ドラマーKOKIのイルサンタバンサ
(日常茶飯事)




第11回 大曲ライヴ大吟醸凱旋の夜

 気がついたら5月も下旬に向かっていた。どおりで日差しがまぶしいはずだ。

 その5月のまぶしい太陽が照りつける大阪・服部緑地公園で、今年も波人(パド)は演奏してきました!そう、「春一番」に呼んでもらってね。前回のイルサンタバンサに書いたけど、兎に角この「春一番」に参加したいミュージシャンはゴマンといて、そんな中、厳正なる審査と大いなる私情が入り乱れて(笑)出演者は決定し、GWの3日間、緑地公園は自由で愛溢れる音楽で満たされるのです。

 今年改めて実感したのは、ミュージシャンの演奏を支えるスタッフの素晴らしさ!
 当然各バンドによって編成も違うし演出も違う。それを約30分毎にバンド側のリクエストに沿ってステージを変えてゆくんだから想像を絶する体力が要る。バックステージだって、もうてんてこ舞いよ。手作りのカレーやおにぎりなど食べ物を揃え、飲んべえの多いミュージシャンたちを満足させるだけのアルコールを準備するやら、機材の打ち合わせをするやら、スタッフの動きが止まることは無い。オレたちに何の不自由も感じさせないようにっていう心尽くしが見えるんだ。ただいい演奏をお願いします!みたいなね。変な話、お金をかければもっと楽になることも沢山あるだろう。でも限られた中で工夫して力を結集すると、金には換えられないモノが生まれんだなー。

 なんせ3日間、50〜60組の出演者にサイコーのホスピタリティーを感じさせてくれるだけの「愛」がそこにはあったよ。お客さんもそうかもしれないけど、オレたちミュージシャンが「また来たい!」って思っちゃうんだよね、「春一番」って。
 んでもって、今回オレは、最終日、大トリで登場した加川良さんのステージで、「幸せそうな人たち」を聴き思わず落涙していましたーーーーー。

 さてさて、何か忘れてない?
 そう!この「春一番」でのライヴ前の4月末、波人は、オレの故郷・秋田県は大曲市でライヴを決行して来ました。故郷に錦!などと冷やかされながらも、思ってた以上に盛り上がり楽しむことができたこのライヴについて書かないワケにはいかんでしょ!

 このライヴを企画してくれたのは、オレの父親が仕事上でも付き合いのある鈴木さん。それまで大曲には無かった良い”ハコ”が出来たから、是非そこでライヴをやろうと云ってくれたのだ。正月に帰省した時にその場所をロケハンし、東京で鈴木さんと石毛さんを交えて打ち合わせすること2回。あとは電話で密に連絡を取り合うだけだったけど、鈴木さん始め地元のみなさんが大いに協力してくれたお陰で、本当にいいライヴになったーーーーー。

 秋田に向けて第一陣が出発したのは4月25日のお昼過ぎ。別名・機材車班のメンバーは、マネージャーの石毛さん、エンジニアの高橋さん、ライターで今回スタッフとして手伝ってもらうことになってる志田さん、そしてオレの4人。オレはその前の晩、下北沢でTeaserのライヴをやって打ち上げで飲んだくれていた為、酒が抜けてない。同じように飲んでるハズの志田さん、元気だ。この人、ホントすごいわ。

 2時過ぎになって、ようやく腹が減ってきた。そこで佐野のサービスエリアにて「朝食」。食べると眠くなるから・・・と云って我慢する石毛さんを尻目に、オレたち3人は、焼きのりと納豆付きの豚汁定食を食す。ああ、無情。
 4時。さすがの石毛さんのお腹も限界、再びサービスエリアに立ち寄り蕎麦を喰う。人が食べてると何か口寂しい気がするオレは、ついつられてアメリカンドッグをパクつく。すんません。
 この頃から、東北自動車道は雨模様となってきた。北上(きたかみ)で秋田道に乗り換える頃にはもう、気持ちいいほどのドシャ降り。途中、道路脇の電灯がほとんど無いところもあって(いいでしょ?これが田舎ってもんよ)、雨で煙って前方が見えにくくスリル満点だった。
 で、夜8時ごろ、宿泊先の「大曲グリーンホテル」に到着。「県南エンタープライズ」の社長、つまり鈴木さんが早速夕食に招待してくれた。有り難い。

 夕食の席には父親も合流した。きりたんぽ鍋、くじら、馬刺、山菜おひたし・・・などなど、どれも旨いこと!何でも「きりたんぽ鍋」は寒い時期の食べ物なので春には出さないのが普通なのだそうだが、東京から来た客人に名物を、とわざわざ仕込んでくれたのだそうだ。ますます有り難い。オレはきりたんぽって食べた記憶が殆どないんだけど(いや、意外と地元の人間は食べないって)、この鍋のダシ、比内鶏と山菜の旨さといったら・・・絶品だった。志田さんなんか唸ってたよね。
 アルコールもエビスの生に始まって冷酒へ・・・という至福コース。そりゃ秋田に来たからには日本酒を飲まないでか。「狩穂 大吟醸」、そして「秀よし」。うまいねー。改めて、酒は造られたその土地で飲むのが一番なのでは、と思う。
 大満足の夕食の後、オレたちは、明日のライヴ会場「グローバル ダイニング オン」に下見に行った。お客さん、そして波人のメンバーも気に入ってくれるかな・・・。いろいろと想いを巡らせながら、そこで焼酎のお湯割りをくいくいっ。
 石毛さんたちホテル組と別れて父親と実家に戻ったのは午前0時。さすがにもう飲めず(当たり前っ)、お茶漬けをサラサラやって(まだ喰うかっ)、ようやく納得して就寝。

 さて、ライヴの朝。珍しく7時に目が覚めてしまう。
 ごはんに味噌汁、目玉焼きと漬け物。久々に母親の作った朝食をいただく。
 そして朝風呂に入った。二日酔いは無い。
 10時過ぎにホテルで石毛さん、高橋さん、志田さんと待ち合わせて、折角だから米所・秋田の酒蔵を訪ねることにした。
 昨夜飲んだ「秀よし」という銘柄の酒を造る蔵に行く。歴史が染みついた古い蔵の中、いろんな作業場と様々な行程を教わった。前に聞いたことがあるけど、酒を造ることはまるで出産と同じなんだそうだ。実際、母子手帳のようなものがあって、そこには日々成長していく”酒の赤ちゃん”の「体温」が事細かに記されていたりする。杜氏は毎日毎日もろみの状態をチェックして、気になっては朝となく夜となく作業場へ足を運ぶ。そして「今日だ!」という時を杜氏が判断し、酒を絞るのだそうだ。酒造りは想像以上にデリケートで忍耐が必要と知って、酒飲みのオレとしてはただひたすら感謝するばかりである。

 とか云いながら、待ってました、試飲!吟醸、大吟醸、そしてワインのように飲みやすいものなどなど、いい気になって飲みまくった。すみません、飲んべえです。石毛さんたちも、ここぞとばかり酒を買い漁ってたし。

 外は小雨が降っていた。みんな来てくれるかな。ちょっと心配。

 ライヴの準備までもう少し時間があったので、角館を車で流し、お昼過ぎに蕎麦屋「南部屋敷」に入ってみんなで蕎麦を喰う。そして1時半、「グローバル ダイニング オン」に入った。
 まずはバスドラのヘッドを、好評(?)の「波人参上」仕様に。そうこうしているうちに、東京から第2陣、つまりはオレ以外の波人のメンバーが到着した。そして緩やかにチェックが行われていった。と、機材関係に少々ハプニング発生。しかしそこはスーパーミラクルエンジニアの高橋さんの手にかかりゃあ、もう、ノープロブレム!そしてメンバーの協力もあって、出来る限りいい状態にセッティングすることが出来た。ホッ。

 こうなりゃ波人のいつものペース。リハの後、景気づけに近所の居酒屋「陣」へ向かう(いつも石毛さんに「飲み過ぎんなよっ」と怒られながら・・・でもオレたちは強行突破してます、誰も止められません)。んで、焼き鳥やサラダ、馬刺などをつまみながら軽くビールで喉を潤した。良いライヴになりそうな予感がした。

 午後6時半。楽屋に戻って着替えていると、父親に呼び出される。行ってみると、中学時代の吹奏楽部の顧問だった伊藤辰雄先生が客席に!ひょえーーーっ。そりゃ故郷でライヴをやるんだから顔見知りのひとりやふたり覚悟はしてたけど、やっぱキンチョーッ!ものすごい恐縮しながら挨拶し、御礼を云って楽屋に舞い戻った。
 そう地元といえば、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションの活動中に出会った秋田の石郷岡さんと加藤さん、そして福島の菅野さんから立派なお花をいただいた。東北つながりってこともあって応援してくれている。いつもありがとねー。あの花はホントきれいだったので、実家の玄関に飾らせてもらいました。


 午後7時きっかりに演奏はスタートした。
 1曲目の「ピナリ」からいい感触だった。あとで聞くと、その日見に来てくれたオレの叔父と従兄は、1曲目が始まるやいなや、プロとしてステージにいるオレの姿を見て泣きそうになってくれたらしい。

 本編ラストの「東京アリラン」〜「Ancient New Wave」は大盛り上がりで、金髪の美女がステージに上がってきて踊り出すほど!実はこの女性、あとで行くことになる焼肉屋「炭楽」の奥さんだった。会場中に波人の音楽が寄せては返し、お客さんがあまりにノッてくれたので、オレもテンション上がりまくって思わず間奏の長さを間違えてしまいましたぁー。ハッハッハ。しかしそこは波人のメンバー。みんな何事も無かったかのようにドラムについてきてくれた。ありがたや。

 さてアンコールである。
 朴保はこの日、アンコール1曲目にオレのドラムソロを入れていたのである。勿論それは、ふるさとの人たち、そしてオレに対する優しさである。
 分かっちゃいるけどキンチョー!
 だが、行かねば男がすたるばい(何故か博多弁)。
 深呼吸して、オレひとりステージに上がったーーーーー。


 恥ずかしいけど、もう何をどう叩いたかよく覚えていない。でも、会場からは暖かい拍手をもらったような気がする。そして、ひとりふたりと波人のメンバーがステージに上がってきてくれた。
 これも云うのが恥ずかしいんだけど、このライヴで波人のメンバーのあったかい心遣いがすごく伝わってきて、オレはちょっとグッときてしまったんだ。
 「ペンノレ」〜「ソーラン節」メドレーで締めくくり、ライヴはめでたく終了。だがこの日は、オレにとってここからが大変だった!
 一息つく間もなく、各テーブルに御礼のあいさつをして廻る。企画してくれた鈴木さん始め関係者のテーブル、従兄弟たちのテーブル、親戚のおじさんおばさんのテーブル・・・。って、オレはキャンドルサービスをしてまわる新郎かよっ!!しかも打ち上げでは乾杯の音頭までとらされるし・・・口下手なオレはアワアワ云いながら・・・、でもみんな心から喜んでくれてるのが分かるので、出来るだけ感謝の気持ちを伝えようと努力した。だって本当はオレの中に言葉では云い尽くせないほどの「ありがとう」の想いがあるんだもん。

 そして宴は二次会へとなだれ込む。そこはライヴの時にステージに上がって来て踊りを披露した”謎の金髪美人”のお店「炭楽」である。焼肉ってさぁ、あの臭いを嗅ぐと、どんなにお腹がいっぱいでも別腹が「食べたぁ〜い」って求めるよねぇ。肉やエビ、野菜など、ついつい箸が進む。面白いのは、この店にはタレが無く全て塩で食するってんだ。確かに素材のジューシーさがモロに味わえて旨さが引き立つ。ほっほぉ〜(感心する声)。

 そして宴は更に三次会へとなだれ込む。とあるショットバーに、鈴木さん、朴保、高橋さん、志田さんというメンバー。そろそろ大人たちによる大人な会話が楽しめる時間かな。静かなお店でオレはバーボンのロックを楽しんでいた・・・・・・のに!朴保が・・・・・・・相変わらず・・・・・・店中に響き渡るような声で・・・・・・喋り続けてた・・・・・・・。

 翌日、朝11時にホテルでみんなと待ち合わせ、新幹線組と機材車組が無事大曲を出発するのを見送った。お陰様で今回の大曲ツアーは全行程がほぼ終了したことになる。ホッと一息つくと同時に、えも云われぬ幸福な気持ちが込み上げてきた。

 プロのミュージシャンとして初めて足を踏み入れたふるさと。住んでた頃には気付かなかったけれど、懐かしい面々に会いうまい空気を吸っていたら、こんな美しい場所でオレは育ったのかとしみじみ感じて、誇らしさと感謝の気持ちでいっぱいになる。でもそれは、取りも直さず、ともに音楽を創る信頼する仲間がいてくれるからこそ、そしてそれを応援してくれる人たちがいてくれるからこそ感じることのできることなのだと思う。

 東京に帰る前の晩、父親と母親を連れてオレは再び「炭楽」を訪れた。完全にクセになってます、ここの「塩焼肉」。豚のホホ肉、塩カルビ、エビ、キムチ、カクテキ、ナムル、焼きおにぎりなどなど、食いしん坊万才!である。特にこの日最後に注文したテールスープが驚きのウマさ。これはもう何度でも食してみたい味でしたぁー。こーなったらウェイトのことなんか気にしてられっかい!

って、いいかしら?石毛さん。

2003年5月    伊藤孝喜