を持てたとのこと。かみさんがもらってきたプリントに目を通していたら近々家庭訪問があるという。家庭訪問の訪問スケジュール表を見ていたら、国領の駅のすぐそばに住んでおられるSuperMoralist氏の双子の妹さんのご令嬢と、うちの息子が同じクラスであることに気がついた。前々より面識はあり、お住まいに訪問させていただいたこともあるのだが、いざ子供が同じクラスになると、やはりなんか世間は狭いと思ったりする。
[555] 幼稚園
■ 投稿者:Oz
■ 投稿日:104/04/13(Tue) 02:42:18
うちのリホも幼稚園年長となり、クラス替えがあった。我が家を含め、多くの家庭がクラス替えには相当関心をもっている。親同士の確執を子供の交友関係に持ち込んだり、親が子供の躾を放棄していたりと、できれば関わりたくない人々もいるようである。我々の幼稚園時代は誰と同じクラスになったかなどは余り気にしなかったように思うが、親の方は気にしていたのだろうか。まあリホは幸い人間関係を無難にこなしており、仲間はずれなどにはあっていないようだ。
そう言えば先日、伊豆長岡でイチゴ狩り、その足で三津シーパラダイスに行きイルカのショーを観覧、帰りに再び伊豆長岡で温泉につかって帰ってきた。三島からの136号線は休日の午前中など殆ど走ったことが無く、何だかとても新鮮、また、渋滞していたので裏道も走ったが、これもはじめて。伊豆長岡付近も幾度となく走ったはずだが、記憶にあるのはタオルを買ったことのあるコンビニ(韮山店だったか?)と反射炉入口の交差点ぐらいで、狩野川の反対側にりっぱな温泉街が広がっているのもはじめて見た。
[554]  RE:御免
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/12(Mon) 23:48:01
公安殿>承知しました。
ところで、今日下の娘の幼稚園のクラス替え発表があった。
事前に得ていた情報の中では、先生はベスト。上の男の子も見てくれた先生。上の子のときは、初めて担任をもった年だったのだが非常に印象よく、いまや大ベテラン。
お友達関係は2勝1敗といったところか。バス停が同じ友達はいっしょのクラスになったのだが、同じバスルートで一番仲のよかった子が別のクラスになってしまった。私が毎日添え書きしている娘の日記を読んでいると、新学期を向かえルンルン状態のようではあるのだが、本人がどう受け止めているか明日の朝、かみさんに聞いてみようと思う。
[553] 御免
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/12(Mon) 22:17:06
う〜ん、ここで述べるのを躊躇するような話なので、次回お会いした時に、ということでご容赦を。
ここ2年縁のあった公立学校の教員はみな、「児童」「父兄」に対してはおそろしいほど威丈高に、「権威」に対しては呆れるほど卑屈になる、だから「証券会社と出版社営業」が問題をすべて解決しはしないとわかっていながら、それでも若干以上はマシであって欲しいと淡く願っている、それを「妙な期待」と表現している、といった話です。
[552]  RE:桜と進級と
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/11(Sun) 23:01:49
>>ここ2年、学校&教師の無能力と体質に大いに被害と迷惑を蒙った我々に、
>>妙な意味で期待を抱かせる経歴である。

小学校の子供を持つ親としての関心ですが、どないことがあったの?
[551] 伊豆
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/04/11(Sun) 00:01:59
けーちゃんが幼稚園年長、わ〜おなんだか姿が浮かびます。
おにいちゃんとは対極?

>道に迷いプライドが傷付いた

がなかなか公安さんらしいので、ウチもだんならしい話をいっぱつ。

勤め先の財務部長(すごい几帳面)のおにいさん、
ヨーロッパのとある会計事務所に腹をたてたそうです。
あんまり仕事がむちゃくちゃなので。
(何がどうむちゃくちゃなのかは知りませんが)
法務のお兄さんに愚痴をたれたそうな。

「ひどいってあなた笑い事じゃないんですよ。ほんとにひどいんですから。
どんなにひどいかお話ししましょうか、か○せさんくらいひどいんですよ!」

これきいた法務のおにいさん、
「う〜む、それはたしかにすごそうだね」

だって。
笑って話す旦那はちゃんとこたえてるのかなんなのか。
(ま、私が心配してもはじまらないんですが)

[550] 訂正:伊豆市
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/10(Sat) 15:13:32
一点、訂正申上げる。
修善寺町と合併して伊豆市になったのは、土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町等であった。大仁と伊豆長岡は、いまだ独立を保っていた。
[549] 桜と進級と
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/04/10(Sat) 11:01:01
自宅前の公園の桜が咲いた。植物にはまったく無知なので名前を知らないが、花と葉の同時進行なのでソメイヨシノではなかろう。2階窓枠にもたれて花見酒。
上の子は4年生。担任は「証券会社から出版社営業を経て教職2年目の34歳男性」。ここ2年、学校&教師の無能力と体質に大いに被害と迷惑を蒙った我々に、妙な意味で期待を抱かせる経歴である。
下の子は幼稚園年長。あまりにパッパラパーなので「年嵩で子供の押えの効くベテラン」担任を願っていたら、ほぼその通りになった。年々「お受験化」の進む(長男の通った)幼稚園でなく、少し遠いが旧海岸線に近い(=かつての漁師町にある)くだけた雰囲気の幼稚園に通わせて、本当によかった。
先週、戸田(へだ)に行った。修善寺のほぼ真西、磯ばかりの西伊豆にあって、幅数十メートルの細長い砂洲が直径1キロの小さい湾を丸く抱え込み、水の綺麗な砂浜で子供らが元気に走り回っ(て、靴を濡らし)た。(深海魚料理なる天丼・刺身定食も美味だった。)
往路は沼津から海岸沿いの難路(駿河湾・富士山・桜を堪能)、帰路は修善寺市街地で道に迷いプライドが傷付いた。
修善寺町は大仁町・伊豆長岡町等と合併して「伊豆市」と化していた。
[548] おめでとう
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/04/07(Wed) 14:29:32
聡くん小学校入学おめでとうございます。
わ〜〜〜お。
ちっちゃかったのに。枝もってかわいかったのに。

よそのお子さんの成長ははやい、と、ちょうど昨日、しりあいの
おじさん(46歳)と話してたところでした。

そうそう、その人、息子さんがいま、理君の中学高校の先輩
(高等部のテニス部だかバスケ部だか)で。
ちょうど理くんのことを考えてたときに下のアップ、でした。

去年、今年と入学続きですね。
みなさんお元気で。

[547]  RE:入学式
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/07(Wed) 07:46:46
我が家の場合は、今年は上が小学校3年生、下が幼稚園年中と、それぞれちょうど真ん中の学年ではあるのだが、今年は学期の始まりに「クラス替え」というビッグイベントが控えていて、親子ともどもどきどきしている。
というのも、今まで上の子も下の子もクラス運がよくなく、2人とも幼稚園の最初の学年では、同じバス停からのる子が何人もいるのに、うちだけ別クラスになってさびしい思いをしてたので。
はたして昨日から小学校が始まったが、上の子の方は、今までクラスは違ったのだけど同じ寮に住んでいて一番中のいい友達と同じクラスになることができた。とても幸先がよい。残るは下の子のクラス発表である。
[546] 入学式
■ 投稿者:K賀
■ 投稿日:104/04/07(Wed) 01:14:21
今日(6日)、二男の聡が小学校に入学した。好天に恵まれ、桜の咲く中での、
いい入学式だった。我が家では3回目、6年ぶりの小学校入学式だ。去年は
長男、理の卒業と中学入学があり、今年は今日の二男の小学校入学、明日は長女の
郁美が中学入学、慌しい中にも、門出がいくつか重なったこの一年である。

この子が6年生になるころには、いま1歳半の末娘、郁乃(あやの)が今度は
一年生となり、丁度今日の聡のように6年生に手を引かれて入場する。同じころ、
理は大学の門をくぐっているのだろう(浪人してなければ...)

子供を授かったタイミングの関係で、入学卒業イベントが集中するような年齢
構成になっている。これからも数年に一度、誰かさんには桜が咲き、誰かさんは
涙を呑む、とうようなことが我が家には起こるのだろうけど、そういう賑やかさ
というのも、またよきことかな。子沢山の常で、あまり贅沢なことはできないし
させてやれないけれど、こういう家族で育ったことを、4人の子供一人一人が
良かったと思えるようにしてやりたいし、僕自身も、嫁さんともども、楽しい
時を過ごせたね、といえるようにしたいものだ。

桜の下で一年生になった我が子と、そのそばで遊ぶ末娘を見ながら、そんなことを
思った4月6日であった。
[545] いいですね
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/04/06(Tue) 00:27:00
今年は28日に弟夫婦と横浜・岸根公園で花見。
先週はご近所さんとの源氏山の花見が雨で流れ。
とはいえいつもの年より、桜をたくさん眺めている気がします。

野川、いいですね。声、かけてくださいね。
[544] お花見
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/04/05(Mon) 06:17:04
 野川の夜桜もなかなか良いかも知れない。子供が夜に弱いのが難点ではあるが、声をかけてみて頂けると嬉しいと思う。尤も今年は不順な気候の所為でかなり長持ちしているが、通常花の季節は短く、参加できるイベントはせいぜい2つが限度。あちらもこちらもと思っても叶わぬことが多いが。
 我が家は、同じマンションに住む仲間と小金井公園にお花見に行ってきた。一番桜の多い場所は、人が溢れてままならぬ為、大きな桜の木一本が見えるポピー畑の脇で飲み食いしてきた。この春に3年の海外勤務を終えて帰ってきた家族の歓迎会という意味合いもあり、親にとっては感慨深かったが、子供達には花より広場、駆け回っているだけで楽しかったようだ。
 そうだ。どうでも良いのだが、昨日の放送分から「サザエさん」のオープニングに修善寺の独鈷の湯が登場している。少し懐かしい思いがした。
[543] 野川の桜並木
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/04/04(Sun) 11:53:55
我が家のそばに流れている野川は川の両岸が桜並木となっていて、桜がさくこの時期、非常に見事な眺めとなる。そしてある会社の粋なはからいで、夜にこの桜並木をライトアップする日が1日あり、いつも楽しみにしている。
桜の咲き具合や天候の具合を見て実施日が決められるため、結構間際にならないと日が決まらないが、今年の場合は昨日の夜であった。
夕方の6時過ぎに家族4人で出かけて往復2キロ位の川沿いを結構な人出の中てくてくと歩いた。ライトアップされた桜自体が夜空に浮んで非常に綺麗なのにくわえ、野川の川面にその桜が映えて二重の美しさをかもし出している。
今年は終わってしまったが結構お勧め。来年以降はご関心のある諸氏には予めお声かけしたいと思う。
[542] 京都へ帰ってきた
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/03/29(Mon) 23:23:12
先週の火曜日から今日まで連続休暇をとっていた。
職場では年度に1回はコンプライアンスの観点からの連続休暇をとらなくてはいけないのであるが、年度末ぎりぎりになってしまった。営業店だとこの時期、期末の繁忙期になるのでありえないのだが、今の仕事柄そこは何とかなるというか。あと子供の春休みに時期を合わせたということもある。
休みの前半は近場で過ごし、土曜から京都に帰っていた。私だけ仕事の関係で今日戻ってきたが、京都の方は昨日あたりよりかなり暖かくなってきて、かみさんの実家の近くの嵐山の桜が咲き始めてきたところ。もう2〜3日いれば満開になったかもしれないと思うと、ちょっと残念である。
久々の京都で、京都駅から嵯峨野線で嵯峨嵐山に向かう電車の車窓から京都の街並を見ていて、自分が京都支店時代に担当していた会社の建物を見かけたりすると、自分が京都支店にいた平成3年4月から平成6年8月迄の10年も前のことが昨日のことのような気もする。融資営業を初めて経験し、うまくいったことや、苦労したこと、そのときどきの取引先の人やお客さんの顔があれこれと思い出され。
かみさんの実家の部屋で家族四人ところ狭しと布団を並べて寝て、ふと夜中に目が覚め、家族の寝息を聞きながら時間は確かに過ぎていることを感じつつ、過去に、未来に、静かに思いを馳せることができた数日だった。
[541] これはすごい
■ 投稿者:かつを
■ 投稿日:104/03/16(Tue) 02:40:07
ご無沙汰してます。
かつをです。へろへろです。
皆さん、お元気ですか?

「調べ物をしているうち偶然行き当たったあるサイトの充実ぶりに、思わず感嘆した。国際政治経済の分析評論で定評がある田中明彦・東京大学東洋文化研究所教授のサイトである。日本と世界の関係に関わる重要文献、条約と法律、首相や外相の演説がテキストとしてそのまま収録されており、「インターネット紀元前」なら何冊分もの資料集、何回分もの図書館通いに相当しただろう原資料を、このサイトだけで入手できる。 (中略)サイトは、伊藤博文から小泉純一郎に至る歴代首相の議会演説を漏らさず収録している。「戦後国際政治の基本文書」の項は「宣戦の詔書」から今年8月29日発表された「政府開発援助大綱(新)」までを収めており、「日米関係資料集」に至っては、戦後の時代を三分し遺漏がないよう努めている。 」

というので行ってみました。確かにすごかったです。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/
伊藤博文の帝国議会での総理大臣演説から「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」までありました。その他ちょっとクリックするだけででるわでるわ。ちょっと感動してしまいました。
(え? 有名? 知ってた? でしたらごめんなさいね。)
[540] そうそう
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/03/01(Mon) 13:15:15
通用するのにも、支持されて通用するのと、権力によって通用されるのも
ちがうし。テキジョは後者ですね。


[539] ふと疑問
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/03/01(Mon) 13:11:06
滌除(コピーペーストしました。変換しても出ない)って
これ、お役人だか学者だかが明治の御代に作ったときは、
たとえば法学以外で大学教育をうけた程度の人(これもけっこう
すくないと思うけど)がテキジョときいて、
「ああ、それってきっとこれこれこういうことね」
と、分かってもらえる言葉だったんでしょうか。

たしかに今は業界以外の人は誰も知らなかろう言葉だけど、
私としては、たぶん作った当時も、そう一般に通じる言葉では
なかったように思います。

できた言葉、と、作った言葉、って、別の育ち方、生き方を
するんじゃないかと思います。
作るのも、マスコミがつくるのと法学者がつくるのでも違う。

それ思うと、「できた言葉」のごとく育って欲しいとどこかで
思いながら言葉をつくる人(コピーライターもそれですね)の心の内、
いろいろ想像しちゃいますね。

「団塊の世代」という言葉、ご本人作った当時から「これは定着する」と
思ったそうだから、すごいな〜。
[538] なるほどね
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/03/01(Mon) 12:04:00
公安さん、わかりやすい説明ありがとうございます。
融資ジャーゴン、だったのね。

上昇志向さん、業界ではばんばん使ってたと思いますよ。
誰も使わなくなったから、というか、いま法律を
分かりやすい言葉で書き直してる時だから、改正されたんですよね。
これからいっきに使われなくなるんでしょうね。

たしかに、読む限り抵当権消滅請求で十分ですよね。


話全然変わるんですが、先日さるところで「第2組合」という
ことばを講師の方がつかったところ、誰一人わかってくれませんでした。
私と同年代の方もいたんですけどね。まあ半分は20代でしたが。。
[537]  RE:そういえば
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/02/29(Sun) 23:36:02
 言葉はそれが使われているとき、その言葉が指し示そうとしている何者かを明確に指定したい、他のものとは区別して表現したいという意思があった、ある程度多くの人々に支持された意思があったのだとふと思ったりします。

 「滌除」という言葉が「滌除」という言葉として存在し得る基盤を失ったということなのでしょうかね。業界でも使われなくなってしまったのでしょうか。それ程の時の流れに耐え得ないものだったのですかね。

 今は昔というのにも体感的にいろいろあるような気がします。今晩、娘が寝る前に読んだ絵本は「だるまちゃんとてんぐちゃん」。これは1967年第1版の絵本で、私も自分が小さいときによく読んだ絵本です。昔といえば昔なのだけど、そう昔のような気がしない。てんぐちゃんみたなはな(鼻)が欲しいという小さなだるまちゃんの願いに応えようとして大きなだるまどんが花を用意してしまうところがお話としてすごく面白いところなのですが、このお話の面白さは、娘が大きくなって自分の子供を持つときにも、あるいはそのまた子供の時代にも生き続けるような気がします。
[536] そういえば、
■ 投稿者: 
■ 投稿日:104/02/28(Sat) 00:56:41
邦土ノ僭窃、朝憲ヲ紊乱、なんてコトバもなくなりましたねぇ。
今は昔の物語。
[535] 風の谷の滌除
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/02/27(Fri) 23:36:35
「風の谷の土地・建物を買い受けたユパは、不動産に抵当権の登記があったので、債権者・抵当権者クシャナに金1億円を提供した上で、当該抵当権を滌除する旨、通知した。」
「クシャナはその金額を不服とし、ペジテ地方裁判所に増価競売を申立てた。」
この部分は映画化されませんでしたね。
抵当権の登記された不動産の第三取得者を保護する趣旨で、所有権者は自己が適当と思う金額(=購入価額に限られない。債務・抵当権金額をかなり下回ることも可)を抵当権者に提供して、抵当権を抹消(=滌除)することができるという、ウルトラCと言わぬ迄もそれなりにレアな技です。
抵当権者が金額に不服の時は、裁判所に競売を申立てることができますが、提供された金額プラス10%以上の価格で買い受ける者がいない場合、自らその金額で買い受けねばならないので、増価競売と言います。
尚、債務者ジル自身や、ジル死去に伴って不動産を相続したナウシカ、あるいは不動産の所有権を取得したがジルの債務を保証しているミトやゴルは、本来債務全額を弁済する義務があるのに、それを下回る出捐で抵当権のない不動産を取得するのは不当との考え方から、滌除の権利は認められません。
このテキジョというツウ好みの語は、「抵当権消滅請求」という味も素っ気もない用語に変わってしまいました。
贓物故買・贓物牙保が「盗品を有償で譲り受け」や「その有償の処分をあっせんし」になったように。
[534]  No Title
■ 投稿者:宮崎ファン
■ 投稿日:104/02/27(Fri) 01:18:12
ナウシカ...
ですよね.
[533] 遅レスですが
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/02/27(Fri) 00:11:37
それなんですか?
[532] 滌除が…
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/02/20(Fri) 22:58:36
抵当権・根抵当権の「滌除」の語が、H15民法改正で
削られているのに本日気付いた。
またひとつ、業界用語が死んだ。
(行こう。ここもじき腐海に沈む…。)
[531] パンターニが・・・
■ 投稿者:自転車フリーク
■ 投稿日:104/02/16(Mon) 16:36:55
マルコ・パンターニが、故郷近くのホテルで
死亡しているのが見つかったらしい。
これで、ツールも、ひとつの時代が終わった。
[530] 一票
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/02/16(Mon) 10:36:53
ダンナはあんまりここ見ないので、私がよた。

音楽離れ、進んでますね。売上めためただそうで。
「コピーが悪い」と業界がよそのせいにしてばかり、ってたしかに
業界団体(団体として)はそうみたいですね。
でも、たとえば中高年(うちら含め)がばさっとリスナーから
こぼれおちてること、中の人はわかってて、どうしたら戻ってくれるか、
苦心してるみたいですよ。

私もバイト先で会う音楽業界系のコンサルタントさんとかとそんな話、
したりします。
でも、音質の話は、聞いてなかったな。見落としてるのかも知れませんね。

で。
私もすっかり聞かなくなりました。
聞いても昔のものばかり。
昔のに飽きると、のんきな昔風の曲を出してる台湾香港の歌手ばかり。
私の場合は、今の編曲やテンポが、私に合わないみたいです。
ジュピターも、がちゃがちゃしてて、ダメだった。



[529] そう言えば、
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/02/16(Mon) 02:45:10
いつの頃からか、あまり音楽を聴かなくなった。
 LPとカセットとFMラジオの時代には、気に入ったテープは、本当にすり
切れるんじゃないかというほど聴いていたのに。
 どのアルバムも、1曲終わると頭の中で次の曲のイントロが鳴り出すぐらい
だった。「ながら」が不得意な私ですら、中学・高校ぐらいまでは自分の部屋
で音楽がかかっていなかったときの方が少なかった。寝るときには必ずヘッド
ホンをつけて、お気に入りを聴きながら眠りについていた。

 最近(というか1年ほど前)、システムコンポにしては値の張るBOSEの
セットを買ったという話をしたことがあったと思う。多分、自分なりに音楽
を”心地良く”聴きたくなって、引っ越しを機に(というか設置スペースが
できたので)にゃあを説得して獲得したものだった。やっと、少し音楽を聴
く習慣が復活しつつあったところが、その後直ぐに札幌に転勤になって、し
ばらく音楽どころでは無くなってしまったのだ。
 今年に入って、家の中の段ボール群がほぼ退治されたのを機に、また音楽を
聴く環境が整いつつある。家が広くなり、自分の部屋が確保されたこともあり、
なぜか(私のことだから当然?)機械が増えつつあるのだが、それについては
長くなるので、また今度。

 前置きが長くなったが、要は、最近また急速に音楽を聴くようになってきた
ということ。なぜなら、音楽を聴くことが快い良いような”音”を、もう一度
手に入れることができたから。どうも、私がここ20年ほど接してきた”音”
は、往年のレコード、カセット、FMに比べて、心地よくない音を発していた
のだということを、改めて気づかされたのだった。
 代表例を挙げるなら、パソコン界でスタンダードの某サウンドカード(高音
質ということになっているし、カタログスペックも立派)やPC用のスピーカ
ー達、デフレに適応して昔に比べれば激安になっている(それでいて、店頭で
は何となく立派に鳴っている)ミニコンポ・システムコンポたち。
 それでいて、CDなんだから、デジタルなんだから、”音”が良いはずとい
うことになっている。確かに、カタログ上のデータ、例えば再生周波数帯域や
S/Nなどは、昔のアナログなんか足下にも及ばないほどの数値が並んでいる。
でも、聴いてみると心地よくないのだ。決して、毎晩聴きながら寝ようとは思
えない、いや感じられないのだ。
 結局、自分が歳を食ったせいにして半ばあきらめかけていたのだが、どうも
本当は違ったらしい。

 今も、この書き込みをしながら、借りてきたシャルロット・チャーチ「天使
の歌声」が掛かっている。子供達は、寝る前にかならずEnyaのアルバムをリク
エストする。ハードディスクの整理をしていて、Wavファイルを再生している
と、思わず音楽に聴き入ってしまい、最後までぼーっと聴いてしまうことが増
えてきた。「そうか、心地よい”音”って、こんなに楽しいものだったんだ。
単に昔が良かったというわけでもなく、今でも身近にあるものなんだ」と実感
した次第。
 というわけで、最近また、我が家の幸福度が一つ上昇するできごとがあった
というお話でした。


 ついでに、よけいなことまで考えてしまった。
 音楽業界は、不振の原因をネット上の音楽交換やPC上でのコピーに求めて
いるようで、そもそも多くの人間が昔ほど音楽をよく聴かなくなったことを重
視していない(あるいは、携帯等のせいにしてあきらめている)ように見受け
られるが、どうもそういうこと”だけではない”、というより、そういうこと
”ではない”ような気がしてきた。
 ちなみに、今、業界がやっきになっているCCCD(コピーコントロール
CD)は、わざとデータエラーを起こすようにしてコピーを防止(というか
私のようなPCユーザーは簡単に回避できるのだが)する技術なので、間違い
無く音質を悪化させる。今回私が感じたことからすれば、間違いなく音楽離れ
を加速するのではないかと思ってしまった。
 一方で、現在の技術の粋を尽くして極めて音の良い録音をしたり、昔のマス
ターテープを発掘してきて、昔の名演奏を蘇らせようとしてみたり、といった
試みも最近定着してきているようだ。私は、こっちの方に一票だな。実際に出
費も増えつつあるし。というか、ここ20年ぐらいほとんどCDなんか買って
いなかったのが、お気に入りをネットで調べてまとめて買っちまったぜ。
[528] おめでとうございます
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/02/11(Wed) 19:08:49
上昇志向さん、おめでとうございます。

ウチのだんなは先月末の29日に一足先に40になりました。
平日はなにかできる時間はないので(眠りたいが先に立つ)、
25日の日曜日にお祝いをしましたが。
今年はどどっとこのかいわいの人が40になりますね。
私も5月に40です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
今日は横須賀で、はじめて猫ボランティアのイベント、主催する側で
参加しました。
痛々しい死に山ほどふれるのがつらさに、あんまり本腰入れての
ボランティアはできてないんですが。
本腰入れてるたくさんのオバサン方に会えたのはとてもよかったのだけど、
あれはやはりつらいなあ。
まだまだ中途半端のままで行きそうです。




[527] 補足
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/02/11(Wed) 10:21:43
気にしていただき恐縮です。
謎ときではないですが、祝ってもらった時刻は子供たちのいつもの就寝時刻の9時過ぎ。書いている時刻が遅いのは、みんなで寝た後、未明に1人目がさめてしまったからです。朝までまた一眠りしましたが、ちょっと普通の時間帯ではないなと自覚しつつ書き込みしていた次第です。
[526] おめでとうであるが
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/02/11(Wed) 08:35:56
 そうか。私よりも4日早く、終にT松も「不惑」の歳を迎えたというわけだ。何はともあれお祝いを申し上げる。おめでとう、である。
 家族の気遣いに率直に感謝の念を懐き、生の恵に思いを馳せる事ができるのは、掛け値なしに素晴らしい事であるし、然様に感じられる様な「人との関係」を作り維持できているT松家の前途には更に意義深い世界が開けているものと信ずる。それは間違いなく、人に秀でていたり、優れた「ヴィジョン」を持っていたり、正しい思想を抱いたりすることよりも遥かに貴重で得難いことであると思う。
 思う、のではあるが、下記の文章が深夜3時半前後に書かれていることを思えば、T松家のお父さんが「いつもより早く」家に帰り、誕生日を祝って貰ったのは一体何時頃だったのだろうかと、少し気になる。
[525] 結婚記念日
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/02/11(Wed) 03:58:57
今日は我々夫婦の結婚記念日で、結婚して9年になった。
阪神大震災から1月もたたぬ京都での結婚式に多くの方々にご参集いただき、励ましの言葉をもらったことが、ずいぶん前のことのようでもあり、昨日のことのようでもある。
夫婦ともにまだまだ成長途上だけれども、多くの方々の支えに感謝するとともに、改めて、共に生きることの恵みを大切にしていきたいと思う。
[524] 誕生日
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/02/11(Wed) 03:21:30
昨日は私の誕生日で、40になった。
いつもより早く家に帰り、かみさんと子供たちの力作の、苺で「40」をあしらったケーキに蝋燭を4本ともし祝ってもらった。
我が家恒例のポルトガル語と英語と日本語の3ヶ国語による「ハッピーバースデー」をかみさんと子供たちに歌ってもらい、実家の母からも短いながら祝いの電話をもらい、いつになく心安らかな気持ちでいる。
家庭人として、親として、息子として、まだまだの自分への家族の気遣いに感謝するとともに、改めて、生きていることの恵みを大切にしていきたいと思う。
[523] 福田未亡人からの手紙
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/01/31(Sat) 00:15:13
数日前、福田君の未亡人(○原さん)から、お香典返しとともにお手紙を頂戴しました。
多かれ少なかれ面識のあった私たちがこれを読み、幾許かの思いをいたすことが、幾らかでも彼の供養になることと勝手に解釈し、一存で載せさせていただくことと致します。
管理者殿へ、不適当と思われたなら添削・削除、よろしくお願いします。
(尚、誤字・脱字はすべて小生の責任です。)
以下、引用致します。
*********************************************
寒中お見舞い申し上げます。
昨年11月には、亡き夫、福田有広の葬儀に参列いただき、お香典やお花、電報をお届けいただき、また、故人をしのぶお手紙、私への励ましのお手紙など、たくさんのお心遣いをいただきました。心から、感謝申し上げます。
皆様にお届けするこの年賀状は、亡くなる前日に、彼が注文してあったもので、本当は皆様にお送りするはずだった、彼の最後の手紙です。
一枚は、2003年の4月から、法学部の一年生を対象に、彼が中心になって始めた、「法学部駒場演習」というゼミの学生さんたちと、北海道の東大演習林で夏合宿をした時の写真です。彼はよほどこれが楽しかったようで、学生さんたちがそれぞれ、船や電車を使ってどうやって旭川までやってきたか、宿舎が昭和40年代の民家のようでとても懐かしかった、演習林を案内してもらって歩いて、東大キャンパスの中に火山があることを初めて知ったなど、目を輝かせながら語ってくれました。
人間を育てることは、政治思想史の研究と並んで、彼が心から情熱を傾けたものでした。法学部での教育のあり方が問われている中で、彼はこの新しい試みに、新しい希望を託していました。
人に教えられたことや、世間で言われていることをそのまま信じてしまうのではなくて、自分で考えて判断し、行動することが出来る人間を育てること、自分が正しいと信じたことなら、たとえたった1人であっても、その同じ場所に踏みとどまってそれを実践することができる人間を育てること、そのことを通じて、本気で彼は、この世界を変えると言っていました。この世界の近未来について、自分は悲観的だけれど、遠い将来については楽観していると、断言していた姿が、まるで昨日のことのようです。
もう一枚は、昨年の5月に、沼津の山に登り、帰りに泊まった修善寺温泉の宿での、私と二人の写真です。(故人は、プライベートとパブリックを峻別するという思想の持ち主で、家族のことを知らない方には、自分は家族の写真の年賀状は送らないと、常々言っておりましたので、二枚目のほうは、私と面識のある方にだけ、お配りすることにします。)
沼津の山は、愛読していた山の雑誌「岳人」の2003年2月号に出ていた沼津アルプスのコースで、標高は400メートル足らずと低いのですが、富士も伊豆半島も海も眺められる展望のすばらしい山でした。下山後、修善寺温泉の竹林に行って、「竹の子は一晩でどんどん伸びるんだ」と言い張って、翌朝また二人で見に行ったのですが、全然伸びていないので、ずいぶんがっかりしておりました。二人で登った山はこれが最後になりました。思い返せば、国内外を二人でよく旅行しました。国外では、昨年8月に、オックスフォード時代の友人の結婚式に出席し、フランスとドイツの国境付近に行ったことが、国内では10月に、私の両親と4人で、伊豆下田を旅行したことが最後でした。たくさんの写真と、楽しかった思い出が残されました。
家庭人としても、大変優秀な人で、忙しい仕事の傍ら、料理、掃除、洗濯と家事全般、何でも完璧にできる人でした。松茸の季節には、松茸ご飯をお鍋で炊いて、家中を松茸の香りいっぱいにして、私の帰りを待っていてくれたこともありましたし、ベランダで自分が育てたほうれん草やパセリやバジルで、サラダやスパゲッティを作って、食べさせてくれました。私と一緒に食べるご飯や、二人で飲むビールが一番おいしいと、いつも言っていました。
この二枚の年賀状を眺めていると、新しい年の初めに、彼がもっとも大切に思っていた二つのものを、皆様にお届けしようとしていたような気がいたします。
亡くなってからの方がよりいっそう、彼の人生がどんなものであったのか、理解できるようになりました。生前よりずっと、私にとってその存在が、近しく大きくなりました。
たぐいまれなぐらいまっすぐで、誠実で、あたたかく、厳しい人間であったと思います。時の長さを数えれば、普通の人の半分ぐらいの短い一生でしたが、すべてに一生懸命で、密度濃く、力の限り生きたと、その健闘ぶりをたたえたい気持ちです。「本当にこれまで、たくさんありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください」と、最後に彼に送りたいと思います。
同封させていただいた本は、「駒場演習」で、彼がテキストとして使っていたもので、屋外で学生さんと輪になって、1行ずつ朗読していたそうです。お茶は結婚した年に二人で旅行した、宇治平等院鳳凰堂の門前のお茶屋さんのもので、以来たいそう気に入って取り寄せては、毎晩これを飲んでおりました。
お骨は自分が好きだった場所にまいてほしいという、彼の生前の意志に従い、親しかった友人の方々とともに、国内外の彼が愛した場所に、散骨をして、弔いたいと思います。私はこれから、彼が残した文章や、二人でやりとりした手紙などをもう一度読み返して、一緒に生きてきた年月をふりかえり、これからの私の、新しい人生の出発点としたいと思っております。
最後になりましたが、生前に福田有広に賜りましたご厚情に、心から御礼を申し上げます。
寒さ厳しい折がら、皆様方のご健康をお祈りいたします。
             2004年1月
             ○原佳子
[522] 新たな旋律をもとめて…
■ 投稿者:ニッシー
■ 投稿日:104/01/26(Mon) 21:58:18
 ちまたでは平原綾香が話題となっているようであるが、私はここ
数日、Lisa Gerrard の新しいアルバムにはまり込んでいる。私が
世界中でもっとも注目しているアーティストの3枚目のアルバムで
ある。私がもっとも注目しているアーティストであるのだが、日本
国内でのCD発売は無い。輸入版である。それでも、昨今のインター
ネットとグローバリゼーションのおかげで、アルバム発売日の翌日
に手元に届くというのは、うれしいよりも恐ろしい限りである。

 ここ数日、毎晩のようにアルバムをかけ続け、聞けば聞くほど深
みにはまっていく毎日である。しかし、かつての彼女の旋律がもつ
力強さと斬新性が足りないのが少し不満ではあるのだが…。かつて
Brendan Perry と Lisa Gerrard と2人で組んだ Dead Can Dance
というグループがかもし出していたあの旋律。Brendan Perry のあ
くの強いロック調に、中東アジアや中世ヨーロッパの雰囲気を彷彿
とさせる Lisa Gerrard の調べがぶつかり、激流の音の中から光り
輝いていた旋律。Lisa Gerrard は Dead Can Dance を解散し、
Brendan Perryと袂を分かってから、自分らしさの曲作り、その苦労
が今も続く。

[521] 服部良一、でした
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/01/24(Sat) 04:32:59
ちょっとぐぐればわかることなのに、横着しましたね。

西條八十の歌詞も好きです。
すみません、ずれた発言でした。
[520] 平原綾香にびっくり
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/01/24(Sat) 04:23:16
いったいどこのどんな歌手の話だろうと思ってたら、びっくり。
だんなが買ってきて(だと思うが)私に聞かせてくれたCDの人でした。
さっき車の中でCDを見て、はじめて確認。

最初の時、だんなの勤め先の関係会社で売り出した歌手、
という風に説明をききました。
聞きながら私が最初に発したのは、「この人中国人?」
だって発音がそれっぽい。

曲名も聞かされなかったのですが、聞かされてもその、ホルストというのを
聞いたことが無かったので、レコグナイズはできなかったでしょうが。。。

私としては、最初の曲(ジュピター)はいまいちぴんとこず、
2曲目の「蘇州夜曲」が好きで、こちらばかりかけてました。
古賀政男?記憶が定かではないですが。。。
いい歌だなあ、と聞く度思います。
歌い手さんの声も(こちらは)好き。


[519] 今度は委員長
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/01/22(Thu) 22:29:51
 昨日新宿紀伊国屋書店にて、33期KF委員長O中氏の著書「歴史学ってなんだ?」を発見し、購入してきた。PHP新書、680円である。まだ殆ど読んでいないが、立ち読みした限りでは、嘗ての彼の口調そのままの文体で、非常に懐かしい感慨を懐いた。内容的には、「史実」の位置付けと歴史学の有用性及び意義について論じたものらしい。読んで思うところがあれば、またこの場で若干言及させてもらおうと思う。今の所、大きな書店では平積みされている模様であるし、裏表紙には著者の近影も掲載されているので、昔日を懐かしみたい古参の方々は御記憶されたい。
[518]  K藤弁護士
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/01/22(Thu) 17:15:33
昨日激しくひょんなところで、83入学で緑会をやってたという人と
話す機会がありました。
「沖縄にいるK藤くんて知ってる?」と先方から。
その人は彼の人格を大変尊敬してた、という話で、
「彼がいたおかげで、民青に対するイメージが大きく変わった」
と言ってました。
K藤さんについての話を聞きながら、うんうん、そうだったなあと思い出し、
なつかしいやらなにやら。

彼はお元気にしてるでしょうか。







[517]  Jupiterと木星
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/01/20(Tue) 22:33:12
平原綾香も嫌いではないですが、不幸な出会い(歯医者の待合室で有線放送で聴いたため、薬品臭、金属ドリルの唸り、そして骨を削るが如き痛みを想起させる)ゆえ、大好きにはまず間違いなくなれそうにありません。
「木星」は、個人的にはオケで聴きたく(弦とホルンによる第一主題には肉声は及ばないと思う)、ショルティ指揮・ロンドンフィル演奏のが、一番好きです。
[516] 平原綾香
■ 投稿者:ゴミ投資家
■ 投稿日:104/01/20(Tue) 12:52:49
テレビ東京の経済番組を視聴しながら
わずかな金額を投資している者にとっては、
ホルスト惑星の「Jupiter」のメロディーは
イチローが登場する某証券会社の
コマーシャルソングと化していましたが、
こちらのは、ホルストの「らしさ」を残したまま、
悠然たる人間の生身の声で、たっぷりと歌い上げていて、
実にいいですね。
[515] うちはレゴですね
■ 投稿者:公安
■ 投稿日:104/01/19(Mon) 22:54:04
拙宅では、上の子(9歳)があまりに電車一辺倒なのを見かねたサンタクロース様が、レゴをおつかわしになりまして、9歳児も5歳児も見事に嵌っております。(ついに「将来の夢」が電車運転士から「自動車の設計技師」に変化。)
電子ブロックは幼少のみぎり所有していましたが、ウチのがその段階に到達することがあるのでしょうか。
[514] 基本ですね
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/01/19(Mon) 22:04:29
「電子ブロックを我が子と楽しむ」ってのは、理系の親の基本中の基本ですな。
我が家の場合には、残念ながらまだそこまで行っておりません。もちろん、
復刻版電子ブロックEX−150は買ってあります。今は、簡易テスターとして
使用されています。
代わりに現在我が家では、北の地の利を活かして、子供たちをスキーに引きずり
こみました。息子は、5日間のスクールに通っただけで、既にゲレンデの暴走族
と化しています。昨日は、近所のスキー場で半日券を買い与えたら、20本も滑
っていました。転んでも全くめげず、なぜか人にも衝突しない。一応止まれるだ
けのくせに、生意気です。

話は変わりますが、最近、にゃあが気に入っている新人歌手がいます。
ホルスト「惑星」のJupiterに詩をつけているのですが、なかなか悪くありま
せん。平原綾香という19歳の音大の生徒さんのようですが、下記のサイトで
試聴できます。思わずCDを買いたいと思っているところです。
http://music.nifty.com/news/new/031208/news.htm
[513] 復刻の電子ブロック
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/01/18(Sun) 20:24:17
最近うちの男の子が電子ブロックに懲りだしている。
買ってきた復刻版の電子ブロックEX-150なのだが、子供の手にかかる
と150回路と言わず、もっといろいろな回路が出来てしまう。
自分がやっていたころは、付属の回路集に書いてある組み合わせしか
やらなかったのだが、うちの男の子の場合、怖いもの知らずのところ
もあり、「こうしたらどうだろう」と回路集に書いてない組み合わせ
を作って結構楽しんでいる。おかげで一度ダイオードのブロックを
壊してしまい、ブロックを取り寄せるようなことにもなったりして
いるが。それはそれで「抵抗をつながずに逆向きにつなぐと壊れちゃう
んだよね」と着実に学習しているので、よしとしている。
[512] やっと、帰ってきた。
■ 投稿者:諸悪の根源
■ 投稿日:104/01/13(Tue) 00:26:05
年末から力の限り遊んでいたが、やっと今札幌の我が家に到着した。
12月25日から5日間子供増量週間(2人から5人へ)で連日、スキー
スクールに連れて行き、それから子供を全部積んで東京へ車で18時間、
東京でも子供5人状態は変わらず(というか毎日他の子供たちがその家へ
遊びに来るので、さらに倍増状態)、東京滞在中にちょっと杉浦家犬連れ
家族旅行に八ヶ岳の麓に1泊旅行、その後東京に戻ってきて今度は車で
大阪へ。私はここで一旦飛行機で札幌に戻り3日間ほど働いて、また飛
行機で大阪へ。妻子と車をピックアップして、今度は福井の恐竜博物館
で丸1日半遊んで敦賀から高速フェリーに乗って苫小牧へ。
というわけで、今やっと札幌の家に着いて、雪に埋まっている我が家に
辛うじて一人通れる通路を雪かきして、やっと今に至るわけだ。
主観的には、最後のフェリーの船酔いの辛さと家の前にたどり着いてから
家に入るまでの除雪作業が疲労の2/3を占めているな。
[511]  RE:なるほど
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/01/06(Tue) 01:27:40
かみさんに確認したところ「岩波版」だったそうです。
借りたのは少し前で最近借りてませんが、多分あるのではと。
現物がなくても市の誇る図書検索システムを使えば有無は
分かりそうですね。
[510] なるほど
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:104/01/04(Sun) 10:08:43
 子供が早寝のこともあり、どうしても夕方から夜にかけての会には参加しづらく、年末は折角日程を確認してもらいながら参加できず失礼しました。で、
 まず、ちびくろさんぼについて。以前に普及していた岩波版が焚書の憂き目に遭った後、ちびくろさん「ぽ」とか、ブラックサンボくんとか、題名を変えたり、原典準拠版を出してみたりといった試みはされているので、もしかしたらそちらかとも思ったのだが、京都出身者の証言だけに、岩波版である可能性が極めて高いのも間違いない。確かあれは図書館労組が組織的に焚書にしたと思うので、そちらと関係のない図書館だったのかもしれない。いずれにしてもあるところにはあるものだと驚いている。国領には間々行く機会があるので、今度確かめてみようかとも思う。
 次にK瀬の発言について。その「後進の育成」にK瀬がどういうイメージを持っているかは、私としても気になる。「後進」というのはどういう人間のことで、「育成」というのは何をどうすることなのか、是非聞いてみたい。「また続きを話す」機会があれば、御相伴したいものだと思う。
[509] 失礼しました
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/01/04(Sun) 03:30:08
私の一個前の発言、名前出してしまいました。
ごめんなさい。

根源さま、もしも削除が可能であったら、お願い
できますか?

ぼけてました。すみません。
[508] ちびくろさんぼのある図書館
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/01/03(Sat) 22:20:13
super moralistさんのコメントを見ていて、うちのかみさん曰く、
ちびくろさんぼの本はうちの近くの国領図書館に置いてあって
何で置いてあるのかなあと不思議に思いつつも何度か借りたとの
こと。検閲勢力に対抗している図書館なのか、無頓着な図書館な
のか。ちなみにかみさんは古書の4500円という値段に非常に
びっくりしていました。
[507] 年末の奇術師邸にて
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/01/03(Sat) 21:39:14
年末の奇術師邸ではK瀬と久々に会話していて、ちょっと意外
だったのは、「後進の育成、それが最重要だよ」といった趣旨
のコメントを聞けたこと。発端は私が夜遅くまで仕事をしてい
る件で、一体どういうタイムマネジメントをしとるんだという
話から、人に仕事を任せていないんだろう、という話になり、
その後に上記のコメント。あれ、そんな事言うようになったん
だと結構新鮮な響きを感じました。実家に帰る予定があり夜の
8時過ぎには奇術師邸を後にしたので、あまり深くは話せな
かったのが残念でしたが、また続きを話したいですね。

[506] あけましておめでとうございます
■ 投稿者:上昇志向
■ 投稿日:104/01/03(Sat) 20:53:01
みなさま あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

奇術師殿、年末はお世話になりました。
若い人と会話できて面白かったです。
[505] あけましておめでとうございます
■ 投稿者:まうまう
■ 投稿日:104/01/02(Fri) 23:11:49
あけましておめでとうございます。

丹治さん、パーティではお世話になりました。
いつもありがとうございます。

今年もいつもどおり、おつきあいいただけたらさいわいです。
みなさんも息災のいい年になりますように。
[504] 年越しパーティ
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:103/12/29(Mon) 23:11:09
連絡が遅くなりましたが、今年も拙宅にて年越しパーティをします。

とりあえず5:00開始ということで、ご家族連れでもお寄りください。特に時間の制限はありませんので、遅い分には構いません。都合のつく方は顔だけでも是非出してください。

場所等わからないようであれば、連絡してください。

自宅:03-5488-1995
携帯:090-6114-8500

です。

では、お待ちしています。
[503] ちびくろさんぼを見つけた
■ 投稿者:super moralist
■ 投稿日:103/12/29(Mon) 19:45:00
 知っている方には有名な焚書事件以来、図書館、書店、そして古書店ですら目にすることができなくなった幻の絵本「ちびくろさんぼ」を、今日偶然神保町の古書店で発見し、早速購入してきた。1冊4500円と法外な値が付いていたが、厳しい検閲の目を掻い潜り、決死の覚悟で我々の自由の為に戦ってくれた古書店の労を思えば、不当な値段ではない。第一、二度と再び目にする機会がないかとも思えば、少々の高値に驚いてはおれぬ。私が神保町に行くのも実に久しぶり、件の古書店に「ちびくろさんぼ」が入ったのは数日前というから、何とも不思議な運命の導きを感じることこの上ない。
 帰って、寝しなに息子に読んでやったら、案の定大受け。非常に喜んでくれた。こういう面白い本を日本中の子供から奪い去り、二度と日の目に触れないように葬ってしまえる奴らが「弱者」だとは笑止千万である。
 しかし、其れ以上に驚いたのは、修一郎曰く、「このお話、前に幼稚園で読んでくれた」であったことである。いろいろ聞いてみても、記憶もはっきりしているし、話の中身も良く理解しているし、さんぼが「真っ黒な男の子」であるという肝心の点も押さえているので、間違いあるまい。やはり、検閲体制下でも、息子の幼稚園は「ちびくろさんぼ」を読み継いで来ているのだ。何かそのことにも、本当に良い幼稚園に行かせていると感動してしまった。
 という訳で、我が家には「ちびくろさんぼ」がある。幼児をお持ちの家庭で、関心のある方にはお貸しするのは吝かではない。是非御一報されたい。
[502] 昨日は名古屋で雪に遭い
■ 投稿者:奇術師
■ 投稿日:103/12/21(Sun) 01:33:20
先週久しぶりにドイツに行ってきました。雪はなく、思いの外暖かく助かりましたが、今週はもう雪模様だったようです。
ルフトハンザが大分前からそうだったかどうか定かではないのですが、気づいたことをいくつか。
ビジネスクラスでPC用に電源がとれるようになっていた。これは大変助かる。日本のコンセントではアダプターが必要だが頼めばアダプターも提供される。若干電圧が不安定のようだが、たいした問題ではない。聞くところによれば来年あたりからインターネット接続を始めるらしい。
それから、機内食のナイフが金属製になっていた。少なくとも他の航空会社ではプラスチック製に変えていた。尤も他の航空会社もなぜかフォークは金属製で、プラスチック製とはいえ、そのナイフで肉も切れるのだからそもそもプラスチック製に変える意味などあったかどうかわからない。
それと、意外と空港のチェックは厳しくなかった。ドイツは今や日本より安全なのかもしれない。まあ、成田も厳しくなかったけれど。ただ、アメリカ便はかなり厳しいチェックのようで、再三チェックに時間がかかるので早くゲートに行くよう乗客に促していた。

冬の北海道は行ったことがないので、行ってみたいのは山々ですが、ちょっと難しいかな。今週溜まりに溜まった雑事をどれだけこなせるかですね。


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