[謎とき]
さて、いよいよ謎ときのページであります。ここでは、皆様からメールを頂いてその中から多い疑問で、なおかつ筆者がなんとか「こうだろう」と推理できそうなもの(^_^;)や、皆様からのお答えなども掲載していきたいとおもいます。できるかぎり更新もまめにおこなっていきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。(あくまでも陰陽道的推理になってしまいますので、御理解ください。)
参考文献 吉野裕子著
[なぜ、大晦日に除夜の鐘を打つのか]
これについては、時間の「鬼門」封じではないかと推察されます。「五時」の項目で述べさせていただきましたように、十二月は「丑」の月であります、そして一月は「寅」の月であります。ということは、十二月三十一日の大晦日の夜から一月一日の元旦にかけては時空における「鬼門」が発生します。この時空の「鬼門」である大晦日の夜を除きとるための呪術が除夜の鐘でありましょう。
しかし、何故、除夜の鐘なのか? これを陰陽道的に推理すればこう考えられます。 つまり、鐘=金気であります、そして金気は金剋木で木気をいためつけます。 春は木気に配当されますので、新春を迎えるにあたってはそれを妨げる要因を潰す必要がありますので、なにか金気のものを傷めつけることがもとめられます。 この金気を傷めつけることが、鐘を打つということにつながったのかもしれません。 そして、春を迎える前にやってくる鬼門を封じる行為が重なったのではないか?・・・ 日本人はなんでも取り入れるのが得意ですので、陰陽道+神道+仏教などの融合でこんな風習が生まれたのではないでしょうか。神仏習合という言葉もありますし・・・ 正月に餅を焼いたりして食べるのも金気を封じる呪術だと言われてますから、似たような意味があるのでは、と思います。
百八の煩悩というのは、こう説明されます。 人間の感覚を司る眼(げん)耳(じ)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六つ(これを六根と呼ぶらしいです)が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(不快)平(どちらでもない)の三種があって3x6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の二種に分かれ18x2=36 の煩悩になり、さらに、過去、現在、未来の三つの時間が関わって、36x3=108となります。 これが、百八の煩悩だということです。これを鐘の音が淨めていくということです。 我が国では、鐘や鈴の音に浄化作用があるというのは古くから信じられていました。(日本人が鈴虫を異常に愛でるのも、ここにその理由があるのかも知れません)(1996/12/09)
[なぜ、節分に豆を撒くのか]
これも、理由は「鬼門」封じだとおもわれます。つまり、旧暦(太陽太陰暦)では基本的に立春年初であります。ということは、いまの新暦二月四日が旧暦の一月一日の元旦だったわけです。さすれば新暦二月三日の夜には「鬼門」が発生するわけです。ですのでここで鬼を排除する必要(追儺)が生じるわけです。
さきに基本的と書いた訳は、必ずしも旧暦一月一日が立春にならない場合があるからです、と申しますのも、立春そのものは太陽の角度によるものですが、旧暦は月の満ち欠けがその基準になります。詳しくはこちらへ
[節分の豆]
節分は本来、迎春の儀式、呪術だと思われます。春は五行では木気に配当されますがその木気が苦手とする物が金剋木の理から金気であります。そこで金気を 封じるために何らかの手を打たねばならぬ訳です。その為に金気を剋する物、 つまり火剋金の理から火気の性質の行為または呪物が求められます。節分に使われる豆は金気に配当されますのでその豆をまず火で煎るという行為(まさに火剋金です)が発生し、煎られた豆を投げつける、つまり痛めつけるという行為が生まれたと考えられます。これが鬼門封じと重なって今ある形になったのでしょう。(1997/01/27)
[太卷と笑い]
関西(兵庫県)では、 節分の日は豆まきをして、年の数だけ豆を食べる それから南を向いて笑いながら太巻き(切らないで)を 1本のままかじりつく。福がやってくるようにと笑う。 という風習があるそうですが、これはこう説明されます。
南を向くというのは南=火気だからであり。また笑うという行為も火気に配当されます。これは正に火剋金、金気封じの呪術でありましょう。また、笑う前に太巻を食べるというのは、太巻を切らないということ、つまり長いままということですのでこれは木気となります(形も五行に配当され、長いものは木気となっております)となれば長い太巻=木気を食べて、笑う=火気、これは木生火の理となるようで す。笑いのパワーを最強にする為に太巻を切らずに食べるのでしょう(1997/01/27)
[なぜ、丑満(うしみつ)時にお化けが現れるのか]
「草木も眠る丑満時」はお化けの出現する時間として有名ですが、これも一日のなかで発生する「鬼門」の時間なのです。むかしの時刻は午前零時を中心にして前日の午後十一時から午前一時までを子の刻、以降、午前一時から午前三時までを丑の刻・・・・というように配当していきます。となると、丑の満る午前二時から寅の刻が始まる午前三時にかけて「鬼門」が発生することになります。
*丑の刻参りも「鬼」の力を借りるためにその時間帯が選ばれたのでしょう。(1996/11/14)
[源 義経と「虎の巻」]
いまでは、参考書の別名ともなっている「虎の巻」は本来、中国の兵法書「六韜(りくとう)」の一篇、「虎韜」をその由来とします。義経がまだ牛若丸と名乗っていた頃、鞍馬山の天狗、または鬼一法眼から授かったか、盗んだかして手にいれたのがこの「虎韜」虎の巻であります。 では何故、わざわざその 「虎韜」だけを手に入れなければならなかったのか?これは、恐らく義経は「鬼」のパワーが欲しかったからだと想像されます。義経つまり牛若丸が「虎の巻」を手にするということは、牛と虎が一体になる、つまり丑寅、鬼門であります。自己を鬼門化して鬼のパワーを手にするという呪術だったのではないかと思います。それから義経は人知を超えた能力を発揮しだします。(1996/11/15)
[なぜ、丙午(ひのえうま)の迷信は起こったか]
もう、お気づきの方もおられるかもしれませんが、丙(ひのえ)は火の兄であり陽の陽であります、その上、午も陽の極に位置します。したがって丙午は陽そのものであります、したがってこの年に生まれる子供は陽気が強いということになり、男児であれば陽で問題ないのですが、女児ならば陰なので男まさりの子になると思われたのでしよう。それが男をくってしまうという風になってしまったとおもわれます。
* これは全くの推論ですが、女性の名前に「・・子」というように「子」の字を使いますが、ひょっとして、これは「午」年、「丙午」年生まれの陽気封じかもしれません。「子」(こ=ね)であり、陰の極のシンボルですから。(1996/10/07)
[八百屋お七のお話]
丙午うまれとして有名な女性に江戸時代に恋人に会いたい一心で放火事件を起こした「八百屋お七」がいます。この八百屋お七の話は伊原西鶴の「好色五人女」の中にも1エピソードとして載っておりますが、ならず者の吉三郎という男が火事場泥棒をするために放火をそそのかしたそうです。お七としては惚れてしまった男性に会いたい一心でやってしまったのですね。
ところで、丙午はまさに火をそのシンボルと致しますので、放火というのは至極当然の帰結かもしれません、それに午は十二支のまさに七番目ですので、お七という名前もなるほどとおもいます。(1998/04/20)
[なぜ、餅撒きを行うのか]
これには二重の意味があると思われます。すなわち餅は白いので金気であります。また、その形も丸く、これも金気に配当されます。つまり餅は金気の象徴であり、金気は「金生水」の理で水を生みます。 わが国の建築物は殆ど木で造られておりますので、火は大敵であります、したがって火を剋する水を生む金気の呪物が求められ、それが餅だったと思われます。さらに、「金剋木」の理で金気は木気を傷めるのでその餅を食べるという金気封じも合わせて行われます。しかし火気を封じる必要があるので、撒かれた餅を焼いて食べるのはタブーであります。
[仲秋の名月]
なぜ秋なかばの満月を特に「仲秋の名月」として愛でるのでしょうか?
本来の仲秋の名月は旧暦八月十五日の夜に出る満月のことをいいます。そして、その八月十五日は秋=金気のちょうど真ん中の日に当たります。満月はその形、色から金気に配当されますので、金気のピークの日にでる満月は最高のシンボルとなる訳です。
今回は、陰陽五行説に密接な関係のある八卦や易についてふれませんでしたが、次の機会にあらためて述べていきたいと思いますので、もし気に入っていただければ応援してくださいませ。f^_^;