KOHKI ロング・インタヴュー本文

2003年3月28日 市ヶ谷・ソニーにて取材




「(MUSIC MAGAZINE本誌を手に取りながら)MUSIC MAGAZINEはずっと読んでいるんですよ。僕の父親がかれこれ数十年ずっととってるんで。父親が音楽フリークで、ジミヘンとかビートルズとかのオールド・ロック系と民俗音楽や沖縄音楽のコレクションがあったので、それをひたすら聴いて。だから父親の影響が大きかったですね。ただ(津軽三味線の高橋)竹山は、僕が小学校6年生くらいの時に民俗音楽にはまったりしたんで、自分から聴いていったんですが」

──最初に音楽にはまった記憶はいつ頃、どんなミュージシャンでしたか。

「3歳頃にマドンナとかピストルズを聴いたり歌ったりしたのは覚えてます(笑)。 自分で楽器をやったのは小学校1〜2年の頃。電子ドラムを安く購入できたのが大きかったですね。あとギターやベースは父親が元々持っていたので、TVでビートルズの特別番組を見たのがきっかけになって、コピーしてみたりとか。ドラムは3年位教室も通ったんです。「オー・プリティ・ウーマン」とかをよく叩いていました。
 ギターはビートルズから始まって、ギター道みたいのがありますよね。ツェッペリン、ジミヘン、サンタナ、ジェフ・ベックとか。小学校を卒業するまでには、そういうオールド・ロックの大物は、ほとんど聴いてコピーして…ギター小僧でしたね(笑)。でもその後、ジョン・レノンのソロとかデヴィッド・ボウイとか、ギター!っというんじゃなくて、アーティストとしてのロックに触れていくと、ヴァン・ヘイレンとかは色褪せていく(笑)」

──ミキシングからマスタリングまで機材の使い方を覚えたのは、どういう環境だったんですか?

「小学校6年生の時にVS880(=ローランドのデジタルマルチレコーダー)を買ったんです。普通はMTRから入るじゃないですか、でも僕は何も知らずに最初からハードディスクに触っちゃったんで、逆に後からテープに憧れるみたいのもあったんですけど、ループの使い方を覚えていくうちに編集をやったりとか」

──機材の機能は相当使い倒したんでしょうね。

「ええ。例えばブライアン・メイが、(ギターに)ディレイをみっつ繋げるみたいのがあるじゃないですか、そういうところに非常に興味があって、小学校高学年の頃は、帰ってくるとエフェクターを繋ぎ替えてどういう風に音が鳴るんだろうってやったりしてました。全部その延長上ですね」

──ドラムは自分から欲しがったんですか。

「最初はパッドがみっつ付いてるやつとかを買ってもらって遊んでたんです。その頃は父親がギターを弾いて、僕がドラムを叩いて、という。グランド・ファンクの「ハートブレイカー」とか「ブラック・マジック・ウーマン」とかを、やっていたのを覚えていますね。小学校まではそういう親子のセッションをよくやっていました」

マネージャー「(父親に)使われていたんじゃないの?(笑)」

「そうかも知れない(笑)」

──セカンドの『u-ni-cy-cle』以降は、ドラムのチューニング、ミキシング、マスタリング、などで、他の人と作業する部分が増えてきていますね。これは専門職の深みみたいなものを感じてのことですか。

「マスタリングの田中さんにはメジャー・デビュー当時からアドヴァイスいただいていたんで。でもまぁ難しいですけどね。ミックスとかになると結局好みじゃないですか。僕は本を読んで知識を広げていく方だったんで、そういうところからすると、起用してるエンジニアの方がけっこうフィーリング系というか、あんまり機材にこだわらないとか、そういうギャップはありました。もっとこれこれこういうことをしないといけないんじゃないのって、こちらが思ったりとか。そのへんは今、VSの中で自分で色々やっていますけど。人に色々やっていただいたおかげで見えてきた部分がいっぱいあるので、次のアルバムなんかは、全部自分でやってみようかという風に思っていますけどね」

──ひとりで『PANGEA SONG』が作れるのなら、あえて人に委ねる必要があるのかな、とは思ってました。

「そうですね。この空間っていうヴィジュアルがまずあって、それを音にしていくっていう感じでやってるもので…」

──それはずーっとそうですか?

「ええ。それは一貫してますね。この音しかあり得ないってものが、自分の中で完成しちゃうわけです。なのでそれを人にやっていただくとなると、どんどんどんどん変わっていっちゃったりとか。ある意味いかようにでもリミックスできる音楽じゃないですか。なので逆に僕がこういうミックスにしたいという大きな基準というか軸が無いと、どうにでもなっちゃうので、次からはけっこう自分でまた基本に戻ってやってみようかな、と」

──これまでの三枚のアルバムは、それぞれヴェクトルが違うように取れるのですが、自分で位置づけるとどうなりますか。

「『PANGEA SONG』は本当にそれまでデモ・テープを色々作っていたわけですけど、自分の音楽のカラーをどういう方向に持っていけばいいのか、という根本的なところを錯誤した結果ですね。やっと世の中に出す価値のあるものが初めてできたと。それまでは本当に趣味のようなところもあったんですけれど。
 まぁ非常にワイルドですね。当時は機材の使い方にしても、自分で分かっていないことが多いわけですよ。分かっていないからこそ、非常にロークオリティなものでも、そのままゴーにしちゃったというか。逆に今はいろんなことが分かりすぎてて、本当にクオリティ的にトップに近いところまでいかないと、ゴーを出せないんですよ。でもこの時は知らない強みで、どんなひどいことをやっていても、それでOKにしていた(笑)。
 それが結果的には、今聴くと非常に良いなぁと。今となるとこういう骨太な音楽をもう一回作るのは大変ですけどね(笑)」

マネージャー (苦笑)

「……だからまぁフェイヴァリットですね。やっぱり、一枚目が一番」

──(笑)実は僕もそうなんです。それでは『u-ni-cy-cle』は、どういうスタンスだったんでしょう。

「『u-ni-cy-cle』から先は、人の手が入ってきたというのもあるんですけれど、けっこう構築する方向というか、丁寧に積み上げていく方向になっていると思います。ただ自分としては構築の方向が、<本当に見事!>というところまで構築できないと、『PANGEA SONG』に匹敵する説得力は持たないなと。今は『PANGEA SONG』みたいな無茶苦茶な作品は作れなくなっちゃってますから、その分、別の価値観で作るには、ものすごい見事な構築力で作っていかなきゃいけないのかな、と。『u-ni-cy-cle』は、そのはじめの試みというか。本当にスタジオ・ワークが大変でしたけどね(笑)。全く制御不能になってしまう。スタジオにいったん持ち込んじゃうと、コントロールが効かなくなって、どんどん自分から離れていっちゃう」

──離れていくというのは…音楽がですか?

「そうですね。音も含めた音楽というか。まぁでも、今にしてみると、(『u-ni-cy-cle』も)そんな悪くないかなぁと思いますけど(笑)。ただレコーディング的に非常に完成度の面で、これはちょっとなぁというところもあったんで。僕の頭の中ではもっとすごい音が鳴ってるんですけれども、そこまでいけてない感じはしますよね。今はもう一枚アルバムを作って、また見えてきたところがあるんで、…(『u-ni-cy-cle』を)録り直したいなと思ってますけどね」

マネージャー (爆笑)

──今回はどうでした?

「やっぱり構築していく音楽というところで、本当に革新的なものというのは何なんでしょうね?ということはけっこう考えます。音楽というもの自体が、非常に煮詰まっているというか、ダンス・ミュージック的なものにしても、かっこいいブレイクビーツとか、ガッツンガッツンくる四つ打ちとか、そういうものを聴いても、あんまりピンとこないというか。そういうとこで何を作ればいいんでしょうっていうところがあったんです。そこをどう乗り越えていくかというところで、かなり実験しましたけどね。なんか実験の時間が長かったですね。ほんちゃんのレコーディングは、ある意味『u-ni-cy-cle』よりもきついスケジュールで作ったんです。『u-ni-cy-cle』は1曲1週間とか、スタジオ・ワークを合わせると1曲9日とか8日とかってもんだったんですけれど、今回は3日で1曲とか4日で1曲とかいうものも含まれてます。実験ばかりずっとやってて、気が付いたら締切り一ヶ月前とか」

一同 (笑)

「で、もう急いでというところもあったんで、そのへんは非常に反省してます(笑) 」

編集者 その勢いが『PANGEA SONG』の骨太さに近いものになってる部分もあるような気もしますが。

「そうかも知れませんね。曲によってけっこうばらつきがあるんです。1曲目なんかは、2ヶ月位実験した末に一週間位で録ったという。他にほとんどデモ・テープをそのまま活かしたというのもありますし。3〜4曲目とか10曲目はデモのまんまです。しかもこれは『PANGEA SONG』を出した直後に創ってた曲なんですよ。だから『PANGEA SONG』のマスタリングをやっている頃には、「Hide Away」って曲は、VSの中に入っていてって感じだったんですけれど。それをちょっと手直しして出したりとか。
 …でも難しいですね、こういう音楽っていうのは。どうやって創ればうまくいくんだろうな」

マネージャー「何言ってんだ(笑)」

──それはイメージとしては映像が頭の中にあるんだけれど、どうすればそれをサウンドに置き換えることができるんだろうって悩みですか?

「そうですね。やっぱり自分のスキル。結局、ケミカル・ブラザーズみたいに1曲に1ヶ月かけて10曲とかってペースでできるわけじゃないですからね。そういうスケジュールの中でどういう風に絞るのか、とかいうのも大変だし。それでも最近はけっこう分かってきましたけどね。どういう風にすれば、頭の中の音が出せるのかって。けっこう今にして思えば『u-ni-cy-cle』もニュー・アルバムも、手法を掴むための過渡期だったっていう気がします(笑)。今はもう次のデモを作っているんですけど、それは今何が一番面白いのかっていう結果が出てきたかなっていう気がしています。スタッフもまだ聴いていないし、勝手に作っているだけなんですけど。『Eke In Eke Out』はそういう足踏み段階としての収穫は非常にありましたね」

──デモ制作と実験は違うものなんですか?

「デモ・テープは曲の形を作るので、楽譜で書いて現せる部分。リズムとコードとメロディという基本的なとこだけなので、音的には人に聴かせられないというか(笑) 。 まぁ、それがそのまま作品になっちゃったものもあるんですけれど。その後に、それを音的にどういう風に表現していくかということで音の実験を」

──ということは実験をするのはデモ・テープの後なんですね。

「ええ」

マネージャー「この人おかしいんですよ(笑)。一応レコード会社の会議があるんで、 何か聴かせないといけないじゃないですか。そうすると、この人が持ってくるのは全部言葉なんです。アルバム15曲分、文字で書いてある。ディレクターが驚いてました」

「(全く動じずに)あ、そうですか」

マネージャー「おそらく(彼の頭の中で)全部出来ていることは間違い無い。でも普通、曲で聴かせるという作業をしているはずが、彼は全部A4の紙にアルバム三枚分位の説明を書いてくるんで、これをどういう風に会議に出せばいいかと…(笑)。だからみんな不安で不安で」

──おそらく本人としてはイメージがしっかりできあがっているから、そこに至っていないものを他人に聴かすのがイヤなんじゃないですか。

「そうですね。『u-ni-cy-cle』の頃なんかは、まさに紙しか用意しなくって、スタッフが曲を聴いたのは、レコーディングが始まってからですよね。まぁ、昔はけっこうそういうの多かったんじゃないかと思いますけどね」

マネージャー「そんなことは無い!」

「(毅然と)だってデヴィッド・ボウイとかね。スタジオに入って(曲を)作るじゃないですか。…まあ全然時代は違いますけれど」

編集者 デモ・テープというのはクラシックでいったら楽譜にあたるようなもので、そこから先、どこの楽団に頼むとか、まだ決まってないという部分を構築していくみたいなことなんですかね。

「そうですね」

マネージャー「結果的にはディレクターは、本当にかなり具体的なものができてるんだと分かってくれたけど、ひょっとしたらその紙は締切りをごまかすためのものかも知れないと思うわけでしょう? でも書いてある中で具体的にそうなんだなってことを理解するまでには、とても時間がかかりますよ」

「なので今回のアルバムでは、そういう反省を踏まえて、割と早めにデモ・テープを作ったんです。去年の3月か4月頃に二ヶ月位で15曲位作って。その後はずっと音の実験」

マネージャー「3月か4月にすでに10何曲デモがあるんですよ。でもそっからズ〜〜ッと実験!」

──それは自分のイメージに近づけるために?

「そうですね。僕としてはデモ・テープというのは、作らなくてもいいというか。あくまでこういう環境でやるために」

──周りを納得させるために仕方なく作ると。

「そうですね。それが今回はけっこう逆にデモ・テープを作ったことで、手間が増えてしまった。デモは非常にしょぼい音で作ってるので、それを聴いたスタッフが非常に悪い印象を持ってしまうわけです。それをいやいや、そうじゃないんですよってことをするのに、ものすごい時間がかかってしまった。ですから次はデモはデモで作るけれど、自分で勝手に作るところはドンドン進めて行かないと、締切りの一ヶ月前に気付くということになってしまうので」

──ただ創作の世界では、締切りが無いと延々と実験してしまうんじゃないですか。ひょっとして実験してると幸せだったりとかするんじゃないですか?(笑)。

「どうですかねぇ(笑)。ただものすごい不安ですよ、実験は。ひとつの楽器をポロンと弾いて、どう?っていうようなものではないですから。例えばオリジナルのオーケストラのようなものを作ってみたりとか、そういう手法を追求するって感じなんで。音を16ことか重ねたりすることを、真夏に汗だくになりながら、マイクが湿気で壊れるんじゃないかとか思いながらやってるんですよ。16こ楽器を重ねて、その後さらに処理をしないと結果が分からないということをやっているわけで、そのいっこ目をやっている時はものすごく不安ですよね」

──でもそこで締切りがあれば、作品にするための動機付けにはなるわけですよね。

「そうですね。締切りっていうか、期間が初めからばっちり分かっていれば。それが一番いいと思いますね。その残された時間をフルに使って、100%のものを作るにはどうしたらいいかと考えられますから。今までは突然締切りが出てきたりするんで。まぁ、大変です」

──今回のアルバムではブレイクビーツのユニットであるCOLD FEETのLori Fineがヴォーカルで参加してますが、どういう形で出会ったんですか。

「エンジニアの山口やすしさんという方が、『u-ni-cy-cle』のレコーディングの時に、COLD FEETの片割れのWATUSIさんから機材を借りてたりしたんで、その流れで。今回のアルバムでも機材を借りてたりするんですよ」

──ヴォーカリストを起用するといったことも含めて他の人との共同作業の領域が増えてきてるという風に映りますが。

「そうですね。共同作業は本当にうまのあう人とやった方がいいんですけど、やるならもうちょっとちゃんと共同作業した方がいいなと思いました。というのは『u-ni-cy-cle』の頃は、レコーディングにおいてもエンジニアの方に、レコーディングからちゃんとやってもらった曲というのがあるんですよ。でも今回はレコーディングは全て僕がやってしまって、僕が使っているVSの中ですでにミックスの世界観みたいなものもできていたんですよ。だから本当は自分の中で100%完結すべきものを、90%位の段階で人に任せてしまったので、その後が大変というか。やるならやっぱりいちからいっしょに作っていった方がいいのかなって、そういうのもありましたね。ただ究極の夢は鼓笛隊のマーチング・バンドとか、小学生の音楽会でやるような楽器編成に、自分の曲を演奏させて、それをライヴ録音みたいなものでマイク二本で録ってってことができればいいんです。今はそれを自分でダビングでやってる感じですから、本当は人を使いまくりたいんですけどね。今回はゲスト・ヴォーカル位でしたけど、本当は自分のオーケストラっていうのを組んでしまいたい。それができればいいんですけどね。僕はもう指揮だけみたいな」

編集者 例えば鼓笛隊にはどうやって伝えるのが理想的なんでしょう。

「やっぱり譜面じゃないですかね。譜面に起こす人がいて、それを練習してもらう。まぁ無理だろうけど(笑)。でも最近それに近いことを自分でシミュレートするというか。よく小学校の音楽室とかを貸し切ってもらったりして、ネタ録りとかをやっているんですよ。音楽室の響きみたいのをとらえつつ、自分で楽器を片っ端から演奏していって、それを後で合成すれば50人位で演奏したような感じになるんじゃないかとか。やっぱりよっぽど当たってお金が入るまでは、そういう風に自分でやるのかな」

──そのために電子楽器が必要だと?

「電子楽器というかレコーダーですね。電子楽器の割合はどんどん減っていくんじゃないかな。次のアルバムなんかだと打ち込みは多分無くなるくらいの感じで。やっぱり打ち込みって相当高くて良いの買わないと…。そういう方だとジャーマン・テクノの人とかすごいシンセを並べまくってたりするし、そういうところに対抗してもしょうがないところがあるんで、打ち込み的な音も全部原始的なもので作っていく。レコードの針のプツッて音をバスドラにしたりとか、そういうことはけっこうしているんです。それとアナログ・シンセの低音のブーンって音を合わせて。で、同じ音処理をすると一体化するわけです。それをバスドラのドツっていうアタックのところと、ボ〜ンっていう胴なりのところに置き換えるわけです。それをアナログ・シンセとレコードで作り出す。今回のアルバムでもそれは何曲かでやっています。最近はそれがますますエスカレートして、一日中レコードの針のノイズばっかり録ってたりとか。わざと埃まみれのレコードを持ってきてプツプツいわせたり、心臓の音を録ったり。けっこう使えそうな感じです」

──KOHKIさんの場合はそういう響きを追求する欲求と、作曲家としての欲求は一体化しているように思っていたんですが、実は作曲家としてやってみたいという欲求が強いんですか? フランク・ザッパとかもそういう部分がありましたよね。

「ああ〜。そのへんがうまくいってる人って、よっぽど人との出会いであったりとか、よっぽど時間をかけてたりとかするんで。僕はやっぱり音屋さんというよりは、曲というか作品として聴いてもらいたいという風に持っていって。
 ただだからといって弾き語りみたいに歌の良さだけでみたいなものとも違う。ビョークなんかはオケは人に任せちゃってますよね。かつそれをまとめる彼女のヴォーカルがあって、それを最高の組み合わせでやってたりとか。他でも例えばデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』なんかも、曲はボウイが作ったすごい良い曲があって、それを形にするすごいミュージシャンとエンジニアがいて、あそこまでのものになっているわけですよね。それを全部ひとりでやるのは比重の置き方が難しいですよね。曲さえ良ければ良いってものではないし。曲が良くても音が良くなくては、良い伝わり方はしないですから。
 僕の音楽の作り方は3セクションに分かれていたりするんですよ。初めは本当に作曲家のところだけに焦点を絞って、音についてはすいませんという状態で作る。あとサウンド・プロダクションは、それはそれで色々考えて。曲は無いけれど、あれがこういうミックスでこうなったらっていう音のヴィジョンだけはあるという外枠も作っておくわけです。あとは実際の音ネタみたいのもあるんです。その3セクションをダーッと用意しておいて、最後になってこの曲とこのサウンド・プロダクションを、この音ネタで、みたいな感じでつなぎ合わせていく。そうでないとにっちもさっちもいかないというか」

マネージャー「本当にノートをセクションごとに持っているんです」

「作曲用ノートと音ネタノートと。最近はワープロでやってますけどね」

──それぞれに脳の違う領域を使ってるって感じなんですかね。

「そうですね。だから音楽を聴くときも3セクションで聴く。ある曲が非常に面白いとしたら、それは曲作りのトリックというか、構成やメロディ、コードの流れで面白いんだなとか、そういう作曲家としての部分を聴くっていうのと、サウンド・プロダクションで聴いたりとか。
 だから人の曲からインスピレーションをもらうというのも多いんです。とにかくいろんなレコードを聴いて、気に入ったのはMDに落として」

──それは具体的にはどのへんの音楽ですか?

「ここ三日位は古めのが多かった。バーズとかサイモンとガーファンクルとか。あの頃の時代のものって音とかも独特ですから、この音にこの曲でひとつの世界観みたいな塊としてあるわけでしょ。この塊が面白いという風に思ったものはみんなモチーフとして、これの自分版を作ってみようかな、という発想は多いです。昔の音楽だと偶然の面白さってあるじゃないですか。だからその偶然を意図的に作り出すというか。彼らは偶然でやってたから、その面白いところは一ヶ所しか出てこない。けど、それを10倍位にしてやったらどうなるかな、とか。
 最近のだとスピリチュアライズドとか聴いてみたりしたけど…、昔の音楽の方がゴツゴツしてるんでワクワクしますよね」

──当時は選択肢が少ない分、必然性が否応なしにまとい付いてる感じはしますよね。

「昨日はワープロのデータが消えちゃたりして、そうなるとそれはそれでまた面白いんですよ(笑)」

──今回のアルバム・タイトルの『Eke In Eke Out』というのは、どんなニュアンスなんでしょう。

「まずEke Outという言葉は、生計を立てるとかいう意味も有るんですけれど、苦労して絞り出すとか。Eke Inという言葉は無いんですけれど、色々吸収したものを外に出すとか、そういうニュアンスなんですね。まぁレコーディングで大変でしたってことで。なんとかやりくりしたと」

──僕は<今までの音楽に無かったものを注入して補う>みたいなことを想像していたんですけどね。

「あぁそれは確かにありですね」

──スタジオの中にいったん入ると、かなり長い時間こもりっぱなしだったりするんですか。

「定期的に昼飯、夕飯みたいのがあるんで、3時頃に入って7時位に出てきて、飯食って9時位から11時位までって感じです。ちゃんと窓もあるし、気分転換に外に出たりも出来ますし、けっこう快適です。外見は土蔵って感じですごいですけど。中はいたって普通の内装の家で、本当に良い環境です」

──創作の環境は非常にヘルシーな。

「ええ、本当に集中できますから」

──今回は『PANGEA SONG』 の直後に作っていた「Hide Away」という曲もあります。この曲のベースの響きは『PANGEA SONG』に近いようですが、今回はそうした要素を意図的に少なめにしているように感じたのですが、そうではないんですか。

「そうですね。「Hide Away」という曲は、元々ベースがガーンと出てた曲で、ベースの曲にしようって感じでもあったんですが、他は少なかったかも知れないですね。ただミックスで変わってたりもするんで。逆にベースの重心が問題なんですけども、胴鳴りのベースっていうのは、はまればはまったで非常にかっこいいんですけれど、逆にちょっとありきたりというか、ほとんどちまたで出回っている音楽の周波数ってところにかたまっていると、それはそれで面白くないよなっていうか。逆にすごい高いところとすごい低いところのアンバランス感というのがヒントなのかなって思ってたりもしたんで。確かに少なかったですね」

──機能的な形で作品を持っていくということも可能ではあるんだけれど、あんまりそうしたくないような。

「けっこう音にもこだわり過ぎちゃって、自分のベースの音にも満足できなくなったというのもあるんです」

──違う方に関心がいったんじゃなくて、満足できなくなったということですか?

「ベース本体の音の問題だったりとか、作ったトラックに対してのベースの居心地というものがしっくりこないと気になっちゃうんですよ。だから打ち込みのベースに替えちゃったりしてましたけどね。でもベースは非常に好きですけどね。次のアルバムではけっこうベースがメインになる曲が多い。やっぱり昔の曲とかでベースがボコッて出てくると、オッと思うことが多いですから」

──「Future Dancers」のテープ・ヒスのようなノイズは、何の音なんですか。

「あれがレコードの針です。バスドラのレコードの針の音なんです。それが全体に入っているように聴こえる。あとアコースティック・ギターのカッティングにもレコードの音が混ざっています。意図的にサンプリングっぽくするために、レコードのノイズと普通にマイクで録った綺麗なアコギの音を同じエフェクトに突っ込むことで、あたかもそのカッティングがそのレコードにあってサンプリングしたかのような感じになる」

マネージャー「…めんどくさいことを」

「めんどくさいっすよ! でも何かそういう作っている最中のアクシデントというか、すんなり作ったんじゃなくて、すごいめんどくさかったりとか、げっそりするようなことをやってたりとか、そういう感じが何か音から漂ってくるというか、そういう音楽の面白さってあると思うんです。
 例えばビートルズのテープ編集とか、非常にわくわくするじゃないですか。テープ切ってつなげちゃったのかぁって、イマジネーションさせるというか。そういうためにやってます。なんか10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」とか、間奏が変じゃないですか。あれも何かアクシデントがあったんだろうなって思うわけですよ。途中でベースとかギターとかフェイド・アウトしちゃって、女の人の語りが入ってるんだけど、そこで何でこのベース・ラインが出てくるのって。それは多分そこに別のCパートみたいのがあったんでしょうね。あったんだけど、多分気に入らないからカットしてベース・ラインだけ残して、そのパートが終わった頃にフェイド・インしてきてみたいな、そういうスタジオで滅茶苦茶なことをやっているワクワクする感じって大事だなと」

──自分で構築する部分がはっきりしているだけに、そこをはみ出すスリルも重要になってくるんでしょうね。

「今やっている環境だとハプニングが起きにくいので、何かそういう面白い作り方ができないかなと」

──「Yes」という曲は響き自体の暖かみが印象的でしたが、実はギターのフレーズはワイルドですよね。それをエフェクトを使って溶け込ましているように感じました。

「あれはミックスでガラッと変わったところで、全トラックにひたすらフィルターをかけていって。元はオーソドックスな四つ打ちにギターが入ってみたいな感じだったんですが、ちょっと変わったものにしようと。けっこうミックスで変わってますね。激変」

──「Temple」では花火の音をバスドラの代わりに使ってますが、そのアイデアはさっきの分類だと、どこにあたるんでしょう?

「音ネタですね。で、その音から曲ができていく。MDレコーダーで録った音がはじめにあって、サンプリング的なものってそれ自体が音符を持っていたりするんですよね。なのでサンプリング・ネタに含まれるいろんな要素が、その曲のテンポを決めちゃっているところがあって。
 逆に曲を元々作っていても、それ用のサンプリングのネタを使ったりすると、テンポが合わないなってことになったりすることも多いですね。あの曲はあの花火の音が無かったら作りようがない」

──そういうのはたまたま見ていて録っておこうって思い付くような感じですか。

「毎年納涼花火大会をやっているんですけれど、それを録ってみようって。テープだと単なるSEとしては録れても、曲のボトムにくるようなものは録れないですから。かなり色々録ってます」

マネージャー「今日も待ち合わせをした東京駅で飴の実演販売の音を録ってましたね」

「包丁をカンカンやってる音を(笑)」

──ライヴに関してはどういう風に考えてます?

「難しいですね。どういう形態でやったらいいんでしょうってことで…」

──今までやったことは?

「長野の地元でちょっと呼ばれてやったりとかはありますけど。例えばおっちゃんのブルース系のバンドに呼ばれたりする時は、ただギターを弾いて参加。自分のをやる時は、リズムボックスみたいのを傍らにおいてギターを弾く感じでやってました。
 やっぱりバンドのメンバーがいた方がいいですけどね。ステージの真ん中にポツンと経って、一人でギターを弾いてるっていいうのは心細い(笑)」

──ライヴをやりたいという欲求はあるんですか。

「もうちょっと満足できるアルバムができてからやりたいですね。もうちょっと世の中にちゃんと出てからの方がいいかなって。まともなファンが付いてくれるように」

──まともなファンのイメージとは?
「ケミカル・ブラザーズとかビョークとか、カッティングエッジな(=先鋭的な)ものを聴いている人とか、ロック好きとか、そのへんが望ましいですね。
 ただけっこうロックのアーティストっていう括りは、自分と違うかなっていう風にも思っているんですよ。それよりも現代のロック・アーティストが、参考にするロックじゃないCDってあるじゃないですか。それを作った方がいいのかなって。アーティストですっていうよりも、もっと元になるような。音楽としてはトラディショナルというかクラシックというか、そういうものの方がいいのかも知れないなって。けっこう今作っている曲でもボレロとかあるんですけれど、ロック・アーティストとしてどうのこうのっていうこととは全く違うところで、純粋に音楽家として作るという。もちろんメッセージとかいうのも頭の中にあるんですけれど、それをいい形で外に出すのは難しいしね。それは二十歳過ぎてからできればいいかなって。今はもうちょっと純音楽的というか、そういう方向にいった方がいいかなと」

──作詞のDaddy K.という方はお父さんですか。

「そうです。自分でもちょっと書いたりしましたけど、今回のはほとんど父親に書いてもらいました」

──英語で歌う積極的な理由はありますか?

「あんまり日本語で歌ってかっこよくならないというのがまずあって、日本語で作った曲とかも昔あったんです。試行錯誤時代にJポップめいたものを作ってみたりしたんですけれど、結局本人のキャラクターだと思うんですね。特にこういう洋楽的な音楽にのるヴォーカルって場合だと、日本語を歌って何の違和感も感じさせないキャラクターの人がやればうまくいくんだと思いますけれど。例えばくるりのヴォ−カルの人も、非常にナチュラルなキャラクタ−に思えるんですが、ああいう人がやればキマると思いますね。
 僕とかはわりと無口で暗めな人っていうか(笑)、そういう人が日本語で、しかもこういう音楽にのせて歌うというのは、かなり違和感がありますね。
 ただもちろん自分の曲だし自分の作品なんだけど、いわゆるJポップで活躍してるような人に歌ってもらって、結果的にいい感じとか、そういうものは全然ありだと思うんです」

──さっき言っていた自分のメッセージ的なものは後で、今は純音楽的なものでという判断があった上で、ベタに日本語で示すのではない方向を選択したために英語を使っているのかなと思ったんですが、そういうわけでもない?

「英語で歌ったとしても日本人が洋楽を聴いて、例えばデヴィッド・ボウイのメッセージは何たるものか、とか、そういう視点で聴くものであってもいいと思うんです。なので日本語にはそんなにこだわってないですね。俳句とか四文字熟語とか、そういうのをうまく使えないかなと思っていますけれど。俳句とか本当にミニマルなものだったりするじゃないですか。それを上手く使う。俳句とかの日本語の世界というのは訳せない部分も多いですから、そのへんをうま〜く解釈したものを作れないかなと」

──KOHKIさん自身の作るサウンドも、今は洋楽的といいましたけれど、例えば「Temple」なんかは、いわゆる洋楽とはだいぶ違うところにいっていますよね。そういうところでいうと、さっき言っていた図式とは違うところにいく可能性もあると思うんですけれど。

「確かに「Temple」みたいな和ものの楽器を使うのも、今後の方向性のひとつかなと思っています。まぁギタリストとしての作品というのもあるし、全体の音を聴かせるものもあるし、いろいろ柱はあると思うんですけど。全体の音を聴かせるものについては、和風をうまく取り入れた方向にいく可能性はありますね。洋楽っていうのはあくまで肌触りの問題というか。例えば日本で売れてる宇多田ヒカルとかでも、歌以外は洋楽なわけじゃないですか。そういう意味での洋楽ってものなんですけど。
 でも何か日本の本当のポップスというのを、音楽的なところから攻めてみたいという気もあって。それが次の作品のテーマかなと思ってるんです。本当に今の日本のポップスというのは、日本人が日本語で歌ってるっていう部分以外に、純粋に音楽として日本的なところというのはあんまりないと思うんです。サウンド・ワークまで向こうのものであって。それこそ大正とか明治とかから、向こうの文化が入ってきたんですけれど、そこで何か間違ってる気がするんですよね、採り入れ方が。例えばアフリカのポップスとか聴くと、使っている楽器がエレキ・ギターでも、独特のはねるギターとか、アフリカのリズムになっているじゃないですか。単に和楽器を使ったからどうのこうのってことではなくて、そういう音楽の構造として、日本のテイストが入っているものを作りたい。大正時代に外来文化が入ってきた時の日本の音楽と外来の音楽のミックスのさせ方っていうのが、本当はこうあるべきだったんじゃないのってものを、提示したいというか。あの時こうやってれば、今頃そうとう変わっていたんだってものを。そこは非常にやってみたいですけどね。ほとんど9割方外来になっちゃってますから、そこが違うんじゃないかなっていうか」

──それは非常に大きなテーマですね。

「でかすぎですね(笑)」

──さっき言っていた映像を音に置き換えるというのとはまた違う回路が必要になると思います。

「純音楽的ってのはまさにそういうことです。ヴィジュアルと違う指向の仕方というか。音楽そのもの。例えばクラシックにはオーケストラっていう演奏の形態があるわけじゃないですか、ガムランはガムランであるし。本当にこういうジャンルはこういう編成で演奏するものだっていう形式として、新しい形式を作っちゃいたい。そういうことをやっていくべきかなと。とりわけ今やるのであれば、それが価値があるかなって思います」

編集者 それはさっき言っていた鼓笛隊とつながっているのかな。

「そうですね。つながっています。あれもひとつの様式じゃないですか。まずはそういう現在すでにある様式を解釈したもので作りつつ、全く新しい編成、自分の民俗音楽を作れたらなと思います。結果的に作れるかどうか分からないですけれど、作ろうとしないとつまらないですからね」

──それはいわゆるシンガー・ソングライターの私小説的な自意識を歌で綴るというものとはだいぶ違いますね。

「全く違いますね。単にロック・アーティストじゃなくてっていうのは、まさにそういうことなんです。やっぱり非常に長い音楽の歴史で見ると、民俗音楽、クラシック、ビートルズ。この三つ位なんですよね(笑)。まぁデヴィッド・ボウイがどんなに『レッツ・ダンス』でレコードを売ろうと、どんなにグラム時代に素晴らしいレコードを作ろうと、民俗音楽、クラシック、ビートルズという並びには入らないわけです。そういう風に入らないところで、しかもこういう欧米中心の世の中の極東の片隅の島国のさらに隅の隅で、<アーティストです>っていってたってしょうがないんじゃないかなっていうのが、すごいあって。そういう意味において純音楽的な方向を目指した方が、結果的にはビッグになれるのかなって(笑)、そんなことも思ってますけど。そういう純音楽的な方向でもうひとつポコッて作りたいって思ってますね」

マネージャー「他にそういうことをやろうとしてる人はいないのかな。自分ひとりだけ?」

「まぁ多分、そう願ってますけど」

──マジカル・パワー・マコとか、あのへんの音楽は?

「あ、それ知らないです」

──70年代に出てきた人ですけど、『PANGEA SONG』を聴いた時に、彼が今の機材の使い方でデビューするとしたら、こんな感じになったんじゃないかなと思ったんですよ。

マネージャー「ああ!」

──ただKOHKIさんは楽曲としてポップなまとめ方をしますよね。

「そこは外したくないというのはありますね。基本的なメロディを持ってないと、と思います。ビートルズを聴いてきたような耳を引きずりつつ、もうちょっと新しいことを、という感じですね」

──今回はそこへの一里塚ですか。

「そうですね。そんな感じです」

──実はさっきの音色を作る話で玉置浩二のことを思い出したんです。彼は他に手本がないようなことをどんどんやっていく感じで。バスドラを手で叩いたらどうなるとか。キットカットのハコに爪楊枝を入れるといいとか。ダンボールの音色がキレイだとか、スネアもスティックじゃなくて、指で叩いた音にブラシで叩いた音を重ねるとすごく良いとか、そういうことを独自に編み出しているんです。

「僕も前、小学校に行って、木魚と木のバチとマラカスとか、木でできたものをグシャーっと集めて、手で抱えてグワーン!って落っことした時の音を録るとか、そういうことをやってて。すっごい良い音録れましたけどね。もうメチャクチャ感動的な音が。そういうワンショット・サウンドですよね。バシンというだけみたいな」

マネージャー「この下にスタジオがあるんですけど、この人はハンズに行って、グラスを並べて、これを落としたら良い音がするかな、とか言ってるんですよ。まったくもう音工屋じゃないんだから(笑)。でもマスタリングの田中さんとかも言ってたけど、ダンボールを叩くとかって言うんだよね。昔の人はいっぱい実験をしてきていて」

「バスドラが良い音で録れなかったから、ダンボールの中に毛布を詰めて、毛布の中にマイクを突っ込んで叩いて録音したとかって話を聞きました」

マネージャー「でも音工屋にならないように気を付けてね(笑)」

「ま、そういうところはそういうところで(笑)」



 いかがだったでしょうか?
 彼の言い分の一部分だけを読むと、ずいぶん大言壮語を述べているような印象を受ける方もいるかも知れない。しかし彼は自分の作品への評価も実にシヴィアだ。サード・アルバム『Eke In Eke Out』のプロモーションとなるインタヴューであるにも関わらず、ファーストの『PANGEA SONG』が一番のお気に入りであると告白する愚直なまでの誠実さに気が付けば、彼が自惚れや傲慢さとはほど遠いキャラクターであることが分かるだろう。
 また個人的に興味深かったのは、理論的なことも相当な探求心を持っている彼が、こと音色へのこだわりとなると、音楽的には全く異なる野性的なアプローチをしている天才、玉置浩二にも通じるような孤独な実験を行っていることだった。
 だが何よりも彼の凄いところは、音楽の歴史を見つめる巨視的な視点だ。そうしたレベルから見ることの出来る理想に向かって突き進んでいこうとするため、発言は状 況に対しても自分に対してもシヴィアにならざるを得ないのである。これは多くの人には見えないものが見えてしまうイマジネーションを持ち合わせた彼の業と言っていいかも知れない。
 乱暴な言い方で恐縮だが、KOHKIの発想のスケールの大きさと柔軟さからは、例えばフランク・ザッパがティーンエイジャーだった頃は、ひょっとしたらこんな感じだったのではないだろうか、といった妄想さえしてしまった。
 インタヴュー中の僕の発言でも分かるかも知れないが、僕は現在の彼の作品が完全無欠だと主張する気はない。それに世の中は広い。僕の狭い知識では知らないところで、彼と同じような問題意識を持つ音楽家はいるかも知れない。しかし少なくともKOHKIの音楽からは、これまで僕が想像することさえ難しかったこれからの音楽の可能性が見えてくるし、そこに言い知れぬ興奮を覚える。同時に彼のような器の持ち主でなければ感知できない地平に向かって、孤立を恐れず自分のやるべきことをやり続けていく姿勢は、僕のような凡庸な人間にとっての励みでもある。
 そして何といってもKOHKIはまだ十分に若い。彼がこれから先、21世紀の音楽の扉を次々と開けていくのを目撃できると考えると、それだけで幸福な気分になってしまうのだ。