ドラマーKOKIのイルサンタバンサ
(日常茶飯事)




第9回 怒涛の飲食日誌 韓国編

 2003年初のイルサンタバンサである。今年もみんなよろしくね。またライヴなどで全国津々浦々いろんな場所に行くので、いっぱい会おうよ!
 さて新しい年にふさわしく、今回のイルサンタバンサはオレの愛する韓国について話そう。というより、実は年末年始、久々にソウルに行ってきたので、その怒濤の6日間を記しておこうと思うのです。
 ちょっと「大作」になっちゃいました!ゆっくり読んでね。

 前回ソウルに行ったのは、2001年9月。かのヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションの活動が本格化する直前だった。この時は朴保Bandとして若者で賑わう明洞(ミョンドン)でライヴを行ったのだが、オレの場合、今まで韓国に行くときは「必ず仕事で」だった。それはそれで有り難いのだが、一度全くのプライベートで行きたい!と常々考えていた。だって自由気ままにぶらぶらしたいんだもーん。んで願い叶って、2002年も暮れようとしている12月の末、万障を繰り合わせ韓国へ行くことができたのである。


12月30日
 超早起きして朝10時成田発の飛行機で日本を飛び立つ。昼過ぎには仁川空港に着いていた。時差が無いのも韓国のいいところ。今までは仕事でしか来たことが無く、よって移動も人に付いてくだけで上げ膳据え膳ーーーだったのだが、今回は自力でリムジンバスに乗るところから始まる。底冷えのする中、震えながら何とかソウル駅行きのリムジンバスを見つけ、ソウル駅からは地下鉄に乗ってホテルへと向かった。
 降りたのは恵化(ヘファ)というところ。大学路沿いにあって、路地を入ると雑貨屋さんなどが多く穴場的に楽しめる場所だ。駅からスグにあるスターバックスに飛び込む。朝からコーヒーが飲みたくてしょうがなかったのだ。
 「何もわざわざスタバに行かなくったって!」と思う人もいるでしょう。実は韓国のコーヒーはマズいのだ。味がチョー薄くて「茶色い白湯」かと思うほど。機内でもそんなコーヒーしか出なかったので、濃い〜いコーヒーが恋しかったのよ。スタバのコーヒーは世界均一の味だろうから失敗はないだろうと思ってね。ちなみに韓国の人々は甘〜いコーヒーが好きで、喫茶店のコーヒーに無条件で砂糖が入っていたりヘーゼルナッツのフレーバーが付いていたりすることがある。だからかどうか分からないが、スタバでもストレートコーヒーを注文する人は殆どいず、もっぱらミルクがたっぷり入ったものとか生クリームやチョコでアレンジしたモノが人気のようだ。

 そしてホテルにチェックイン。ここは前にも泊まったことのあるホテルなのだが、見かけは「ラヴホテル一歩手前」な感じ。でもオンドル使用の部屋があるし安い(今回一泊およそ¥4600也!)ので気に入ってる。いやー、オンドルってホント素晴らしい設備だよ。床があたたかいだけで他の暖房なんて必要ないんだもの。暑すぎて窓を開けちゃうくらい。韓国は日本よりかなり寒いのに、よ。いや寒いからこそ暖房設備が完璧なのかもね。あったかい床にへばりつきながら、しばしくつろぐーーー。

 トイレから友人の悲痛な叫び声。ゴボゴボいって水が流れないのである。あちゃ〜、云うのを忘れてた!韓国のトイレってトイレットペーパーを流せないところが多いんだよねー。紙は流さず、脇にあるボックスに捨てるんだ。「えっ!?」ってちょっとうろたえるだろうけど、下水道事情があまり良くないのと、日本人ほどクルクルクルクル〜ッと沢山のトイレットペーパーを使う習慣も無いので。よく見てると、食堂などでテーブルに置いてあるティッシュはこのトイレットペーパーと同じ材質・規格のもののようだ。つまりトイレットペーパーもティッシュのように頑丈で水に溶けないってワケ。そりゃ詰まるわな。

 一本大切な電話をする。ソウル在住のミュージシャン・佐藤行衛さんと明日会う約束をとりつけた。行衛(ゆきえ)なーんてカワイイ名前だが、ロン毛にサングラスが似合う兄貴。彼はコプチャンチョンゴルという韓国風モツ鍋をバンド名にしている。韓国に住んでまだ3年だというが、既に韓国のメジャーからインディーズまで、ロックから歌謡曲まで精通している。

 さてさてお腹が空いてきた。明洞(ミョンドン)に繰り出す。ここはいつ来ても若者たちでごった返してる。道の両側には店、店、店。道の真ん中には屋台そして屋台。人々はウインドウショッピングして買い物して屋台で立ち食いして、またブラつく。ふと目を上げるとガラス張りのフィットネスクラブがあってお姉ちゃんがランニングマシーンにのって汗をかいていた。看板には「24時間営業」とある。なんてエネルギッシュ!

 同行の友人がビビンパを喰いたいというのでビビンパ発祥の地の名前の付いた「全州屋」に行った。ここはあまりにも有名なもんで、あちこちで日本人観光客が目立つ。オレたちは韓国ビール「OB ラガー」で身も心も潤して、石焼きビビンパ、パジョン、キムチ、冷麺を堪能した。

 店を出るとビックリ!雪が降ってる。あぁ、冬のソウルの「白い歓迎」か!それでも明洞では人の波が絶えないんだ。 ファミリーマートで夜食を買い込んでホテルに戻る。しかし、今朝は早起きしたので、どれほども経たないうちにぐっすり眠ってしまった。

12月31日
 大晦日。日本にいたら何となく慌ただしい一日だろうが、韓国は旧正月を盛大に祝うので落ち着いたものだ。
 ホテルの近くにある食堂でスンドゥブ(豆腐入りキムチチゲ)を食べて体を起こす。その後スタバでコーヒーを飲んで佐藤さんに会うため新村(シンチョン)に向かう。

 新村ーーー。初めて来たが、近くに大学があるせいかここも活気のある街だ。カラオケ屋が林立する通りがあったりする。何故か日本食屋が多い一角もあった。味はどーなんだろ・・・。むむむ。のり巻きとうどんをセットにして「ランデヴー」なんてラヴリーな名が付いたものもあったりしてーーー。

 佐藤さんが行きつけのCDショップへ連れてってくれた。古本屋のような雰囲気の店内。飾りっ気がほとんど無い。この「商品の並び」に慣れるのがまず先決だな。佐藤さんにいろいろとご指南いただいて勢いCDを5,6枚買い込む。

 夕食まで少し時間があったので、引っ越したばかりの佐藤さんの新居にお邪魔した。1軒の家を2世帯が1階と2階でシェアするタイプのものだが、天井は高いし広々として快適である。勿論オンドル使用。というか、オンドルは韓国ならガス・水道と同じように常設が当たり前なのだ。昔は、台所から出たあったかい煙を利用していたが、そのうち練炭を焚いて空気を暖めるようになった。がしかし、一酸化中毒の被害が多くなったため、今はガスでお湯を沸かして床の下を通してる。クリーンで安全、ってワケね。ちなみにお湯を沸かすガスが都市ガスになったのは割と最近で、今でも地方に行けばプロパンや石油ボイラーで沸かすところも多いんだって(by もの知り博士・佐藤行衛)。オンドルちゃんはホントにあったかいのでCDや楽器などは湾曲するし痛むので絶対床に直接置いちゃいけない。

 佐藤さんのプロデュースしたバンドのCDなぞを聴いていると、佐藤さんの同居人ウニが仕事から帰ってきた。彼女は服飾デザイナー。人なつっこくて面倒見の良い美人さんよ。今夜は佐藤さんの知り合いのバンドがでるライヴに行くことになっている。まずはみんなで腹ごしらえすべく新村の飲み屋街へ。今回の旅で初のカルビを食す。ひゃっほーーーっ!美味い。佐藤さんの「カオ」でカルビの量も大サービスしてくれたし。あとはテンジャンチゲや石焼きご飯(焦がすとまたウマいっ!)など韓国ならではのナイスな料理に舌鼓を打った。ひとつ大きな発見が!ニンニクをごま油で茹でるとサイコー。揚げるのではなくグツグツ茹でる感じである。ニンニクが柔らかくなってビックリのおいしさ。焼肉の鉄板の上で金物茶碗にニンニクとごま油を入れておくとベストだね。酒は韓国ビール「Cass」、そして、その店のオリジナル・チュクトンジュ(竹筒酒)を飲んでみると風味良くて美味かったぁーーーっ!

 さんざん飲んで喰った後、一路、小ホール「パラム」へ。人気インディーズロックバンド「ココア」ほか、テクノありトランスユニットありと、てんこ盛りのイベントだった。
 途中でホールを出て、オレたちはロックバー「RUSH」に移る。

 そしてオレはここで新年を迎えたーーー。

 誰かが買ってきたトッポッキ(餅の辛味ソース和え、屋台の定番)やケーキやフルーツが入り乱れる中、既に酒はビール「Hite」からジャックダニエルになっている。もう誰も止められない!?佐藤さんはすっかりDJと化していた。棚にあるレコードから次々に懐かしい曲がチョイスされていく。んでもって「新年・大リクエスト大会」になった。オレは久々にレインボーの「Since you been gone」やボブ・マーリーの「No Woman,No Cry」を聴いた。

 この日、どれだけの人と抱き合い話し酒を酌み交わしたか覚えてない。
 友人がビデオをまわしていたので後日観たら、帰りのタクシーの中での酩酊ぶりや、ホテルの部屋に着くや否や服を脱ぎまくる自分が映ってて、倒れそうになったケド・・・。

2003年1月1日
 ホテルから歩いて仁寺洞(インサドン)に向かう。骨董屋や民芸品屋などが多くて観光客にも人気のあるところだ。流石に本日は元日なので店は閉まってるところがちらほら。でも日本の元日よりは賑やかだった。

 カルククスという韓国風うどんで有名な「ケンマウルミル パッチム」に入る。メニューはカルククスと、マンドゥという韓国風ギョーザしかない。店内の客、みんなそれを喰う。うどん、というよりスープスパに近いかなぁ。薄味でね。アサリがごろごろ入ってる。すっごく体があったまったよ。

 そしてみんなも良く知ってる南大門市場へ行ってみた。この市場に休日はない。皮のコート、バッグ、セーター、高麗人参etc.オレはぜ〜んぶ素通りして見るだけ!そう云えば、南大門市場の「MESA」というビルの中にあるイベント会場で、2000年12月にライヴをしたことがある。
 ついでに近くのロッテデパートを訪ねるもお休み。この辺りで、吹きすさぶソウルの冷たい風に「泣き」が入ってきた。もう、ホント寒いのよ。日中の最高気温が2度、3度ってのが当たり前なんだから。

 一旦ホテルの近くに戻ってスタバのコーヒーで暖をとる。スタバ、3日連続ーーー。

 体勢を立て直して、夕方、佐藤さんとウニと、それからやはりソウルに遊びに来ていた朴実と彼の友人・小野田さんという面々で仁寺洞で夕食をとった。そっか、オレはこの日の振り出し(仁寺洞)に戻ったワケね。なんか昼間来たときより夜の方が活気があるぞ、仁寺洞。ソウルってさ、昼間よりもネオン煌めく夜の方が断然面白い!って改めて思ったよ。人々も活き活きしてるしさ。うん、この街はオレ向きだな、やっぱ。
 飲むメンバーがメンバーだけに、席上、百歳酒(ペクセジュ)、JINRO、雪中梅、Hiteビール、マッコリなど、ありとあらゆる酒が飛び交う。

 明日帰国するという朴実と小野田さんを見送って、佐藤さんとウニにもう一軒付き合ってもらった。その席でウニがひとつ提案した。
「みんなで旅行しましょう!」
え?何処へ行くのかと訊いたら、ソウルから高速バスで1時間半くらいのところに取れたての「貝づくし料理」を食べさせるところがある、という。なんでもその近くにウニの知人が住んでるから会いたいし、とも云う。丁度あさって3日の日の予定が未定だったので食いしん坊のオレは二つ返事で快諾した。まさか、あんなサバイバル度「満点」の極寒の旅になろうとは夢にも思わずに・・・・・。

1月2日
 気になっていた日本料理屋に遂に足を踏み入れる。恵化(ヘファ)駅の近くにある店なのだが、ここはべらぼうにデカいトンカツとうどんが「売り」のようだ。結構はやってる。伝統的な韓国料理にはあまり脂っこいものは無いが、こうして若い世代を中心に食生活がどんどん変わってゆくのだろうか。マックもダンキンドーナッツもバーガーキングもあるしね。そういえば、韓国の女の子たち、昔は「細くてきゃしゃ」なイメージだったが、今回街を歩いてると彼女たち、少しぽちゃっとタイプが目立つような気もする。
 とはいえオレがセレクトした350円のスペシャルうどん、予想に反して、まま美味しく食べられた。つゆも関西風だったし。例えて云うなら「大学の学食のうどん」って感じかな。ははは。

 地下鉄に乗り込む。今回オレの「足」は深夜以外は地下鉄だ。ソウルの地下鉄はほとんどの場所へ600ウォン、およそ60円で行けるからホント助かる。また各線も「1号線」「2号線」てな具合に命名されているので乗り換えもわりと分かり易い。

 韓国は日本と同じくらい携帯電話が普及している。日本のものより小型で薄型のように見える。日本ではあれだけ「電車の中ではケータイ電話のご使用はご遠慮ください!」と叫ばれてるのに比べて、韓国ではそんなこと一言もアナウンスせず、人々は車内でもガンガン電話する。地下鉄の車両が走行中でも電波が届くのだ。でもどーしてかな、日本の電車の中で感じるようなイライラ感はないんだよねー。くだらない話をバカみたいな大声で長電話してるヤツとか、一斉にメールしてる異様な風景が無いからかな。

 地下鉄に乗って向かったのは「戦争記念館」。ここには、朝鮮半島に生きる人々が経験してきた戦いの歴史が壮大なスケールで再現されている。いやその規模は想像を絶する。役目を終えた数々の戦車、戦闘機、大画面による映像フィルム、ジオラマなどなど。親子連れや若者も多く見に来ているのだ。韓国には徴兵制がある。戦争、誇りーーーいろいろと改めて考えさせられた。

 そういえばお土産らしきものを未だ全然買ってない、てことに気が付き、ロッテデパート再び。今日は開いていた。ここは云わずと知れたお土産の宝庫なんだな。迷ったらここに来いっていうくらい。定番のキムチ&韓国のりを買って(芸が無い)、南大門市場再び。前来たときに買うか買わまいか迷った「ゆず茶」を大ビンで購入。お茶と云ってもゆずのジャムで、お湯に溶かして飲むと甘酸っぱくてうまい。おー、そうそう、石毛さんに百歳酒(ペクセジュ)を頼まれてたんだ。日本でも売ってるんだけど、現地で買うことに意義がある、ってか!?

 明日は「貝づくしの旅」をするので、ホテルの近くの食堂で早めの夕食。骨付き豚がドッサリ入ったカムジャグクを注文した。あー、オレは韓国にいる間どれだけチゲを喰ってんだろう!どれも具が違うし辛さも違う。飽きさせないねぇー。

1月3日
 朝8時起床。10時過ぎにロビーで佐藤さん&ウニと合流。今日はいよいよソウルを離れて唐津(タンジン)という町に貝を食べに行くのだ。

 が、、、、、。

 高速バス乗り場に着いた時、既に雪は降っていた。いかにも積もりそうなボタン雪である。ここから唐津へはバスで1時間半。バスは出発出来るのか・・・。出発しても帰って来られるのか・・・。みーんな不安な顔を隠さずにいるのに、ウニは全く気にも止めない様子。飲み物とつまみを買うことに専念している。流石、韓国の女性は肝が据わってるゼ。ええいっ、ケンチャナヨ!何とかなるさ!雪よ、降るなら降れっ。

 ・・・・・・・・・・

 本当に大雪になってしもうた。バスは高速道路を走ってるのだが全くスピードが出せない。路面も凍り出したようだ。おいおい、もう引き返せないよ。この先一体どーなるの!?などと若干顔を引きつらせながら佐藤さんを見やると、彼は楽しそうに魚の図鑑に読みふけっていたーーー。
 とか云いながらオレもアバウトなところがあるので、バスに揺られてると、心配しながらも気持ちよ〜く眠れたりする。ウトウトしたり雪に呆然としたりを繰り返しながら、出発してから約3時間後、予定の2倍かかってようやく現地のバス停に到着した。バスから一歩降りるとザクッ。雪は軽く10センチは積もっていた。

 そこからタクシーで、まずウニの友人宅へ。ウニが以前入院した時に同室だった女の子の家だそうだ。韓国の田舎のフツーの家。突然の訪問にも拘わらず、お母さんがご飯を用意してくれた。素朴な心づくしの対応に感激する。ウニは久々に会った女の子に、自分のデザインした洋服をプレゼントしていた。こうゆうあったかさって、いいね。
 女の子とお母さんも同行して、いよいよ一路「貝づくし」の海へ!タクシーに乗ること約30分。一体いまオレは何処にいるのか、もう全然分からない。着いたところは、美しい日の出が見えるので有名な海岸だった。
 しっかし・・・さぶい。さぶすぎる。オレたちは海独特の強い風に吹きさらされた状態だ。しかも雪景色が一層寒さを募らせる(なんか演歌みたいになってきた)。でもオレたちは異常にテンションが高まっていた。なんてったってようやく美味い貝にありつけるのだから!店の前の水槽に浸かった何十種類もの貝。そこから好きなモノを選んで店の中の炭火で焼く。程良く火が通ると、貝たちはパックリと口を開けてくれる。磯の香りがする。貝を取りさばく片方の手に軍手をはめて、「焼き係」のお店のお姉さんに仕切られるまま、Hiteビールをおかわりしながら、オレは一年分くらいの貝を喰いまくった。佐藤さんがホヤとナマコの刺身を注文した。多分オレは、コレ、初めて食べたかも。

 さて、オレたちは今日ここからソウルに帰らねばならない。貝を喰ってる間はそれを忘れていた。女の子のお母さんが「高速バス乗り場まで行く路線バスが通るから」と云うので、みんなで近くのバス停まで歩いて行った。既に夕方、寒さで路面が凍結していて、道行く車はチョーのろのろ運転。不安が募る。バスは来るの!?時刻表を見ると、予定ではあと10分ほどでバスはくるはず。

・・・・・・・・・・

 当然10分でなんかバスは来なかった。いつ来るのか。来ないんじゃないのか。もう、やけっぱちである。だんだん暗くなってくる。ここは海の近くで灯りの少ないところだったんだと、その時改めて気付く。みんな変な薄笑みを浮かべている。絶対、気温は氷点下だ。寒さで足のつま先の感覚がもうなかったもん。遭難したときってこーゆー感じなのかなぁーと思ったりする。明日午前10時初の飛行機で帰国することになってるのだが「でもまぁ、この分だと遅れることもアリかな」なーんてオレが冗談でつぶやくと、仕事のため絶対遅延は許されない友人がキッと睨んだ。

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 どれほど待っただろうかーーー。みんなの殺気が頂点に達する1分前だったかもしれない。やっと到着したバスにすがりつくように乗り込み、オレたちはソウル行き高速バス乗り場を目指した。路線バスの暖房が効いてなくて、こりゃまた車中も寒かったが、「前進している」という心強さがあったからそれは我慢できた。
 ようやく高速バス乗り場に着いてソウル行きの切符を手にするも、高速道路で玉突き事故があったとかで、バスのダイヤは大幅に遅れているとのこと。さもありなん。折しもまた雪が降り始めた。ええいっ、もう大分肝が据わってきておるわっ。でも確認すると、遅れてはいるが、バスはこの後必ずソウルへ向けて出発するって云うのでホッと安心。長時間連れ廻した女の子親子に礼を云って別れ、オレたちは予定を大幅に遅らせてソウルへの帰途についた。

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 フツーはこれでホテルに帰って熟睡、だよね。しかし最後の夜である。ほとんど「じゃあね」といいかけてたオレに、佐藤さんが「孝喜、折角だから軽く飲んでく?」な〜んて優しい誘いをしてくれるもんだから嬉しくて飛びついた。佐藤さん大推薦のお店でポッサムやヘジャングク(牛の血をゼラチン状に固めたものの入ったスープ)などを堪能し、マッコリを2本空けた。更に佐藤さんが「紹介しておきたい店がある」と、韓国ロックバー「コプチャンチョンゴル」へ連れてってくれた。佐藤さんのバンドと同じ名前の店だ。韓国音楽のみをかける店で、若者たちでいっぱいである。壁に飾られたレコードジャケットも興味深い。マスターが気を利かせてトゥブキムチなど食べ物をガンガンサービスしてくれる。勢いづいたオレたちは、そこでマッコリを3本空けた。

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 本当に佐藤行衛さんにはお世話になった。ウニともども大歓迎してくれて、いろんな美味しい店、面白い店に連れてってくれた。佐藤さん&ウニのお陰で行動範囲がグッと広がったしますます韓国が好きになったもんね。この場を借りて御礼を云います。本当に有難うございます!今度はコプチャンチョンゴルのドラムをたたかせてくらはーい!えへへ。

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 ホテルに戻ったのは26時30分。荷物を整理して体を横たえたのは27時30分。その2時間後には起きなければならなかった。ひえ〜〜〜〜〜っ。

1月4日
 ・・・と云うより、さっき目をつぶったばかりである。
 ・・・と云うより、さっきまで飲んでました。
 朦朧とする中、オレはホテルをチェックアウトし、マイナス9度と表示された朝6時前のソウル駅から仁川空港行きのリムジンバスに乗り込んだ。

 昨日の大雪の不安を一掃するかのように、まるで順調に、快晴の成田に戻ってきた。

 その足で、新年麻雀大会をやってるらしい石毛さんちに直行して、お土産の品々を渡す。志田さん、マリさん、イッセーさん、そして石毛さんの4人が卓を囲んでいた。自身のCDレコーディング直後のせいか、志田さんがミョーにハイテンション!「おーっ、孝喜が来た途端にツキ始めたゾーッ!」みたいな。馴染みのみんなに新年の挨拶をして、お酒も少しいただいた。あー、今年もみんなにとっていい年でありますように。

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 ところで、韓国でのオレのハングルの通じ具合は、、、、、まだまだって感じかなぁ。お店でのやりとりなど軽い会話なら問題ないが、ちょっと早く話されたりテレビのニュースなどを聞いてても???が多い。もっと勉強しなきゃ、ね。

 これは余談だけど、佐藤さん&ウニに云わせると、韓国の人気俳優でオレにそっくりな男がいるらしい。念のためだけど、2枚目らしいよ。いいんじゃないのぉ〜!?明洞で、それらしき男のポスターを見たんだけどアイツかなぁー?へへへ。

2003年1月   伊藤孝喜