今の僕のライターとしてのひとつの夢は、<朴保というミュージシャンの伝記を書きたい>ということ。しかしなかなかそれを具体化する機会がないため、このホームページを作るにあたって、朴保の記録を掲載することにしました。 |
はじめに〜朴保と私 朴保(パクポゥ)というミュージシャンは、僕にとって特別なアーティストだ。彼のステージを初めて観たのは、まだ僕が学生だった81年頃にまで遡る。当時の僕は、後にレゲエ・シンガーのNAHKIとして世に知られることになるバンド仲間と一軒家で共同生活中。その頃のNAHKIは、I&I
COMMUNITY'Sというレゲエ・バンドをやっており、当然僕はそのライヴによく立ちあっていた。現在となってはレゲエは完全に定着しているが、80年代前半の東京では、日本のレゲエ・バンドはまだそれほど多くはなく、ライヴとなるとレゲエ・バンド同士のイヴェントとして行われることがしばしばあったのだ。 |
俺が初めて朴保の音楽に触れたのはもう10年以上前のことになる。当時の朴保&切狂言はレゲエのイヴェントに出ることが多かったがパーカッション(ケンガリ)を打ち鳴らすステージに圧倒的な衝撃を受けた。見た瞬間は何が起きたのか分からなかったが、それからは取り憑かれたように彼らを追いかけるようになったのを良く覚えている。後にサムルノリを知って、あれは韓国のシャーマン・ミュージックだったと気が付いた。だがその頃には、アメリカに渡った彼の情報は一切入らなくなっていた。 音楽というものは再現されるものではなく人前で演奏されるたびに新しく命を吹き込まれるものなのだ。切狂言のライヴを見ると僕はいつもそんな風に思うのだが、特に今回は凄かった。普通は即興性を重視した演奏というとインスト中心になるのが当たり前だが、朴保の場合に限っては違うのだ。あくまで歌が中心のまま、まるでこんこんと湧き出す泉のように、歌詞さえもステージの上でどんどん生まれてくる。インスピレーションがやってくる瞬間のスリルは、客席を含めて場内全体にしみわたり、僕はすでに時間の感覚を失っている。ひとつの曲が演奏されている間にあたかもひとつの宇宙が生まれ育っていくかのようだ。いよそもそも創作とは、そのように宇宙を生み出す行為を指す言葉ではなかっただろうか?それにしてもこうしたピークが何回もやってくる今回のステージは、今まで見た中でも最高だ。
朴保&His Band at 渋谷クロコダイル
ところが今年に入ってぴあを見ていたら、クロコダイルにいきなり名前が載っているではないか。その時は見逃したが別の用件で店長の西さんに話を聞いたら11月にも(ライヴが)あるという。東京ビビンパクラブの存在も知り、早速(ビビンパの出演した)イヴェントに足を運んだ後、いよいよ11月30日、朴保&His
Bandを見る日がやってきた。正直言って期待と不安がゴチャゴチャになっていた。なにしろ昔の衝撃があまりに大きかったので、それが自分の幻想だったりしたらどうしようとも思っていたのだ。
しかし1曲目が始まった瞬間、俺はそれが杞憂に過ぎなかったのが分かった。おじいさんの恋の歌(「LOVE
is a
MYSTERY」)。すでにここで涙が…。これは確かに昔のライヴで聞いたことがある。テープさえ持っていなかったのに分かる自分にもびっくりしたが、これはもちろん歌がずば抜けて素晴らしいからだ。レゲエ、ソウル、民謡と音楽的にはずいぶん多彩になっているが、テンションの高さは相変わらず。今回は朴保のギターの凄さにも改めて気付かされた。
それにしてもこんな世界的なスケールのステージを、わずか2千円のチャージで見てしまえるなんて、俺はなんて幸せ者なんだ!しかも一番前だぜ。ワォ!まるでボブ・マーリィやボブ・ディランを最前列で独り占めしているような気分である。こんな喜びはもっともっと大勢の人と分かち合うのが、世の中のためだろう。最前列で見るのが難しくなるのは正直いってちょっと惜しい。でも朴保の良さをうちわだけで独占するなんて、それは人類への罪だぜ!
(阪神・淡路大震災から2週間後)
朴保&切狂言 at吉祥寺マンダラ2
だが当の朴保は、曲間になるとまるで普段と変わらない。MCではショ〜もないジョークを連発するただのオッサンである。彼自身には自分をどんな風に見せようという打算はこれぽっちもないのだろう。あくまでも謙虚なままだ。例えば人間が空や海を所有できないように、メッセージもインスピレーションも人間が支配したり所有できたりするものではない。純粋なメッセージとはパフォーマーのエゴや自己顕示欲の産物ではない。むしろメッセンジャーの自意識は果てしなく稀薄になっていく。メッセンジャーがメッセージを伝えるのではなく、メッセンジャーはメッセージそのものと一体になってしまうのだ。
だから僕は朴保をカリスマとは呼びたくない。何故ならこの国で使われているカリスマという言葉には、ハッタリや虚勢でインスピレーションを自意識のアクセサリーにおとしめようとする人間の不遜さが染み付いてしまっているから。自分を超えるインスピレーションを抱えても決して尊大にならない彼を見ていると、僕は切狂言の音楽をシャーマン・ミュージックと呼びたくなる。それはたかだか地震のひとつで、いくらでも運命を変えられてしまう人間という生き物のちっぽけさを受け入れたうえで慈しむ讃歌だ。自然を畏れ敬いシャーマンを大切にしていた先住民族の文化に、朴保が深い敬意を捧げているのも当然だろう。僕は最近、切狂言のライヴを見るたびに、自分が忘れかけていた生き物としての健全さを思い起こされて、安らぐような気がしている。
注)この時のステージはワンマンで3時間半に及ぶ破天荒なものだった。僕の独断で言わせてもらうと、バンドを率いた演奏中に歌詞さえも即興で作ってしまうインプロヴィゼーションは、朴保の大きな魅力のひとつだが、このステージはその凄みを最大限に発揮していた。
90年代に入って、再び日本に拠点を置いて活動を再開した朴保は、東京ビビンパクラブ、朴保&His
Band、朴保&切狂言での活動を経て、その後は朴保Bandと波人(パド)というふたつのグループを率いると同時にアコースティック・ライヴも頻繁に行っている。大きな注目を集めそうなタイミングで、バンドの形態が度々変わってしまった時には、正直言って歯がゆく思ったこともあるが、彼の音楽を支持する僕の気持ちに変わりはない。