ドラマーKOKIのイルサンタバンサ
(日常茶飯事)




第17回 顔面蒼白!人生2度目の大当たり〜韓国ライヴ紀行2004 Part2

 
今、(ダイエット)ペプシの飲み過ぎで少々太り気味の孝喜です。いや、ベッカム・トッティ・ロベカル・ロナウジーニョ・ラウール、このサッカーのスター選手5人のバッジを集めるのに必死でね(笑)。正確に云うと、友人のご所望により「ラウール狙い」から事は始まった。何でも全部で100種類以上あるらしいんだけど、5人のバッジが各種色々と出てくるにつれ、オレはだんだん意地になってきた。
「全部集めたるぅーーーっ!!!」
 ま、それは極端にしても、かなりの数を飲み干し、掛け時計がもれなく当たる!という金バッジまで当てている。
 コンビニを素通りできず、今日も2本、ペプシを買ってしまったーーー。オレは一体いつまでペプシを飲み続けるのか・・・・・

 さて、2月韓国ライヴ&食日記のつづきです。

2月20日
 11時起床。河端さんと東さんが、昨夜の悪夢(イルサンタバンサ その16参照)も覚めやらぬウチに(同情・・・・・)本日帰国するというので、オレたちはまずバス停まで二人を見送り、その足で行衛さん&柴籐さんとムルネンミョン、マンドゥ、そしてピビンネンミョンを食べて帰宅した。

(ムルネンミョン)


(マンドゥ)


(ピビンネンミョン)


 それからオレは熱いシャワーを浴びたのだが、昨日のアルコールがまだ体から抜けきってない。こう毎日、朝から寝るまで呑みまくってると、日本に帰って人間として使いモノになるのか・・・・・かなり不安である。
 で、今日は特に予定もないので、久々にひとりで散歩に出かけることにした。考えてみれば、ソウルをボーッとしながらゆっくりと歩けるなんて贅沢な話だ。馴染みの新村の駅前をぶらぶらして、これまた行きつけのレコードショップ「ヒャンウマクサ」へ。シンジュンヒョン先生がキムサッカの詩に音楽をつけたCD、新村ブルースの第3集、トゥルグックアの第1集を購入。そこからシンナラレコードへ移動し、韓国映画のDVDを物色するが、まだ日にちはあるしぃ・・・、財布とも「綿密な相談」が必要なのでぇ・・・ここはグッとこらえる事にしましたぁ。
 そうこうするうちに日も暮れて19時(はやっ!)、行衛さん、柴籐さん、ウニと合流し、4人で中華屋へ繰り出す。この店は行衛さん&ウニのオススメで、酢豚やチャンポンが旨いもんだからビールがススムのなんのって!
(酢豚)

 本当ならここで時間をかけて「撃沈」したいところだが、今日はこれから行衛さんの後輩たちのライブを観に行く予定がある。
 ・・・・・て事で、名残惜しいけど中華は軽めに済ませ、22時、タクシーでテハンノのちょっとあやしげだけどオシャレ(?)で小綺麗なクラブに潜入した。ライブ自体はフリーミュージックなので楽しめるところもあるのだが、「小綺麗なクラブ」っていう環境にオレたち馴染めない。何なんだろうね、この身の置き場所の無さ加減(笑)。オレたちは珍しく酒も呑まず、ライブが終わるとそそくさと帰宅してしまいましたぁー。
 家に着くとホッとして、ようやくビールを口にした。韓国滞在5日目、そろそろ目に見えない疲れが出てきたような気もするので、4本空けたところで26時、おとなしく就寝。明日、コプチャンチョンゴルのライブだからね。

2月21日
 少し遅めの12時起床。昼食にウニも加わる事になり、オレたちは慌てて順にシャワーを浴び、タクシーをひろってチョンノ6街へ。毎度お馴染み、オレの大好物タッカンマリを喰らう。
(タッカンマリ)
 4人でニンニク、朝鮮人参、砂肝などを山盛りトッピングしたタッカンマリ(つまり「鶏1羽鍋」ね)をきれいに食べつくし、シメにはラーメン、そしてご飯。挙げ句の果てにビールまでいっちゃったもんだから、しばらく動けそうもない。ううう。オレたちは育ち盛りの体育会系兄ちゃんか!?
(ウニと行衛さん)
 なもんで、近所の喫茶店「ミューレン」でコーヒーをいただきながら静かに消化してゆくのを待つ。その後、南大門まで移動して、注文していた待望の新しい眼鏡を受け取った。赤いフレームがキュートなのよね。まわりの評判もいいのよね。
 一旦帰宅して、今夜のライブの準備・・・に取りかかろうとしたが、その前に・・・ちょっと昼寝してアルコールを抜いとこうかなと思い立ち、しばしゴロンと休息。ライヴ前になんとも暢気に見えるだろうが、体をセットアップする方法はいろいろあるってことなのさっ!(笑)
 17時、RUSHに入りセッティング、そしてリハーサル。みっちりバッチシ2時間汗を流してエンジンを暖めた。さぁて、本番までには少々時間があるねぇ。じゃ、ファーストフードでも・・・・・って、ほんとコプチャンチョンゴルの3人てさ、食いしん坊バンザイ仲間なんだよねー。プンシク屋(日本ではお目にかかれないインスタントラーメン屋)に行って、チャパゲティ(チャジャンミョンのインスタントラーメン版)とキムパブをいただく。

(コレがチャパゲティだ!)
 しかしここはアルコールは一切置いておらず、しかも禁煙。不良のオレたちが長居できる場所ではなかった。なので、おとなしくRUSHに戻る。
 するとそこには、我らがジミヘンさんが既に駆け付けてくれていて、ウニ、そしてヘギョンも集結したところで、22時15分ファーストステージ、スタート。もはや定番となったレパートリーの中から40分ほど演奏して軽く汗を流す。休憩をはさんでセカンドステージもおよそ40分。お客さんは人数こそ少なかったが、皆大変な盛り上がりで、オレたちもすごくいい気分で楽しい時間を過ごさせてもらえた。
 終演後、ジミヘンさんの差し入れでビールを飲ってるところへ「ペクトゥサン」(韓国を代表するハードロックバンド)のドラマー、ハンチュングン氏がやって来て「何か1曲演ってくれよ!」とのリクエスト。

 Oh! 至極恐縮、けど合点承知の助だい!てなワケで、最後に2曲、「サンシャイン・オブ・ラブ」、「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」で暴れて打ち止めに。
 それからというもの、オレたちはまさにアルコール漬けダメダメ人間と化した。

(ヘギョンと)

(RUSHのママさんと)

 RUSHでさんざんビールを飲みまくった後、皆でチョゲグイ(貝焼き)屋へなだれ込む。またまたそこで焼酎などガンガンいっちゃうもんだから精も根も尽き果てるわけね。何とか家に辿り着き、懲りずにまたそこで焼酎に口をつけたと思ったら、今度こそ即、撃沈でした。たぶん30時ころ・・・・・。ダミダこりゃ。

2月22日
 12時起床。目を覚ますと外は雨だった。シャワーを浴びてスッキリさせると、昨夜無茶な呑み方をした割に二日酔いになってないことに気付く。なんだ、オレって全然元気じゃん!まだまだイケるねぇ〜!そう思うと食欲も出てきて、麻浦でプデチゲを喰らいビールもすすむ。
(プデチゲ)
 でも、調子のいい時ほど注意した方がいいって事にのちのち気づかされるんだけどね・・・・・。
 完璧リラックスムードの野郎3人衆は近所の風呂屋へ。そう、韓国の銭湯です!入ってみると中はとにかく賑やか。子どもはそこら中を走り回り、大人たちはフルチンでゴロゴロ寝そべってて、ワイワイガヤガヤの大盛況なのよ。いやー、日本では男も「礼儀として」タオルでイチモツを隠すけど、韓国は違うよー。堂々たる見せっぷり!なんで隠さなきゃイカンの!?コリアンパワー全開!ってなもんで。(植木等ふうに)いやいや、こりゃまった失礼いたしましたっと!
 しっかしいいねぇ、銭湯。日本も昔はこうだったのかなあー。まさに社交場だね。こうゆう付き合い方をしていれば、人は色んな苦労を笑い飛ばして生きていけるのかもしれない。
 風呂とサウナを堪能しながら、汗を流しここ1週間の疲れを癒した後は・・・・・やはりビールでしょう!

 行衛さんちに戻ってビールで体を潤しながらひたすらゴロゴロ。そのまま夕食へ突入。こんな幸せなことをしていていいのだろーか!?そのうちバチが当たるぞ。・・・・・なぁんて思うのは一瞬で、そそくさと食べ物に手を出すオレ。今夜はウニ特製のキムチチゲだぁーい!いっただきまぁーす!


(激ウマ!ウニ特製愛情キムチチゲ)
 結局、この日は雨のせいか(雨のせいにすなっ!)1日何もしなかった。今は旅で韓国に来てるけど、これが日常生活のひとコマだったら・・・・・そんなことがフッと頭をよぎる。
ミニ宴会の酒は焼酎、そして泡盛へと転じていった。あああ、誰かオレたちを止めてぇーっ!

(デキあがった柴藤さん)
 26時気絶。もういい加減にしろっ、いい大人がこんなんでいいのかっ、と夢の中で誰かが云ってたような云わないような・・・・・。

2月23日
 11時起床。少々疲れも残ってる気もするがチョンノ6街でビール&食事。今朝はオーソドックスな定食みたいなもので攻めてみる。・・・て云うかサ、朝からビールってのが当たり前になりつつあるのはどうよ!
 その後、腹ごなしに近所にある本の問屋街を散策していると、日本でも今大人気の少女マンガ「NANA」のハングル版を発見する。オレもある女性から教えてもらって読んで知ってたんだけどね。読もうとしてフト違和感に気付く。日本と逆で左から右にページが展開してくのよ。英語本と同じ。どうやらマンガによって日本と同じだったり逆だったりするようだけど、ハングルは英語と同じで基本的には横書きで表示されるから、左から右が自然なのかな。
 その「NANA」、1〜2冊だけにしようかなぁ〜と迷った挙げ句、結局9冊全部買いました。地元の音楽雑誌と合わせて約2800円也。かさ張って重いけど安い買い物だ。何しろ問屋値だからね。
 その後、楽器商街(アッキサンガ、つまりは、楽器屋さんの密集ビル)に移動して色々と見学してまわっていると、なんと、オムイノ氏はじめ新村ブルースのメンバーとバッタリ出くわす。なんでも近々、彼らの1ヶ月公演(!)が仁寺洞であるらしく、その準備で物色に来ていたらしい。

(アッキサンガ)

 こうなるともう行くしかない!断るワケにはいかないでしょ!行かないと失礼だ!ぬわ〜んて言い訳しながら、まだ午後3時だというのに、オレたちはオムイノ氏行きつけの民族酒場へ直行。おいおい、オレたちはさっき食事したばっかりなんだけど・・・・・そんな心の声も聞こえてきたけど・・・・・ケンチャナヨ!こんな偶然、酒で祝わずしてどーする!そーだそーだ!そーゆー声に変わりました、はい。

(オムイノ氏と行衛さん)


(オムイノ氏とその友人と)

 その店で、オレは「大丈夫かな・・・」と思いながら生ガキを食べるとこれが見事に大アタリ!カラァンカラァンカラァン・・・・・人生2度目、生ガキにアタリました。一度目は朴保Bandの大阪ライヴ後に喰って、翌日、帰省した大曲で発症。このように普通生ガキの菌は潜伏期間が24時間位あるそうなんだけど、今回、目に見えない疲労がたまって体が弱ってたもんだから1時間位で来たね。来まくりやがったよ!もう、顔面蒼白、下痢と吐き気のリピート。うぅぅ、今こうして書いていても思い出すよ、あの苦しみを!しかしながら、久し振りにオムイノ氏に会ったばかりなのですぐに帰りたくはない!そう思ってオレは何とか踏ん張って脂汗かきながら2軒目もついてった。
 ・・・・・とはいっても当然オレは何も口にできず、酔っぱらいたちの楽しそうな宴を、ヨレヨレの体でお茶をすすりながら横目で見ていた。ああ、無情。すると、よっぽど具合が悪そうに見えたのか憐れんだのか、誰かが薬を買ってきてくれたり、背中から腕そして指先までマッサージしてくれたりと、皆で心配してくれた。それでも「あああ、やっぱりダメみたいですぅ・・・」と、目の下にクマをつくり引きつるように笑っていると、「アタシが一発で治してあげるワ!」と自信満々に云う女性が!彼女のやることにゃ、手の指先を糸でぐるぐるに締め上げて、その先っぽに針を刺して血を絞り出す!というもの。い、イテっ!こ、これも韓国式なのですかぁ!?なんでもこうすると悪い血を抜いて悪い体を治すらしいのだけど・・・・・。

(血抜きの図)
 努力の甲斐無く体調は全く回復せず、さんざんみんなに心配かけて、20時、やっとこさタクシーで帰宅。即、布団にくるまるが、それからというものトイレとの往復、数知れず。オレのグロッキーぶりは推して知るべし。トホホのホ。
 こうして韓国滞在最終日の夜は、思わぬアタリっぷりで全く眠れず、うんうん唸りながら時は過ぎて行き・・・・・ふと気が付くと、いつしか窓の外は明るくなっていて・・・・・。あー、なんてこった、勿体ない。美味しい酒を呑む機会をひとつ無駄にしてしまったと、悔し涙を流しながら、帰国のため弱々しく布団から這い出るのであった。

2月24日
 朝、聞くと柴藤さんも風邪気味だとか。ヤダもう、オレたち病弱リズム隊!? ライヴが終わった後でホント良かった。
 ということで、普通ならバスに乗るところを病気を理由に贅沢してタクシーで仁川空港へ。福岡へと帰る柴藤さんに別れを告げ、ヨタヨタしながらオレはお土産を物色。無事、飛行機には乗ったがさすがに食欲はなく、水だけをすすりながら成田へ到着、荷物を引きずりながら帰宅した。
 このころには体調もほとんど回復していたが、念のため近所の病院へ駆け込む。ここの女医さん、美人ながらいつもクールで、「食中毒というより疲れによる食あたりでしょう」てな診断。そ、そう?そんなもんかしら。「それより一体いつから健康診断を受けてないんですか?」・・・・・は、はい、えっと確か大学時代の・・・・・。先生、絶句。そんなこんなで山ほど薬をもらい、今晩は食事は控えるように釘をさされ、鋭い眼差しで近々必ず健康診断を受けるよう厳しく念をおされてしまった。
 数時間後、先生との約束を見事に破り、オレはロイホに行ってしまいました。だって、もうお腹は平気だし、さっそく土産話を聞いてくれるっていう美女軍団(ふたり)もいてくれるんだから、そりゃ行くでしょ!ドリア、ピザ、ソーセージなどをつまみ、そして勧められるままに冷酒まで・・・・・。食いしん坊は死んでも食いしん坊。違ったっけ?

2004年5月 伊藤孝喜